依頼と自己紹介
僕が、鼻にこよりを詰めて鼻血を止めようと試みている頃、僕が襲撃した大学の一室である男はコーヒーをマグカップに入れていた。マグカップに入れたコーヒーを持って、自分のデスクチェアに座りコーヒーを一口すすった。
彼は、ため息を一つついて窓の外を見た。警察官が数名居て、現場検証を行っていた。中にはスーツ姿の人物も居た。
しばらく月日がたち、雪が降った。12月ではあるが、日本の東京で雪が12月に降ることは珍しい。マリアは、真っ赤な厚手のピーコートを羽織って、研究室にやってきた。
「おはようございます」
「おはよう」と僕は、窓の外を見ながら返事をした。
「今日は、雪が強いですね」
「ああ、そうだね」
「そうそう、今日は来客が来ますので忘れないでくださいね」
誰だろうか。僕を尋ねてくる人など限られている。大学では浮いた研究者であるから、そんな僕に興味がある人物はあまりにもすくない。マリアのような美人が僕の助手であることは不思議なくらいである。あまりにも不思議だから、「君はもしかして産業スパイかなにかか」と一度尋ねたことがある。想像は容易いかもしれないが、そのあとグーパンチが僕の顔面に飛び、鼻から血が大量に吹き出し、あたり一面が血まみれになったのは今でも思い出せる。
「わかったよ。来たら連絡してくれ」
お昼過ぎ、予定通り来客があった。研究室のドアを軽くノックしてその人物は入ってきた。見たことの無い人であった。少々小太りのおばさんであり、真っ白いコートを羽織っていた。
「えっと……」
僕は、何をしゃべっていたのかわからなかった。
「ああ、すいません。私は、斉藤と申します」
「斉藤さん」
「斉藤さんは、どういったご依頼を?」
「えっと、ですね……大変言いにくいのですが、とある大学の研究室から研究ファイルを盗みだして欲しいのです……」
「というと、強盗の依頼ということですか?」
「まぁ、端的に言えばそういうことになります」と、彼女は僕の目を真剣に見つめていった。
「うーん……困りますねぇ。私は、単なる大学の教授でして。いち教授です。しかも、しがない教授です。見ての通り大学校舎内でもこの扱い。大学の隅っこの一室をなんとか研究室として与えられている大変地位の低い者です。たしかに、なんだかやりそうな危険な香りがするとは思いますけどね。強盗なんてやるわけないじゃないですか。ははは」
と僕は、依頼の話についてケチをつけまくった。マリアは、ソファーの後ろで来客と僕の分のお茶を入れていた。
「そうですか……」
マリアは、お茶を持って僕たちのほうへとやってきた。
「粗茶でございます」
マリアは、礼儀正しくお茶を斉藤さんに渡した。
「あ、ありがとうござます」と斉藤さんは返事をした。
「うむ。助かる」と言って、僕はお茶を口に含んだ。
「その、大学なんですけど、場所が……」と斉藤さんが言った。斉藤さんの言った場所が聞き覚えのある場所であり、僕は驚きのあまり口に含んでいたお茶を斉藤さんに向かって吹き出し、斉藤さんはずぶ濡れとなってしまった。マリアは、僕の右足を履いていたヒールでグリグリと踏みつけた。
しかし、正確にはお茶の味があまりにも甘くて吹き出したのだ。たぶん、来客に対する僕の態度があまりにも悪く、マリアは気になったのだろう。マリアは、踏みつけた後しばらく怖い目をし、そして笑顔になったのだった。なんたるサディスティック。
「わかりました。やりましょう」
「本当ですか?」
「ええ。でも、ちょっと時間をくれますか。そうですね……二年後でどうでしょう?話を聞く分には急ぎのようでもなさそうだ。どうですか?」
彼女は、少々悩みながら天井を見て「そうですね。大丈夫です」と答えた。
「依頼金は一千万円ですがよろしいですか」と言うと「はい」と即答した。実際、一千万円でも安いくらいの仕事だと僕は思った。
「あ、申し遅れました。私の名前はシュバルツです。シュバルツ博士。こっちの女性は、マリア。阿部マリアです。」と僕は自己紹介した。
しかし、気に食わない人が居る。そう、マリアである。
「すいません。訂正させていただきますね。この人の名前は、シュバルツなどというハイカラな名前ではありません。吉田太です。ふとしと読みます。生粋の日本人ですので。ちなみに、私の名前は正しいです。母親がロシア人で、父親が日本人のハーフです。あ、この金髪は地毛ではなくて脱色してますの。あ、でも母親は金髪ですわ」
と、また笑いながら僕の右足をグリグリとしていた。僕は、ため息をついた。
「では、また二年後にお会いしましょう」
僕は、そう言って斉藤さんを研究室から見送ったのだった。