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書籍版第2巻発売記念SS「ガゼイン外伝:闇の鴉が目覚める時」

『NO FATIGUE ~24時間戦える男の転生譚~②』(オーバーラップノベルス)発売記念ショートショートです。

連載でも何気に人気のあった〈八咫烏(ヤタガラス)〉首領ガゼイン・ミュンツァーの若き日の蹉跌編、お楽しみください。

「――くそっ! しつこい奴らだッ!」


 俺――ガゼイン・ミュンツァーは、コルナッドの街の路地裏を逃げ回り、暗がりの中に身を滑りこませながら毒づいた。

 ひとまず追手をまいた。そう思って息を整えていたのだが、


「――いい加減諦めろよ、ガゼイン」


 不意に聞こえてきた声に、俺は本能的に身体を投げ出し、勢いよく地面へと転がった。

 無理な動きで左肩を痛めてしまったが、そのおかげで宙に走った鋼糸をかろうじてかわすことができた。


「おうおう、よくかわしたねぇ。やっぱりおめぇは俺の弟子の中じゃいちばんの才能の持ち主だよ」


 そう嘯きながら現れたのは、俺の暗殺者としての師であるリヒャルト・ランゴバルドだった。

 50がらみの暗殺者で、コルナッド一帯の暗殺者たちの元締めに当たる人物だ。

 2メテル近い巨体の持ち主だが、その身のこなしは豹のようにしなやかで、相手の死角へと音もなく滑り込む。

 ついた二つ名は《殺し豹(キラーパンサー)》だ。


 ランゴバルドは赤い顎ひげを撫でさすりながら、酷薄な瞳を俺へと向けてきた。


「しかし、情に流されるってのはよくねぇな。どうしたよ? あの女に惚れでもしたのか?」

「……知るかよ」


 今回ランゴバルドに指定された標的はゼヴロック男爵及びその夫人だ。

 俺は男爵邸に忍び込み、まずはゼヴロック男爵を始末した。

 その様子を、夫人に見られた。

 しかし、それだけなら大した問題じゃない。どうせ夫人も殺す予定だったのだ。

 俺は夫人が悲鳴を上げる前に素早く駆け寄り、夫人の喉を正面から掴みあげた。

 苦しそうにうめく夫人の顔を見て、俺は目を見開いた。


「……レイチェル?」

「その声……ジュリアン?」


 なんと、ゼヴロック男爵夫人は、俺の幼なじみだった。

 俺の実家が没落して貴族位を失う前、俺とレイチェルは将来を誓い合った仲だった。


「どうして……ジュリアンが、あの人を……」


 あの人。そうだ、レイチェルは今はゼヴロック男爵夫人なのだ。

 ゼヴロック男爵は大して爵位のない下級貴族だが、正義感が強く、仕事柄目にした大貴族の腐敗ぶりに憤って訴えを起こそうとしていた。その腐敗した大貴族サマが雇った暗殺者が俺、というわけだ。

 正確には、師であるランゴバルドが取ってきた依頼を、俺が孫請けしたということになる。取り分は、ランゴバルドが半分以上も持っていく。暴利だが、暗殺者が個人のコネクションだけで信頼できる依頼人を見つけることは困難だ。たとえ暴利であっても与えられた仕事をこなしていくしかない。


「まさか……私を連れ去るために……?」


 レイチェルが、戸惑ったようにつぶやいた。

 その口調の中には怒りは薄く、悲しみとロマンスへの淡い期待が宿っているようだった。

 相変わらず、世の中が見えていない女だった。

 没落貴族から暗殺者へと身をやつした俺が、過去の女を奪いに来る? そんなわけがあるか!

 レイチェルには、俺がこれまでどんな思いで生きてきたのか、想像することすらできないだろう。

 目の前の女が甘やかな幻想にとらわれているのを目の当たりにして、俺はこの夢見がちで甘っちょろい女を絞め殺してやりたくなった。

 だが、俺の口からこぼれたのは別の言葉だった。


「……逃げるんだ」

「……え?」

「おまえの親父さんのところに逃げ込むんだ。一応は伯爵家だろう。おまえの旦那はともかく、おまえだけならかばうこともできるはずだ」


「おまえの旦那」という言葉を口にした瞬間、口の中に苦い味が広がったような気がした。

 俺はその味を無視して続ける。


「俺のことは忘れろ。べつに、俺はおまえを助けに来た王子様じゃない」


 それどころか、俺はこいつを殺しに来たのだ。

 ゼヴロック男爵の貴族社会の慣習を無視した暴挙に依頼人は怒り心頭だ。夫人もろとも殺せ、親類縁者がいればそいつらも全員殺せと言ってきている。さいわいにしてゼヴロック男爵に近しい縁者はおらず、俺の仕事も2人殺すだけで済むはずだった。


