番外編・来る者拒まず去るもの追わず ①
参った。
こんなに引きずるものなのか。
お互い納得して別れたはずなのに、何故こうも彼女との想い出がフラッシュバックの如く蘇ってくるのか。
つまり・・・・。
つまり、俺はいまだに彼女を忘れられないでいるって事なのか・・・?
◆◆◆
「は?」
「もう2年近くになるだろ?そろそろいいんじゃねぇの?」
「いやいや、言ってる意味分かんないです」
「貴子の知り合いで良い子がいるらしくてさ。真面目な子だって言うし。一度会ってみないか?」
俺の同意を得るような物言いをしてたって、貴子さんが絡んでるなら半ば強制を成しているのはみえみえだ。
「・・・・もう先方とはどうせ会う前提で話進んでるんですよね?」
「さすが中林。話早くて助かるわ~」
肩を揺らして、大きな声を零して、はぁ、とわざとらしくため息を漏らした。
「まぁ、まずは会うだけ会ってみろよ。そんで駄目なら断ればいいだろ?」
「・・・・・・」
「いくら貴子でも、駄目なものを怒り狂ったりしないだろ」
「・・・・だといいんですけど」
互いに自嘲気味に笑いを漏らす。
二人が俺に気を遣ってくれているのは有難い。その点は感謝している。
けど。
――ここまで世話してくれるのはちょっと違う気がしないでもないんだけどな・・・。
「はじめまして。鷲尾深雪です」
目の前に現れた女性は確かに真面目そうな人、だった。
容姿も悪くない。品もいい。
「はじめまして。中林和哉です」
指定されたホテルのラウンジに佇む彼女に無理は感じられない。
いや、むしろ自然な程に馴染んでいる。
そう、場慣れしている。良くも悪くも大人な女性―、だ・・・。
「鷲尾さんは商社でお仕事されてるとお聞きしたんですが」
「はい」
(・・・・・・・)
穏やかにそう答える姿に何ら不快感は、ない。
いや、むしろ好印象。
なのだろう。多くの人にとっては・・・・。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
二人の間に落ちてくるのはカップを静かに置く音。
これ、は。いわゆる初対面の、しかも、見合いのような雰囲気のせい、なのだろうか。
互いの挨拶以降、彼女からまったく反応が感じられないのだ。
緊張のせいなのか。
それとも、俺に対する嫌悪なのか――・・・。
「――・・・・・、あんまり硬くならずに話しましょうか」
「・・・・え?」
「馬鹿みたいな質問かもしれないですけど、鷲尾さんって何が好きですか?」
あ、え、そう呟きながら戸惑うのも無理はないだろう。
「よければ夕飯に行きませんか?鷲尾さんの好きなものでも食べに・・・・」
「おお、そうか。夕飯行ったのか?」
「ええ、まぁ・・・」
「の割には反応うっすいな、お前」
「そうですか?」
夕飯にでも行けば多少は喋るだろうか、そんな俺の淡い期待は見事に砕けた。
と、言うかよく分からないのだ。
緊張があるのはお互い様だ。それは仕方ない。
が。
彼女は終始、俺からのアクションを確かめるような言動が多いのだ。
それを気を遣っている、という事で解釈していいものなのか・・。
嫌悪でそうしているわけでない事は承知した。
何故なら帰りがけに「また食事に行きませんか?」と、やっと彼女から誘い水を掛けてきたのだから―・・・。
「でも真面目そうな子だったんだろ?」
「そうですね。それだけは疑いようがないです」
「何だそれ、嫌な言い方だなぁ」
「まだよく分かんないんですよ。しょうがないじゃないですか」
「ま、頑張れよ」
石渡さんにばれないよう、小さく息を零す。
"頑張れ"か・・・。
それはいわゆる進展を意味しているのか、それとも、早く忘れろ、という意味なのか。
――いや、もう俺は忘れましたよ。とっくに。
彼女は彼女で幸せらしい、と風の噂で聞いたところで、何ら揺れる事もないんだから・・・・。
◆◆◆
「とても美味しかったです。ご馳走様でした」
「いえ。先日は奢って頂いたので、今回は私が・・・」
あれから数回、彼女との食事は続いている。
最初に抱いていた彼女への印象は明らかに変わってきていた。
真面目できちんとしていて礼儀もある。けれど、女性らしさもあって、しかも気遣いもさりげない。
(・・・・・・・・・)
でも、何故だろう。
彼女なりに気を遣ってくれてるのはとても有難いし、素晴らしいとは思うんだが、会えば会う程に見えない隔たり、と言うか、壁と言うのか、そういう厚みを増していってる気がしないでもないのだ。
そう。まるで俺への拒絶のような―・・・。
(9時か・・・・)
「送りますね。ここからだと駅までそんなに遠くないですから徒歩でもいいですか?」
「・・・・、ええ。はい」
いつもの笑顔に見えた一瞬の戸惑い。さすがに気づいてしまった・・・。
それが何を意味するのか。
俺への嫌悪か、それともそれ以外の気持ちの表れか。
「・・・・・・・」
彼女がこの後に自分の気持ちを紡がない以上、俺には踏み込めない。
いや。
踏み込めない、というよりは、踏み込みたくない、というべきか・・・。
一瞬見せた戸惑いなどなかったかのようないつもの横顔。横目でチラリと覗き見て、だからこそ感じてしまうのだ。
これはもう少々面倒だな、と・・・・。
原稿から目を離すと、傍にあったコーヒーを口にする。
眉間に軽い皺が寄ったのは、苦い味のせいなのか。
それとも何か別の理由があるのか。
「お前、体調悪いの?」
「え?」
「格好つけてもお前の為にならないし、締め切りもあるからはっきり言う。使えない」
