真っ赤なソファー
マリアは、部屋を出る時にドアをそっと開け周りに誰かいないか確認した。
「誰もいない……わね」
「僕はいるけどね」とぼそっとつぶやいた。マリアは、僕のジョークを華麗に無視をして、僕に肩を貸しながら出口へと向かった。幸い、日が沈み始めており、大学校舎の建物は全体的に暗くなっていたのと、マリアの爆弾を爆発させた場所が進行方向と逆であったため、誰にも見つからずに済んだのだった。
僕らは、止めておいた車に乗った。僕のお気に入りのクラシックカータイプの乗用車であり僕の所有する車だ。もちろん、愛称もつけてある。ドンキホーテである(彼は、特に意味など知らず、響きだけで愛称を決定する癖がある)。
「すまないが、運転は君がしてくれないか。どうやら、血を流しすぎたようで少し眠たくなってきたようだ」
「ちょっと、しっかりして」と、マリアは僕の肩を揺すった。僕は、マリアに薄れゆく意識の中、なんとか意識を保ち、彼女に車のキーを渡した。
「頼んだよ……」
彼女は、車のキーを受け取り、彼の愛車、ドンキホーテのエンジンを点火させた。ブォンという大きな音とともにマフラーからは大量の黒い排気ガスを排出していた。彼女は、アクセルを思いっきり踏み、大学を後にしたのだった。
僕は、真っ白い世界に居た。目の間には、何もない。さんざん歩いても歩いてもなにもない場所だった。好物のマウンテンデューの売っている自動販売機もありはしなかった。途方にくれた僕は、その場に座り込んだ。大胆にも大股を広げて。
ここは、どこだろう。たぶん、噂に聞く三途の川に違いないと思った。よく、耳を澄ませば川のせせらぎのような音も聞こえるような気がした。なんとも短い人生だった。いや、昔の人からしたら結構長生きだ。40年という月日は、長いようで短かった。やり残したことがないとは言えない。悔いがないとも言えない。しかし、死んでしまうならば仕方が無い。仕方が無いのだ。
僕は、その何もない真っ白い世界を眺めていたが、突然、目の前から高速でこちらに向かってくる物体が存在していることに気がついてしまった。やれやれ、三途の川も渡らしてくれないのか。
その物体は、初めは球体のような物体だと思っていたが、近づくにつれてそれは、人間が手でつくる拳のようなものであるとわかった。また、その拳は近づくにつれて形がどんどん大きくなっていった。最終的に、僕に近づく頃には僕の体よりも数十倍大きなサイズとなり、僕を押しつぶすようにして僕にぶつかったのだった。
僕が、次に目を覚ますと、見覚えのある天井がそこにはあった。
「おはようございます」
と、いつになく礼儀正しくマリアが言った。
「おはよう」
と、いつになく礼儀正しく僕は返事を返した。
「ここは、僕の部屋か」
「そうです。研究室のソファーの上です」
「なるほど」
「博士」
「何だ」
「残念なお知らせが一つ」
「良い知らせは無いのかい?」
「生きてます」
「それは、良い知らせだ」
「悪い知らせは、切断させて頂きました。左足」
マリアは、残念そうに俯きながら僕に言った。僕は、それを聞いて左足のあるべき部分を左手でさすってみたが、確かにそこにあるべき左足はなく、ただソファーの心地よい感触があるだけだった。
「そうか……ちなみに、僕は何日間ほど意識がなかったんだい?」
「そうですね。10日くらいだったと思います。その間に左足の手術や義足の発注等を行ってました」
僕は、その話を聞いて少し違和感を覚えた。
「ちょっと、待って。じゃあ、なぜ僕は僕の研究室で、僕の真っ赤なソファーの上に横たわっているんだ。まさか、手術とかは君が一人でおこなったんじゃないだろうな」
僕は、少々声が荒くなった。
「いきませんか?」とマリアはきょとんとした顔で返事をした。しかし、僕の返事を聞く前に「冗談ですよ」と言った。
「実は、病院で入院していたら一度だけ目を覚まして、その時に、僕の研究室のソファーで寝たい、と駄々をこねたことがあって、それで一時的に退院して、ここに居るのです。まさか、目を覚ますとは思いませんでしたけど」
「まぁ、僕だからね」と自慢げに返した。なんだか、顔が痛む気がしたし、鼻血が出ている気がしたが、特に気にはならなかったのだった。
「あ、鼻血出てますよ」とマリアは言って、僕にティッシュでこよりを作って親切に渡してくれたのだった。




