方針を決める元勇者
夜も更け、空には八百万の星星が輝いている。
変態――ツクシの暴れていた広場。その暴虐の嵐により、まるで競技場のように広くなったそこの中心に、無骨な白い大きな正方形の箱が出来ていた。
一つだけ空いた窓のような場所から内部を覗けば、ぱちりぱちりと燃える焚き火と、その脇に出来た椅子らしき何かに座るソラと、ツクシの姿が見える。
どうにか落ち着いたらしいツクシは、ずっと下を見て目を強く瞑っていた。口を噛み締め、膝に肘を乗せまるで祈るように手を組んで。
ソラが端的に簡単にここが異世界だと伝えた為だ。とても信じられないのだろう。
しかし、信じざるを得ない光景をツクシは幾つも見ていた。今いるこの箱も、椅子も、火も、全てその証明の過程の副産物だ。
魔術という、この世界に住む人の力の副産物。
そして、理解してしまったからこそツクシは苦悩している。
お母さん。
彼女らその一言を漏らした後、ずっと今のように俯いている。
ソラもどうしたらいいのか分からない。元々自己評価が低く、裏切られ続けた人生を引きずり、人付き合いも下手くそな人間なのだ。それを曲がりなりにもフォローしていたのは幼馴染達と、目の前のツクシ。
焦りすぎてツクシの事を考えられなかったのかと、自分を責めたり頭を抱えたり、手をくにくにしたり、視線をあちらこちらへやったりとそわそわしっぱなしだった。
「……本当に、異世界なんだ。夢じゃ、ないのね……」
ポツリと憔悴した声が響く。
やはり急ぎすぎたのだ。ソラは後悔した。彼女は自分の為に、色んな事をしてくれたというのに。返すどころか、仇で返してしまった。
(くそっ。情けねえ……)
なんと言えば言いのか分からない。
否定するか?
そんな事で騙されるような鈍い女ではない。
ならば肯定?
それは彼女を追い詰めるだけではないのだろうか。
ソラにはどちらも選べなかった。
「ふふっ。何て顔してるんだか……いいよ。気にしなくて。ホントは、分かってるんだけど、信じたくないのよね、きっと……。わざわざ嫌なこと聞いてごめんね……」
「い、イヤなんかじゃねえよっ! ただ、俺は、俺が……!」
何て言えばいいのだ。
本当に嫌になる。ただ力だけが強い子供、イヤ、赤ん坊のような自分が。
ぎりっと、歯が軋んだ。
「いいの。一人じゃないから……ソラ君がいるから。だから、そんな泣きそうな顔しないで?」
辛いだろう。自分とは違って、彼女はこの世界の事を何も知らない。
恐ろしいだろう。幼馴染達のように、強力な庇護者がいるわけでもない。
悲しいだろう。寂しいだろう……! 彼女は自分と違って、向こうに両親を残してしまっているのだ!
なのに彼女は自分を気遣った。気遣わせてしまった。
ああ、自分が、情けない……!
