chapter8 ② ※
和哉視点です。
駅で別れを告げた後、別々のホームへと向かった。
彼女は最後まで俺の仕事に支障がないか気にし続けていた。
―――あそこまで気を遣う女性を初めて見た気がする・・・。
常識的な、表面的な態度とは違う。本当に心の底から心配している。
その態度に、振舞いに、心底驚いてしまう。
真面目でないと出来ない事なんだろうな・・・・。
駅で声を掛けた時の彼女のあの態度を思い出し、思わず顔がほころんだ。
(・・・もっと楽にしてくれていいんだけど、あの分じゃ当分無理だろうなぁ)
と。ここは電車の中―、と自分を戒めるように咳払いを一つした。
打ち合わせするいつもの喫茶店に着いたのは10分前。
いつものように定位置に着席し、いつものようにコーヒーを注文する。
バッグから書類を取り出し、薄暗くなってきた夕暮れの窓を眺めた。
「・・・悪いな。土曜だってのに」
後ろからいつもの声が聞こえてきた。
「・・・お疲れ様です」
「ふっ。相変わらずよそよそしいな」
「他人で、かつ重要な取引先相手ですよ。よそよそしくて当然です」
あ、俺もコーヒーね、と話すと、俺の大切な取引相手は目の前に座る。
「石渡さんこそ、土曜だってのにいいんですか?」
「俺は別にいつもの事だし。フォローもばっちりだから気にすんな」
「そうですか。じゃ、これが頼まれてた原稿なんでチェックお願いしますね」
「分かった。悪いな、いつも急で」
「いや、仕事あるだけ有難いです」
「で。こっちが今回頼みたいヤツな。詳細は中に入ってるから確認してくれ」
「分かりました」
お互いに紙袋を交換し合うと中身を確認した。
「分かんなかったらいつも通りメールか電話くれ。俺がいない時は加藤に頼んでおく」
「了解です」
石渡さんはコーヒーに口をつけると何故だかニヤリとした。
「まぁ、これで仕事の話は終わりだ」
「そうですか。じゃあ、早く家族のところへ帰ってあげてください」
「おい。ちょっと待てって」
帰り支度を始めようとする俺の腕をいきなり掴んできた。
「・・・何ですか?」
何となくだが嫌な予感が頭を掠める。
「あ!飲みになんか行きませんよ?」
「・・はぁ?そんなんじゃねーよ。まったく、人を何だと思ってやがる」
石渡さんは腕組みしながらブツブツ言い始めた。
「じゃ、何ですか?」
俺は少し声を抑えながら出来るだけソフトに話しかけた。
「彼女とはどうなってる?」
「・・・・・彼女?」
このオヤジはいきなり何を聞いてきてるんだ?
カップに口をつけながら思わず眉根を寄せてしまう。
「モネで会った彼女に決まってんだろー」
「別に。何も・・」
「は?って、あれから会ってないの?」
「・・・何回かは会ってますけど」
何故だか、石渡さんが盛大にため息をついた。
オーバーに、わざとらしく、しかもこれみよがしに―。
「・・・お前は彼女の事、どう思ってんの?」
「――別に。真面目な子だと思ってますけど・・・」
「おーい・・、ふざけてんのかあ?」
「ってか俺に何を言わせたいんですか?」
今度は俺の方がため息をついてしまう。
「・・自覚ないんだな・・」
石渡さんはそう言うとフっと鼻で笑った。
「まぁ、いいや。こういうのは周りでどうこう言ってもしょうがねぇからな・・」
「すでにどうこう言ってますけど・・」
「もしかして今日、その彼女と会ってたりしたのか?」
「・・え?」
それは想定外、というかあまりに突然の質問だった。
当然、適当な切り返しも出来るわけでなく、俺は間抜けな返答しか出来なかった。
「ふっ。図星か・・」
「いやいや勝手に決めないでくださいよ」
「いつもすんなり交わしてるお前が答えに一瞬詰まってるからなー。図星って事だろ?」
(・・・・・このオヤジは毎回毎回)
「どうしても夕方以降じゃないと都合つかないって全力で否定してたからな。そうかそうか・・」
「・・・・・・・」
