初遭遇
「う~~。あ~~~!! ぜんっぜん出来ない!」
手から蒼色の燐光を撒き散らす巨漢が吠える。横のソラは我関せぬと無視している。ただ時折空を見て、方向を変えながら黙々と歩いている。
そんなソラに対し、ムッとしたようにツクシが話しかけた。
「ちょっと、ソラ君」
「ん~? あっ、こっちじゃないな」
「ちょっと! ソラ君ってば!」
「何だよ! 気ィ散るだろうが! 街道使わないように歩くの、めっちゃめんどくせえんだぞ!」
「何よーその言い方ー! 全然できないから教えて欲しいだけなのに!」
「んな、一日で出来るわきゃねぇーだろーが! もっと我慢しろよ!」
「え~。我慢とかツクシちゃんにさせるとか有り得なくない?」
「…………」
「何気の毒そうに見てんのよ、コラァッ!!」
ソラは気で強化された打撃を喰らわないよう、ツクシを窘める。
ソラは言う。魔王が倒され魔物は静かになったと。
「? でも魔物って人を襲うものなんでしょ?」
「違うな。魔王が襲わせるんだ。強大な力を持つ魔物がいる以外は地球の動物と変わりない。本来なら積極的に人がいる場所に近づくような生き物じゃねえんだよ。その証拠に今全然襲われてねえだろう?」
なー?
と、蜥蜴を指でくすぐる。
気持ち良さそうな蜥蜴。自分との扱いの違いにイラついたのか、目つきが猛獣のようになるツクシ。そこにかつてのウサギのようなつぶらな瞳はない。
「ちっ……いつか消してやるんだから……あ、そういえば……確かに全く見ないわね。……それってさぁ、えっと、気持ちが分かる魔物? に教えてもらったの?」
ソラは冷や汗を流し、今聞いた言葉を聞いていない事にして、言葉を返した。
蜥蜴と共に微かに震えているのはご愛嬌だろう。
「……あ、ああ。そうだ。それに魔物は、自分より強い奴にゃあ近寄らねえ。この俺様の気配に近寄らねえんだ」
(後、お前の馬鹿みたいな気と、そのおっそろしい顔に……)
「何か言った!?」
「な、何も言ってねえよ!」
ソラの身を削るような鋭い眼光が向けられる。ソラの事を疑いの眼差し見るツクシを、誤魔化すように早口で続けるソラ。
「んで、街道は魔物達の活動範囲の隙間に造られてて、魔物が寄らない代わりに厄介な奴らが出る時があるんだ。そいつらは魔物が動かなくなった今、多分大分数が増えてる」
「そう……まあ、ソラ君がそう言うなら。いいんだけどぉ~」
「んー、でもま、もう街道出ても問題ないかな? 出るか!」
「何よそれ、いい加減すぎだっつの!」
ぶつくさ言うツクシを余所に、ソラはずんずんと進んでいき、大きな木々の隙間から大きな道らしきものが見えてきた。
そして。
「んーっ! やっぱ太陽の光があると違うな!」
「ふえー。何か思ってたよりおっきいかも」
二人の目の前に広がるのは、横幅が五十メートルはある砂利道。せいぜい数メートルだと思っていたツクシは、驚いて目を見開いていた。
それにソラは苦笑しながらツクシに声を掛ける。
「そりゃあな。こっちのは主に馬車が使われる訳だし、こんくらいは必要だろ。因みに向かう先はあの山な。あの山を抜けるにはこの陸路の他に、空を飛ぶ飛空艇もあったりするんだが」
「あ、あれみたいなの?」
喋りながら道を歩くソラとツクシ。ソラの視線の先には巨大な連なる山脈。右を見ても、左を見ても、全く果てが見えない。その高さもまた、雲がかる程の高さだ。
しかしそんなソラの話を遮り、ツクシ空を指さす。その先には灰色の雲の合間、横長の影が見えた。
「ああ、そうそう。あれあれ……」
「? どうしたの?」
ソラが言葉を途中で止めた。
不思議に思い飛空艇からソラに顔を向けると、厳しい顔をして唇を結んだソラがいた。
「どうした……」
の。と続けようとした時、ガサガサと木の葉を擦る音がツクシの耳に届いた。
前方の両脇の茂みと、後方の茂み。
武装した筋骨隆々で粗野な者達が約三十人。
――盗賊だ。
ソラが厳しい顔のまま、周りを囲んで下卑た笑いを浮かべる盗賊達に告げる。
「――テメエら。悪いことは言わねえ、退け」
――でねえと死ぬぞ。
ソラの重苦しい言葉が場に響く。ツクシすらも思わず竦んでしまった。
けれどその言葉は盗賊には届かない。後方に十人。恐らく盗賊の中でも手練れ。
前方には残りの二十人。左右には逃げられない。逃げようとすれば、弓で射られるだろう。
場の空気が張り詰める。
早くも訪れてしまった、命のやりとり。それもこんな大人数に。
ツクシはそう感じた。
果たして自分は人に力を振るえるのか、果たして殺すべき時に殺せるのか。
そう躊躇しているツクシに、ソラから小さく声が掛けられる。