膝上に乗せたソラの拳。握られたそれは震えている。力を入れ過ぎて血が出て心配させぬよう、けれど堪えきれない怒りによって。
それを見てとったのだろう。ツクシは気づかれぬよう、ふわりと笑う。
少し楽になったように、笑う。
「あ~あ。ソラ君がまたあの女共といるからさぁ、ちょっとからかってやろうと思ったらさぁ、気づいたらこれだもんなぁ……」
「……はん。お前のからかいかたはメンドくせえんだから、やめろっツーの。あいつ等もうっせえんだから」
くすくすと笑う彼女。それはその巨躯には似合わぬ仕草。
けれどそんな事はソラにはどうでもよかった。
無意識にか、彼女が前の世界のようなやりとりを欲している事を、ソラは気づいたから。
そしてソラは、ただ少しでも彼女の負担が減るように、そのやり取りに身を任す。
「それにしても、そっかー……異世界かぁ。……ソラ君達がね、ぱあって光って消えたと思ったら。わたしは変なでっかい人形の前に居て、ソラ君達は王様の前。ソラ君は追い出されて、わたしは変な身体にされてポイッ。やってらんないわよね……はは」
わたしだけ仲間外れ。そんな事をポツリポツリ漏らすツクシ。
「…………ちょっとその人形消してくる」
「ちょっ、どこにいるかもわからないのに出来るわけないでしょ!? それに物凄くでかかったわよ? 山くらいはあったし、絶対無理よ……まあ、嬉しいけど、その気持ちだけ受け取っておくわ」
「大丈夫。この星くらいのデカさなら消せるから」
「また、そんな冗談言って……。ていうかさー、ソラ君。いいのよ、無理しなくても」
「無理……? なんのことだ?」
ソラの言葉を、ツクシを気遣った冗談だと思ったのだろう、少し嬉しそうに笑うツクシ。
けれど彼女はまた下を向いて、無理をしなくていいと自嘲したように笑う。
無理とは何を指して言っているのか分からないソラは、聞き返した。また何か、変な事を言ってしまったのだろうかと。
それに対し、ツクシは震えて何も返さない。
また何かに耐えるように目を瞑っているだけだ。
たまらずソラは声を掛ける。
「? おい。どうしたんだよ……?」
「……ょ」
「何だって?」
「……とぼけないでよっ!!」
しかしツクシは何かに耐え切れなくなったように立ち上がり、大声で叫ぶ。
しかし本当にソラには分からない。何かを無理しているのだろうか。自分の事だ、よく分かる。何も無理なんかしてない事は。
そしてツクシに目を向ければ、彼女が泣いている姿が目に入り、ソラはぎょっとした。
それに対し、気づいたのか気づいていないのか、震えた声で続けるツクシ。
「自分の姿くらい分かってる!! どれだけ、き、気持ち悪いかも分かってるわ! 醜くて、お、女言葉もきっと、気持ち、悪くって……!!」
「い、いきなり何を」
「だって! だって、さっきから一度も、わたしの目を見ないじゃない! 触れようともしないじゃない! それは気持ち悪いからでしょう!? 怖いからでしょう!? でも、わたしはなりたくてこんな姿になったんじゃないわっ!! こ、こんな、望んでこんな姿に……っ!! シンの魔法なんて知らないのに! なのに、そんなの……そんなのいっそ見捨ててもらった方、殺された方が……」
いい。
だって。
「だって、辛いもの……ソラ君……」
ぽろぽろと溢れていく涙。身体は震えて、興奮しすぎて紅潮している。
ああ。確かに醜いだろう。
恐ろしいだろう。
赤鬼のように恐ろしい姿。
きっと誰も知らない奴だったなら、姿通りの醜い奴なら、ソラも関わろうともしなかった筈だ。
ソラは無表情なまま、空中を一段、二段と踏み上がる。
巨人となったツクシの目線と合うように、空中を歩いた。
そして彼女と目を合わせ、何かに恐がるように震え目を逸らした彼女へと両手を伸ばしていく。
それに先程の強力な魔術でも幻視したのだろうか、彼女は何かを決心したように強く目を瞑り下を向く。
ソラはそんな彼女の仕草に、苦笑いするような、らしかぬ笑いを見せて。
ツクシの頭を、自身の胸に抱くように包んだ。
「馬鹿野郎。俺がそんな薄情な奴だと思うのか? ごめんな、見て欲しくないんじゃないかって、思ってさ。ごめんな。それにさ、俺がそういう裏切りが何より嫌いなの知ってるだろうが。あんま見縊んなっつーの」
