第4節 デレな小悪魔の招待
「ところで兄貴。再びで申し訳ないんだけれど、お願いを聞いてくれない?」
先ほどは脱線してしまったので、本題を聞きそびれてしまっていた。だが、今ではだいたい想像がつく。貴重なVRゲームの優待券が二枚。それを見せつけてするお願いなんて、想像に難くない。
「つまり、俺を【ブリファン】に誘いたいわけだな」
「さすが兄貴、話が早い! その通りだよ」
すでに同意を得た、と言わんばかり、睦は大層ご満悦な様子である。
陸も妹の笑顔を見ることができてご満悦である。すぐさま二つ返事してしまいそうだ。
だが、陸はある疑問を抱いていた。率直に聞いてみる。
「本当に俺でいいのか?」
誘われるのは素直に嬉しいことだ。だが、陸はネトゲ未経験であるばかりか、この優待券の価値すら知らなかったほどのゲーム初心者である。余りものだからといって、そんな貴重な優待券を貰っても宝の持ち腐れではなかろうかと思うのであった。
睦が多くのネトゲ仲間を持つことを陸は知っていた。貴重な優待券だからこそ、抽選に漏れてしまった友達も少なくないだろうと想像もできる。そういった友達を誘うほうが、円滑な交友関係の維持のためにも、娯楽として楽しむためにも、妹にとって有益であるにちがいない。先ほどの講義を受けて【ブリファン】に興味を持ち始めたといっても、睦やその友達に比べるべくもないことなど、陸は自覚していたし、睦だって百も承知のはずである。そういったことに気づかないほど頭が弱いはずないのだが、実際のところ妹の選んだのは、そんな友達よりもゲーム初心者の兄という事実である。陸はそこに大きな疑問を感じるのであった。
陸の言いたいことを察したのだろう。睦は少し残念そうに話し始める。
「兄貴は今年の4月から大学生だよね」
何を急に改まって、と陸は思った。
「そうだな、それがどうした?」
鈍いな、と言いたげな表情で睦が続ける。
「東Kの大学に通うために兄貴はどうするんだっけ?」
「下宿する。さすがにここから通うのはきついからな。すでにアパートの確保は済んでいるぞ」
この実家は東K寄りの埼Tにある。といっても、通学時間はそれなりに要してしまう上に、交通費もばかにできないほど必要だ。そこで時は金なりという素晴らしい格言に従い、下宿について両親を必死に説得した。アルバイトをして生活費の半分を自分で賄うという約束をして、やっと許可をもらったのだった。
「つまりは、兄貴は近々実家を出て行くわけだよね」
「そういうことになるな」
「……」
みなまで言わせないで、と恥ずかしそうに俯く妹の姿が目の前にあった。
「……」
陸は閉口した。そして推察する。
(つまりはこういうことか。離れ離れになって悲しい。今までみたく会いたいときに会えなくなるから寂しい。せめてゲームの中でもいいから会いたい、と)
陸は胸が千切れんばかりに締め付けられるのを感じた。
(睦よ、俺を悶え殺す気か!?)
胸キュンで死んでしまいそうである。
(妹にこんなふうにお願いされて断れる兄がこの世にいるのだろうか。いや、いるはずがない!)
勝手な自問自答しながら陸は変な気を起こさないよう必死に自制を心がける。
(落ち着け、落ち着くんだ俺)
返事がないので心配になったのか、睦が恐る恐るつぶやく。
「兄貴……だめ?」
「……!」
そんな顔で覗き込みながらおねだりするのは卑怯である。ニヤニヤを我慢できている自信などまったくない。それでも、懸命に平静を努める。
陸は本日二度目の白旗を上げることにした。
「だめなはずないだろ」
「本当?」
「本当だ」
「本当に、本当に?」
「疑り深いな。一緒に【ブリファン】しよう」
「やった!」
最後に陸を待っていたのは、睦のとびっきりの笑顔だった。陸の胸に飛び込んできそうな勢いの喜びようだ。
陸は本日三度目の白旗を上げることにした。
気を利かせてお茶をテーブルに運んでくれた母親が白い目で陸を見ている。
「あんた、何しているの」
なけなしの理性をもって妹に飛びつくのを抑えた陸は、自分で自分をきつく抱擁するのであった。
しかし、睦の一言ですぐさま現実に呼び戻されることとなる。
「今からゲームの説明会およびアカウント登録しに行くから、急いで用意してね」
反論は許されなかった。