chapter23 ③
こういう時の会話は何が一番いいのか。昔、確かに営業の仕事はしていたけれど、その時の知識が
全く役に立たない。
――だって、こんな経験初めてだ・・・!
「あ、あの。足らない材料って何になるんでしょうか・・・」
「まぁ、色々~」
「・・・・・・」
・・・・天気の話?ううん、日常の事・・・・。違う、外国に住んでいるご両親だ。
ああ、駄目だ。合うわけが・・・
「買物は口実なのよ~。衣里さんと二人っきりで喋りたかったの。駄目かしら?」
「っ。まさか!」
「それから。硬くならないでね?」
そうゆっくり微笑みながら私の肩を軽く叩くお義母さんに何ら敵意は感じられない。むしろその笑顔を自然な程、受け入れている。
そう、まるで最初から知っているみたいに―・・・。
「ここら辺っていいところよね。静かだし、でも明るいし。子供を育てるのに良い環境よね」
「本当にそうですね・・・」
あそこに座りましょう―、そうお義母さんに促されて肩を並べたのは、歩いて2・3分のところにある公園のベンチ。
緑が多くて。でも明るくて、まさにお義母さんの言う通りの相応しい所だった。
「和哉が以前、婚約破棄していた事はご存知かしら?」
「・・・・・はい」
「そう。前に連れてきた方は確かに素晴らしい人だったわね。しかも二人とも凄くお似合いで」
「・・・・・・」
「あ、誤解しないでね。だからって、衣里さんがどうのこうのって事ではないから」
「はい」
分かってる。昔の事だ。
それに私に何らかの誤解を与えようと思っていたら、こんな回りくどい事をするわけがない。
多分・・・。
(・・・・・・・)
心のうちにかかる雲は雨の前触れか。
それとも雨上がり後の青空の序章か・・・。
「幸せそう、に見えたんだけど、何か違和感あったのよ」
「え?」
「まぁ、お互い大人だしね。はしゃぐって言う事ではないんだろうけど、嬉しいっていう感情が感じられなかったっていうか・・・」
遠慮気味な笑顔でそう語れば小さく横に傾く顔。疑問、違和感。―そう全身で表現しているようだった。
と、思っていると、ふふと小さく零れてくる笑い声・・・。
「・・・・・どうしました?」
「いえ、ね。そうは言っても和哉は相当に浮ついてたのよ。嬉しいっていうよりは、欲しい玩具が手に入ったみたいな」
「玩具、ですか・・・・」
その表現がユニーク、というか、こういうところが彼曰く変わっている点とでも言うのだろうか。
思わずつられて顔を崩しそうになる。
「上手い言い方が出来なくてごめんなさいね。何ていうか冷静さが足らないっていうか。地に足がついてないっていうか」
お義母さんは、そういうと一つ溜息を零した。
「逆にお相手の方が妙に落ち着いてるのよ。でも、その方が凄かったのは、それはそれで幸せなんだっていう風に装ってた事なのよね」
「え・・・」
「お別れした今なら、その時の違和感はそう思えてくるのよ」
「・・・・・・・」
心がざわつく。膝の上に置いた掌から汗が噴き出す。
やっぱり、これは嵐の前触れなんでは?
