「手紙はあとで読む」が口癖の婚約者様。婚約解消のお知らせも読まなかったのですね
「またリーナから手紙か・・・そこへ置いておいてくれ」
侯爵家嫡男グレゴール・ヴァルクロワは、従者から差し出された封書をろくに見ることもなくそう言った。
机の端には、同じ薄青色の封筒が三通積まれている。
どれも婚約者である聖女リーナ・ベルから届いたものだ。
「グレゴール様。せめてこちらだけでもお読みになったほうが……」
「あとで読むと言っているだろう? 今は忙しいんだ」
そう言いながらグレゴールが眺めているのは、来月開催する獣狩りの参加者名簿だった。誰を招けば自分の顔が広くなるか、誰の前で獲物を仕留めれば格好がつくかそんなことを真剣に考えている。
「ああ、そうだ。リーナにも招待状を送っておけ。当日は絶対に来るように、と書いてな」
「……承知いたしました。あ、あと!王家からのお手紙も届いております!至急登城するように・・・と伝令の者から厳命されております!」
「馬鹿者!それを早く言え!リーナのくだらない手紙よりもよっぽど大事な手紙じゃないか!」
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平民の家に生まれながら、幼い頃に稀有な聖なる力へ目覚めたリーナは、国と教会が正式に認定した聖女である。傷病者の治癒、王都を覆う結界の維持、災害時の救護など必要とあれば王族から直接召し出されることさえある。
それでもリーナは、婚約者との関係を大切にしたいと思っていた。グレゴールから獣狩りへの招待が来れば、前後の日程を必死に調整して参加したし、夜会へ来いと言われれば昼間に国中の治癒院を回ったあとでもドレスに着替えた。
自分は平民出身であり婚約者のグレゴールは侯爵家の嫡男だ。王家の仲介で結ばれた婚約とはいえ、夫婦になるのなら互いに歩み寄らなければならない。
そう信じていた・・・
だからリーナも、会えない時には手紙を書いた。
『次にお会いできる日について、ご相談したいことがございます』
『結婚後の住まいについて、一度ゆっくりお話しできませんか?』
『先日の夜会ではお時間を作ってくださり、ありがとうございました』
しかし返事は、ほとんど帰って来なかった。
たまに会ったとき尋ねても、
「悪い悪い、忙しくてな。手紙なら後で読めるから問題ないだろう?」
と笑われる。
婚約しているのだから・・・これから夫婦になるのだから・・・
自分の言葉を、いつまでも無視するはずはない・・・その考えが間違いだったと気づいたのは、グレゴールが主催する大規模な夜会の日だった。
その日の朝王宮から、一台の馬車が聖女の住まいへ飛び込んできた。
「聖女様!陛下より、至急王宮へとの仰せです!」
「何がございましたか?」
「王女殿下が……!」
国王アルベルト・レグナの愛娘が倒れた。
しかもただの病ではない。何者かによってかけられた、強力な呪いだった。
通常の治癒術では歯が立たず、あと数刻も持たないかもしれないとのことだった。リーナはすぐに支度を整え登城するために馬車に乗り込んだ。
その途中で、ふと思い出す。
今夜はグレゴールの夜会だ。
彼は一月も前から、
『今回は特に大切な夜会なんだ。婚約者である君がいなければ格好がつかない。絶対に来てくれ』
と何度も念を押していた。だが、王女の命と夜会を比べるまでもない。リーナは王宮へ向かう直前、事情を手紙にしたためた。
『グレゴール様へ。
本日の夜会についてお詫び申し上げます。
王女殿下が強力な呪いに倒れられ、陛下より至急の解呪を命じられました。
誠に申し訳ございませんが、今夜の夜会には出席できません。
どうか事情をご理解くださいませ』
使者に手紙を託し、リーナは王宮へ急いだ。
それから日が沈み夜が明けさらに昼を越えるまで彼女は王女のそばを離れなかった。
呪いは想像以上に複雑で強力なものだったが何度も聖力を注ぎ、絡み合った術式を一つずつ解きほぐし、最後には意識を失いかけながらも浄化を成し遂げた。
「……恐らくもう大丈夫です。ただしばらくは安静になさってください」
その瞬間、国王アルベルトは深く息を吐き、青ざめていた王女の頬へ、わずかに血色が戻る。
「リーナよ。本当に……感謝する」
