恋愛フラグは突然に!
冗談でかなり年下の男性にプロポーズされたことがキッカケで出来たお話です。
久しぶりの梅雨の晴れ間が覗けた木曜日。
大学2限目からの出席の為、緩い日射しが差し込む9時過ぎ、俺は起床した。
昨日、遅くまで開発中のデータチェックをしていたせいで、あまり寝た気がしない。
ベッドからのっそりと起き上がり、髪の毛を掻き上げながら、身体を伸ばしてダメ元で身体の目覚めを促し、寝室のドアを開けた。
「おはようございます!」
リビングにアクビをしながら入ると、久しぶりにキッチンから聞こえてきた柔らかで優しい声。
「おはよう…由梨子さん。今日から復帰だったね。」
食卓に置いてある新聞を取り、いつも通り席に座って社会面を広げながら話す。
「はい、その節は大変御心配と御迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした!まさかこの歳で盲腸炎拗らして入院するとは思いませんでしたわ。今日からまたよろしくお願いいたします!」
元気を取り戻して仕事に復帰した家政婦の由梨子さんの声に少しホッとしながら、新聞を読み進める。
「盲腸炎に歳は関係ないでしょ?暫くは無理しない程度に世話焼いてくれればいいですから。」
「ちゃんと養生させて頂きましたから、大丈夫ですよ~。一応、これでもまだ30代ですからね!」
「ハハハ…その過信が命取りですよ、由梨子…さん???」
パタパタとスリッパを鳴らしながら湯気の立つ温かな朝食をトレーに乗せ、歩いてきた由梨子さんに目線を合わせて、俺は固まった。
そこには、いつものふくよかで雰囲気も柔らかい、ぷにっとしたオッカサン体型の由梨子さんではなく、痩せて別人の様に綺麗でキュートな由梨子さんが立っていた。
「過信かぁ…確かに今回のことを思えば気を付けなきゃ…。」
少し考える様に口元に人差し指を押し付けながら、上を見ていた由梨子さん。
ふと、食卓を整えようとしてテーブルに視線を落とした由梨子さんの瞳が俺を映す。
「ん?」という風に小さく首を傾げ、可愛らしく微笑みを浮かべて俺の顔を覗き込む。
おかしい…声は由梨子さんなのに、目の前に俺の好みドンピシャな女の子が立っている。
綺麗な二重瞼の大きな瞳。
顎のラインにかかるぐらいの清楚な黒髪のサラサラストレートボブヘア。
前はいつも一本結びのロングヘアだった…。
髪を切ったんだ。
少しぽってりとした柔らかそうな唇。
23歳の俺よりも年下に見えるぐらいの童顔。
そして、エプロンの上からも分かる健康的なナイスバディー。
細身のデニムが、キュッと上がったヒップを美しく見せている。
ふくよかだった時も母性豊かな胸だったけど、今は触りたい衝動に駈られるぐらい魅力的なフォルムだ
。
良く見れば、確かに面影はあるけど…本当に由梨子さんなのか???
「鳩が豆鉄砲食らった顔って、今の佑都さんの顔をいうのかしら?」
由梨子さんのその言葉に、ハッと我に帰った。
「すみません!あの…あまりに面差しが変わっていたので…。」
「ですよね…。私もこの体型に戻ったの10年ぶりぐらいだから、なかなか慣れなくて…。鏡を見てビックリするくらいだから、佑都さんが驚いても仕方ないですよ~。」
パタパタと手を上下にパタつかせるオバサンっぽい仕草を見ると、やっぱり由梨子さんだ。
しかし…
じゅ、10年ぶりだって!?
待て待て、つまり10年間こんな可愛い姿をぷに子体型の中に隠していたってことか!?
勿体無い、勿体な過ぎる!
「まぁ…もう年齢的にオバサンだし面倒なことが起きなさそうなら、このまま痩せちゃおうかなぁ…。」
コソッと発した由梨子さんの一言が凄く引っ掛かるのは、俺だけだろうか?
年齢的にオバサン!?
何処が!?
9歳年上の由梨子さんを無性に可愛いと思ってる男がここにいるのに!?
そして、聞き捨てならない不穏なワード。
面倒なことって何だ!?
問いただしたいが、雇い主と家政婦の線引きをしっかりしている由梨子さんが、自分のプライベートを話すことは無い。
由梨子さんが家政婦として、この家に居ることに馴れた頃、恋愛対象とは程遠い存在だったこともあり、世間話ぐらいなら良いだろうと思ったこともあったが…。
「契約なさっているお客様のお耳障りになっては、私も困りますから。」
と、プロの対応。
以前の俺なら、それが心地良かったのに今は由梨子さんの全てが気になる。
異性に対する、こんな気持ちの高揚感は何時ぶりだろうか?
いや、落ち着け…。
気立てが良くて、プロ並の料理の腕があっても恋愛対象除外だったからこそ、由梨子さんに家政婦として来て貰っていたんだ。
由梨子さんが来るまでの苦労を思い出してみろ!