「――待って!」


 レイチェルが叫ぶ。


「私、本当はまだ、あなたのことが――」


 俺はその言葉を無視して、屋敷の窓を突き破り、ベランダからコルナッドの薄汚れた路地へと逃げ出した。


 俺に追手がかかったのは、その直後のことだった。

 兄弟弟子だった暗殺者たちが俺を包囲して追い詰めようとしてくる。

 3人、4人とぶち殺した。

 ただでさえ闇の濃いこの街の、さらに薄暗がりを縫うように駆け抜けて、俺はようやく安全地帯へとさしかかったはずだった。


 しかしそこには師であるランゴバルドが待ち構えていた。


「いやぁ、まさかとは思ったが、おまえがここまで甘ちゃんだったとはなぁ。昔の女だから見逃す? 暗殺者にはあっちゃいけねぇことだろうがよ」


 ランゴバルドが大げさにため息をつきながらそう言った。


「てめぇ……知ってて俺に振りやがったな!?」

「ああ、調べてみたらおまえの昔馴染だっていうからな。せめておまえの手で殺させてやろうっていう親心だよ。下衆な奴に任せたら女が殺されるまでにどんな目に遭うかはわかるだろ? おまえはあの女を自分の手で殺すことで暗殺者としてひとまわりもふたまわりも成長できるはずだった。それを台無しにしやがって……殺すぞ?」


 殺すぞ、はこの男の口癖だった。

 今は、その口癖がまったく笑えない。

 俺と師とは殺し殺される関係になってしまった。

 いくら後悔しようともなかったことにはできない。

 とはいえ、俺には意外なほど後悔の念はなかったのだが……。


「へっ。おまえの算段なんか知るかよ。おまえを殺しさえすれば、俺は逃げきれるってこったろ」


 俺はそう言ってふてぶてしく笑ってみせる。

 ランゴバルドはそんな俺を憐れむような目で見つめてきた。


「ガゼイン、おまえ、いくつだっけか?」

「22だ」

「若ぇな。若すぎる。やっぱ男は30を超えてからが勝負だな。20のうちはこんな馬鹿げたことで命を無駄に散らせちまう。ゼヴロック男爵と同じだよ、役にも立たねぇ正義感を後生大事に懐に抱えて、そのためなら命すら惜しくねぇって言うんだからな」

「……何が言いたい?」

「おまえの甘さを、俺が見逃すはずがねぇだろう? ――おい」


 ランゴバルドの声に、路地の奥からひとりの男が現れた。

 暗殺者らしい身なりのなんてことのない男だ。しかし、その男は無視できないものを抱えていた。


「レイチェル!」


 後ろ手に縛られたレイチェルが男に突き飛ばされ、薄汚い路地に前のめりに倒れこんだ。

 その首筋に、男がナイフを突きつける。


「さっ、ガゼイン。選択の時間だ。おまえはこの女を見殺しにすることもできる。だが、助けることもできる。もちろん、見殺しにしたところで、俺や他の暗殺者の追跡から逃れるって大仕事が待っちゃいるが、な」

「……くそがっ」

「言いたいことはわかるな? この女がそんなに大事なら素直に投降しろ。もちろん、師弟の仁義を破ったんだから、そりゃあひでぇ目に遭ってもらうことにはなるが、この女のことは俺が責任を持って実家まで届けてやろう」

「くそっ……」

「逆に、おまえがあくまでも抗うってんなら、この女の運命は変わっちまう。ここですぐにどうこうするなんてもったいない真似をするかよ。散々いたぶった上で娼館にでも売っぱらうことになるだろうな。この女は自分を身受けできるだけの金が溜まるまで、そこでくそくだらねぇ男どもに笑みを売って生きていくことになる。もちろん、身受けなんて現実的じゃねぇぞ? ああだこうだと口実を設けて、娼館は娼婦から金を絞りとる。借金だって背負わされる。とてもとても、見受け金なんて用意できるもんじゃねぇ。

