chapter5 ②
「・・それじゃ遠慮なく。隣いいかな?」
「はい。・・・あ、どうぞ・・」
私の、左隣に彼が座った。
・・・・・。
何ていうか・・・。
近い。
当たり前、なんだけど・・・。
今までは少し距離があったから、余計にそう感じてしまう。
――でも決して不快じゃない。
男性が至近距離にいるだけで、ひたすら緊張しか感じない自分には全く考えられない反応だ。
「この前はバタバタしてごめんね」
「いいえ。とても楽しかったです」
「あ、マスター。いつものでお願いします」
「かしこまりました」
彼は、またこちらに体を向けた。
「そういえば、あ、えーっと・・・、名前・・・衣里ちゃんって呼んでいいのかな?」
「はい。構いません」
「それじゃ・・改めて。衣里ちゃんは仕事何してる人?」
「私は、派遣で事務やってます」
「そうなんだ。職場はこの辺り?」
「いえ。2、3隣の駅で・・」
「そうかぁ。わざわざ来ちゃうぐらい、この店気に入ってるんだね」
「はい。すごく・・・」
何となく笑みを浮かべてしまった。
「俺もここ好きなんだよ。そういえば・・ここの店ってどうやって知ったの?」
「私の知り合いがマスターのご親戚の方で、それが縁でここに・・」
「ああ、そうなんだ」
不思議だ。
男性とスムーズに会話が進むことなんて滅多にない。
にも関わらず、彼とは自然に会話が出来ている。
「そういえばワイン好きなの?」
「えっ?」
「いつも来る度にワイン飲んでるような気がするから・・」
少し、心臓が高鳴った。
そんな風に見てくれてたんだ、と思ってしまったから。
「・・・果実系のお酒が好きで・・。それでワインも好きなのかもしれないです」
「そっか。俺、ワイン嫌いじゃないけど、少し苦いからあんまり飲めなくて。でも飲めちゃう君は結構強いんじゃない?」
「・・・そ、それはないと思います。1、2杯しか飲まないですし・・」
「マスター。彼女ってもしかして酒、強いんじゃない?」
「・・・・そうですね。同年代の他の女性に比べたら強い方かもしれないですねぇ」
「マ、マスター!何言ってるんですか!」
思わず声が出てしまった。
赤面してるんじゃないかと思うぐらい体が熱くなってくる。
「ははっ。別に悪いことじゃないんだし、恥ずかしがることないって」
軽く笑う彼を見ると、微かに鼻を掠める香り。
(・・・中林さんって柑橘系の香りがするよね)
前から感じてはいたが、コロンなのかトワレなのか、ほのかに香ってる気がした。
勿論、彼に近づかなければ感じられないぐらい程の淡い香り、だけど。
それはつまり、私が彼に近いって事を意味するわけで。
その香りは優しい彼を表すかのような穏やかな・・・。
「・・・大丈夫?」
目の前を彼の手が掠めた。
「あっ、すみません・・」
「大丈夫?具合悪い?」
彼は、少し心配そうに私を見た。
「ごめんなさい。大丈夫です。ぼーっとしちゃったみたいで・・」
緊張のせいなのか、アルコールのせいなのか、少し酔っ払ってしまったんだろうか。
「仕事大変?」
「・・・・えっ?」
「今日来た時からぼんやりしてるみたいだったから」
「すみません。お話中に不快にさせてしまって・・」
彼は持っていたグラスをテーブルに置いた。
「違う違う。不快じゃなくて心配!」
「あ・・・。体調とか大丈夫です。少し緊張してたので、それで・・」
(あっ!うわーーー!!何言ってんの私ってばーーー!!)
そう思った途単に全身が硬直してしまった。
「・・・・え?緊張?・・・」
「あ、あの。何ていうか・・・。中林さんのご迷惑も考えずにここに来ますとか言ったので・・。それで・・・・」
緊張のあまり、最後の言葉は尻切れとんぼになってしまった。
「ふっ。ははっ。アハハハハ」
彼の突然の笑いに面食らってしまった。
(・・・私、何か可笑しいこと言ったかな・・・?)
