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シナジー  作者: 鵜野 花
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番外編・和哉の香水の秘密 ③

「お前、まだいたのか?」

「――え?」


ふいに肩に重い、温かい感触。

体をびくつかせながら声の主に顔を上げれば、そこには煙草を咥えた、いつもの優しい人。


「もう10時だぞ。一時間もここにいたのか?」

「石渡さん・・・・」


久しぶりに一服しようとここへやって来た、事は覚えている。ポケットに突っ込んだままの煙草は封も切られず、そこに入ったままだ。

――そうだ・・・。

俺はここで何してるんだ・・・?


「お前、最近全然煙草吸ってなかったろ?せっかくだからもう止めちゃえよ。今のうちだぞ」

「・・・・・そう、ですね」

「そうだ。腹減らないか?何も食ってないんだろ」

「腹は・・・、別に・・・」


そういえば、ここ何日か飲み物以外、口にした記憶があまりない。

バイト前と、学校に行く前と、何かを食べたような気はするのだが・・・。


「!」

「お前、最近頑張ってるよ。青い顔しながら俺らの用事きちんとこなしてるしさ。だいぶ慣れてきたじゃん」


頭に感じる大きな重み。

いつのまにか灯りは消されていた。足元に向けていた視線を少し上げれば、そこには窓に映るビルの明かり、と石渡さんの腕―・・・。


「・・・・・っ」


思いの外温かくて、じっくりゆっくり優しさが染みこんで来る様で。

腹の底にある苦い想いを吐き出すように、ここ数日のぶつけられなかった怒りと悔しさを吐き出すように、静かに流れていた。

――そういえば、人前で泣いたなんていつ以来だろうか・・。

部屋で沈んでいても、大勢の中にいても、何も感じる事がなかった。何かを感じてしまえば一気に壊れてしまいそうで。

でも、違った。

意外な程に気持ちが軽くなっていた・・・。





「俺・・、振られたんですよ」

「そうか・・・・」

「って言うか、何も言う前に振られて。何だか一人で舞い上がって落っこちて、それすら恥ずかしくて情けなくて、みっともなくて。俺、格好悪いっすね」


石渡さんは煙を強めに吐き出すと、ゆっくり煙草を揉み消していた。


「その子に相手がいようが、いまいが、好きになったら関係ないだろ?」

「え?」

「相手がいたって好きになる時はなるもんだ。それに好きになったら、まずはその子の迷惑になるような事をしたいとか思わないだろ?」

「・・・・そりゃ、まぁ」


(・・・・・・・・)


――薄暗いせい、だろうか。

石渡さんの横顔はいつもの頼もしい顔なんかじゃなく、少し険しい顔で・・・。


「じゃあ、どうするのかってなった時、ああだこうだって考えるんだよ。それが正解だとか、良いとか悪いとか分かんなくなるんだ。周りが見たら滑稽に映ってたとしてもな」

「・・・・・・・」

「でも本人は真剣だ。そういう奴を見てみっともないだなんて誰が言えるんだよ」

「石渡さん・・・・」


明らかにいつもと違う。

俺に言い聞かせる、と言うより、それはまるで石渡さん自身の心の叫びのようで、俺をひどくざわつかせてくる。


「そういう奴を見て笑ってる奴がいるとしたら、そいつは真剣に人を好きになった事のない可哀想な奴なんだ。だからなっ」


石渡さん・・・、そう何度目に呼び掛けた時だろうか。

興奮気味に撒くし続ける石渡さんが、年下の、それも経験も浅い俺ですら目に余る程の心配ぶりで。自分でも驚くぐらいに大きな声を発していた。


「・・・・・・っ、悪い。つい興奮した」

「いえ・・・・・」

「つまり、だな。みっともなくなんかないって事だよ。そりゃ確かに言っておいた方がいいのかもしれんけど、状況が許さない事だってあるだろ?」

「・・・・・ありがとうございます」


俺の失恋話はどこへ行った・・・・?

いや、むしろどこかへ吹っ飛んだ。清々しいほど、見事なまでに。

この人の方がよっぽど助けがいるんじゃないか・・?

あの横顔が脳裏に焼きついて離れない。


「・・・・・、俺、年下だし、何も出来ない事の方が多いとは思うんですけど、俺で何か出来る事があるんだったら言って下さい」

「・・・・・中林?」

「俺なんかで良ければ話してください・・」

「・・・・・・・・」


その予想外だと言わんばかりの顔。

何かがあるんだと分かり易いまでの顔だ。


「はは。参ったな」

「・・・・・・・」


大袈裟におどけてみせても俺は態度を変えない。石渡さんは観念したのか、俺から目を逸らすと寂しそうな顔を見せ始めた。


「・・・・・彼氏いる女に惚れちゃってさ」

「・・・・・」

「その子の悩みとか色々相談にのってるうちに段々本気になっちゃってさ。ま、当たり前だけど、向こうは俺の事、何でも話せる人ぐらいにしか思ってねぇんだわ。最初はさ、それでもいいと思ったわけ。でも、その子の事を知れば知る程、欲が出てきたんだ」


