番外編・マスターの経歴書 ①
「マスター、ゆうべ、里美先輩からメールが来たんですよ」
「そうでしたか。実は今朝、私のところにも連絡が来たんですよ」
久しぶりにモネに行こうと思い立った。
彼と外で会うようになってからは、何となく足が遠ざかってしまっていた。
随分と久しぶりではあったが、"いつもの場所"へ帰って来た、そんな安心感がある。
「・・・・里美、今回の年末は帰国出来るようですよ」
「あ、それメールにも書いてありました」
里美先輩、というのは私の大学時代の先輩で、マスターの姪御さんだ。
里美先輩の尊敬する大好きな叔父さんが経営する店だから、と連れてこられたのが、モネへ来たキッカケだ。
「里美先輩、愚痴ってました。マスターがメールしてくれないから、いつも連絡が被ったり、遅れたりするって」
「私は古いタイプの人間なので、メールより手紙の方が性に合ってるんですよ」
そう言いながら、ふわっとした笑顔を向けてくれた。
――確かにそうかも・・。
マスターがパソコンをいじって、メールしたり、ネットしたりする姿って想像つかない。
「それにしても、松本さん、随分と久しぶりの来店でしたね・・」
「あ、何か、ちょっとバタバタしていて・・・。でも久々都合ついたので来てみたんですけど、やっぱり好きです」
「・・・え?」
「私、モネの雰囲気好きです」
「ありがとうございます。そういう風に仰って頂けるのが一番の喜びです」
「それにしても・・・、今日はお客さん少ない、気がします・・・」
そうなのだ。
週末、にも関わらず、人の出入りが少ないのだ。
普段なら常連さんで賑わう時間帯。なのに今は私一人だけ。
まぁ、だからこそ個人的な話が出来た、という事でもあるのだが・・。
「年の瀬ですからね・・・。皆さん、それぞれにご予定がおありなんでしょう・・」
「あ、そうか・・。年末でしたね・・・」
彼と出会ったのは去年の秋。
その年の年末は、次にいつ会えるかと悶々としながら過ごしていたっけ・・。
それからというものの、怒涛のような日々が過ぎていった。
在りし日を懐かしんで微笑むようになれたのも、彼に想いが通じたからだろうか・・・。
「――良い事でもあったのですか?」
「え?」
「凄く幸せそうなお顔をしてらっしゃる・・・」
「・・・・」
満足気に微笑むマスターは、どことなく父親のような雰囲気で・・・。
その笑顔にすべてが悟られたような気がして気恥ずかしさが沸き起こる。
(・・・うわ、な、何だか照れくさい・・・)
その瞬間、勢いよく扉を開ける音がした。
「こんばんは!」
心臓が跳ね上がった。
(びっくり、した・・・)
「牧野!お前はーー!毎回毎回言ってるだろ。ドアは静かに開け閉めしろと」
「あ、ごめんなさい、つい・・」
「で、早く閉める!寒いだろ。まったく・・・」
・・・・・びっくりだ。
何がって。
あの物腰柔らかいマスターが語気を荒くして、人を怒鳴っているのだ。
女性に・・・。
「申し訳ありません。驚かせてしまって・・」
目をまん丸くさせ、ぽかーんと口を開けている私を見るなり、いつもの柔らかい口調のマスターが話しかけてきた。
「・・あ、いえ・・」
私が返事をするなり、手早く扉を閉めてきた女性が私の傍へと近寄った。
「本当にごめんなさい。驚かせてしまって」
先程の態度とは一変させた女性がそこにはいた。
「いえっ、大丈夫です・・」
軽く微笑んだ女性は、一番端の席へと移動していった。
(・・・・・・・・)
おもむろにコートを脱ぐと、白いシャツにカーディガン、そしてジーパンというラフな格好だった。
それでいて、スッキリと清潔感を持たせている。
美人、というわけではないが、程よい自信に満ち溢れているような人。
何というか・・・。
内面の美しさが外見を纏っているかのような、そんな女性だった。
「あれは、前の職場の後輩なんです。たまにああして飲みに来るんですよ」
「そうなんですか・・」
里美先輩から、マスターの事は少しだけ聞いた事がある。
若い頃は、画家を目指してパリに留学していた事。
その時にワインと出会い、画家は諦め、ソムリエを目指し始めた事。
ソムリエとして実に優秀だったが、純粋にお酒だけを提供したいと、モネを始めた、という事・・・。
「あれって言い方、酷いじゃないですか。相原先輩!」
「お前、うるさいよ。黙って飲め」
「はーい。じゃ、いつものくださーい」
マスターは、はぁ、と小さく溜息をついた。
「申し訳ありません。ちょっと失礼しますね」
いつもの完璧過ぎる笑顔へ戻ったかと思うと、ワインボトル片手にあの女性の元へと近寄った。
「お前、今日休みか?」
「そうです。クリスマス前ですから、今のうちに休んでるんです。この後は戦場ですからね」
「程々にしておけよ。先週も飲んでるし。明日は出なんだろ?」
「大丈夫ですよ。ここで飲んで発散するのが楽しみなんですから」
女性の前に置かれたグラスに、なみなみとワインが注がれる。
「・・・・やっぱり。先輩の注ぎ方、参考になるなぁ」
「おだてても金はきっちりとるからな?」
「分かってますよ!」
女性は豪快に、それでいて、実に楽しそうに笑っている。
「・・・・・・・」
二人の間の独特の空気が、ひしひし伝わってくる。
「あ、先輩。あの方にも、これと同じのをお願いしますね」
「え・・」
ぼんやり眺めていると、女性と目が合った。
「先程のお詫びです。お嫌でなかったら、そのワイン飲み終わったら是非」
「あ、いえ。そんな・・・」
予想外な展開に面食らう。
丁寧に断ろうと思った瞬間、マスターが新しいグラスにワインを注ぎ始めた。
「あ、あの・・・・」
「是非、私からもお詫びとして召し上がって頂ければ、と思うんですが・・・」
二人とも、にっこり微笑んでいる。
(こ、これは・・、断れない・・・)
「ありがとうございます。では、遠慮なく・・・」
「年末はご実家に戻られるんですか?」
「・・・・・あ、ええ、多分。もしかしたら里美先輩と会うかもしれないので、まだ具体的には決めてないんですけど・・」
「あら。里美ちゃんとお知り合い?」
グラスをテーブルにガチャっと置く音がした。
「・・はい」
「まきのーーー。話に割り込んで来ない!それから、グラスは静かに置く!」
「あ、すみません・・」
「・・・・・・・」
先程から感じていた事。
この女性はマスターに叱られつつも嬉しそうだし、マスターもただ叱っているんじゃなくて、愛が入ってる。
だからなのか、この二人の間には独特な空気が感じられた。
「あのー・・、もし宜しければ、そちらに一緒に座っても構わないかしら?」
「ええ、勿論です!」
「松本さん、申し訳ありません。牧野が図々しくて・・」
「いいえ、全然。そんな事ないです・・」
正直に言って、この女性に興味が沸いていた。
だから少し喋ってみたいと思ったのだ・・・。




