D.D.D戦記 ~シンジュク地下のダンジョンにて Side-B~
本作品は、ヤマネさま「辺境の街にて 閑話:シンジュク地下のダンジョンにて(http://ncode.syosetu.com/n3210u/24/)の対として書いたSSです。
可能であれば、先にそちらをご覧いただいた方が、より楽しくご覧になれるかと思います。
深く、暗い森の木々が、ほんの微かな夜風にもざわざわとその葉を揺らす。
その音にまじって聞こえるのは不規則でどこか物悲しい虫の音、それからフクロウのような夜行性の鳥の鳴き声。
現実世界では決してよいとは言えなかった自分の視力も、〈冒険者〉の体においては話が別だ。
着用している眼鏡も、この世界においては、単なるファッションか、付加効果を期待してのものに過ぎない。
自分の場合は、普段あるものがないことに違和感を覚えてという点、また、「本来の自分」の輪郭を忘れないための縁という意味も大きいのだが。
ともあれ、自分の眼鏡はマジックアイテムの類。暗視の性能があり、夜道にも不自由はない。
此処は〈シンジュク御苑の森〉と呼ばれるフィールドゾーンの外れだ。
神代……自分たちの認識する「現代」の残滓が残る廃墟の中、ぽっかりと開かれた空間である。設定によれば、かつて巨獣、ベヒーモスの群れに蹂躙された地の一つとされている。
目的地は、ここから続く〈シンジュク地下道〉である。
かつて、〈エルダー・テイル〉がゲームだった頃は、ホームタウンからほど近いにも係らず強力なエネミーが出現する人気の狩場であった場所。
多くのプレイヤーでにぎわっていた名残は、今となっては見当たらない。
当然だ。戦闘が現実になり、ダメージに痛みが伴った〈大災害〉後、好き好んで威圧感のある巨大エネミーを相手にする物好きなど、多くない。
まして、エネミーの多くが凶暴化する深夜ともなればなおさらだ。
そして、自分はその多くない物好きの一人だった。
付け加えるならば、自分の視界の端で、露骨に頬を膨らませている妙齢の女性もまた。
彼女は懐中時計を和服の袖にしまうと、こちらを見て大きくため息をついた。長く伸ばされた黒髪から覗くエルフ特有の尖った耳が、疲れたように下向きに垂れ下がる。
好意的な反応には見えないが、これでも自分と彼女は旧友とでも言うべき間柄である。
「ああ、待たせてしまったようですね」
頭を下げると、彼女は、鞘に収められた太刀を手に、気怠げに立ち上がった。
「ん。まだ待ち合わせの時間にはちょいあるかな。それにシンジュクまではアキバからより私のとこからの方が近いからね。色々文句は言いたい気はしなくはないけど、まあしょうがないって事にしとく」
「それは失礼を。では時間もさほどありませんし、行くとしましょうか」
彼女の反応を見ず、〈シンジュク地下街〉へと足を向ける。
振り返らずとも、彼女の表情は容易に想像できる。思慮の深さや先を読む思考の回転と裏腹に、極めて率直な点が彼女の美徳だったからだ。
彼女は、自分が所属する〈D.D.D〉の一員ではない。
かつてはそうであったが、少なくとも今の彼女は無所属の〈冒険者〉だ。
だからこそ敢えて、自分は彼女に、夜間の戦闘訓練の支援を依頼した。
彼女ほどの〈神祇官〉は日本サーバでも有数であるし、何より政治的な意図もある。
加えて、個人として動く上で何か頼みごとをするのに、相手が無所属であるというのは政治的な意図を勘ぐられずに済む極めて大きな要素だ。
万が一、自分と彼女が共闘をしているところを何者かに目撃されても、少なくとも政治的な意味でのスキャンダルにはなりえない。
たとえばこれが、〈黒剣騎士団〉のレザリック、〈西風の旅団〉のナズナなどであったならば、どれほどの問題が発生するか。想像するだに面倒である。
そんなこちら側の状況を彼女も理解しているのだろう。そしてまた、彼女は〈D.D.D〉に若干の負い目も感じているらしい。結果として、彼女はこちらの支援依頼を断らなかった。
「で、今日はどこまでが目標?」
「5階層目までは辿りつきたいですね。昨日はソロだった事もあって2階層途中で事故りましたが、〈回復職〉ヒーラー とのペアならまだ余裕があると予想しています」
