chapter23 ①
「24日、都合どう?」
「大丈夫。ご両親に連絡ついたの?」
「やっとね。何とかチケット取れたって言うから」
とうとう彼の両親に会う・・・。
結婚を決意して、でも普段と変わらない日常が続いて、結婚の二文字を意識する事がなくて。
きっとそういうものなのだろう、そう感じていた矢先のこの報せにやっと実感と緊張をもたらした。
じわじわと、ゆっくりと。想像以上に―・・・・。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だから」
「うん。・・・・とは言ってもやっぱり」
彼に心配させたくなくて無理に笑顔を作った。でもどこか、ぎこちなさを感じさせてしまったようだ。
――大丈夫・・・。そう、彼と一緒なら平気。
そう言い聞かせてはいたけれど気づかれてしまうのだろうか。
・・・・・・・。
・・・・ん?
と言うか、むしろ彼の方が、何と言うか、様子が変?
口の端が上がって、彼なりに笑顔を作ってる。でも目は一点を見つめていて・・・。
「和哉さん?何か心配事?」
「え?あ、いや・・・・」
「私で出来る事があれば言って?―あ、私平気だよ。出来るだけ不快にならないよう注意するし・・・」
「あー・・・。違うんだよ」
私をやんわり制止しながら、彼は困ったように笑ってる。
知ってる、こういう顔。こういう顔の時の彼は大抵無理をしている時だって・・・。
「うちの親がさ、変わってる人達だからさ。衣里に申し訳ないと思って・・・」
「・・・・・・・」
遠慮気味に、控え目に言ってるだけなのかも、そう思った。
でも。
私に様子が変だと思わせる、何かがそこにあるのは疑いようがなかった。
「・・・ご両親、ずっとフランスにいらっしゃるの?」
「うん。今は年末年始ぐらいしか日本に帰って来ないね」
自分も、だけど、彼の家族について詳しく聞き合う事がなかった。だからこそ、尋ねるべくいい機会なのかもしれない。
――彼をこの世に誕生させ育んだ人達なのだから・・・。
「どんな方達なのか聞いていい?」
「うん」
ひらひらと、ゆっくりと、淡い淡いピンク色の花びらが彼の肩に遠慮気味に降ってくる。
天気がいいから外に出よう、という彼の提案に従い、近くの公園まで桜を愛でに来た。
「あ、肩に花びら」
「え?」
その瞬間、温かい風が私達の間を通り抜けた。
私の髪は風に巻き上げられ、彼の肩にあった花びらは、勢いよく飛び散ってしまった。あっという間に。
「うちの親父ね、哲学の学者なんだ。学生時代にパリに留学してて、そこでうちの母親に会ったんだ」
「ええっ。そ、そうなんだ。何だか別世界・・・・」
「って、ここまでは、まぁ、そう思うんだろうね」
飛び散った花びらごと、彼の柔らかさも運び去ってしまったかのようで、今そこに残っているのは一抹の寂しさ。
「親父は何も考えなしにパリに留学しちゃうし、母親は親に勘当されながらパリに来てたらしくて、ただ単に日本人だーって思って、お互い利害が一致したってだけだったみたいだよ」
「・・・・・え、えっと」
「つまり、二人とも最初は全然お互い好きでも何でもなかったみたいだね」
「そ、そうだったんだ・・・」
「とは言っても、まぁ、ね。嫌だったら一緒にいないんだろうし。それなりに好きなんじゃないかな」
「・・・・・・」
明らかに淡々と語る彼は時折苦笑いを浮かべていて・・・・。
自分に置き換えれば、両親の結婚の馴れ初めを感情を込めて話す、というのは確かに少々照れる事実なわけで。
「そもそも親父は日本の学術会が肌に合わなかったらしくて勢いのままパリに来てるんだよ。とにかく人の気持ちを読むのが苦手らしくてさ。教授にはすぐ反抗して議論論破しちゃうし。それが正論だから余計にね。フランス語マスターしたら、すぐにパリの生活に馴染んじゃってさ。本当は永住するつもりでいたらしい」
「・・・・え。ってことは一度、日本に帰国したの?」
「うん。俺が生まれた時に仕方なくね」
「あ。和哉さん、もしかして向こうで生まれたの?」
「うん。俺、姉がいるんだけど、何て言うか・・・。俺は予想外だったらしいんだよね。それで母親が暫くしたら俺らを日本の教育受けさせたいって言い張ったんだって・・・」
言いにくそうに、困ったように笑う顔を見て言葉が詰まる。
恐らく、その話は第三者から聞かされたか、もしくは直接彼に告げられたのであろう、と・・・・。
(・・・・・・)
彼の手を握る。強く。
そうせざるを得なくて。少しでも彼の心が和らいでくれれば、と・・・。
「・・・・・私っ、私はずっと和哉さんの傍にいるよ」
「衣里・・・?」