いつもの余裕ある冷静さで語るその人は、先程の熱さとは程遠い。

そうやって好きな人にも自分を押し殺して接しているんだろうか・・・・。


「・・・・最近、その子が彼氏と上手くいってないんだとさ」

「え?」

「何ともない振りしてんだけど、酒入ると泣くんだわ。普段、そういうの見せないだけに参るよ。で、思うわけ。そんな奴なんか止めて俺にしろよって。俺だったら、お前を泣かせるような事しねぇからってさ」


(・・・・そんなの、そういう風に思うのなんて当たり前だろ)


ゆっくり握る掌に爪が食い込む。

でも不思議と痛みは感じてこない。


「・・・石渡さんはその人に何て言ってるんですか?」

「自分はどうしたいのかって言ったよ」

「・・・・・・・」

「悩んでる相手にさ、自分の気持ち押し付けるわけにいかないだろ?」


(っ。何、格好つけてんだよ!)


食い込む痛さ以上に沸き上がる、怒り。

気がつくと、その怒りは震えに変わっていた。何かが弾けそうだ、というおまけつきで・・・・。


「とは思っているんだけど、そういう正論と自分の本音とで、どうすっかなってアホみたいに悩んでるわけ・・・・・」

「いいじゃないですか!本音ぶつけたって、正論言ったって。それの何がいけないんですか。人を好きになるって、そんなもんなんですか。そんな、簡単なもんなんですか!」


石渡さんの胸倉を掴んで、大声で叫んで。気持ちが暴走する。

そこには俺自身を否定されたようで、自分自身に起こった痛みのようで。まるで目の前の人が自分のような気がして―・・・・。


「・・・・・中林?」

「あっ!・・・・・っ。すみませ、俺・・・・」


ぽかんと口を開け、何が起こったのか分からない、といった風情で見つめてくる石渡さんの顔と、力の抜けた声に我に返った。

慌てて手を引っ込め、石渡さんから離れて、その勢いのまま頭を下げていた。


「本当にすみません・・・・」

「顔、上げろよ」


薄暗くて助かった・・・・、そうは思っても浮かび上がるその人と視線を合わせられるわけがなく・・・。

静かな室内に自分の鼓動だけが大きく響いている気がした。


「お前、意外に熱い奴だったんだな」

「・・・・・・・」


ハっと一際大きく笑う声がしたかと思うと、大きな手が俺の目の前を掠める。

思わず身を縮めた。


「お前、今日何が食べたい?」

「――え?」


俺の頭をくしゃくしゃ撫で回しながら豪快に笑い続ける目の前の人は、先程の荒々しさも、自分を押し殺すような苦々しい顔もない。ただ楽しそうに笑うだけ。

いつものように。

――いつもの石渡さんがそこにいる・・・・。


(・・・・・・っ)


そして思うのだ。

体から、心から、頭から何かが吐き出された。いや、何かどうしようもない違和感のようなものが抜けていった。


「・・・・・肉」

「ん?」

「肉が食いたいです」

「そうか。よし。じゃ、俺、帰りの支度してくるわ。――あ、それから今日は終電気にするなよ」

「え?」

「俺んち来い。だから気にせず食って飲んでいいからな」

「・・・それ、どうせ酔った石渡さんを俺が運ぶだけの話じゃないですか!」


俺に背中を見せながら大笑いを続ける石渡さんにそう反論すれば、ゆっくり歩を止めて「なぁ」と俺に語り掛けてきた。


「悪かったな。お前の失恋さしおいて俺の相談にすり替わっちまって」

「っ。何言ってんすか。もう忘れましたよ」

「そうかそうか。じゃ、ちょっと待ってろ~」


(全く何言ってるんだ、あの人は。背中がムズムズしてきたじゃないか!)


全身を駆け巡るむず痒さが脳にまで辿り着いてきたようで、途端汗が噴き出すような感覚に襲われてきた。


(まったく・・・・)


自分の意外な一面も、元からあった感情も、未熟な一面も、全てをさらけ出してぶつける相手がいるのは素晴らしい事だ。

今の俺があるのは、そういう人の助けがあってこそだ。

そして何より思う事は、そういう人が悩み苦しんでいる時こそ、支えたいと思った事。こんな熱い感情が俺に存在し得る事すら教えてくれたこの人には永遠に勝てないんだろうなぁって事だ。