「陛下。私は聖女として当然の務めを果たしただけです」
「いや、他の者が匙を投げる中君だけは最後まで娘の命を諦めなかった・・・この恩は必ず返そう。」
リーナは疲れた顔で微笑んだその時、王付きの侍従が困惑した様子で近づいてきた。
「聖女様。ヴァルクロワ侯爵家のグレゴール様がお越しです」
「グレゴール様が?」
「その、かなり……お怒りのようで」
リーナは嫌な予感を覚えたがすぐにグレゴールを出迎える準備を始めた。
「リーナっ!!」
面会室へ入るなり、グレゴールは声を荒らげる。
「君はいったい何を考えている!」
徹夜で解呪を終えたばかりのリーナは、思わず瞬きをする。
「……何のことでしょう?」
「昨夜の夜会の件だ!僕の夜会に来なかっただろう!この僕の顔に泥を塗りやがって!」
リーナはしばらく言葉を失った。
「わ、私は王女殿下の解呪をしておりました」
「そんなことは聞いていないぞ!適当なことを言うんじゃない!」
「ですが昨日、お手紙を――」
グレゴールは顔をしかめる。
「ああ・・・何か届いていたな」
「では!」
「そんなもの読むはずがないだろう!」
あまりにあっさりと言われて、リーナは黙った。
「昨日は忙しかったんだ。客を迎える準備もあったし、夜会のことで頭がいっぱいだった。そんな時に手紙なんて読んでいられるか!」
「……そうですか」
「そうですか、じゃない!」
グレゴールが机を叩いた。
「君が来なかったせいで、皆に聞かれたんだぞ。『婚約者の聖女様はどうした』ってな。どれだけ僕が恥をかいたと思っている!」
リーナは彼を見つめる。
「王女殿下のお命が危険だったのです」
「だから?」
「……だから?」
「君は聖女なんだから、そういう仕事があるのは分かっている。だが昨日は僕の夜会だったんだぞ?」
何を言われているのか一瞬、理解できなかった。
「王女殿下の命より、ご自分の夜会を優先しろと?」
「そ、そんな言い方はしていない!」
「では、どういう意味でしょう」
「少しくらい顔を出す方法はあっただろうと言っているんだ!」
無理だ・・・呪いの術式から一度でも手を離せば、王女の命が失われていた可能性さえある。そしてそのことも手紙に書いていたはずだ。
ただ・・・グレゴールは読んでいない。
リーナはこれまでのことを思い返した。
彼には
『忙しいから、わざわざ君のために割く時間がないんだ!結婚やそのあとの話なんてくだらないことを言うためにわざわざ面会してきたのかい?まったく・・・これからはそんな些事は手紙にでも書いてくれ!』
と言ったのだ。だから手紙を書いて送るようになった。
けれど・・・彼は読んでいなかったのだろう。私の気持ちを理解しようとなど一切思わなかったのだ。
「……グレゴール様」
「何だ?まだ、言い訳をするつもりか?」
「私たちの婚約を、解消いたしましょう」
グレゴールの怒りの表情が消え、一拍遅れて、彼は吹き出す。
「はあ?」
「だから・・・婚約を解消してください」
「何を馬鹿なことを言っているんだ?君は?」
「私は本気です」
「一度夜会を欠席したことで逆上しているのか?まったく、これだから平民上がりは・・・」
逆上するように捲し立てるグレゴールとは対照的にむしろ今のリーナの心は、不思議なほど静かだった。
「いいえ。昨夜のことは、きっかけにすぎません」
「なら何だ?」
「あなたは私の話を聞こうとしてくださいません」
グレゴールが詰まる。
「それは……」
「あなたは『忙しいから手紙にして』と仰いました。私はその通りにしました」
「だから忙しいんだよ!」
「ですが、ご自分の獣狩りや夜会についてのお手紙は、私に必ず読んで出席するよう求められました」
「当たり前だろう。婚約者なんだから」
その言葉でリーナの中に残っていた最後の迷いまで消えた。
「……そうですか」
「何だ、その言い方は?」
「よく分かりました」
リーナは静かに立ち上がった。
「やはり婚約解消の手続きを進めます」
「だから、そんなことできるわけがないだろう!」
グレゴールが苛立ったように吐き捨てた。
「忘れたのか? 僕たちの婚約は王家の肝いりなんだぞ」
「存じております」
「なら分かるだろう」
彼は胸を張った。
「君は聖女だか何だか知らないが、元は平民だ。そんな君に尊い貴族の血を分けて、正式な身分を与えてやるために王家が僕との婚約を用意したんだ」