――お義母さんが、それを言う意図は何なのだろうか・・・。
「和哉って優しい?」
「――え?」
「衣里さんに優しいかしら?」
体が強張る。
お義母さんの顔が真剣で、それでいて強めの言葉で。
(・・・・・・っ)
「・・・とても、優しいです。優しすぎて心配になってくるぐらい」
私は美沙子さんのように大人でもなければ、でも何も出来ない子供でもない。人を勇気づけられるような言葉を発する事も難しい。
でも、私にだって出来る事がある。
――ちゃんと人と向き合う事・・・。
「良かった。ちゃんと目を見て言ってくれて」
「え・・・」
「衣里さん、とても緊張してるから。どういう人か話したかったのよ。きっと大勢の前だと話したがらないと思って」
「・・・・っ」
言葉が紡げなかった。
全身が羞恥と肯定で悲鳴を上げたように動けない。
「すみません・・・」
「何で謝るの?悪い事じゃないんだから。フフ・・・」
恥ずかしいのは見抜かれたから。
肯定の気持ちしかないのは、ズバリその通りだから。
「やっぱり日本人ってシャイよね。でも、それが美徳だから良いっていう人もいるし」
「言葉が足らなくてすみません・・・」
「どうして?衣里さん、ちゃんと言うべき事は言ってるじゃない。それに、さっきは私の目もちゃんと見てくれた。私、驚いたのよ」
「え?」
「和哉って優しいでしょ?あの子ね、誰にでもそうなのよ。衣里さんもそう思わない?」
「はい・・・・」
彼の事を語り始めるお義母さんの顔は柔らかくて優しい。
母の顔、というのだろう。きっと。
「あの優しさって相手の為じゃないのよ。和哉の優しさの基本は人との不要な諍いを避ける為だから。ようは自分の為なのよね」
「・・・・・・」
思い当たる節があって少し反芻する。
お義母さんの言う通り。彼の優しさはとても紙一重なのだ。
「でも、今日はっきり分かったわ。衣里さんに対する優しさは本物よ」
「・・・・・・」
「あの優しさは心底、あなたの為をもっての優しさね。凄くエネルギー使ってる。でも、それをちっとも苦だと思ってない」
「・・・・・・」
「和哉、本当に幸せなのね。とても安心したわ」
途端、鼻の奥がツンとした。
彼が幸せだ、という言葉が嬉しい。しかも、それを彼のお母さんの口から告げられた事が何よりも嬉しかった。
「衣里さん・・・?」
嬉しさを噛み締めていると、お義母さんの声に我に帰った。
・・・・そうだ。
ちゃんと言わねば、きちんと告げねば・・・。
「・・・和哉さんが幸せだと私も嬉しいです」
「フフフ。そうね。でも和哉が幸せなのは何でだと思う?」
「え?」
慈しむような温かい笑顔のその女性に問われるのは、根本的な母親としての疑問。
きっと、"何でですか"なんて答えは求められてない・・・。
「ごめんなさい。奥ゆかしい衣里さんに言わせる事じゃなかったわね」
「いえ、あの・・・」
「そう。愚問過ぎたわね。衣里さんが和哉を幸せにしてくれてるのよね」
(っ)
それは人生で最大の褒め言葉。これ以上ない程の贈り物だった。
心の底から感じたその想いは、体の奥から溢れる涙と共に零れてくる。でも涙を拭いながら・・・。
「衣里さん」
「はい」
「さっき、どれだけ和哉の事が好きか言ってくれたじゃない?私、正直驚いたのよ。私以上に、母親以上に、息子の事を理解してくれる人が現れたのかと思って・・・・」
(あ・・・・・)
だから、なのか。
あの時、彼について語る私に対して見せた態度・表情。全てが納得いった。
そこには、とても複雑な気分にさせてしまったお義母さんがいたのだ・・・。
「まぁ、ここで言うべきじゃないんでしょうけど、だから以前の方に違和感あったのよね。和哉が浮かれてるだけで幸せそうに思えなかったのは」
「・・・・・・・」
「でも、衣里さんといると、和哉もだけど何より衣里さんも幸せそうで、母親としてはこれ以上の事はないわ」
水が満ちてくる。体中に。
これでいいのだと言われているようで、体中が満たされる気がした。
「・・・・そんな風に仰って頂いて嬉しいです。本当に」
涙は消えていた。変わりに多分、笑みが零れていた筈だ。
例え、ぎこちなさもプラスされていたとしても―。
「衣里さんて本当に真面目なのね。ま、だから和哉も好きなんでしょうけど・・・」
「堅苦しいですよね」
苦笑いで応えた。もうその言葉に必要以上に反応しない自分がいる。
その言葉には、様々な思いと意味があるのだと理解していたから。
