chapter19
『誕生日おめでとう。今日は平日だから無理だけど、今週末は絶対に予定空けておいて』
日付が変わると同時に鳴り響いたメール音。
大好きな、誰よりも欲しかった人からの、お祝いの言葉だった。
「ありがとう。金曜、仕事の後に会いに行ってもいい?それとも土曜に行った方がいい?っと・・・」
すぐさま返信を書き終え、ボタンを押す。
洗面所へ向かおうとしていたところに、着信音が鳴り響いた。
『出来れば土日空けておいて欲しいかな。大丈夫?』
彼のメールを読みながら、ふっと思い出した。
――私の誕生日には、ごはんを作ってくれる、と言っていた事を・・・・。
その準備で土日なのかな、とぼんやり考えながら、すぐさま返信した。
「誕生日・・・・」
そう、ひとりごちて思い出した。彼の誕生日の事・・・。
結局、あの時のゴタゴタで彼にはきちんとお祝いが出来ていないのだ。その事をやんわりと指摘すると、いつもはぐらかされてしまうのが毎度毎度の定番だ。
彼は優しいし、いつも私を気にかけてくれていて本当に嬉しい。
でも、たまには本音、というか、彼の気持ちを知りたいと思うのだ。
彼の方が年上だし、ましてや言葉を扱う彼の事だ。私の方がうまく彼に言えない部分が多いのは分かっている。
自分なりに伝えているつもりだが、それが彼の本心に辿り着けているのか少し疑問に思うのだ。
彼の迷惑になってない?
彼は本当に嬉しい?
彼の笑顔が優しさ以上のものなのか、時折不安になるのだ・・・・。
◆◆◆
「どこに行くんですか?」
「着いてからのお楽しみ」
電車内で揺られながら、彼に静かに尋ねる。
てっきり彼の家で過ごすのだろうと考えていた私はとまどった。しかも行き先も告げられず、彼に連れられるままだ。
こっそりを見上げた先には、いつも以上に満足気な顔。
(・・・・・・私の誕生日、だよね?何で私の方が複雑な気分なんだろう)
とは言うものの、彼と過ごせるなら何処でもいいのは事実なのだけれど・・・。
昼間のうだるような暑さがまだ残るアスファルトの道を歩いていると、そこには見た事のある景色。
この通り、前に一度来た事がある。
――いつ?
あれは確か・・・。
「和哉さん、ここ・・・」
「そう。冬に一度来たよね?美味しかったからさ、また予約しておいたんだ」
あの冬、彼が北海道から戻ってきて待ち合わせしたあの日。あの日の記憶が鮮明に戻ってくる。
あまりに予想外な展開に、ただぽかんとするしか出来なくなってしまった。
「・・・和食じゃない方が良かった?」
「ちがっ、そうじゃなくて・・・」
ゆっくり思い出してきたあの時の味。確かに美味しかった、それは本当の事。
でも。
それはそれなりに見合った金額なわけで・・。
「衣里は物のプレゼントより、ご馳走した方が喜ぶと思ったんだけど、嫌?」
「そうじゃない、の。そうじゃなくて・・」
彼の気持ちは凄く嬉しい。
本当に。
それ以上に、彼に何も出来ない、出来ていない自分が歯がゆいのだ。
「私、結局、和哉さんにプレゼント渡せてないし。それなのに・・・・」
気が付くと、少しよろめきながら彼のシャツの裾を掴んでいた。
「衣里からはもう貰ってるよ」
「・・・え?」
手に温かい感触。彼が私の手に優しく触れていた。
「俺の気持ちに応えてくれるし。それだけで充分なんだけど」
「あ、あの・・・・」
優しい声音に、優しい温もり。
私を安堵させる以上に覆われるのは、恥ずかしさ。
私達の傍を人が通り過ぎる。目の端に捉えれば、少し笑う顔・・・・。
「わ、分かったので、お店に入りましょう・・・」
「了解」
はにかみ俯く私を尻目に、彼は満足気な笑みを浮かべた。
そう。
これ、なのだ・・・。
私を嬉しくさせる反面、不安にしてしまう点。
――この笑顔が本物なのか、それとも無理をさせているのではないかって・・・。
「美味しかったです。ご馳走様でした」
「どういたしまして」
今日も美味しかった。文句なく、それは本当。
そう思うとたまらずに小さく微笑んでしまった。
「最後の葡萄のシャーベット、俺のも食べればよかったのに」
「もうお腹いっぱい。充分ですってば」
「でもあんまり甘過ぎなくて美味しかったな。・・・あ」
「え?」
彼の声音に驚いて顔を上げれば、いきなり体が引き寄せられた。
「すみません。通りを邪魔して。どうぞ」
いえ、こちらこそ・・、彼の香りに包まれながら聞こえてきたのは女性の声。
どうやら小さい反論を返そうと彼の方へ向き直した後、通りを邪魔してしまったらしい。
「和哉さん、ごめんなさい」
ううん、そう呟く彼の体から少しずつ離れて告げればいつもの笑顔―、以上に甘い笑顔・・・。
の気がする、のだけど、気のせい?
