chapter22 ⑤
出来るだけ静かに、重くならないように、でも私の想いは伝わるよう口を開いた。
「和哉さんの事なんです。実は先日、和哉さんが昔お付き合いしてた方に偶然お会いしました」
「・・・・・え?」
さすがの石渡さんも予想外だったのか、その表情にはとまどいが隠しきれないでいるようだった。
「本当に偶然だったんです。それで和哉さんに尋ねたら以前お付き合いしてた人だって・・・・・」
「アイツ、何か嫌なこととか、キツイ事とか言ったの?」
「え?」
今度は私が予想外過ぎて言葉が詰まった。
「中林君、そういうの適当に誤魔化したりしそうだから、衣里さんのこと怒らせたんでしょ?もうー、今度会ったら一発ぶん殴ってやる!」
「おい、貴子。物騒なこと言うなよ。お前なら本当にやりかねないだけに洒落にならないんだよ」
「中林君にはそれぐらい必要よ」
私の知らない彼の面が見えている・・・、そう思うと羨ましい一方で少し悲しくもなった。
そんな事ぐらいで、いちいち動揺する自分がひどく滑稽で哀れで・・・。
私は何でもっと冷静にみることができないんだろう―・・・
「松本さん?」
暗闇に引きずりこまれそうになる―、そう思った瞬間、強く引っ張り上げられた。
「すみません。私ったら・・・」
「いや、ごめんね。俺達こそ好き勝手言っちゃって」
恥ずかしさと情けなさと、複雑に入り混じったグチャグチャな気持ちを悟られないよう、気づかれぬよう、引き攣るように笑顔を作った。
「違うんです・・・・」
「ん?」
「和哉さん、何も言ってくれなかったんです」
そう。彼は口を閉じたのだ。
それはまるで語る事を拒否するかのように・・・。
「とても辛そうに苦しそうにしてたのに、何も言ってくれなかったんです。気が付いたら喧嘩してました」
「・・・・・しょうがない奴だな」
「私もいけないんだと思います。頼りないから・・・」
「それは違うでしょ?」
「え?」
そこにはいつもの笑顔ではなく、私を真っ直ぐに真剣に見つめてくれる石渡さんの姿があった。
決して不快な姿ではなく、あくまでも穏やかに・・・・。
「頼りになるとかならないとかじゃないでしょ。松本さんはアイツが頼りになるから好きになったの?」
「それは・・・」
「人間対人間なんだから、お互いフェアなんだからさ。だからアイツが松本さんの事を心配させたくなくてしたからか、どう言えば分からなくてしたかの、どっちかだと思うよ」
「・・・・・・・」
つまり、私が子供だから、なんだろうか。
気にしすぎているが故に、心が狭いが故に。
「石渡さんは何かをご存知だったりするんでしょうか・・・・」
気が付くと、そんな事を口走っていた。
本音。無意識。
恐らく一番聞きたくてしょうがなかった、でも聞いてはいけないキーワードだった。
「アイツはこの件で何も言ってないんだよね?」
「っ」
慌てた。いや、恥ずかしくなった。
自分の愚かさが恥ずかしくて、石渡さんと目が合わせる事が出来なかった。
「すみませっ、出過ぎた真似を・・・」
「あのね、そんな風に思わないで。誰かに聞きたくなるなんて普通の事でしょ。それは別に悪い事でも何でもないと思うよ」
「・・・・・・・」
それでも敢えて、いや、だからこそ聞くべきではなかった。
「ただ、アイツが言うべき事を俺が言うべきではないって思ってるからこういう言い方になったんだ。嫌な思いをさせたらごめんね」
「っ、違います!石渡さんは悪くありません」
膝の上に置いていた手を強く握った。
見なくても分かる。
白くなってしまう程、強く握り締めていた事を―・・・。
「どれぐらい会ってないの?」
二の句を告げられないでいる私達を察してか、貴子さんが優しい声で尋ねてきた。
「・・・・一ヶ月ぐらいです」
「衣里さんはどうしたい?」
「――え?」
「中林君との事、どうしたいって思ってる?」
私はどうしたい―?
貴子さんの言葉が頭の中で響き渡る。
・・・・・・・・・そう、だ。
私はどうしたい?私はどうしたいと思ってる?