 この女は、ざっと十年以上は地獄を見ることになるだろう。それも、十年後に解放されるって意味じゃねぇ。十年もしたら世をはかなんで死んでるだろうってことだ」

「くそぉっ!」


 俺の言葉に反応したわけじゃないだろうが、レイチェルが地面の上で身じろぎした。

 レイチェルは縛られたままで顔を上げ、俺を真正面から見つめてきた。

 そして、その淡い桜色の唇を動かした。


 ――逃・げ・て


 レイチェルは俺ににっこりと最高の笑顔を向けてきた。

 その次の瞬間――


「ちィっ!? 舌を噛み切りやがった!」


 レイチェルの唇から赤黒い何かが零れ出すのと、

 ランゴバルドが毒づくのと、

 俺がランゴバルドへ向けて突進するのは同時だった。


「――死ねッ!」

「しま――」


 俺はランゴバルドの首筋に短剣を突き立てていた。


 レイチェルが最期に見せた意地を、無駄にするわけにはいかなかった。

 レイチェルは自害を図ることでランゴバルドを動揺させ、一瞬の隙を作ってくれた。


 レイチェルが猿ぐつわを噛まされていなかったのは、おそらくは命乞いをさせて俺を動揺させようという目論見だったのだろうが、ランゴバルドにとってはそれが裏目に出た格好だ。


 レイチェルの夢見がちは筋金入りだ。

 ここで、長年想い続けてきた男のために死んでみせるくらいは平気でやってのける女なのだ。

 レイチェルを貴族夫人と侮ったのがランゴバルドの敗因だった。


 俺はさらに、レイチェルを連れてきた男に投げナイフを放つ。

 事態の推移についてこられずぼんやりと立ち尽くしていた男は、首筋を貫かれて絶命した。


「――レイチェル!」


 俺はレイチェルへと駆け寄って縄を解き、その上体を抱え上げる。

 レイチェルは口元から鮮血を零しながら、満ち足りた表情で目を閉ざしていた。


「……馬鹿野郎……」


 馬鹿は俺か。

 あの時、事態を甘く見ず、こいつを連れて逃げ出していたら、人質にとられることもなかったはずだ。

 しかしその場合、ランゴバルドやその弟子たちから無事に逃げ切れたとは思えない。

 要するに、俺もレイチェルも依頼が下った時点で詰んでいたのだ。


「くそっ……くそっ、くそっ、くそっ……くそがぁぁぁあっ!」


 俺は拳で地面を何度となく殴りつけた。


「……力だ……」


 俺はなぜ大切なものを守れないのか。

 力がないからだ。


「もっと、もっと力が必要なんだ……」


 暗殺者としては、師であるランゴバルドを超えたとかねてから言われていた。

 しかし、それだけでは守れなかった。


「もっと、隔絶した力が必要なんだ。暗殺者としては一流? そんなのは相対的な強さでしかねぇ」


 強さを――。

 そうつぶやきながら、後から後から襲い掛かってくるランゴバルドの弟子たちを返り討ちにしていった。


 頭の芯まで真っ赤に染めながら戦っているその最中に、俺は悪神モヌゴェヌェスの声を聞いた。


 ――力が、欲しいか。


 その陳腐な問いかけに、俺はどう答えたのだったか。

 利用されるのはもう勘弁だと答えたのは覚えている。

 悪神は俺の言葉に頷くと、俺に取引を持ちかけてきた。

 なんてことはない、ランゴバルドのやってたことを引き継げというのだった。

 俺は笑った。


「そんなんじゃ意味がねーんだよ」


 俺は言った。


「――〈八咫烏(ヤタガラス)〉。幻の暗殺教団を見つけ出して、俺はその頂点に君臨する。最強の暗殺教団を作り上げて、世の中のくそくだらねー連中をひとり残らず血祭りにあげてやる」


 俺の言葉に、悪神が低く笑ったような気がした。

『NO FATIGUE ~24時間戦える男の転生譚~②』(オーバーラップノベルス)、11月25日発売です。

店によってはそろそろ出ているそうですので、書店にお立ち寄りの際は覗いてみてください。

よろしくお願いします!

オーバーラップ公式サイト:

http://over-lap.co.jp/narou/865540635/

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