chapter13 ②
目を伏せていると、温かい手が私の頭を撫でている事に気がついた。
(・・・この手は、どういう意味なの?私をどう思ってるの――?)
温かい手に追い詰められるような気分だった。
そう、じわじわと、深く、私を追いつめる・・・。
(――私は、あなたの事が・・・)
伝えたい想いが喉まで出掛かって口を開こうとした、その時だった。
頭上に感じていた温もりが頬を掠めたのだ。
薄暗い車内でも分かるほど、彼の顔がすぐ目の前まで近づいて来た。
彼の息遣いが、聞こえる・・・・。
(―――!!)
「・・・あ、あのっ」
俯いたまま彼に向かって叫んでいた。
「・・・・・・っ」
唇を噛み締めてから、顔を上げた。
「な、何を言ってるんだと思われるかもしれないんですけど・・・、私・・・、中林さんが、好きです・・。だから、そのっ!」
拳を作った手を更に強く握った。
「私のこと好きじゃなければ、はっきりここで言ってください・・。じゃないと・・・、その・・・期待ばかり膨らむので・・・」
限界、だった。彼の瞳 を見続ける事に。
耐え切れず俯いた。
瞳の奥の熱いものを堪えるように・・・・。
「・・・俺は好きでもない女を車に乗せたり、二人で出かけたりしないよ」
「えっ?」
彼の小さく笑う姿が目に入った。
彼はそれ以上何も言ってくれなかった。
あの・・・、そう小さく呟いて口火を切ったのは私。
この重い沈黙が耐えられなかった。
「・・・・この年になると正面切って言いづらい事もあるんだよ」
彼は照れくさそうに少し首を傾けながら、低く小さな声で喋り続ける。
私を真っ直ぐ捉えるその視線は少し怖い、気もした・・・。
「・・・・どうしても言わなきゃ駄目?」
「は、はい・・」
「好きだよ」
数秒の沈黙の後の彼の低い声が私を、私の心を震わせた。
これ以上ないって程に・・・。
「・・・・・う、嬉しいです」
溢れそうな思いは、その言葉以上を紡ぐ事が出来ない。
そう言うのが精一杯。今のこの言葉以上をどう表現すればいい―・・・?
「ハハ。って言うか俺の方が恥ずかしいんだけど・・」
力が、抜けた。
彼の柔らかい声が、柔らかい笑い声が、私をほぐしていくようだった。
安心したような、嬉しいような、複雑な気分を抱えたまま、私も一緒に笑っていた。
――遠慮気味な温かい大きな手が私の頬に触れて顔を上向かされた。
ゆっくり、少しずつ、彼の温かさが私に染みこんでくる・・・。
何も、聞こえない。
あるのは彼の温もり、優しさ・・。
(・・・・好き、中林さんが――・・・)
大好きな彼の香りに包まれながら、彼の気持ちに応える。
怖くない、もう、何も――。
彼が、そこにいる・・・・。
その瞬間、携帯電話の着信音が車内に響き渡った。
(!)
慌てて彼の唇から離れると、大きな腕で腰を捉えられてしまった。
そして強く背中を抱き締められた。
「・・・あの」
「いいから黙って」
耳元に、低くて優しい声が聞こえたかと思うと、再度彼の唇が重ねられる。
彼の熱を、想いを、もっと強く深く感じた。
まるで、壊れてしまいそうな程に―・・・。
(・・・あ・・・・)
再度、鳴り響く携帯電話に現実へと引き戻された。
背中の温もりと、唇の温もりと、与えられた温かさがなくなったことに気がついた時、彼が頭を垂れて小さくため息を漏らしていた。
・・・・・掴んでいた彼のシャツをゆっくり離した。
「出た、方がいいんじゃないでしょうか・・・」
「・・・ごめん」
彼は申し訳なさそうに微笑むと、ポケットから携帯電話を取り出し、体を運転席へと向き直していた。
「はい。あ、ええ。どうも・・」
少し不機嫌な声を出す彼の傍で何となく身を小さくしてしまう。
「今ですか?まぁ、都内ですけど。・・・は?今からって、ちょ、言ってる意味分かんないんですけど・・」
動揺の声を挙げる彼に視線だけを向ける。
「勘弁してくださいよ!・・石渡さん?もしもし?・・・・ア、アイツ・・・」
「・・・だ、大丈夫ですか?」
聞いたことのない彼の不安を帯びた声にいたたまれず、私の方が声を荒げてしまった。
そんな私を察してか、ゆっくり微笑む彼がそこにはいた。
「今から来いの一点張りで、さ。まったく人の話聞かない人だよ・・」
「あ、じゃあ、私ここの近くの駅から帰ります。もう出口近いですよね・・?」
辺りを見回そうとすると、腕を軽く掴まれて彼の胸に顔が埋まっていた。
「そういう事、サラっと言わないで欲しいな」
広い胸に顔を埋めながら聞こえてくる彼の低くて切ない声が私の鼓動を速める。
震える手で彼の背中に手を回して、そして奥歯をグっと噛み締めた。
「――仕事の大事な話かもしれませんよ?」
「うーん・・・」
「私も帰るの嫌ですけど・・・。でも!・・次も会ってくれますよね?」
背中の温かさが解かれて、ゆっくり彼の顔が見えてくる。
そこには今まで見たことないぐらい優しい顔・・・。
「・・・・勿論・・」
釣られる様に微笑み返せば、唇に温かい感触。
あの香りが鼻をくすぐる。
「ごめんね。次はこんな事ないようにするから」
甘く見つめられて、体が硬直した。
「は、はい・・・・・」
そう言うのが精一杯だった。
「本当にここでいいの?」
「はい。まだ電車、充分にありますし、大丈夫です」
「またメールか電話するから」
「はい。・・・私からしても、いいですか?」
「はは。勿論だよ」
「・・・もう遅いので、お気をつけて」
思わず彼の目を見つめた。
「衣里ちゃんもね。・・・・じゃ、お休み」
「お休みなさい」
無理に笑顔を作って、ドアを閉めた。
ぼんやりしながら彼の車がいなくなるまで見送った後、電車に乗り込んだ。
彼の温かさ、感触、そしてあの香り・・・。
思い出した途端、全身がカっと熱くなった。
――彼も私を好きだと言ってくれた・・・。
その事実を改めて噛み締めた。
土曜の夜、電車内。
普段だったら何も感じない時間帯。
でも、もう一人じゃない、気がした・・・。。
彼の優しい温もりを思い出して胸が温かくなってくるようだった。
窓を眺めながら、ひとり微笑んでしまった・・・・。




