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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

桜咲くように

作者: 綾部一月

凛と静まった深夜の森。虫の音一つならない静けさ。

それが、本来の深夜の森だろう。

だが、今はそれと違う姿をその森はしていた。

森の中に響くのは虫の音ではなく、馬が駆ける音。そして、それを追うように大群が駆けていく音と罵声と、深夜の闇を照らし上げる幾数もの松明の揺らめく朱色の灯り。

そして、それが浮かび上がらすのは深夜の闇だけではなく、馬を追う大群が持つ武具。

槍、弓、棒――それらはまさに、戦国の武士持つもの。

凛とした静けさの中、馬は何処かへ向かい駆けていく。が、実際には向かう場所など無かったが、駆ける理由はあった。

約束を果たす為に――

大切な人を守る為に――

だからこそ、今こうして鎌倉の森を馬で駆ける。自分がいた木曾の森ではなく、どの道がどこへ繋がっているのか予測できない森の中を。

だが、予測は出来なくとも確実に源氏の屋敷から離れていることは分かる。そして、何より大姫たちを向かわした方角とは別の方角だということ。

少年――木曾義高――は、一目散に馬を駆け巡らす。

迫り来る暗闇色に染まった木々を絶妙に避けながら――

今は、大姫たちから彼らを遠ざけることだけを考え――そして、遠ざけることが出来れば、後は大姫たちと奥州で合流するだけ。

シュンッ

刹那、空を射る音が義高の耳元をついた。が、幸いに義高の姿はあたりの闇に溶け込み、命中は愚か狙うのが至難。空を射る音を発てたそれは、義高を通り過ぎ近くに生えた暗闇色の木の幹に刺さった。

「――来た」

義高は、馬を更に駆る。木曾で鍛え上げられた馬術と、自然に鍛え上げられた暗闇の中でも全てが見ることが出来る視力がそろっているからこそ、月無しの深夜の森の中でも、暗闇色の木に当たることなく、そして相手を惑わすために絶妙な間合いで避けることが出来る。

その結果、自分の後方では追撃者が暗闇色に染まる木々に当たる音が聞こえてくる。どうやら、自分と同じ間合いで避けようとしたのだろうか。あるいは、松明無しで無謀にこの森の中を駆けているのか。

だが、それでも空を射る音がやむことは無い。むしろ、止むのとは正反対に増していく一方。しかし、それが幾ら増えようが、深夜の暗闇の中、灯りを立てず、暗闇に溶け込みながら馬を駆けらせる彼を狙い打つことが出来る者がいたとすれば、正しく弓使いの神と言われても過言ではないだろう。

「まだ、まだ遠くへ。まだだ」

更に、馬が駆ける速度を速める義高。そして、馬のそれが増すたびに流れ行く、深夜の森の景色が去り行く早さが増す。が、それらを以前と変わらない間合いで避ける。

まさに、疾風の武将とでもいうべきだろうか。

だが、如何なるものであろうが、後方から飛んでくる矢の予測は至難のもの。まして、暗闇の森の中となれば、放たれた矢は刹那如く暗闇の中に溶け込み、目標に向かって飛んでくるもの。しかし、森の中だけあって茂る木々が障害物となり、守る可能性が高い。が、可能性が高いだけあり、必ずそうなると言えるわけではない。

「しまった」

それは、義高に気付かれることなく、彼が操る馬の右後ろ足の太ももに深く刺さった。その結果、駆けていた馬は突然その部位の神経が遮断されたのと共に刹那如く自身の全身を駆け巡る激痛の感覚に襲われ、地に倒れた。

突然のことに反応が全く出来なかった義高は、倒れる馬に、背中から地に強打する形で地に叩きつけられた。

軋みを上げる己の背筋と、全身を駆け巡る激痛の感覚。

「くッ」

だが、それでも歩みを止めるわけにはいかないと自信の決意からゆっくりと地を沿うように進む。

が――数メートルも進まないうちに、己が進む道を遮る形で刀が振り落とされた。

感じるのは恐怖か。刹那の如く、義高の全身を駆け巡っていた激痛の感覚が消え、全身を震わす寒気が湧き上がる。

それでも、それが誰なのか確かめる必要性があった。だからこそ、寒気に襲われ震え上がる己の身体を抑えてでも――それが誰なのか――

否、実際には確かめなくともそれが誰なのか既に分かっていたのかもしれない。あるいは、己という名の意思が見ずとも感じ取っていたのかもしれない。

自分を殺しに来るのは、自分と共に鎌倉にやって来たから教えられた源頼朝。あるいは、北条政子。だが、政子は武を不得意とする女人。そんな女人が、こんな暗闇の中で駆けている馬に当てること等不可能そのもの。