「っ」
見透かされたような物言いに言葉が詰まった。
筆が進まない事、真綿のようなものが俺を締め上げている事、遅々としてそれが改善しない事。
全てが見透かされた事―・・・。
「すみません。今日中に書き直します」
「うん。悪いけどそうして。今日中ね。出来なければ徹夜してね?」
笑顔でそう告げられるのは嫌味なのか、それとも慰めなのか。
勿論、後者だ。
こんな俺だろうと捨てずに使い続けてくれる人だ。本当にどうしようもなく崩れていく俺を・・・。
「調子悪くするぐらいのきっつい事って何だ?」
「――え?」
呻き声をあげようとしていた俺の傍に温かい湯気と共にコーヒーが置かれた。オフィスのまずいものではなく、ビルの近くにある、専門店の挽きたての美味いコーヒーだ。
こんな夜中にわざわざ買いに行ってくれたのかと思うと、恐縮以上に身につまされて、思わず胃が縮んできてしまった。
「すみません・・・・・」
「いいよ、別に。丁度俺も飲みたかったし」
暗闇の光零れる一角、原稿や資料が散らばった編集部の片隅。
もうここにいるのは俺と石渡さんのみだ。
「腹は減ってないか?何か食うか?」
「大丈夫です。さっき食べたんで」
そうか・・・、そう言ってコーヒーを一口。
釣られるように、―いや、視線を合わせたくなくて俺もコーヒーを口にする。
「面倒くさい案件でも抱えてるのか?」
「・・・・いや、そうじゃないです。すみません」
「何かイラついてるだろ?注意散漫って感じ」
(・・・・・・っ)
「もう少しで書き上がるんで待っててください」
「分かった」
考えない。考えたくない。
やんわり釘を刺されたその件、はっきり言って考えたくないし、石渡さんを巻き込みたくない。
いや、多分、巻き込んだら最後、面倒くさい事になるのは目に見えている。
一番考えたくない状況が浮かんでくる―・・・・。
「お疲れ。これでいいよ。ゆっくり休め」
「申し訳ありませんでした」
「人間さ、万事何でもかんでも上手くいかないんだからさ。しょうがないよ。ただな・・・」
明け方近くの、気力も体力も奪われる魔の時間。互いに色々と限界だった。
目の前の人も久々に疲労の色が滲んでいる。
「話する事で解決出来るなら聞くぞ?」
「・・・・・・・・」
「仕事、じゃねぇよな?そもそもそれが原因だとしても、お前は無理してでもやり抜くしなぁ。こんなになるって事は、頑張りたくない事なんだろ?」
(・・・・・・・)
口が開きかけた。
この時間はやはり魔だ・・・。
「面倒くさいんですよ・・・・」
「は?」
「どうしたいのか、とか、じゃあこうしよう、とか、もう何もかも面倒くさいんですよ・・・」
「・・・・・・・・・」
分かった、そう呟かれたかと思うと、石渡さんは俺の肩を小さく叩く。
「まずは眠れよ。今、正常な思考じゃねぇし。な?」
「はい・・・・」
◆◆◆
俺の前に静かに注がれたのは灯りに照らされてキラキラと金色に輝く液体。
弾ける様な様子はない。恐らく普通の白ワイン、だろう。
ワインは苦手だと言った筈なのに、隣にいる人はワインを注文してしまっていた。
「飲めよ。奢り」
「ありがとうございます・・・」
奢りなら仕方ない、そう少し暗くなりかけた後の一筋の明るい陽射し。のような味わい。
――何だこれ、美味い・・・・。
「美味いっすね。このワイン」
「だろ?この前、ここに来て飲んでさ。これならお前、絶対そう言うと思ってたわ」
感じのいい、しかも美味いワインを出すバーを見つけたから連れてってやる。
そう無理やり引っ張られる形で到着した店。
何でも知り合いに教えてもらったとかで、石渡さんの最近のお気に入りの店なんだとか・・・。
「あ、あんまり俺、こういう表現に乏しいからあれなんですけど。何ていうか・・・。明るい気持ちになるようなワインですね・・・」
「・・・・・・」
「え?何ですか、その反応。俺、変ですか?」
別にたかが一口で酔ったつもりもない。それとも表現が率直過ぎたか?
「・・・・いやぁ、驚いたよ。実は俺も同じこと考えてたんだわ」
「え・・・」
「何ていうか、華やかっていうかさ、憂さが晴れるような味だよな」
嬉しかった。正直に言って。
俺の乏しい表現すら間違ってない。しかもそれすら褒められて。
おまけに明るい気持ちになれる―・・・・。
「マスター。やっぱりこのワインにして正解だったわ。さすが!」
「ありがとうございます。他に気になるワインございましたら仰ってください」
「ありがとう」
あくまで控え目に微笑む、この店の店主は不思議な安心感がある。
石渡さんと同世代、か、もしくは少し下か。が、若からず、かと言って老けてもいなくて、上品な年の取り方を感じさせる。
「ここさー。落ち着いててさ、一人で飲んでてもそうじゃなくても居心地いいんだよな」
「・・・・分かる気がします」
「気に入ってるから、あんまり人に紹介したくないんだよ。でも、お前だけは別だからな~」
(おっと、この人にはもう酒は止めさせておいた方がいいな・・・)
「俺、これ一杯飲んだら帰りますからね」
「何でだよー」
「最近、疲れてるんで。このまま帰って寝ます」
ふーん、そう不満気な声をあげる人はめずらしく引き下がった。
最近の俺を見たらそうせざるを得ないんだろう、ワインを口に含みながら考える。
「で、何が面倒くさい?」
「――え?」
「美味いワイン前にしてさ、うっかり口滑らせちまえよ」
喉を通るワインがひりひりと通過していった。