「―――っ」
「衣里さん?」
言葉にならない言葉が漏れる。
その瞬間、浮かんだのだ。彼の顔を。
彼の優しい顔を――。
「あ、会いたいです。和哉さんに会いたい。とにかく会いたいですっ」
それは魂の叫びのようで。無意識に搾り出てきたような声に自分でも驚きしかなかった。
「それが大事なんじゃない?」
貴子さんの声に導かれるように、そっと顔を上げれば優しく微笑んでいた。
そう、その笑顔が安心したのだ。
間違ってないよ、と言われた気がして・・・・。
「言いたい事は、会ってから思う存分言えばいいんじゃない?中林君は、そんなに心が狭い人じゃないと思うから」
「はい・・・・・」
そう、だ。貴子さんの言う通りだ。
何を迷っていたのだろう。
彼は以前言っていたではないか。何かあるんなら言って欲しい。嫌がる事はしたくない―、と・・・。
震えた。
湧き上がってくる自分の想いに、決心に、心と体が震えてきた。
熱いものが溢れてきそうで、今にも零れそうだった。
「アイツってさ・・・」
自分の中の熱いものと闘っていると、石渡さんが口を開いてきた。
まるで私に助け船を出すかのように。
「優しいでしょ?だから寄ってくる女の子が多いのは事実だけど、結構酷いところあってさ。でも、松本さんに対しては違う。心底惚れてるから、きっと言いづらくなってるだけだと思うよ」
「・・・・・・・」
そう、なんだろうか。
いつも余裕があって、私の方が面食らう事が多いって言うのに・・・。
「か、和哉さんは、いつも自分の事より、私の事を優先してくれて・・。たまには本音、というか、自分の気持ちとか言ってくれればいいなって思うんです。過去の事とかも含めて・・・」
余裕なんてないよって言っていた時ですら優しい。
あれだって、きっと私に気を遣ってくれている。
もっと私に大きな心があれば―・・・。
「あー・・・。それはアレだよ。格好つけてんだよ、きっと」
「え・・?」
「惚れてる女の前だから格好つけてんだよ。どうでもいいと思ってる子には、アイツは本当にどうでもいい態度しかとらないから」
(・・・・・・)
・・・・・・・。
・・・・・つまり。
つまり、今の彼の優しさは私にしか見せないもの・・・?
出会った頃に感じていた彼の優しさは本当の優しさではなかったって事―・・・?
「あ・・・」
「意外にアイツ、不器用だよね。本人は上手くやってるつもりみたいだけど・・・」
「・・・・・・」
とうとう零れた。我慢していたものが。
でもそれは悲しみじゃない。きっと―。
「か、和哉さんに会ったら、ちゃんと伝えます。自分の気持ち伝えて、それで和哉さんが何を考えてるのか、きちんと尋ねます」
「うん。何かあればいつでも言ってきて。俺と貴子は松本さんの味方だから」
「そうよ。私は衣里さん応援してるから。いつでも、―あ、中林君の事、関係なくてもいつでも大歓迎よ」
「ありがとうございます・・・・」
二人の気遣いが、温かい笑顔が染みる。
ひび割れていた心に温かく、優しく、静かに染みこんで行く。
私は本当に人に、善き人達に恵まれた。
今日の事は一生忘れない。
そう思える素晴らしい人達との出会いに深く感謝した・・・。
「今日は本当にありがとうございました。お会いできて本当に嬉しかったです」
玄関先で彼らに告げる。心の底からそう思った。
――本当に会えて良かった・・・。
「私こそ。衣里さんに会えて本当に良かった」
「松本さん、また来てね」
「はい。――あの・・・」
「ん?」
少しずつ時間が過ぎたせい、だろうか。
自分の言動がチラチラ頭を掠め始めていた。
「き、今日の事は和哉さんには内緒にしてもらえますか?」
「・・・・勿論」
「ありがとうございます」
今更、自分の言動が蘇ってきて少し恥ずかしさが身に染みてきた。
いくら余裕がなかったとはいえ、子供みたいだ・・・。
でも。
石渡さんと貴子さん、彼らの温かさが私の余裕のない心を上回って、これでいいのかもと素直に思えてきた。
そして思うのだ。
私も彼らのようになれるだろうか。
ううん。
彼らのようになりたい――、と・・・・。
◆◆◆
明日はやっと週末だ。
この一週間思いつめていた、いや、考えていた。きちんと私の想いを告げよう―、と・・・。
不思議と沈むことなく、むしろ頭がクリアで、あれほど自分を苦しめていた霧が晴れていくようで、自分でも少し笑ってしまう程だった。
――途端、心臓が跳ね上がった。
彼からの連絡を告げる着信音、だった。
予想外、いや、テレパシー?
まるで自分の想いが通じたかのようで驚き以上に震える。
慌てて携帯電話を掴んだ。
「・・・・・・もしもし」
『もう待てないから連絡した。今話してもいい?』
「はい・・・・・」
『話したい事があるんだ』
「わ、私もあります」
以心伝心―、というのだろうか。こういうのを。
電話の向こうの彼に、今の私の心が伝わっているだろうか・・・。
『じゃあ今から衣里の部屋に行くね』
「今から?!無理だよっ。私もう寝る準備とかしてるし、部屋も汚いかもだし・・・」
『会いたいんだ。もう我慢できない!』
――初めて、だった。
こんな彼の切羽詰ったような声を聞くのは・・・。
でもだからこそ思った。
彼に会いたい。一秒でも早く・・・。
「・・・・わ、分かった。ただ部屋が汚くても目つぶってね」
『そんなこと気にするわけないだろ』
伝えよう。
彼の事がどれだけ大切か。自分なりの精一杯を。
そう決心した想いを、ゆっくりと噛み締めた・・・・。