消去法から考えると、今こうして自分を殺そうとしているのは――

永かった暗闇。だが、黒く分厚い雲と雲の間から月の光が暗闇の森の中に降り注いだ。

「――頼朝様ッ」

自分が思っていた人物が、そこに立っていた。

鎌倉の屋敷の中で自分に向けていた、あの冷徹な眼差しで――

「痛いか、義高」

冷徹なのは眼差しだけでは無く、口調も。

それも、あの自分を人質として一年間置かしてくれた鎌倉の屋敷の中で聞いたのと同じ。

義高は答えたかった。が、背中の激痛と己の全てを駆け巡る寒気から答えることが出来なかった。否、それらが答えさせようとしなかっただけか。

「ことの真相は、貴様が連れてきた輩から聞いているはずだ」

頼朝が『輩』と呼ぶのは、仲重だけ。むしろ、あの屋敷の中でもこの人は仲重のことを、一度足りとも名前で呼んだことが無かった。否、自分の前では呼んでいなかったが、陰では呼んでいたのかもしれない。

だが、今となってはどうでもいいことだった。

「貴様の父、義仲は平氏を打ち倒し、京に。後に己の意思に反するに謀叛を起こした上で逃走。貴様なら、この行為が如何なることが理解できるか?」

――裏切られた。

自分は、国に、この男に――そして、何よりも父親に裏切られた。

「……げ……源氏への裏切り……」

激痛の苦しみと全身を巡る寒気から声変わりしてしまった自分の声で苦し紛れに答える、義高。だが、その視線は頼朝から一瞬たりとも離さずに向けていた。

「如何にも。まさに、貴様の返答通りだ」

だから、自分の父親はこの人の命によって殺された。

この人を怨みたいが、自分の父親の過ちを知り、この人を怨むよりも自分の父を怨むしかなかった。

「貴様の父は、年明けににて仕留めた」

年明け……

新たな事実を知り、胸を突かれる義高。

「どうだ、己の父の後を追うのは怖いか?」

冷徹な声で、愕然とする義高に問いかける頼朝。だが、聞かれた義高には答えようとする意思が無かった。あったとすれば、己が鎌倉の屋敷内で人質として置かれていた一年間に愕然とするだけ。

「本来なら、今この場で貴様を殺さねばならぬが――」

だが、自分を殺しに来た頼朝にも、自分を殺そうと己が持つ刀を構え直そうとはしなかった。むしろ、それとは逆に自分に一言聞いてきた。

「今ここで、貴様が『木曾義高』ではなく、わが娘大姫の婿とし、わが鎌倉源氏になるというなら話は別だ」

――つまり、義高が木曾という故郷を棄て、大姫の婿になると共に、父を殺したこの人の手ごまとして生きていく気はないか。

頼朝が遠回りにそう聞いてきているのを、義高は咄嗟に判断した。

が、義高の中では答えが決まっていた。

あの時、大姫と別れたあの瞬間に……

「お断りします!!」

自分の中から、刹那の内に背中の激痛と寒気が消え去った。

「義高は、源の犬ではございません!!木曾の子!!私は木曾義高!!」

恐れなど無い。死ぬことに。殺されることに。

もし、恐れるとしたら、自分が自分でなくなるとき。

今は、大姫たちを無事に奥州に行かせるためには自分が犠牲になるしかなかった。

「左様か……」

頼朝が地に指していた刀を抜き、上段に構え直すまでの一連の行動を、義高はじっと見据える。流れていく動作一つ一つ見落とさぬように。これから自分を殺す男の顔を目に焼き付けるように――

