chapter26
「それで。式場は決まったんだ?」
「うん。とりあえず」
久しぶりに対面した親友の顔は想像以上にやつれた顔。
・・・・仕方がない。今は子育て真っ最中なのだから。
しかも初めての育児。
にも関わらず、親友はよくやっている。子育て経験がない私が言うべきではないのだろうが。
「今日、本当に来て大丈夫だったの?」
「大丈夫よ。実家からお母さん来てるし。それにアンタの誕生日祝いだよ。たまには外に出たい!」
「ありがとう・・・・。彩音ちゃんはどう?」
「うーん。元気は元気だけどね」
薄く笑ってはいるが、多くを語らないあたりに様々な事情を匂わせるようで思わず私も口をつぐんでしまう。
当たり前だけれど育児は大変だ・・・。
「突然、具合悪くなるのがやっぱりパニックになるのよねー。でさ、じゃあ次はって構えるじゃない?駄目なのよー」
「でも、楓はよくやってるよ~」
「お母さんがいるから出来てるんだよ。いなかったらもう、発狂しそう!」
そうカラカラと明るく笑いながら、美味しそうに食べ物を口に運ぶ姿を見て少しホッとする。
その笑い方が、いつもの彼女らしくて・・・。
「おばさん、元気?式で会って以来だもんね」
「うん。まぁね。――あ、実はね・・・」
「ん?」
「一緒に住もうかって話が出ててね。旦那がさ、将来的に一戸建て建てたら住もうって言ってくれて・・・・」
彼女のお父さんは幼い頃に病気で亡くなっている。
以来、母一人子一人として共に頑張って来た。
「そうなんだ。良かったね」
「うん。お母さんの方は躊躇しててね。ま、徐々に説得していくつもり」
「そうか。おばさんは楓と一緒で頑張り屋だからね。そういうところ、昔から尊敬してたよ」
そう。
教師をしながら楓を育てたおばさんは、寂しい思いをさせじと、行事やら何やらと節目節目には必ず姿を見せていた。
うちの母も、楓のお母さんは凄い、とよく褒めていたものだ。
「何言ってんの?頑張り屋なのは衣里の方でしょうが」
「え」
「・・・・まったく、アンタって子はつくづく自分が分かってない子だね。悔しい事とかあると、歯くいしばっていつも頑張ってたじゃない。だから倒れるまで働いてたんでしょ?」
「あ、あれは・・・」
「私とお母さんは、出来る出来ないの見極めがあるから適当に力抜いてたの。でも、アンタはとことん前に進む!でしょ?それはいいんだけどさ、たまには周りを見てみなよ。他にも人間いるんだから少しは頼りな」
「・・・・・・・」
「頑張るのもいいけど、頼ってもいいんだよ。どうしようもない時ぐらいは」
「うん・・・・」
まさか子育て奮闘中の親友からたしなめられるとは。しかも、自分を分かってないと逆に褒められてしまうし・・・。
――ううん、違う。
これはきっと、これからどう生きていくかのヒントなのだ。
自信がなくて、頑固で、頑なになって生きていた自分への・・・・。
「楓。ありがとう・・・」
「え?」
「いつも迷ってばっかりで、あんまり上手い言い方も出来なくて悩んでばっかりの私に、こうやってつき合ってくれて」
「何言ってるの?それは私も同じだよ」
手にしていたグラスを静かにテーブルに置くと、満面の笑みを浮かべながらそう反論してくる。
「私だって衣里に助けられてる。アンタ、人の話をよく聞いてくれるでしょ。私はついバーっと話しちゃうから。でも、聞いてくれて。衣里はね、自分が思ってる以上に包容力あるんだよ」
「・・・・・ありがとう。やっぱり楓は凄いや」
お互い声を出して笑い合った。
まるで、それ以上の言葉は不要だと言わんばかりのように。
それ以上の言葉は無意味だと言いたげのように―・・・。
「で、どこで式挙げるの?」
「あ、うん。神社でしようかなって」
「ええ?!」
口につけていたグラスを慌てて離して出てくる声は、怒り、とも驚き、ともつかない不思議なものだった。
「・・・・・そういうところだと、大袈裟でなくて良いかな~と」
「って事は白無垢かぁー。いいの?それで」
「うん。別にこだわりはないから」
そう。
本当は挙げなくても構わないと嘆いた私を、式だけでも挙げよう、でないと後悔するよ、と囁いた彼のこのアイデアが、私にぴったりと馴染むように感じられたのだ。
「でね。お互いの家族だけ呼んで、式と食事会だけする事にしたの」
「へー。――あ、和哉さんて長男じゃなかったっけ?大丈夫なの?」
「和哉さんの親戚ってほとんどいないんだって。お義母さん側は疎遠で、お義父さん側は地方にいて、ほとんど会ってないって言ってた」
「そうなんだ。じゃあ、まぁ、それでいいのかな?」
頬杖をつきながら、まるで私の回答に満足しているかのように楓はまたグラスを傾け始めた。
