番外編・来る者拒まず去るもの追わず ⑤
「ねぇ。今度の連休、旅行行こうよ」
「あー。俺、そんなにまとめて休みとれないよ?」
どうしても会いたい、と強請られた日曜昼下がり。
待ち合わせたカフェで終始笑顔の彼女は、後から来た俺の腕をとりつつ嬉々としながら語りかけてきた。
「大丈夫よ。近場で一泊だから」
「・・・・・どこにするの?」
「うちの実家なんかどう?自然いっぱいだし、食べ物美味しいし。両親ならきっと歓迎してくれるよ」
「え・・・」
ちょっと待った。
今、何て言った・・・?
実家?
――何で実家?!
「両親にはいつも紹介してるし、話したら会いたいって言ってくれてるから。ね?」
「えっと、何でかな?」
「え?」
「何で俺の事、両親に紹介しようとしてるの?」
とうとう本音が漏れ出た。
俺と彼女の関係を表面化する決定的なワード。
「何でって。え、だって私達つき合ってる、のよね・・・?」
「・・・・・・・・」
絶句、した。やはり彼女は、俺との関係を真面目なものだと捉えていた。
だから近頃感じていた彼女への違和感は予想通りだったのだ。
「・・・・何で何も答えてくれないの?」
「ちょっと驚いてて・・・」
「どういう意味?私の方こそ驚いてるんだけど」
上擦った声から、低い声へと変わる彼女の声が全て、だった。
とうとうこの関係をはっきりさせる時が来たのだ。
これで良かったような、それでいて非常に面倒くさい瞬間が―・・・
「・・・・・・・・」
「っ、最低。つまり体だけって事・・・?」
テーブルの上で組まれた彼女の手の色がみるみる変わっていく。
白く、滑らかだった手はまるで出血しているかのように真っ赤に染まり、窓から差し込む光に照らされて、少し眩しい程だった。
「何か言いなさいよ」
「俺は玲花から何も言われなかったし、だからそういうつもりでいた」
「・・・はなっから遊びだったって事?」
休日の昼下がり。一際混みあってざわついているといえど、熱と怒りに満ちた声は店内に響いてし
まう。
互いに大人な俺達は、あくまでも冷静に、低い声で牽制し合った。
「じゃあ聞くけど、玲花は俺との事、遊びのつもりじゃなかったの?少なくとも俺は、真剣だとは一度も思った事なかったよ」
「・・・・・だから、そんなんだから、婚約者に振られるのよ!」
(――は・・・・?!)
挑発のつもりか、ただ単に口を滑らせただけなのか。
そもそも何故知っているのか―・・・。
「・・・・・そんな話、何で知ってるの?」
「・・・・・」
いくら頭に血が昇っていようとも言うべきではなかった、そんな顔をしながら俯き続ける彼女に心底嫌気がさしていた。
それ以上に自分が最低なのだ、という事も忘れて。
「ねぇ、何でかな?」
「っ。た、高野先生に聞いて・・・・」
「なるほど」
――そういう関係だった、って事か・・・。
初めて会った時に感じた、高野先生の担当者である以上を匂わせた不自然な言動は、俺の違和感ではなかったって事だ。
「なによっ。何で私だけが悪いみたいな雰囲気になってんのよ」
「・・・・・・・」
「さぞかし気分良かったでしょうね。人の事、さんざん利用して」
何だ、それ。皮肉か?嫌味か?
が、蔑むような瞳で見つめられ、罵られ、それが正当で真っ当な意見だと改めて気が付いた。
「前の女が忘れられなくて未練たらたら。だから私の事、利用したんでしょ?」
「はぁ?!」
初めて漏れ出た本音。しかもひどく間抜けな声で。
(――何言ってるんだ、この女は・・・?)
