chapter6 ②
歯がゆい自分にイライラしていると、彼に顔を覗き込まれた。
「大丈夫?」
「・・だ、大丈夫・・です」
焦る気持ちを押さえ込むように無理に笑顔を作った。
「そう?ならいいんだけどね・・。疲れてたら無理して喋らなくていいんだよ」
「いえっ、そういうわけでは・・」
「体調とか気分とか、その日によって色々あるでしょ?」
そう言うと、彼はグラスを手に取った。
「ただ何となく飲みたいだけの時もあるし、ね」
「・・・その・・・、うまく会話が続かない時があって・・」
唇を噛みながら膝の上でぎゅっと手を握った。
「相手の状況を汲もうとし過ぎるからじゃない?」
彼はグラスをテーブルに静かに置いた。
「会話もスキルの一種だから、やっぱり経験とか、訓練とか積んで出来上がっていくものじゃないのかな。大事なのは無理しない事だと俺は思うんだけど」
(・・・・・・・・)
思わず彼をぼんやりと見つめてしまった。
「・・って偉そうな事言えるほど、俺も人間関係素晴らしい訳じゃないんだけどね」
苦笑いしながら少し照れている。
「いえっ、とんでもないです。凄く参考になります・・」
彼の言葉一つ一つが自分の中に自然に染み込んでいく・・・・、そんな気がした。
――もっと知りたい。
そう思わずにはいられなかった・・。
「あ、そうだ・・」
彼は脇に置いてあったバッグを膝に置いた。
「これ、もし興味あったらどうぞ」
私の前に差し出されたのは2枚のチケット。
「・・・野球のチケット・・・ですか?」
「うん。仕事で貰ったんだ。しょっちゅう貰うからさ、よければどうぞ。興味あったら是非行ってください」
「うわ・・、野球見るのなんて久しぶりです。ありがとうございます」
「・・・・・・あ、野球興味ある?」
「はい。学生の頃は、しょっちゅう見に行ってました」
「へぇ。結構意外だな」
「・・・・・・」
チケットを見つめながら、どうしても伝えたい事が浮かぶ。
――それを言ったら図々しいだろうか・・・。
でもこんな機会なんて滅多にない。だから恥ずかしさをこらえて言うべきなんだろう。
(・・・・大丈夫。断られても平気!・・・・・た、多分ね・・)
「あのっ」
「ん?」
出来るだけ迷惑に思われないように、重くならないように努めた。
「も、もし良ければ、ですけど。・・・・・い、一緒に見に行きません、か?」
とは言ったものの、きっと相当ぎこちない笑顔を作っていたに違いない。
目の前の人は一瞬驚いた表情を見せたものの、すぐに笑顔に戻った。
「・・・・いいよ。勿論」
「・・・えっ?」
「?・・・何?なんか問題?」
「い、いえっ!・・・びっくりしてしまって・・」
「ハハ。そんなに必死にお願いされたら断れないよ。あ、って言っても嫌とかそういうんじゃないよ。誤解しないで」
「・・・はい」
(そ、そうだ。別に一緒に見に行くことに深い意味なんてないんだってば・・)
中林さんには単なる外出の一つなんだろうな・・・。
そう思うと少しがっかりする自分がそこにいる。
「日にちは再来週だから、そうだな。時間とかあるからメールのアドレス教えてくれるかな?」
「はい」
慌ててバッグの中から携帯電話を取り出す。
お互いのアドレス・電話番号を教えあった。
「デイゲームだから、まぁだいたい昼ぐらいに駅で待ち合わせで、詳細はメールで。それでいい?」
「はい。大丈夫です」
慌ただしくメール交換した後に気がついた。
(私・・、中林さんのアドレス知ってしまった・・)
その事実を感じた途端、全身が硬直するのを感じた。
・・・・す、凄い。
私ってはこんなに行動的だったろうか・・。
思えば最初からあり得ないほど行動的な自分がそこにいる。
彼の物腰が柔らかいせいもあるかもしれないが、多分相手にされてないんだろうと思ってる自分もいる。
だからなのか、つい・・・。
携帯のメール着信音が鳴るのに気がつき慌てる。
「それ多分俺。確認してくれる?」
「・・はい。そうみたいです」
「じゃ、問題ないね。時間のこと以外でも何かあればメールちょうだい」
そういうとにっこり笑った。
「は、はい・・」
(・・・しゃ、社交辞令、社交辞令・・。そうそう・・)
駄目だよ。いつも勝手に期待してガッカリして。
社交辞令と好意を混同しないようにしなくては・・・。
自分を戒めるようにお腹に力を入れた。
「・・・・・・」
(・・・・っていうか、私何でこんなに自分を律しようとしてるんだろう。・・・・・って、えっ?・・あっ・・)
「大丈夫?酔っちゃった?」
気がつくと彼が覗き込んでいた。
「っ。だ、大丈夫です!」
「・・・衣里ちゃん、気遣うからなぁ。ホントにヤバかったら言ってね」
「スミマセン・・・」
「ハハ。そこは謝るとこじゃないからね」
彼の笑顔につられて私も思わず笑顔になった。
ホームに上がると、手にしていたペットボトルのキャップを開けて一口飲んだ。
今日はもう帰ろうという彼の提案に従わざるを得なくなり、今こうして駅のホームに立っている。
彼のアドレスを知った事、彼に対して感じた複雑な感情。
とても短い時間の間に起こった事とは思えないぐらい、私をぼんやりさせる・・・・。
本当はまだ一緒にいたかった。でも一人になりたかったのも事実だった。
(・・・・と、とにかく、これ飲んで大人しく帰ろう・・・)
ホームに入ってきた電車へと乗り込んで行った。




