第一話 「メリアのおねだり」
我が家は今日も騒がしい。
「パパぁ―!メリアね!メリアね!欲しい物があるのぉー!買って買ってぇー!」
リビングの扉が勢いよく開かれ、元気いっぱいの声と共に小さな影が飛び込んできた。
そのまま俺の足元に抱き付いて来たのは娘のメリアだ。
「おいおい、そんなに大きな声を出したらトールがびっくりしちゃうだろう?」
俺は苦笑しながら、腕の中のトールを軽くあやし、もう片方の手でメリアの頭を撫でた。
キラキラと輝く瞳。抑えきれない好奇心。
六歳児らしい、無邪気なエネルギーの塊だ。
「欲しいもの、か。さてはまた面白い何かを見つけたんだな?」
「でも、おねだりするなら――もっと可愛くお願いしないと、パパも買ってやるか迷うなぁ」
わざと意地悪く言ってみせると、メリアは頬をぷくっと膨らませた。
「えぇー!パパのいじわるー!メリアちゃんと可愛くお願いしたもん!」
そういって、さらにぎゅっと抱きついてくる。
……まったく、可愛い。
「わかったわかった。ちゃんと可愛かったよ。
で?何が欲しいんだ?」
ソファに腰を下ろし、トールを膝に乗せる。
キッチンからは、ミレイユの鼻歌が聞こえてくる。
この穏やかな時間が、何よりも愛おしい。
――だからこそ。
次の言葉に俺は固まった。
「ウエディングドレスがほしーの!」
「……は?」
一瞬、思考が止まる。
今、なんて言った?
「えーっと……もう一回言ってくれるか?」
「ウエディングドレス!」
満面の笑みで言い切られた。
間違いではなかったらしい。
……ウエディングドレス?
六歳児が?
頭の中に浮かぶのは、小さなメリアが純白のドレスに身を包み、誰かの隣に立つ姿。
――いやいやいや。
早い。早すぎる。
「ウエディングドレスなんてどこで知ったんだ?」
必死に平静を装いながら問いかけると、メリアは得意げに胸を張った。
「ママがね、パパと結婚したときに着たドレスが世界で一番綺麗だったって言ってたの!」
……ああ、なるほど。
原因はそこか。
俺はキッチンに視線を向ける。
当のミレイユは、楽しそうに鼻歌を歌いながら合成実験中という名の料理中。
完全に無関係を装っている。
「それでね!」
メリアはさらに顔を近づけ、キラキラした瞳で言った。
「メリアも大きくなったら、パパと結婚するの!
だからドレスが欲しいの!」
――心臓が止まるかと思った。
嬉しい。ものすごく嬉しい。
なんって可愛いんだ俺の娘は…。
だが、それは色々と問題がある。
「……ミレイユぅ…」
思わず助けを求めるような声が漏れる。
「あら、それはダメよ?メリア?」
本気の声が返ってきた。
「パパはママの旦那様なんだから!」
「えー!ママのケチ!パパはメリアが一番可愛いんだもん!」
「娘だからでしょう!?それとこれとは別よ!」
――始まった。
我が家名物、謎の張り合い。
思わず吹き出しそうになった、その時だった。
「……メリア、血縁とは結婚できないんだよ」
静かな声が、場を一瞬で凍らせた。
声の主は、メリアの双子の弟――フレイ。
「従兄弟はギリギリ可能だけど、僕達にはいないし。倫理的にも問題があるし、遺伝的なリスクも高い」
「フレイのばかぁ!!」
メリアの悲鳴が響く。
あまりにも冷静で、あまりにも的確な説明。
六歳児が口にするには、高度すぎる内容だった。
俺とミレイユは顔を見合わせる。
「……フレイ、本当に六歳か?」
「ママが六年前に僕達を産んだ覚えがあるなら、そうなんじゃない?」
淡々とした返答。
その論理の隙のなさに、思わず言葉を失う。
「……パパ、六年前の僕達の誕生日から逆算すれば分かると思うけど」
「待て、それ以上は言うな」
全力で止めた。
ミレイユが小さな悲鳴を上げたが気にしない。
「とにかく!」
俺は咳払いを一つして、メリアに向き直る。
「メリア。お前はこの家で一番可愛い娘だ」
そりゃそうだ。
娘はメリアだけなんだから。
「うん!」
「でもな、パパはもうママと結婚してる」
「むぅ……」
「だから、パパの隣でドレスを着て並んで良いのはママだけなんだ」
そう言ってミレイユの肩を引き寄せる。
彼女は少し照れたように笑った。
「でも――」
俺は、メリアの頭を優しく撫でる。
「メリアが大きくなって、本当に大切な人を見つけた時は、パパが世界で一番綺麗なドレスを用意してやる」
メリアの目がぱっと輝いた。
「ほんと!?約束だよ!」
「ああ、約束だ」
小さな指が絡まる。
無邪気な“ゆびきりげんまん”。
その様子を見ていたフレイは、小さく息をついた。
どこか安心したような、少しだけ大人びた表情で。
――だが
その瞳の奥にあるものに、俺は気づいていなかった。
この時は、まだ。
フレイに“友達”がいないことも。
彼が周囲からどう見られているのかも。
そして――
この穏やかな日常が、少しずつ変わり始めていることも。
何も、知らなかった。