「バッカじゃないの?3年もたってるのに」
「・・・・勝手に決めつけて話進めるなよ」
「ほら。やっぱりそう。私がその話した途端、あなたの本音が出てきた!」
(・・・・・っ)
何で、たかが遊び相手の女にここまで煽られなければならないのか。
いや、違う。俺の言動が彼女を煽らせたのだ。
その瞬間、重苦しい塊が俺を覆った。息が絶え絶え苦しむ彼女の顔と、それを哀れむ俺の姿が重なって見えた。
「ここで溜息?あなたってつくづく最低ね」
「そこまで怒らせていたなんて知らなかった。謝るよ」
「何それ・・・」
「・・・・・・・」
「まただんまり?何で?私と話すら拒否ってこと?」
「面倒くさいな・・・・」
立ち上がる彼女の姿と、顔の冷たい感覚が同時だった。
周りの視線が痛いほど感じられて初めて気が付いた。顔に水を掛けられた事に。
(・・・・・・・・)
ぽたぽた垂れる雫をぼんやり眺めていると、俺の傍を彼女が通り過ぎて行った。このクズ野郎、と罵る最後の言葉とともに。
(・・・そうだな。俺、クズだな。自分でもそう思う)
こんな状況になっていても、周りが俺を見て同情なのか、怒りの目なのか分からない視線を向けられていたとしても、益々心は冷え切っていく。
そして、ハンカチを取り出しながら冷静になっていくのだ。
――ドラマみたいなシーンって世の中に存在するんだな、と・・・・。
◆◆◆
よくある後姿のはず、だった。まさかそんなわけあるか、と。
が、どこかで見覚えある姿のような気がしたのだ・・・。
「お疲れ様です」
「・・・・・あ、ああ。お疲れ」
「何かあったんですか?」
別に・・・、そう視線を合わさずに告げる石渡さんの言動そのものが"何かありました"と言わんばかりで、つくづく嘘のつけない人なのだな、と噴き出しそうになってくる。
(まぁ。俺に言いたくないならいいけどさ・・・)
「で、こういう方向で行こうかと思ってるんですけど、いいですかね?」
「・・・・・・・」
「石渡さん?」
手にした資料を凝視したまま、瞬きすら忘れてる。
――そんなに心配事が大きすぎて手に余るのか・・・?
左腕を軽く叩くと、目を見開いたまま俺を真っ直ぐ見つめてきた。
「――何?」
「・・・・・・・」
「あ、悪い。考え事してて・・・」
「抱えきれないようなら言ってくださいよ」
「すまん。本当に何でもないんだ」
(・・・・・・・)
そうやって視線を合わさないのは、この人らしくていいけどさ。でも逆にあからさま過ぎてほっとけな
くなるだろうが・・・。
「言いたくない、それとも言えない、どっちなんですかね?俺が介入して迷惑なら別にいいんですけど」
「そうじゃないんだ」
「そんな風になるなんて、めったにないだけに心配なんですよ。石渡さんは俺とは違うから」
「・・・・・・・」
心の中で溜息をついた。
この人がここまで頑固になるなんて珍しい事もあるもんだ、と。
でも、まぁ仕方ない。無理強いしたって・・・
「――さっき、美沙ちゃんが来たんだ」
「え?」
「結婚の報告に来たんだよ。来月、結婚式挙げるんだと」
背中を何かに刺されたような衝撃、だった。全身が逆流して、腸がえぐられるような。
勿論、刺された事なんて一度もないが。
「あ、そうでしたか。じゃあ、さっきの後姿は美沙子だったのか。なるほど」
「中林・・・?」
「やだなぁ。何で石渡さんが悩むんですか。もう何年も前に終わってる事ですよ。気遣わないでくださいよ~」
「中林、あのな・・・」
優しげな声を上げようが、きつい物言いをされようが、今の俺には関係ない。
俺には関係のない事だ。
「休憩にしません?俺、外出てコーヒー買ってきますよ。ブラックでいいですか?」
「あ、ああ・・・」
「んじゃ、行ってきますね」
大丈夫だ。もう、さっきの衝撃が感じてこないほど冷静さを取り戻してきた。
しかも笑顔も交えながら。
石渡さんに言わせると作り物の嘘笑顔、だそうで。
それが出来る程、冷静だっていう証拠だ。
(・・・・・・・)
眩しい陽の光に目を細めた瞬間、俺の嘘くさい笑顔が溶けてしまいそうだった。
――考えたくない。何も感じたくない・・・。
今、足を止めれば何もかもが崩れそうで、何もかもが終わってしまうような気さえしてくる。
それでも目の前を流れてくる景色とは別に、ある言葉が俺の目の前をチラつかせてくるのだ。
人間は死ぬ瞬間、痛みも苦しみも、全てを感じなくなってくるんだと・・・・。
何かの本だったか、テレビだったか。そのフレーズがいちいち俺を掠めて、そして少しずつ嬲ってくる。
静かに、ただ、ゆっくりと・・・・。