「うわあ、結構きっついこと簡単に言うねえ。私は死に戻りは嫌だからね」
「善処しましょう」
簡潔な応答に、改めて彼女の評価を引き上げる。
この異常な状況において、さらに意図の読みきれぬ依頼を受けて、それでも彼女はまず、目標を確認し、こちらの目的と実力に探りを入れるまっとうな問いを気負わず投げかけてきた。
ゲーム時代から、彼女の精神的な即応性は際立っていたが、それは「現実」においても十全に発揮される特性であったらしい。
この世界は、ゲーム〈エルダー・テイル〉に似ている。
だが、似ているからこそ、違う点も強調される。よって、ゲーム時代に発揮できていたポテンシャルがこの世界でも発揮できるとは限らない。
現に、〈D.D.D〉においても、ハイエンドプレイヤーと目されていたうち何人かは、この世界での戦闘においては戦力外と言わざるを得ない状況になっている。
だが、彼女において、そのような心配は杞憂であったようだ。
◆
――斧を振るい、肉を絶ち、骨を砕き、命を奪う。
ゲーム時代とは異なる、振動。血と脂の臭気。音声。皮膚感覚。
圧倒的な情報量を弁別し、遮断し、噛み締め、味わう。
胸の奥から湧き上がる高揚は、自分でもこれまで自覚していなかった内なる凶暴性の発露か、それとも〈狂戦士〉というサブ職業の特技がもたらす副次的な効果であるのか。
〈シンジュク御苑地下ダンジョン〉の地下2階。
無数のアンデットやエネミーを切り伏せ、気がつけば、最奥の玄室に、自分たちは到達していた。
彼女の支援は的確だった。
反応速度、数手先を読む能力は、戦闘が現実化し、敵のルーチンが複雑になった現状でも健在だ。使い手の力量により大きく価値が左右されると言われるダメージ遮断魔法を、この上なく正確に行使している。しかも、それと並行して、太刀による白兵戦も行っている。生半可な集中力で両立するものではない。
「高山君からも聞いてるとは思いますが……〈大災害〉時のログイン率は八割。レイド作戦本部下のレギオンは再編し、二師団を維持しています。いくつかのギルドを吸収し構成員も増えているので、第三も教導の進み具合如何で再編成が可能でしょう。零師団は――」
彼女への言葉の途中でスケルトンが大剣を振り下ろす。
応じるように、〈守護戦士〉の特技、〈ウェポンブロック〉を発動。
武器の攻撃力分だけ、ダメージを軽減する。攻撃力に特化した両手斧が、一時的にこの身を守る最大の盾となる。
そのまま、〈ヘビーチャージ〉。体当たりで、相手の体勢を崩し、無防備な弱点を晒させる。
合図をおくるまでもない。
彼女は〈神祇官〉独自の歩法で敵の背後へと転移すると、首の骨の継ぎ目を狙い、太刀を一閃させた。
宙を舞う牛の頭蓋骨。まるで操り人形の糸が切れたかのように、残された胴体の骨がばらばらと崩れ落ちる。あっけない幕切れだった。
即興の連携。それも、彼女の観察眼あってのものだ。
現実世界ではさほど生きることのないはずの、戦場における機を見出す才能。
ゲームにしか活かされず、ゲームの中でのみ育まれてきた能力が、今、現実の力として開花している。
それは、彼女の有能さを示すものだろうか。少なくともこの世界において、それは是だ。
彼女ほどの立ち回りが現状でできる〈神祇官〉は、以前に戦いぶりを見た、〈西風の旅団〉のナズナくらいのものだろう。
だが、同時に。それは異常なことなのではないか、とも思う。
ある日突然に異世界へと放り出され、ゲームのキャラクターの性能を与えられ、本能的な嫌悪感を喚起するような怪物を前に、ゲームと同じように立ち回りができる精神性。
少なくとも、自分がそれをできるのは、異常さゆえであると、自覚している。
元より現実にさしたる現実感を抱いていなかった身だ。
自分にとっては、現実感のない前提ルールが書き換わったに過ぎない。ゆえに、取り乱すことも、慌てることもありはしない。それだけのこと。
では、彼女はどうであるのか。
この階層の門番なのであろう、牛のような頭蓋骨を持つ巨大なスケルトンを打ち据えながら、自分は思考する。