「……だって、わたし。こんなに気持ち悪いよ」
「まあ本当のお前のがいいに決まってる。折角お触りOK貰えたのにな」
口調はからかうように、けれど慈しむような表情で。偽りの無い言葉を。胸が濡れていく事など構わずに、優しく語りかける。
「わ、わたし、恐いでしょう?」
「元々恐いだろうが。お前の腹黒と我儘っぷりは半端じゃねえからな」
「一緒にいたらキミも、嫌な思いするかもしれないじゃない……! それに、こんなに大きくなっちゃって、わたし、わたし……」
「そうだな。でもまあ、そんな奴らはよ、いいんだ。俺がお前と居たいと思うから、居るんだよ。でもそんなに気になんなら、やっぱ元に戻さないとな。それじゃあ、あの隙間に挟まれねえもんな」
「ふ、ふふっ。なによそれ、ばっ……かじゃないのぉ……」
(それに姿が変わっても。お前の心はきっと、醜くなんてなっていないから)
だから共に居たい。
ツクシの言葉が、少しづつ途切れ途切れになっていくのを感じながら、ソラはしっかりとその頭を掻き抱く。この少女の心を壊さぬように。かつての自身のように心を凍らせぬように。自身のぬくもりが彼女を暖めるように。
ソラは決めた。この世界に来た時に。
思うまま、生きよう。
そう決めた意思のままに、自身の感情に従って行くと決めた。
ならば、ソラの行く先もその思いのまま。
それが必然であったのだろう。
「決めた」
「……?」
「身体取り戻そう。そんで戻ろうか。向こうの世界に」
「っ! でも、でも! わたし、シンの魔法なんて、知らないよぉ……!! 戻り方も、何にも知らない……! 何もできないよっ」
「――ああ。大丈夫だ。【魔法】に手がかりがあるなら、俺が、イヤ『俺様』がそこに至ろう。俺の魔法への階梯を。シンがなんだろうが大丈夫。魔法は、想いで全てを覆すんだ」
それに、そう続けて、彼女の言葉を思い出す。脳裏に過ぎるかつての光景。彼女の悪戯気な瞳と、柔らかい微笑みも共に通り過ぎていく懐かしき思い出。
――テメエに何ができる! なんにも出来ねえくせに! 口出しすんじゃねえよっ!
――そうかしら? わたしは成績も良くて、運動もできて、こんなに可愛いじゃない。それにね。
「何もできないなんて言葉程、悲しい言葉は無いんだろう?」
――何もできないなんて言葉、悲しいと思わない?
ツクシにはソラが何を言っているのかは分からなかった。ソラ自身、異世界にとばされたばかりなのに、何故そんなにも自信を持てるのか。
ただ、段々と心の内に不思議な安心感が湧き上がっているのは気づいていた。
だからしゃくりあげながらも、不器用でも、ツクシは笑うことができた。それはかつての彼女を思わせる笑顔。
「ま、た、俺様って言ってる……ダメ、だって言ったのに……それに、それ、わたしの言葉よ……」
「しょうがないっつーの、平和な世界には当分戻れないからな。覚悟の証だ。俺様は勇者、いや愚者に戻る。そう、決めた。安心しろよ? ちょっと時間はかかるけど、元の世界にだって戻れるさ」
ソラの一つの願掛け。かつての世界を救った勇者の頃の言葉。
世界を救えたならば、人一人救える事が当然なのだと。そして彼女を同じように救ってみせるとの意思を示す為に。
この童のように泣きじゃくる、恐ろしい相貌をした少女を、守って見せると。
『俺様』とはそう決めた、ソラの意思の証。
「だから泣くな。悲しみに、心を預けちゃあ駄目だ。ってな。心には愛と勇気を持ってなきゃ」
そんな不真面目にも思える言葉をツクシにかけて、ソラはかつてのように不敵に笑う。ただ一人で、世界を滅ぼす魔王と魔物達に立ち向かった時のように。
ツクシは見た。顔を上げた、その先に見えたソラの銀色に光る瞳を。吸い込まれそうなその瞳を。
「なんたって俺様は。世界も余裕で救っちまった、愛と勇気の愚か者」
――元勇者様なんだからな。
「何よ、それ……訳分かんないっツーの。……全く、いつもいつも、」
――ホント、優しいんだから……
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