「衣里」
彼から離れると、今度は手を優しく掴まれた。
私の名を呼ぶ声が一際優しくて・・・。
「今夜は泊まるんだよ」
「・・・・・え?」
「上に部屋、取ったんだ。いいよね?」
(・・・・あれ、これって・・・デジャブ?)
そう。あの時も確か―・・・
「・・・嫌?」
「っ。そうじゃ、ないけど。と、突然だから・・・」
「知らせておいたらサプライズにならないしね」
「・・・・・・・」
・・・・何だかしっくりする気がした。
彼の笑顔の意味が。
――ずるいな。
この人は本当にずるい・・・。
「行こうか?」
反論出来ないことは百も承知のような笑顔で、勿論私も反論出来ず、小さく頷くしかなかった・・・。
「夜景きれい・・・」
「女の人って夜景好きだよね」
窓に張り付いて魅入る私の後ろから、優しく、でも少し可笑しそうに声を掛けられた。
「普段、このぐらいの高さから見ることなんてないから・・」
「・・・・確かに。そう言われちゃうとそうかもしれないね」
ガラスに映った彼と視線が絡んだ。
何だか急に恥ずかしくなって、視線を逸らさずにいられなかった。
「先にシャワー浴びてきていい?」
「!」
気がつくと、すぐ耳元で甘く囁かれた。
心臓が急激に跳ねるのに気がつきながら、彼の方へ振り返った。
こんな風に彼に語りかけられるのなんて初めてでもないくせに、何だか妙に強張ってくる。
――これもサプライズのせい?
「あ、うん・・・」
「・・・・どうした?緊張してる?」
「そん、なんじゃないよ・・・」
「ふーん」
優しく、けど、意地悪く、彼は微笑んだ。
その笑顔が何だか私をそわそわさせる、いつも以上に・・。
「和哉さん、何だか楽しそう・・」
「うん、楽しいよ。だってリベンジ出来たからね」
「・・・・・、リ、ベンジ?」
彼の真意が掴めずに戸惑っていると、いつのまにか私の腰に彼の腕が絡まっていた。
しかも、逃げられないぐらいにしっかりと・・・。
「この前ここに来た時は俺、先に寝ちゃったから。だからリベンジ」
更に甘く微笑まれると、彼の唇が軽く触れてきた。
「・・・・な、何言って・・・」
彼の一連の行動の全てが、笑顔が、合点がいった気がした。
しかも、彼の唇が思いのほか熱くて、自分の想いが破裂しそうで、思わず否定の言葉が零れる。
とは言うものの、緊張の方が上回る。明瞭に彼を否定出来ないのも事実なわけで・・・。
――こういう風に翻弄されるところが、良くも悪くも私を乱すのだ・・・・。
「じゃ、入ってくるね」
「・・・・・・・」
心地良い温かさが体から離れる。
彼の姿が見えなくなった後、小さくため息を漏らした。
私の小さな不安を、こうやっていつも彼の優しさが上回る。
(いいのかな・・・。いつもこうなっちゃう)
それはまるで、大人に翻弄される子供のような気分で・・・。
私が考え過ぎてるだけなのだろうか。