「……ツクシ。もっと寄れ」
「え……う、うん」
「ヒヒヒッ。何だ何だぁぁ? 見かけ倒しかよ、おい!」
「おうおう、そっちの兄ちゃんもまだちっけえなぁ、おい! 俺が飼ってやろうか?」
ぎゃはははっ。
そんな笑いが響く。
しかしソラは全く動じない。以前厳しい顔をしたままだ。背の事を馬鹿にされたら烈火の如く怒っていたのに、それすらも気にしていない。
そしてツクシが寄ったのを確認すると、一言呟いた。
「『混色・六重障壁』」
その言葉と共に一瞬にして六重の壁が二人を包む。それは一瞬光り、すぐに透明になった。
ツクシに見えたのは六色の光。黒、青、黄、緑、赤、白。その順番で展開されていった。それを見て、盗賊達の笑いが収まる。
「魔術師だと……」
「おい、てめえら! 気引き締めろよぉぉ。どうやら相手は魔術師様みてえだぜ。色は白だ」
「おぉ、それもすぐさま透化させやがった。こいつはよっぽど高価な魔道具持ってるか、階梯が高いか……いや、十中八九魔道具か。まあ、どっちにしろ」
「やることは変わらねえ。魔術師が居るのは自分達だけだと思うなよぉ!? こちとら伊達に亜竜の巣窟の近くで働いてんじゃねえんだからなぁあ!?」
ざわついた盗賊達だったが、動揺も一瞬。
ツクシは思う。
(何が働くよ! 真面目に働いてる人達馬鹿にしてんじゃないわよ!)
ただし思うだけだ。こんな強面でも、中身は女の子。がくがくと震えは止まらないし、この状況に恐ろしさは止め処なく襲ってくる。
ただ少し疑問に思う部分もあった。痺れている思考の中思い出す。ソラは有象無象がいくら集まろうと、問題無いと言っていた。
ソラは口が悪く粗野だが、口にした事は違えないし、真剣な時に嘘も言わない。
けれどこいつらはそんな魔王を倒したソラが警戒するような猛者には到底見えないのだ。
格好をつけたかったのだろうか。でもそんな嘘を言ってどうなるのだろうか。
そんな思考がぐるぐると回る。
ツクシは気づかなかった。ソラが見ていたのは先ほどの飛空艇が飛んでいた場所。
そしてその方向にはすでに飛空艇は無く。
そこに在ったのはどす黒い雲。凄まじい勢いでこちらに流れ、空を覆い尽くす雲だった。
そしてソラが小さく囁く。
「――来る」
「――?」
何が?
そう告げたツクシの声は、ソラに届く事は無かった。
何故なら。
空に一瞬にして雲が広がった次の瞬間。
雲中から目も潰れそうな光が落ちてきて、天が崩れたかのような轟音が響いたからだ。
「きゃああああああ!!」
びりびりと、衝撃が続く。
視界は白濁し、耳に届くのは地が無理やり裂かれるような音と、竜巻が起こす鋭い風切り音のみ。
時折響く、卵がひび割れるような音と、ガラスが勢いよく割れる音。
それはツクシをひどく不安にさせた。
一回鳴った。より轟音が近くなった。
二回。更に近く。
三回。手を伸ばせば届きそうな程に近く。
恐怖がより増していく。こちらの世界に連れられた時の光よりも、遥かに暴力的な光と音の奔流にツクシはひたすらに悲鳴をあげる。
「――!」
ぎゅっと、手が握られた。今のツクシには小さい。しかし安心できる手。そしてひんやりとした何か。多分蜥蜴なのだろう。
ツクシはそれらを無我夢中に掴み離さなかった。
そして、ついに光と音が止む。
そして現れた光景は、目を疑う程のものであった。
五十メートルはあった砂利道が、その外側にあった浅い森が、ソラ達を中心に球状に抉り取られていたのだ。盗賊も皆姿を消していた。文字通り、消し飛ばされていた。ソラ達のいる場所のみ地面が残り、それ以外は巨大な穴となっていた。
穴の深さは十メートルは容易く越え、所々からは煙が立ち、抉り取られていない外側の木々も倒れ焦げ、燃えている部分もある。
しかしそんな事も些事に思える物が、ソラ達の頭上にいた。
ぎらぎらと光る電を纏い、百メートルを越しているだろう巨大な、金色に煌めく体躯。更に巨大な大きな蝙蝠のような翼。縦に裂けた瞳孔、血走った鋭い眼光。吐息からは放電が起き、牙からは唾液が滴り落ちる。
それはソラ達を見下ろしていた。まるで虫けらを見るように見下ろしていた。そしてそれでありながら、憤怒をその目に宿らせていた。虫けらに向けるのは過分な感情を乗せた視線であった。
ソラもそれを険しく睨みつけながら、ぽつりと呟く。
「よりにもよって亜竜……かよ」
宙より睥睨する亜竜は、ソラの呟きに応えるように吠えた。
咆哮に呼応するように雷を落とす黒雲をバックに、堕ちる雷音を凌ぐ轟雷の如き遠吠えを響かせる。
空を悠然と支配するは、気高き亜竜。
今ここに、元勇者は亜竜と対峙する。