「い、色んな家庭の事情があるんだもん。でもそれは和哉さんが悪いんじゃないから!」
段々と、心が熱を帯びて、掴んでいた彼の手を強く握る。
でも彼を傷付けないよう、慎重に言葉を選んで。
「ハハハハ」
目の前の人は、私の溢れそうな想いとは裏腹に心底、ううん、私が真剣だったからこそ余計に笑っているのだ。
久しぶりに聞く彼の大きな笑い声―・・・。
「和哉さん?」
「ごめ・・・・」
小さく息を吐いた後、おまけに深呼吸もして。
わざとなのか、それとも気分でも直す為なのか、肩が大きく揺れる。
「心配してくれたのは嬉しい。ありがとう・・・・」
「・・・・・・」
「ただ、衣里が心配するような事じゃないんだよ。ごめん。誤解を招くような言い方して」
勿論、それがわざとじゃない事は分かってる。
ただ、私としては言いづらければ無理に話さなくても良いと思っただけで。それがまさか笑いで返されるとは思ってもいなかっただけで・・・。
「っ。ううん」
「うちの親さ、あっけらかんとしててさ。オブラートに包まないで事実をそのまんま伝えるんだ。別に悪気はないんだよ。それを思いやりがないと言うか、合理的って言うのかな」
「ご、合理的・・・・」
「どこの家庭もそんなもんかとも思ってたんだよ。子供の頃はね。まぁ、後になって変わってるって気が付いたんだけど。でも、家ん中が不幸だとか嫌だとかは思った事はないから」
(・・・・・・・)
彼があまり感情的になるところを見ないのは経験を積んだ大人だからなんだろう、優しい人だからなんだろう、そう思っていた。
でも。
もしかしたら、こういうところも一因なんではないだろうか、そう感じずにいられなかった。
「変わってる人達ではあるけど、変わってるなりに愛情は示してくれたから。おまけにそれなりに好き勝手も許してくれたしね」
「そうなんだ・・・・」
いつもの優しい瞳にホっとする。
温かい風が私達の間をフワっと通り抜けて、近くではしゃぐ子供達の声が聞こえてきた。
「俺はもう両親のそういうところは慣れてるからいいんだけど。知らない人は面食らうからさ。だから衣里は当然戸惑うと思う」
「・・・・・・・」
「勿論、度が過ぎた時には俺が注意するしさ。必ず衣里の事は守るよ」
「和哉さん・・・」
正直に言うと少し困惑してる。
にっこり微笑む彼に合わせて私も小さく微笑んではいたけれど、多分そういう顔をしていた筈だ。
だから察するように、いつも以上に彼は優しい顔をしてくれているんだろう。
ただ戸惑う私に気を遣ってくれているだけなんだろう、と・・・・。
◆◆◆
最初に出迎えてくれたのは笑顔のお義姉さん、だった。
やはり彼に似ている・・・。
何よりその笑顔が、ホッと出来て安心出来た。
(・・・・やっぱりキョウダイ、なんだな)
「初めましてー。姉の桜子です」
「は、初めまして。松本衣里と申します・・・」
朗らかな声、だ。私に向けられる眼差しに敵意?のような厳しさは感じられない。
・・・・・・。
違う。
何故だろう。何かを確かめられるような、それでいて試されるような視線。
笑顔、なんだけど、瞳は笑ってなくて。
こういう瞳を知ってる。
・・・・・・そう。この笑顔。誰かに似ている。
愛しい人の、あの、時々見せる含んだ時の笑顔に。
(いけない・・・)
憂う気持ちが私を畳み掛ける。
――大丈夫。彼と一緒だもの・・・。
「ねぇ。衣里さんって28って言ったわよね?」
「はいっ」
かくしてご両親が外出先から戻るまでの間、私とお姉さんの対峙―、じゃなく、親交を深める為の面談?が始まった。
「・・・・えっ。ってことは和哉が42だから、じ、14も年下って事?!」
「――はい・・・・」
年の差を指摘されるのは覚悟の上、だ。そんな事で動揺したりしない。何も可笑しい事なんてない。
そう強い心で望んでいる。
・・・・だったけど、いざこう目の前で、しかも直接指摘されると、少しくじけそうになる。
「えー、そうなの?叔父さん、やるじゃん!」
一際明るく、甲高い声が私達の後ろから浴びせられた。
それは好奇、と言うよりは純粋に感嘆する声と言ったところか・・・。
「莉奈、久しぶり」
「久しぶりー、叔父さん!」
一見幼く見える、が、スラっとしていて女の子らしく可愛い雰囲気。
彼と挨拶を交わすと、いつもそんな風にしているのだろう。お互い手をパチンと叩き合っている。
「こんにちは。莉奈です」
「初めまして、こんにちは。松本衣里です」
「あの。聞いてもいいですか?」
「はい」
「叔父さんって優しいですか?」
「――え?」
「叔父さん面白いけど、時々うるさくて。うちのお母さんよりうるさい時あるから・・・」