「あ。別にからかってるわけじゃねぇぞ。俺は嬉しさを噛み締めてるんだよ。ハハハ」
「・・・・まったくよく言いますよ。ハイハイ俺で満足いくまで遊んでてください」
「いや、真面目な話。俺は応援するぞ。ただし。お前が本気なら、の話だけどな」
「・・・・・・・」
本気とか、そうじゃない、とかの話ではない。
彼女はいい子だとは思うし、一緒にいて居心地が悪いとは微塵にも感じられない。
――ただ好き、とかそういう風には思えてこないのだ。
当然嫌いだとも思ってない。
何しろ年が離れ過ぎている。彼女もきっと俺と同じだろう。
「おーい、黙るなよ・・」
「別に黙ってませんって。石渡さんの話に心の底から感動してただけですよ」
「で、どうなんだ?本気なのか?」
「本気も何も、彼女とはそういうんじゃないって言ったじゃないですか?」
「・・・・お前はそうでも彼女がそうじゃないかもしれないんだぞ。その気がないなら酷な事すんな」
「また、石渡さんの暴走ですか?」
苦笑いをしてなだめようとした。
が、今回の石渡さんは結構マジだった。
「お前は女全般に変に優し過ぎるんだ。だから向こうは勘違いするんだよ。それじゃ単なる不誠実だぞ」
「はは。相変わらず手厳しいっすね」
「本当の優しさってのは例えキツい言い方になっても道を外さないように言う事でもあるんだぞ」
「・・・・・・」
「何も言わないでハイハイ頷くだけじゃ相手からいつか信用されなくなる。そういう可能性があるって事だ」
「前の俺みたいになる、って事ですかね?」
「・・・あれは。何ていうか、お互いにボタン掛け違えたゆえだろ?でも結局縁がなかったんだよ」
お互い無言でコーヒーをすする。
多分だが、この後の展開が読めた気がして俺は口を挟む気になれなかった。
「つまり俺が言いたいのは、失敗から学んで欲しいんだ。もうそろそろ幸せになってもいいと思う」
――はっきり言って、かなり照れている。
真正面からこんな風に言ってくれる人間なんて俺の周りにはこの人ぐらいしかいない。
今時、下手な学園ドラマの熱血教師だって、ここまで言わないだろう。
「・・・なんだよ。何か文句でもあるのか?」
「いえ。・・・ふ・・」
「おまえー。今笑っただろ?!」
「いえいえ笑ってない・・で・・す」
「何でだ。俺が言うと必ず笑う奴がいるんだ。お前を含めて」
この人の良いところは、こういうところを恥ずかしいとは思ってはいない事だ。
しかも自覚がない。
別に悪いことをしてるわけではないから、良いといえば良いんだが、いかんせん聞いてるこっちが恥ずかし
くなってくる。
俺はもう慣れてるつもりだったが、時々堪えきれなくなってくるのだ。
「俺は笑ってませんけど、もし笑う奴がいるとしたら嬉し笑いですよ」
「何だそれ・・・」
「ほら、もう早く家帰ってくださいよ」
石渡さんが帰ろうとする素振りを見せないので、伝票を自分のポケットへと突っ込んだ。
「あ」
「ここは俺が払います。言い分は却下。早く帰ってください」
「分かったよ。ったく・・」
渋々立ち上がり、じゃあな、と告げ石渡さんはやっと帰って行った。
オレンジ色に染まる石渡さんの背中をぼんやり眺めて、俺はやっと一息ついた。
はー・・・。
口をついて出てきたのはため息。
石渡さんが俺の事を真剣に考えてくれるのは有難い。
前の彼女との事でも散々世話にもなったし。
――だからなのか最近は心配の度が増してきているように思える。
それこそ父親か兄貴のように・・・。
俺の考えに同調するかのように、冷房の冷たい風が背中をなぞり、思わずブルっと身震いしてしまった。
(うわ・・、俺も家に帰ろう・・・)
そういえばと、ふと思い出した。
彼女は俺が既婚者なのかどうか聞いてきた事を。
(・・・・・・・・・)
――まぁ、世間話の一環だろう。俺自身の話をあまりしてなかったしな。
そして伝票をポケットから取り出し、レジへと向かった。