義高は、目を閉じた。

完全に頼朝の顔を目に焼き付けることが出来たから。そして、頼朝が完全に上段に構え直していたから。

後は、この首が落とされるだけ……


『義高様』


突如、暗闇の義高の意志に響く少女の声。大姫の声。

あの屋敷の中で、大姫が自分のことを呼んでくれた声。


『綺麗な言葉ですね。桜は、咲き、散るもの。人の心も同じものなんですね』


大姫……

義高の意思に走馬灯の如く、大姫と暮らした一年間が浮かび上がる。

出逢った時。初めての夜。初めての翌日の朝。

そして、大姫が一番気に入っていると教えてくれたあの桜の木の前での会話……


『義高様。桜は、一年後も五年後も十年後もずっと、綺麗に咲くものです。私と義高様も、桜が咲くように綺麗に生きてゆきましょう。これからの日々をずっと』


閉ざされた瞼が開いた。

目に映るのは、地面。だけど、そこに浮かぶのは、愛しい大姫の笑顔。

そして、自分が泣いていることに気付く、義高。


あぁ、何故だろう……


後数分もしない内に、この首は頼朝に落とされる。覚悟は出来ていた。

だけど、今は――後悔が出来ているとでも言うべきか――


ごめん、大姫。


空を切る音が聞こえた。と思えた。

温かい何かが飛び散るのと共に、冷たい何かが通るのを感じた。

ビシャッ……

頼朝は、上段で構えた刀を義高の首を目掛けて振り落とした。安易なほどに、それは義高の首を落とした。

地を転がるかの首――を、冷徹な眼差しで頼朝は見落とすだけ。

頼朝は己の刀についた憎い男の息子の血を払い、収めた。そして、己の馬に乗り、屋敷への道を戻っていった。再び、深夜の暗闇に包まれた森の中を――


――やくそくまもれないや――


暗闇の森の中、先ほどまで駆けていた少女は突如、立ち止り、恐る恐る自分が走ってきた方角――後方を振り向いた。そこに広がるのは暗闇に溶け込んでいる森の木々だけ。

「大姫様?」

突如、自分が仕えてきた主が止まったことに不安を感じたのか、数歩先を進んでいた女房のが大姫聞いた。

「姫様?」

そして、三人の中で唯一刀を携えている仲重も同様に。

「よしたかさま……」

「え?」

「若?」

ポツリと義高の名を呼ぶ大姫だったが――

「義高様ぁぁぁぁぁ」

二度目のそれは、ポツリとした呟きではなく叫びそのものだった。更に、叫んだだけではなく、進んできた道を戻ろうと走り出した。

「大姫様!!」

咄嗟の判断に、大姫の小さな方を掴む錐八。

「いけません!!そちらには、敵がございます!!」

錐八が注意しようが、現状の大姫には一切聞こえはしなかった。否、聞こえていたとしても、その通りに動こうとはしなかった。

「義高様ぁぁぁぁぁ!!」

ただ、自分のことを愛し、自分が愛した異性『木曾義高』の名前を叫ぶだけ。

自分たちを逃すために、自分が犠牲になった愛おしい彼の名前を。

刹那の事だった。

「錐八殿!!」

それには、義高の守人に就いている仲重でも、咄嗟に反応が出来なかった。

彼が気付いた時には既に時遅く、大姫を庇うように抱いた錐八の背中には数本の矢が突き刺さっていた。

「き……きりや……」

それ以上に、衝撃を受けたのは庇われた大姫だった。己の眼前に、常に側にいてくれた女房が殺された衝撃。それは、七歳半ばの少女には過酷な現実。

なによりも、一度たちとも人が殺されるのを目にした時の無い少女には、過酷というよりも残酷と表現するべきか。

段々と赤く染まっていく錐八の羽織。

「ひ……ひめさ……」

最後まで言い切ることが出来なく、錐八の命の灯は消えた。

大姫を庇うように――その表情は苦しみではなく、あの場所で自分に向けてくれた笑顔で――

「!!」

だが、時間は待ってくれる優しさを与えてくれなかった。

それに気付いた仲重は、地を蹴ったのと共に収めていた刀を抜き、振り翳した。

ザシュッ

手ごたえあり。その証として、生温かい液体が自分にかかり、矢が刺さっている錐八の屍の背中にかかった。

「ここは危険です、ひ――」

大姫に危険を伝えながら、背後を振り向いた仲重だったが、大姫の背後に目を向けた瞬間言葉を失った。

「え……」

その異変に気付いた大姫は、己の背後に振り向く。

そこには、武者甲冑で身を固めた武士が立っていた。が、その右手には槍が握られ、その矛先が大姫に向けられ――

刹那、それが突き出された。


義高様……ごめんなさい……


「姫様!!」

仲重は叫び、大姫をその場から退かそうと身体を動かした直後、己の背後に激痛が走る。

首を傾け確認すると、そこには数本の矢が深深と刺さっていた。

苦痛。

ザシュッ!!

そして、数本の刀が自分に振り落とされた……

気が遠のいていく中、仲重は大姫の状態を目にした。

既に、彼女の身体を貫通形で槍が刺さっていた。少女が着ている十二単が赤く染まり始めていた――それだけで分かった。既に大姫が死んでいることに――

仲重は、地に崩れた――


やくそくまもれなくて、ごめんなさい――


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― 新着の感想 ―
[良い点] 歴史舞台ならではの非恋愛で、とても素敵だと思いました。 切ないです。 [気になる点] 私が指摘できる立場ではないと思いますが、もう少し段落を増やすと読みやすいかなと思いました。
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