chapter6 ①
フワフワとした、ぼんやりした、落ち着かなかった、何と名前をつけるべきか迷うような想い。
それが今は確実に幸福感へと変わっている。
だってそうだ。
自分が強引に店へ来るようにお願いしていたものが、今回は彼の方から「会おう」と言ってくれているのだ。
これ以上のシチュエーションがあるだろうか・・・。
も、勿論ただ会って喋るだけ。
大人な彼の事だ、こんな事はきっと普通の事なのかもしれない・・。
それでも。
それでも確実に会える喜びに幸福感で満たされていた。
「松本さん、最近変わった気がします」
「・・・えっ?!そう・・・ですか?」
昼休憩、一緒に休憩室でランチを摂っている時だった。
同じ派遣社員として働く仲間からの言葉に動揺した。
「あっ、いえ。何となくですけどね・・」
「あっ、髪型変えたからですよ。きっと」
「ははは」
(・・・うっ・・・、もっと気の利いた切り返しが出来ればいいのに・・・)
腹の探り合いのような、たどたどしい会話を終了させた。
私の思いとは裏腹に仲間は別の話題を話始めている。
――中林さんもそう思っているんだろうか・・。
そうぼんやり考えながらランチを続けた。
◆◆◆
(メールのアドレス、分かったらいいのになぁ・・・・)
モネまでの道中、ふっと我侭な欲望が頭をよぎった。
・・・な、何言ってるんだろう、とかぶりを振る。
(名前が分かって、ちょっと喋っただけなのに何言ってんだか・・)
「いらっしゃいませ」
「こんばんは」
いつものようにマスターと挨拶を交わす。
「こんばんは」
奥の方から一番欲しかった声が掛けられてきた。
自然と笑みが零れる。
「こんばんは」
「あ、よければ隣にどうぞ」
「・・・・ありがとうございます」
ゆっくりと彼の隣に腰を掛けた。
(・・・この前と同じ、香り・・・)
鼻を掠めるこの香りさえも何だか緊張を解きほぐすようだ。
「・・・今日は早かったんですね・・」
私がそう言うと、彼は手にしていたグラスを置いて、ふわっとした笑顔を見せた。
「俺から会おうって言ったんだから、何が何でも先に来てないとね」
「え・・、ごめんなさい。何だかかえって気を遣う様な感じにしてしまって・・」
慌てて彼の方へと体を向けた。
「・・・えっ?」
「・・・・・・えっ・・・」
お互いきょとんと顔を見合わせた。
「ははは。また衣里ちゃん、変な風に気を揉んでない?」
「いえ、あの・・。前回、中林さんから会おうって言ってくれた時、気を遣わせてしまったんじゃないかと思ってたので・・。それで・・」
「・・・衣里ちゃんって、やっぱり真面目なんだね・・」
真面目・・・。
そういう風に言われるのなんて初めてだ。
変わってる、とか、融通が利かない、とか、そういう事を言われることはよくある。
でも自分が真面目だとか思ったことは一度もなかった。
「・・・私、真面目に見えるんでしょうか・・・?」
気がつくと、そんな事を彼にポツリと呟いていた。
「っ・・。スミマセン!何でもないです。あ、マスター、いつものワインでお願いします」
急に恥ずかしさがこみ上げてきて、マスターの方へと体を向けた。
「真面目って決して悪いことじゃないと思うんだけどなー・・」
グラスに口をつけながら彼は呟いた。
「・・・・・」
チラっと彼を見た。
「俺としては最大級の褒め言葉なんだよねー」
「・・・・褒め言葉・・・ですか・・?」
「うん」
彼はグラスをテーブルに置くと、頬杖をつきながら喋り始める。
顔は真っ直ぐで私の方は見ていない。
「色んな事に対して面倒くさがらず逃げずに考えてるって事でしょ。まぁ、勿論結論が出ない事も多いだろうけど。でも一生懸命考えてるって凄いよな。色んな事から逃げる奴って多いのに」
そう言うと彼は私の方を見た。
「俺の考える真面目な人って、そういう人」
「・・・凄い、です」
「・・・・・?・・・何が?」
「・・・真面目っていう概念って、そういう風にも捉えられるんだなって思って・・」
「・・・うわっ」
彼が急に慌てだした。
「だ、大丈夫ですか?」
「うん・・。いや、何ていうか・・・・。そう言われると結構恥ずかしいな・・」
・・・・・。
意外、だった。
彼のこんな姿が見られるなんて。
いつも余裕ある人だと思っていたから・・・。
「まぁ、こんなオッサンだけど、何か言える事あれば話聞くので・・・」
そう言いながらも彼はまだ恥ずかしそうだった。
何だかお得な気分。
彼にはちょっぴり悪いけど・・・。
「・・・ありがとうございます」
私もグラスに口をつけワインを一口、口に含んだ。
「・・・衣里ちゃんって年いくつ?って年聞いてもいいのかな・・」
苦笑いしながら尋ねてくる。
「いえ、全然大丈夫です。26です・・」
「そうかぁ。若く見えるね。って、この表現でいいのかどうかだけど・・」
「あ・・・、よく童顔だって言われます・・・」
「女性の場合は老けてるって言われるより良いと思うよ」
彼は私を傷つけないように、気を遣ってくれているのが伝わってくる。
こういうの、嫌いじゃない・・・。
「中林さんは、おいくつなんですか?」
「えー?!なんか恥ずかしいなぁー」
おどけるように笑う彼に私もつられて顔をほころばせた。
「ハハ。冗談。俺は40」
「中林さんも若く見えますよ」
「気、遣ってくれてありがとう」
そう言うと、彼は笑いながらグラスに口をつけた。
「・・・あの、中林さんって、どんな記事を書いたりするんですか・・・?」
「えっ?」
「あ、いえ・・、ライターの仕事されてると名刺にあったので、それで・・」
「ああ、なるほど・・」
答えずらいのだろうか・・。
少し間があいたような気がした。
「基本的には何でも書くよ」
「・・・どんなことでも書くって事です、か?」
「あっ。ファッションとか犯罪に絡む事は書かないよ」
「そうなんですか・・」
ファッションは書かないんだ・・・、とぼんやり考えながらワインを口にする。
「別に深い意味はないよ。犯罪は説明する必要はないとして、ファッションは単に苦手だからってのが理由」
そう言うと恥ずかしそうに苦笑いしている。
「衣里ちゃんはずっと派遣なの?」
「いえ、ここ1年ぐらいです・・・」
「大変だよね、今不景気だから。俺もフリーだから、さ。そういう危うさは身に染みてる」
「中林さんはいつからフリーなんですか・・?」
と、自分で聞いておきながら質問ばかりしてるんじゃないかと少し慌てた。
「5年前かな」
そうなんですか・・、と返事をしつつも慌てる自分を誤魔化す様にグラスに口をつけた。
「・・・・・」
そして、以降会話が止まってしまった。
(ああっ、もう!もっと上手く会話が出来ればいいのに・・・)
自分のスキルの未熟さが恨めしくて泣きそうになった。