「はは・・・。あ、ごめんね。」
私は、お酒を口に含むと、またテーブルに置いた。
「何で全然緊張することないよ。それとも俺の事が怖いとか思って緊張してたとか?」
「・・・いえ、そうじゃない、です。何て言うか・・」
思わずグラスをぎゅっと掴んだ。
「今日来てくれるかなとか、来なくてもそれはそれで当たり前だし。そういう事をずっと考えてて・・・・。で、今日、来てくれて。それで・・」
たどたどしく話す私を彼は真剣に、でも優しい顔つきで見てくれていた。
「本当に来てくれて、それで・・・、何か色々あれこれ勝手に考えてたのとか、でもこうやって話すと楽しくて・・・」
手を強く握りながら彼の方へ体ごと向ける。
「つ、つまり・・・。ごちゃごちゃしてたのでぼーっとしてしまいました・・・」
「そうなんだ」
彼は穏やかに微笑んだ。
「・・・ごめんなさい。思わず力込めすぎました・・」
胸の前で作った拳に気がついて、正面に向き直した。
「全然。謝ることじゃないよ。こういうことスルーしてシラけてる人より全然良いと思うけどね」
お酒を飲む彼の横顔に思わず見入ってしまった。
「ん?何かついてる?」
「いいえ!」
慌てて視線を正面に向ける。
「・・・衣里ちゃんってさ、おもしろい人だよね・・・」
「私が、ですか・・・?」
「あ、変な意味でなくて、良い意味でね」
「・・・・そう、ですか?」
「うん」
そうなんだろうか?
今まで変わってる、とか言われたことはあったが、おもしろい、と言われたのは初めてだった。
「俺の勝手に想像してる衣里ちゃん像と全然違う反応してくるから」
「・・・?・・・それって手に負えない、とか、そういう意味ですか?」
「あー・・、違う違う。予想出来ない反応だからこそ追及したくなるっていうか・・」
一瞬押し黙ったかと思うと、私の方を見た。
「興味が掻きたてられるんだよね」
「―――・・・・・」
一際高く心臓が高鳴った。
「・・・・・・」
何も言うことが出来ず、ただ目を泳がせるだけの動きしかとれなかった。
僅かな手の震えを感じる。
「・・・あれ?またぼんやりしてる?」
「いえっ」
「これ飲んだら駅まで送ってくよ」
「・・・えっ?」
「やっぱりあんまり体調よくなさそうだし」
「あ、いえ、あの・・」
体調は悪くないと告げたが、やはり私といるのは嫌ってことなんだろうか。
・・・・仕方ない。
彼に無理強いをするわけにはいかないし・・・。
と。
頭上に温かい手の感触・・・。
「衣里ちゃんさえよければ、今日はこの辺でお開き。そんで・・」
そう言うと彼は微笑んだ。
「来月また会うって事でどうかな?」
(・・・・・・・)
彼の手の温かさと思いもよらない言葉と、何から処理するべきなのか、思考が一時停止しそうになる。
「・・・・は、はい!」
真っ白になりそうな頭から搾り出せた唯一の言葉。
それ以上の言葉が見当たらなかった。
奢るよ、という彼の申し出は丁重にお断りして、マスターにお勘定と挨拶をして店を出た。
駅までの道のり、どこに住んでいるのか、電車で帰れそうか、他愛もない会話を続けた。
「あ」
道中、彼が突然立ち止まる。
「どうしました?」
「寄っていいかな?」
立ち止まったのはコンビニの前。
「はい」
扉を開ける彼の後ろから入ろうとすると、私の方から先に入るように促された。
「私はこの辺で待ってます」
「分かった。ごめんね。すぐ買ってくるから」
そう言うと彼は奥の冷蔵庫へと足を運ぶ。
清算を済ませ外へと出る時も、彼は私の方から先に出るように促された。
(・・・中林さんって、女の人皆に、こういう風なのかな・・・)
あまりに自然なその物腰に、感心すると同時に違う感情も芽生える。
「はい。どうぞ」
「えっ・・」
私の前にミネラルウォーターを差し出す。
「辛くなったら飲んで。で、これぐらいは奢らせてくれる?」
苦笑いを浮かべながら私に渡そうとしている。
「・・・・・あ、ありがとうございます」
微かに芽生えた不穏な思いは、あっという間に消し去られた。
「送って頂いてありがとうございます。それからお水、ありがとうございました。お休みなさい」
「気をつけてね。お休み」
名残惜しくて振り向いて頭を下げれば、微笑まれながら軽く手を挙げて反応してくれる。
地に足がつかないような、でもそれでいてはっきりとした意識を感じずにはいられなかった。
――また来月、彼に会える・・・・。
そう思うと電車内で一人にやけてしまった。