第1節 ブリッジ・オンラインセンタービル・東K渋Y支部
桜はすでに散っていた。
新しい環境、新しい出会い。新しいこと尽くしの上に、一人暮らしという開放感に浸りながら、自己責任の重さを痛感して両親のサポートの有難みを噛み締める毎日を送る。
そんな新生活への順応に慣れないうちにやってくる、短くも長くもない小休止が今年も到来した。ゴールデンウィークである。
4月28日。【ブリファン】の先行リリース初日。朝方のことだ。
陸と睦の二人はビルの屋内にいた。東K渋Y区の一角にある【ブリッジ・オンラインセンタービル・東K渋Y支部】の二階である。
前後左右見渡せば人ばかり。丸いホールの中は薄暗い暗闇に包まれている。みんなリクライニングシートに背を預けて、となりの席の同伴者とひそひそと語り合っている。まるで上映前の映画館やプラネタリウムのような雰囲気だ。
みんな来るべき時を待ちきれない様子だ。騒然とは言いがたいが、静寂とも言えないほどホール全体がざわついている。
陸はそんな中で懸命に眠気と戦っていた。
左隣の席に睦がいる。眠気と闘っている陸とは対照的に興奮冷めやまぬ様子だ。小声で陸に話しかけていた。
「……って、兄貴! 聞いているの!?」
「ちゃんと聞いているぞ」
本当はまったく聞いてなかった。だが、正直に言うのは火に油を注ぐようなものだ。眠気で頭がまともに働いていない状況で、説教などたまったものではない。
この際だから嘘でも真で通すことにした。
「ちゃんと聞いていたぞ、あれがこうでこうなのだろ。すごいよな。感動するよな」
「適当にごまかさないでよ! その程度のごまかしなら、やらない方がましだよ!」
完全に失敗のようである。
顔を横に向ければ、睦の顔がむくれていた。身を乗り出してきているので、薄暗い空間の中でも興奮と怒りで頬が林檎のように赤く染まっているのがよくわかる。
(可愛いやつめ)
髪をツインテールにまとめるのが睦のお気に入りらしいとは聞いていたが、予想以上にいい。ますます可愛くなったとご近所で評判だそうだが、もちろん陸も同意見だ。
現在、陸の携帯待ち受け画面には、ツインな睦の幸せそうな寝顔が飾っている。それは昨晩に撮影した、陸お気に入りの一枚である。
(そういえば、昨晩は大変だったな)
陸は天井を見上げる。
睦の説教を聞き流しながら回想を始めるのだった。