「ううん、違うのよ。何て言うのかしら・・・。私達はとにかく他人に干渉しない事、個々それぞれが幸せであることがメインだから、時に相手の気持ちだとか、立場だとか考える習慣がないのよ。和哉はそういうのがとことん苦手で、―まぁ多くの日本人がそうだから当たり前といえば当たり前なんだけど、本当よく怒ってたわね。今日も含めてだけど」
途端、彼の言葉や態度、全てが蘇ってきた。
合理的なご両親だと言った事、お義母さんの言動がユニークな事、彼が私を必死で守ってくれた事。
「・・・でも和哉さん言ってました。お家の中が不幸だと思った事はないって。ちゃんと愛情を感じてたって」
そう。
大きな笑い声を上げて私に話してくれた。決して不幸ではなかった、と・・・。
「あら、そうだったのね。あの子、あんまり何も言ってくれないから」
そう・・・、そうしみじみと噛み締めているお義母さんの横顔は、とても慈愛に満ちていて、こちらまで温かな気持ちにさせてくれる。
「あ、あの・・・・」
気が付くとそう発していて、上手く伝わるのだろうか、そう思いながら。先走る想いのまま言葉を発しながら・・・。
「将来、子供が出来たら、私、お義母さんみたいな人になれればいいなって思います」
「・・・あら。凄い嬉しいわ。そういう風に言ってくれてありがとう」
素敵な笑顔は人生の大先輩として、女性として、これ以上ない程に素晴らしかった。
「衣里さんって素敵ね」
「――え?」
「そんな予想外って顔しないで。だって、衣里さんって奥ゆかしいのに、言うべき事はちゃんと言うし、それでいて褒めるべきところはちゃんと褒める。それって素晴らしい事じゃない」
「・・・・・・・」
本当に驚かされてばかりだ。お義母さんには・・・。
こんな僅かな間に、私とちゃんと向き合い、そして、そのように見てくれた事に・・・。
「・・・・・ありがとうございます」
「さて。そろそろ本当に買物に行こうかしらね。何か買って行かないと和哉がうるさいから」
「はい・・・・」
ゆっくり立ち上がるお義母さんから漂う香りは優雅で美しく、それでいて見惚れてしまう。
私もなれるだろうか。―ううん、違う。今想うのは、この決意だ。
私なりの"素敵な人"を目指そう―・・・。
◆◆◆
「何、話してたの?」
「え?」
月明かりの下、彼の部屋へと向かう帰り道。手を繋がれながら、ふいに尋ねられた。
「母さんと。買物にしては長過ぎるでしょ?」
「・・・・・・・」
相変わらず鋭いというか何と言うか。
でも、お義母さん特製の美味しい食事とワインと、それに今日一日の出来事が全てが私をいつも以上に良い気分にさせていて胸がいっぱいだった。
「いっぱい話したよ。凄く楽しかった~」
「・・・・ならいいけど。衣里を困らせてないか心配でさ」
「大丈夫!素晴らしいお義母さんだよね」
「え?」
戸惑う彼の顔は、ふわふわする頭ではぼんやりとした輪郭を映すだけ。驚く目だけはかろうじて分かる。でも関係なかった。今の私には・・・。
「和哉さんの事、ちゃーんと見てる。示し方は確かに独特なんだろうけど、凄く愛に溢れてる」
「・・・・・・そう」
「私もああなりたいなぁって思ったよ。ちゃんと愛を示せるような人になりたいって」
「衣里・・・・・」
「ん?」
「衣里はちゃんと示してるよ。俺はちゃんと感じてる、いつもね。それと・・・・」
驚きながらも私を優しく見ていた瞳が、ふいに、しかもはっきりとした素振りで私から逸らされた。
「家族の事、そういう風に言ってくれてありがとうな・・・」
消え入りそうな、小さな小さな声で・・・・。
それでもちゃんと形にして言葉を紡いでくれた事が何より私を熱くさせた。
・・・・今すぐ彼に触れたい。
――全身で彼に伝えたい・・・・。
「・・・・・衣里?」
「和哉さん大好き」
「おっと・・・」
彼の腕にこれ以上ない程に絡みついて、体の全部を預けて。
私の熱い思いが予想外だったのか、彼は少し後ろによろめいた。
(幸せ―・・・)
髪を優しく撫でる手が温かくて、このまま身を任せて意識を手放したくなる。
「衣里、起きて」
「ん・・・・・」
「起きて」
「ん―・・・」
「・・・起きないと、このままここでしちゃうよ?」
途端、耳の奥に響き渡る甘くて艶っぽい声。
背筋がゾクっとして全身が訴えてきた。
「お、起きますっ」
鼓動が速まって私の意識もはっきり浮上する。震える手を温かい手に掴まれて、視線を上げた先には、いつものあの意地悪な甘い甘い笑顔。
「帰ろうか」
「はい・・・・・」
そう。
彼の全部が大好きなんだ・・・。