そう。

おそらく、世間ではこういう人を尊敬する人、と呼ぶのだろう―・・・。



◆◆◆



薄く微笑む彼の横顔を見ながら、一つの疑問が沸いてくる。

私の知らない彼の過去に唯一触れる事が出来る一つの疑問・・・。


「・・・・その、石渡さんの好きな人って、貴子さん、だよね?」

「うん。あの後、暫くたってから三人で飲みに行ったんだけど、実はつき合ってるって報告されたよ」

「わー・・・、そうだったんだ」


彼が敬愛する人の奥様との馴れ初めにも触れられて、何だか子供のようにはしゃいでしまう。それは、私も彼の歴史の一部に少しでも参加出来た、ような気がしたからだ。

そう。

私の知らない彼の過去・歴史。私と出逢う前の―・・・。


「・・・・・その後、瞳さんってどうなったか知ってたりする?」

「人から聞いた話なんだけど、今は海外で暮らしてるらしいよ。元々英語が喋れる人だったから向こうで働いてて、そのまま向こうの人と結婚したとか言ってたなぁ」

「そうなんだ・・・」


(・・・・・・・)


違う、な。きっと聞きたかったのはそういう事じゃないんだろうなぁ。

・・・・悩んでもしょうがない。サラっと聞く!そう、サラっと・・・。


「あのね・・・」

「うん」

「瞳さん、って綺麗な人だった?」

「美人ってわけじゃないけど、雰囲気のある子だったよ。同い年なのに妙に色気があるっていうのかな」


(・・・・・・・)


そう。この彼の顔が私の心に静かな小波を立ててくる。

在りし日を懐かしむように語る彼が、知らなかった彼の一部を物語っているようで、どこか遠くに、そして寂しく感じてしまうのだ。

しかも。彼が過去に愛していた人との想い出、というおまけつきで・・・・。


「・・・・・衣里?」

「ん?」


彼の言葉に釣られて俯いていた顔を上げると、そこには私以上に寂しそうな顔をした人。


「何だか機嫌悪かったりする?」

「何で?そんな事ない」


そう。機嫌が悪いなんてあり得ない。ただ、ちょっと寂しいだけで。

――黙ったままの彼の視線が痛い・・・。


「・・・・っ。ちょっと羨ましいなって思っただけで」

「羨ましい?」

「和哉さんにそういう顔させる瞳さんが羨ましいなって・・・」


口元が緩んで、緩やかに目尻が下がって、その人は徐々に笑顔になる。

・・・・・ううん。これは笑顔なんかじゃない。

何かを考えている。そう。いつものあの意地悪な顔。


「・・・・っふ」

「な、何?」

「あー・・・。うん・・」

「何なの?もう言ってよ」


笑いを噛み殺すように肩を揺らしながら笑い続ける彼に、苛立ちを覚えて思わず腕を掴んでしまった。

ゆっくり、ゆっくり私を見つめてくる。


「俺の自惚れじゃなきゃ、それ、嫉妬してくれたって事でしょ?」

「・・・・・・、――あ!」


彼の話を聞いている間も、彼を通して知る"瞳さん"も、全てが私をざわつかせて、寂しい思いをさせていたのは、つまり、それが理由だったわけで・・・。

これが俗に言う嫉妬なのだと気づかされて、途端に戸惑い以上に恥ずかしい思いが全身を覆ってきた。

彼の腕から手を離して思わず背を向けてしまう。


「衣里?」

「わ、分かってるの。過去の事だし。ただちょっと、今、心の整理してるから。だから少しだけ待って・・・」


そう。せめてこの鼓動が治まるまでは―・・・。


「っ。和哉さん・・?」

「嬉しいなぁ。嫉妬してくれた上に、それに驚いてる衣里の姿見られてさ・・・」


背中を包む彼の温かさが心まで届いてくるようで。でも、彼の香りと、耳元で甘く優しく囁かれる声に、更に鼓動が高まって、かえって落ち着かなくなってしまう。


(もう・・・・)


体を反転させて彼の顔を見つめると、いつもの優しい顔に安心した。

最近つくづく思う。この笑顔に弱いなって・・・。

彼の胸に体を預けて、自分の思いを噛み締める。


「と言うわけで。俺はたった今、制御不能になったから」

「え?!そ、それってどういう・・・、わっ!」


最後まで言葉を続けさせないまま、私の肩を軽く掴むとそのまま押し倒してきた。


「それは今から教えるよ」


先程までの穏やかな空気から一転、淫靡な雰囲気を漂わせ、その後の展開を容易に想像出来てしまい慌ててしまう。


「あ、あの。かず・・・」

「悪いけど加減出来ないから。覚悟して?」


私を動揺させる言葉とは裏腹に触れてきた唇は甘くて優しくて、大好きな彼の香りと、優しい感触、もう

彼しか見えなくて抗う気持ちは消えていく。

それは私の後悔の念さえゆっくり溶かしてしまうんだから―・・・・。

・・・・・・。

・・・・・ん?後悔の念?

そういえば私は何を思ってたんだっけ・・・?

――そうだった!

ここはベッドの中だったって事だ・・・。





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