私は反対にカップを静かにテーブルに置くと、あらかじめ準備しておいた言葉を口にし始めた。
「で。楓には家族として出席して欲しいんだけど・・・」
「―――え?!」
「駄目かな?うちの両親はもう了承してるんだけど」
グラスを持ったまま、私を見つめたまま―、いや凝視していると言うのが正しいのだろうか。
楓はそのまま動けず、何か言いたげで、でも何も発せられないでいる。
「駄目なわけないじゃん!・・・・・・って良いの?」
「うん。楓はもう私にとって家族みたいなもんだし」
そう告げれば口元が揺るやかに上がって、その緩んだ口から小さく笑う声が漏れてくる。
「ところで、尚之君は元気?今、大学生だっけ?」
「うん。最近は学校とバイト以外で、やっと外に出るようになってきたみたい。安心した」
「ハハ。相変わらずシスコン続いてるねぇ。でも意外に衣里に子供が出来たら、そっちにいきそうな気もするけど」
「どうだろ・・・・」
弟は相変わらず私の話になると機嫌が悪いらしく、今回の式も上京ついでに弟が欲しがっている物を購入しよう、という彼の提案に従って渋々了承したぐらいなのだ。
弟のいない自分には新鮮だ、と終始穏やかに接してくれていて、彼には本当に感謝している。
「尚之君に会うの、尚之君が小学生の時以来だから楽しみだなぁ。大きくなったんじゃない?」
「体ばっかり大きくなって、それ以外は小学生の時から変わってないよ」
お互いの顔を眺めるなり、声を出して笑い合う。久しぶりに流れる空気にまどろんだ。
「――あ。式とは別にパーティーみたいなの?やるつもりだから、そっちも来てくれる?」
「何それっ?!」
「知り合いのお店のマスターが是非にって言ってくれて・・・。大学時代の先輩とか、彼の知り合いとか呼ぶつもり」
久しぶりに過ごしたモネでの時間、式について愚痴を零した後、マスターから店でお披露目するのはどうかと提案をしてくれたのだ。
店を貸し切っていいから―、と微笑むマスターに、「そんな事は出来ない」とつっぱねたら、「娘のように思う貴方を祝ってはいけませんか?」と悲しげな顔をされてしまえば断る事など困難だった。
「へぇ。和哉さんと出逢ったお店なんだ。これは是非とも行きたい」
「良かった・・・。お店のマスターの都合とかあるから、多分、式の後に予定してるんだけど、後でまたメールするね」
うん、その言葉とともに大きく頷く楓。
満足気に微笑んだ後、カップを口にしながら「あ」と声を発してきた。
「――私、授乳中だから、お酒飲めないんだけど、いいよね?」
「勿論だよ。マスターにはもう言ってあるから安心して。リクエストも受け付けるって言ってくれてるし・・・、って何?」
ただ黙って、じっと私の顔を見続ける楓の視線に気づいて慌てる。
「な、何かついてる?それとも変な事でも言った?」
「あ、違う。違う。衣里ってばいつのまにそんな社交的になったんだろうって思ってたの」
「え?」
「いくら知り合いがやってたお店とはいえ、バーでしょ?しかも途中からは一人で通ってさ。何だか凄いって感心してたの」
「そ、そうかな・・・」
静かにグラスを置いた楓の顔からは、いつのまにか微笑みは消えていた。
あるのは、何かを伝えたくて仕方がないような、それでいて神妙な顔・・・。
「一人で行くっつったって近所だったり、旅行だったりはあったでしょうけど、そういう所にって信じられなかったもん、最初は。今まで口に出さなかったけど、衣里は度胸がないっていうか、勇気なかったもんね」
「そ、そうかも」
「大学入るまで心配してたよ。この子、大丈夫かなって」
茶化してるわけじゃない、のは一目で分かった。
不安を抱えたまま、大学生活を送る私に、大丈夫だよ、と声を掛けてくれたのは里美先輩。
その大学に入るまでの私を常に叱咤激励してくれたのが、今目の前にいる親友なのだ。
「衣里は、いざという時に強いのよね」
「え」
「普段、臆病な割に周りが逆に不安になると、ドンドン前に進んでいく時あるから。そこは昔から尊敬してる」
「そうなの?」
そうだよ、そう言って笑う楓の顔はいつもと違う。そこには今まで知っているどの楓の姿に当てはまらない・・・。
「――だから自信を持ちなさい。自分の人生に」
どこかぼんやりしていると、ふいに優しく左肩を叩かれた。
顔を上げれば、そこにはいつもの明るい笑顔の親友の顔。
肩の感触とともに落ちてきたのは、自信、という言葉と、親友の笑顔、だった。
「ありがとう・・・」
今日という日は何よりの贈り物だ。まさしく誕生日祝いに相応しい一日だ。
私は本当に良き人達に恵まれた。
だからこそ、この人達を大切に、もっと幸せを感じてもらいたいと思うのだ。
そう心の中でいつまでも願ってやまない・・・。