俺、松原佑都は女性からみると“残念”と言われる部類の男らしい。
容姿については、幼い頃からモテはやされた経験がある為、不自由ではないと思う。
が、人と話しているよりも趣味や勉強に没頭している方が好きな為、外見の華やかさから比べれば性格はジミで、女性からすれば一緒にいても決して楽しいタイプではないと良く言われる。
だから、女性たちは勝手な勘違い妄想を持って俺の元にやって来ては、これまた勝手に幻滅して離れていく。
それについては、もう慣れてしまっているし、こちらが女性に対して好意を持たない限りは傷つく必要性もないので気にしてなかったのだが…。
去年の夏、いくつか得た特許権を管理する為に、学生の身でありながら会社を立ち上げてたことで、メディアに取り上げられた。
将来的なことを思うと多少は人脈作りをしておくべきだろうとインタビューを受けたのだが、そのせいで、のほほんと研究開発に没頭していられない事態となった。
全く知らない女性に告白されるのは勿論、顔見知り程度の女性が食材を買い込んでマンションの前に待っていることが何度か続いた。
何度もそんな女性を追い返すうちに、マンションではあること無いこと噂され始め、直接対応するのも嫌気がさして俺の家に入りたがらないように家政婦さんを雇うことにしたのだ。
正直、別に自分のことが出来ない訳ではない。
確かに起業して忙しくなっていたし、ちょっと一人暮らしがキツくなっていたが、それなりに料理も掃除も洗濯もこなせる。
勘違い妄想して群がってくる中身アマゾネスの様な知らない若い女性たちが、無理矢理に自分のテリトリーに入ってくることを防ぎたかった。
最初の家政婦さんは、身綺麗で上品そうな人だったが自分の娘や親族の女性と見合いさせようとしてくるので、雇って1ヶ月で辞めてもらった。
2人目は、ちょっと派手めな人妻だったのだが、旦那とセックスレスだの何だのと寝込みを襲われて、3週間で解雇。
3人目は、色々と荷物を漁る癖があり解雇。
4人目と6人目は企業スパイだった。
ん…?もしかして3人目も企業スパイだったのかも知れない。
5人目は…忘れた。
きっと、しょうもない理由だったんだろう。
7人目は3日で来なくなった。
家政婦さんの斡旋会社を変えたりもしたが、その頃の俺はことごとく女運…?というか、家政婦運に完全に見放されていて、何故だか信用できない人材を送り込まれまくっていた。
無論、メンタルを削られた分の賠償請求は弁護士に頼んで各家政婦派遣会社に送って貰った。
いい加減に諦めようかとも思ったが、諦めれば女性への対応に追われる。
家政婦さんが自宅にいるということが、ある意味、女性に対するセキュリティーになるという考え方が捨てきれず、もう一度だけ他の会社に頼んで、これでダメなら諦めようと思っていた時、弁護士の奥さんから紹介された会社に所属していたのが、8人目となる久野 由梨子さんである。
それまでのトラウマからか?
戦々恐々とした俺との面接の際、対照的にニコニコしていた由梨子さん。
まるで全て察しているかのような観音様スマイルだったのを覚えている。
由梨子さんがやってきて、やっと落ち着いた俺の生活を由梨子さんが痩せたぐらいで捨てられるのか?
病み上がりに痩せて綺麗になったからとはいえ、9歳年上の女性をそう簡単に恋愛対象として見るのはどうなんだ?
キッチンにいる由梨子さんをチラリと見る。
…いかん、今の由梨子さんは9歳年上にも見えないんだった。
いや、仕草がオバサンっぽいじゃないか!
それに、由梨子さんの鼻歌が何の曲なのか、半分は理解出来ないジェネレーションギャップもある!
うん、その線で考えよう!
それにだ、由梨子さんを恋愛対象して見ると言うことは、公私混同を好まない俺としては、由梨子さんに辞めてもらうしかなくなるということだ。
ちなみに由梨子さんが入院していた間の3ヶ月、由梨子さんが所属している派遣会社から臨時の家政婦さん2人に交代で来て貰っていた。
が、それなりに満足出来る仕事ぶりではあったものの続けて来て貰おうとは思えなかった。
一人は潔癖症らしく、完璧すぎて落ち着かないし、
もう一人は、朗らかなお婆さんだったがやたら孫娘の話をしようとする。
いわゆる相性の問題だと思うが、由梨子さん以上にしっくりくる家政婦さんを一から探す労力を考えると、自分の中に芽生えたばかりの感情に蓋をして、今まで通りに由梨子さんに来てもらうのが得策だと思う。
「佑都さん、考え事をしながらお食事するのはお身体に悪いですよ?」
いつも味噌汁をおかわりする俺のお椀を取りに来たのだろう。
ふんわりとした笑顔を浮かべた由梨子さんに、覗き込みながら俺の眉間によった皺をツンツンとつつかれた。
ぷに子版・由梨子さんの頃からの他愛ない仕草に、今の俺はそれだけで思考がぶっ飛びそうになる。
久しぶりの由梨子さんの料理だというのに、目の前の由梨子さんの姿にドギマギするし、色々と答えを出さなければなければならない問題が有りすぎて味わう余裕がない。
由梨子さんの復帰で、平和な日常が戻ってくるという昨日までの甘い考えは、痩せた由梨子さんの存在によって脆くも崩れ…いや、崩れさせてなるものか!
とにかく、せっかくの料理を出来る限り味わうことに専念して、考えるのは大学に行ってからにしよう。
由梨子さん特製の五目卵焼きを頬張り、味わうことに集中するため、俺は目を閉じて懸命に咀嚼するのだった。