高い性能を持ちながら自覚なく。優れた力量を持ちながら欲がなく。
熱しやすくさめやすい子供のようでありながら、どこまでも冷淡に目標に邁進もしうる。
そんなスタンスを、この異常な世界でも貫いている彼女が、何を思考しているのか、想像する。
彼女に言葉を投げかけ、その反応を眺めながら。
「先ほどの続きですが、――零師団はほぼ〈大災害〉前のメンバーを維持しています。まあ、レギオンリーダーは空席のままですが」
「へ? なんでそこがまだ空いてるのさ。蒼月君でも月華ちゃんでもやれそうな人はおるんでないかい?」
「残念ながら月華君には断られてしまってね。それに彼女たちは今ミナミからこちらに向かっている最中。強いて言えばリチョウあたりが適任なんだが、こんな状況だと資材管理から外す訳にもいかなくてね。という訳で当分副総長の席は空いたままになりそうだよ」
まったく、彼女の屈託のなさは、こちらが拍子抜けするほどだ。
これで、重要な局面では周りが驚くような鋭さを見せるのだから、さらに興味深い。
そのムラは、自分の目的からすれば制御の困難なデメリットの一つではあったのも事実だけれども、それでも興味深いことには変わりない。
思わず口元に笑みが浮かんでいたのだろう。
彼女は怪訝な顔でこちらをのぞきこんでいた。
「む、何が言いたいのだ、この鬼畜眼鏡……」
「いえ、別に。では、そろそろペースを上げていきましょうか」
「――えっとさ、私はそっちと違って高レベルのモンスターと戦うのは初めてなんだからさ、もう少しこのペースでもいいかなーとか思ったりするんだけど……」
その発言は、彼女らしからぬ悪手だった。
こちらの攻めの隙を見せるとは、まだまだ自分も彼女から信用されているらしい。
「ほう、初めてですか。確か〈ロック鳥〉はレベル85。それもパーティーランクのモンスターだったと記憶していますが」
「げ」
露骨に彼女の表情が変わる。腹芸ができないのも彼女の美点だった。
何度それで、うちの情報が他ギルドに漏れ出したことか。
ともあれ今はこの点が、こちらにとっては有利に働く場面だ。
「〈三日月同盟〉の〈軽食販売クレセントムーン〉は、現在アキバで一番の注目対象となっています。貴方は何を知っていますか? どこまで関わっていますか?」
彼女の瞳を見据えて、問いかける。
先ほどまでの会話は、彼女の反応から現在の彼女の理解力と判断力を試すと同時に、手札を先に晒すことで相手からの情報開示を誘う意味もある。
自分が彼女を誘った目的。その一つは、この問いを投げかけることだった。
独自の情報を持つ〈召喚術師〉の昔なじみから受け取った情報。
『彼女が、〈三日月同盟〉と連携して、〈ロック鳥〉を討伐した。』
その真偽と、背景を聞き取るために。
彼女は長くなった耳の先を数度撫でると、瞳を閉じた。
直感的な彼女らしからぬ逡巡。だが、それも短い間のこと。
「……全部は知らない。知ってる事も言わない」
彼女ははっきりと、そう口にした。
隠し事を好まず。明快をよしとする彼女が。
沈黙による想像の喚起を対人関係の武器の一つとする自分の傾向に、ためらうことなく苦言を呈し、ギルドを飛び出した彼女が。
つまり、これはそういうことだ。
彼女が嗜好を脇においてでも伏せるべきと判断する何かが、〈軽食販売クレセントムーン〉にはあるということなのだ。
――信用はできるけど、信頼はできないよ。
――だって君、助けてって、言わないし。助けてあげられない人、頼れないじゃん。
――だからさ。いつか、君にもできるといいなあって。信頼できる人。
昔、したたかに酔った彼女が、その勢いで口にした言葉を思い出す。
彼女は覚えてすらいないだろう。だからこそ、心の根から出た言葉。
「ふむ、貴方が信頼したと。貴方がそう動くのが最善と判断したと」
その彼女が、何を信頼したのか。
助けられ、頼れると信じたのは何なのか。
この異常な世界の中に、それに足るものがあったというのか。
「面白いですね。ならばこんな世界で、このような状況で、誰がどのように動くのか、少し静観させてもらうとしましょうか」
――どうやら、この世界もまだ、捨てたものではなさそうだ。