きょとんとした面持ちで聞き続けていると、隣にいる彼から、優しく、だけど、大きな声で莉奈、と呼ぶ声がしてきた。
「それはお前が女の子だからだよ。最近は何かと物騒なんだから気をつけろって言ってるだけだろ」
「だって普通じゃないぐらいに言うんだもん!」
「・・・・・・」
彼のお姉さんは数年前に離婚していて、莉奈ちゃんを一人で育てている。だから何かと心配で面倒を見ている―、とは聞いていたけれど・・・。
「和哉は目に余るぐらいの心配性なのよ」
「姉ちゃんが大雑把過ぎなんだよ。男手いないんだから余計に気をつけなくちゃいけないんだって、ずっと言ってるだろ」
(・・・・・・・・)
こ、これは・・・・。
三人の、特に彼の驚くほどの真剣な顔と態度を見て少し怯んだ。
多分だけど、もし、私達の間に女の子が生まれたら、恐らく、こんな・・・・、
「――あ。ごめん。衣里・・・」
「ううん・・・」
これを微笑ましい、と取るか、それともまだ時期尚早と取るか―・・・。
「えっと、衣里さん!でいいんですよね?」
この特殊な、私にとっては高まる緊張のピークで、しかも彼の家族を前にして、もしや私の言動すべてが逐一チェックされてしまっているのでは―、などとあらぬ方向へ堕ちてしまいそうになる中、不快な態度をとらないように・・・、と戒めていると莉奈ちゃんに明るく尋ねられた。
「はいっ」
「あのー。叔父さんとはどうやって知り合ったんですか?」
目をキラキラ輝かせて、可愛らしい顔で尋ねてくる。
暗闇に照らされた光のようで、その裏表のない純粋さに安堵して、顔が綻んだ。
「私がお店にいた時に変な人に絡まれちゃって。助けてもらったのがキッカケです」
とはいえ緊張は解けない・・・。
仕方がないとは言え、初対面の相手の、しかもかなり年下の女の子に対して敬語はどうなんだろうか。
純粋な問い掛けに応えながらも、疑問もふつふつと沸いてきてしまった・・・。
「えっ!じゃあ、それをキッカケにナンパされたんだ!」
「りーなー、変な言い方するな」
(・・・・・・・)
笑顔で喜び続ける莉奈ちゃんを見て、ふと思い出した。
そういえば、こんなやり取り、前にもあったな、と。
「でも。確かに和哉にしてはめずらしいパターンよね」
「でしょー?私もそう思う!」
「ちょ、ねーちゃんまで変なこと言うなよ」
(か、和哉さんって、どんなパターンが、お、多いの・・・?)
モネでの出会いは、そんなに"彼らしくない"出会いなのだろうか・・・。
腕を組んで、いぶかしげな表情を浮かべる彼のお姉さんを眺めながら、そんな事が頭をもたげる。
彼から視線を落として、彼の態度や言葉や、これまでの日々を反芻していると、いつのまにか彼のお姉さんにがっつりと両肩を掴まれてしまった。
そこには心底心配そうに私を見つめる目―・・・。
「衣里さん」
「は、はい!」
「体、調子悪かったりしない?」
「え?」
「和哉に変な薬、盛られたりしてない?!」
「・・・・・・え?く、薬・・・?」
その言葉の意図が分からず、次の言葉も見つからない。
真剣な目で訴えてくる彼のお姉さんに、ただただ目を泳がせて、顔を引き攣らせている事しか出来ないでいた。
「ねーちゃん!変なこと言うなよ」
「だって衣里さんが心配なのよ!和哉めずらしくテンション高いし、何だか前よりずっと体調良さそうだし。すっかり元気だし。薬でもやってんのかと思っちゃうじゃない!」
「・・・だから!何でそういう発想になるんだよ」
後ろから彼の上擦る声は聞こえる。でも肩をがっしり掴むお義姉さんからは逃れられない。
(怖く、はないけど、ど、どうすればいいんだろう・・・)
頭が真っ白くなりかけた。私の知識と経験じゃもう限界―・・・。
そう思い掛けた瞬間、今度は私の両手を優しく取ると、今度はしっかりと強く握られた。
私の胸の前で・・・。
「ましてや衣里さんは和哉よりうんと下でしょ?何であんなオッサンと結婚しようと思ったのか不思議で・・・・」
「――あら。愛に年の差は関係ないのよ~」
私達をはっとさせる程の朗らかで嬉々とした声。
莉奈ちゃんとはまた違った嬉々とした声、だ。
(え・・・?)
物語、いや、まるで映画の世界から抜け出てきたような佇まいの老齢の女性―・・・。
髪を一つにまとめて、背は小さいのに、その漂う雰囲気は圧倒的で、それ以上の表現が思い浮かばない。これ以上の言葉はまるで不要だ、という存在感・・・・。
(・・・・・・)
痛い程に感じてきた。
その人が誰なのか・・・。
「おばーちゃん、お帰りー」
その女性に駆け寄る莉奈ちゃんを見て、背中に汗が流れた・・・・。