「……私に、貴族の血を?」
「ああ!そうに決まっているじゃないか!」
自信満々な様子にリーナは少し考え
「では、陛下へ確認してまいります」
「好きにすればいい。そもそも平民の君に陛下がお会いになるとは思わないがね!」
グレゴールは鼻で笑った。
「もし万が一会えても・・・むしろ陛下から説教されれば、君も自分の立場が分かるだろうさ」
「そうですか・・・」
リーナは一礼した。
「では、そういたします」
その日のうちに、リーナは国王アルベルトへ婚約解消を申し出た。王女の治療を終えたばかりでそんな話をすることには躊躇したが、王は最後まで黙って事情を聞いてくれた。
そして
「……グレゴールは、本当にそう言ったのか?」
「はい、間違いなく・・・」
「王家が、そなたに貴族の血を分けるために婚約させたと?」
アルベルトは額へ手を当てた。
「なぜ、そうなるのだ・・・」
やがて国王の命により、グレゴールも王宮へ呼び出された。本人はまだ、自分が正しいと信じているらしい自信満々な様子で謁見の間に入り王の言葉を待つことなく話し始める。
「陛下。リーナからお聞きになりましたか?」
「ああ。既に事実確認も終えている」
「そうですか!陛下からも言ってやってください。王家が決めた婚約を、平民出身の聖女が自分勝手に解消など――」
「グレゴール!!」
「はっ?・・・い?」
「勘違いするなっ!」
低い声だった。
「王家があの婚約を整えたのは、『聖女リーナへ貴族の血を恵んでやるため』という理由では断じてない!」
グレゴールの笑みが止まる。
「聖女はこの国に、いや世界に欠かせぬ存在だ。だがリーナは平民の出であり、その立場を利用しようと近づく者や高圧的に接する者も多かった」
だから王家は考えたのだ。信頼できる高位貴族との婚姻を整えれば、聖女の生活と地位を保障できる上に政治的な思惑からも守れる。
そして同時に、聖女を妻として迎えるという大きな栄誉を、その家へ与えられる。
「その命を賭して魔王軍を一時的に退けたお前の父に報いるという意味も込めて、聖女を妻として迎える栄誉を、お前の家に認めたのだ。貴様の父はあれほど偉大な男であったというのに・・・」
「な……」
「誰が、リーナに貴族の血を恵んでやったなどと言った?」
「ですが僕は侯爵家の嫡男で……もうすぐ家督も継ぐはずで!」
「だから何だ」
王の言葉が冷たく落ちる。
「昨日、我が娘の命を救ったのはリーナだ」
グレゴールの顔色が変わる。
「娘はあと半刻も遅ければ命を落としていたかもしれなかったと宮廷医から聞いている。そのリーナに対し、お前は何と言った?まさか私からの頼みを途中で放り出し、お前の夜会へ顔を出せと?そう言ったのではあるまいな?」
「そ、そこまでは言っておりません!」
「では何と言った」
「……そ、それは・・・しかし!こいつが夜会に来ないせいで僕は恥をかいたんだ!」
アルベルトは長く息を吐いた。
「もうよい」
「へ、陛下?」
「はあ、これ以上話しても時間の無駄だな・・・リーナ本当にすまなかった・・・婚約解消を認めよう」
「なっ!?」
グレゴールが勢いよく顔を上げた。
「お待ちください! そんな簡単に!」
そこで初めて、リーナが口を開いた。
「私は何度も、あなたにお話ししようといたしました」
「リーナ?」
「ですがあなたは、お忙しいからとくだらない話は手紙に書くようにと仰っていましたね。ですので、今回も正式にお手紙でお知らせいたしました」
「な、何を言っているんだ?」
「昨日、侯爵家へ正式に婚約を破棄する旨を書いた通知をお送りしました。王家へ申し出ることも、その中に記しておりましたよ・・・」
「そんなもの……」
彼の目が泳ぐ。
「僕は知らないぞ」
「届いているはずですよ。必ずね・・・」
「本当に読んでないんだ!」
広間に響いた声を聞いてリーナは、ほんの少しだけ笑い、それ以上ないほど穏やかな声で言い放った。
「ええ、私からの大事な手紙は一切読まない・・・それこそが、私があなたとの婚約を解消した理由ですもの」
もし少しでも
「続きが気になる!」
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それではまた次回!




