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城壁の中で

最後まで書いてあるのですぐ終わります。


わければお付き合いください

  烺皇763年4月26日。



 ──もう一度、あの人をこの目で見てみたい。


 私の意識は、目の前の歴史書から脳内へと奪われた。


 軍神とも呼ばれた、この国、いやこの大陸でもっとも強い将軍と謳われる人物。


 白銀の鎧と金色のマントを身に纏い、白馬の上で戟を振るうその姿は、味方を鼓舞し、敵を畏怖させるという。

 

 将軍はこの国では珍しく、兜の代わりに仮面を被っていた。

 将軍が付ける銀の仮面は、目元が獅子のようになっていて、金箔の眉が描かれていた。

 左右には先端が鋭い鏢に似た装飾が2つあり、仮面の頂点には、天に向かって弧を描いた角のような飾りが施されていた。


 私が見た将軍は、目元こそ仮面に隠れて分からなかったが、髪留めで束ねられた淡黄の長い髪は、絹糸のような艶があり、桜色の唇も美しかった。

 鎧に敵の血を浴び、鮮血に染ってもその美しさは失われず、戦火の中にあっても私は将軍に見惚れていた。


 真意は不明だが、将軍は女性であり、この国の王に求婚を迫られているという噂も、この僻地に入ってきている。


 私は、将軍の名も本当の性別さえも知らない。


 ただ唯一知っている情報は、将軍を敬し人々が口にする呼び名だけだ。


 白薔薇王(しろばらおう)。それが将軍の渾名だ。 


「せんせー!」


 ハッとして、私がこの歴史書を読むのを聞いていた子供達を見ると、皆続きはまだかと期待の目を向けている。

 背もたれのない長椅子に腰掛けた子供達は、姿勢をただし、まだ足が床に届かない状態でじっと私が続きを語るのを待っている。


 いつもは授業中、寝ている子や手遊びをしている子もいるのに、これだけ私の話を待ち望んでくれているのは珍しい。

 

 天井付近の窓を覗くと、曇天の空が見え、窓に雨が滴っている。

 外で遊べないから、授業に楽しさを見出そうとしているのだとしても、それはそれで吉兆だ。


 惜しむるは、全員分の写本を書く時間も購入する金銭もこの学校にはない事だ。

 

 今私が手にし、語っている歴史に興味を持っているのなら、全員に読ませてあげたい。


 もっとも、200年前に滅ぼされた国の文字で書かれたこの書を手にしても、子供達はちんぷんかんぷんだろう。


 この亡国の文章を翻訳し、言葉として伝えているのだが、子供たちは、まさか私がその亡国の王族の血を引く者だとは思うまい。


 教卓に書物を置き、改めて続きを読もうと深呼吸した。

 子供達は静かに私の口が言葉を発するのを待ち、この小さな教室には静寂の時が流れていた。


「アストリアを滅ぼした王は、しばらくその地に滞在し、人員を国から動員して攻め落とした街の復興に励みました。その途中、アストリアの国王とその一族は処刑され、首都ネルトには動揺が広がりました。無き王族の敵を取ろうと蜂起した人々もいましたが、予期していた国軍にすぐに鎮圧され、アストリアは無事、カリスタン王国の物となったのです」


 文章は一旦、これで終わっている。

 中途半端な所で中断して、子供達には申し訳ないことをした。


 普段、国の政治や人々の暮らしを教えている時は、皆それほど興味がなさそうなのに、やはり自国の輝かしい歴史となると、目の色が違う。

 特に男の子は戦の話が好きらしく、興奮して鼻息が荒くなっている子もいる。


 今は亡きアストリア王国、先祖が治めていた国らしいが、私はその地に行ったことがないし、国のことを知るには、歴史書の記述からしか方法がない。


 純粋な興味本位として、もっとこの国のことを知りたいという気持ちはある。

 だが、それを知った時、私は目の前にいる子供達と変わらずに接することが出来るのだろうか。


「ねえ先生、なんで優しい王様が相手の王様を処刑したの?」


 教室の1番後ろの席から、男の子がひとり立ち上がって言った。

 教室全員の視線が、彼に集まった後、私に向いた。


「それはねルシュ、禍根を残さないためだよ」


「かこん?」


 ルシュは私の言葉を反復しながら首を捻った。


「王様を生かしておくと、本人にその気はなくても王様を利用して、アリストリアを再興しようと考える人が現れてもおかしくないし、生かした王やその子供達の恨みが何代か先で膨らんでこの国に禍をもたらすかもしれない。他の国を滅ぼした時も、王族は殺されるか力を奪われて追放されるかが基本なんだ」


「ふーん」


 理解ができたのか、ルシュは何度も頷いた。


「先生、アリストリアの王族が生き残る方法は無かったの?」


 今度は真ん中の右の席の、三つ編みの少女ミアが挙手した。


「うーん、戦いになる前に降伏していれば、きっと命は助けられてそれなりの地位も与えられただろうね」


「じゃあどうして降伏しなかったの? 降伏したら良かったのに」 


 その質問に、言葉が詰まった。


 純粋無垢な子供の「どうして?」という疑問、こんなのほとんど毎日いくつも答えているのに、上手く言葉を紡ぐことが出来ない。


「先生もよくわからないな。力の差は歴然だったのに、どうして抗おうとしたのか⋯⋯降れば国民が血を流すこともなかったのに、アリストリアの王は何を考えていたんだろうね」


 話していて胸が痛む。

 

 たとえその王のことを歴史書の中でしか知らなくても、墓の場所すら知らないとしても、先祖を自ら蔑む様なことは心苦しい。


 今の私には理解できないが、きっと先祖達には戦わなければならない理由があったはずだ。

 それをあたかも蛮勇のように話すのは、心が痛む。


 開きっぱなしにしていた書物を閉じ、ぼろぼろに色褪せ、所々破れた臙脂色の表紙に書かれた表題を心の中で読んだ。


 ────アリストリア記。


 カリスタン王国の検閲を潜り抜け、正式に歴史書として認められたアリストリア唯一の史書。

 

 私が今こうして持っているのは、無論原本ではなく、数少ない写本だ。


 もし原本が焚書でもされていたら、私は先祖や祖国に関する知識を、母の口以外から得ることは無かっただろう。


「よし。今日はこれくらいで終わりにするから。皆帰っていいよ」


「やったー!」


 手を叩いて言うと、子供達は喜色満面の顔で長椅子から飛び降りた。

 十数人がほぼ同時に板張りの床に着地したせいか、床が軋む音が響く。


「先生じゃあね」


「また明日ー」


 子供達はそれぞれ、持ってきている麻布の小物入れを握りしめながら教室の1番後ろにある出口から勢いよく飛び出していったが、その足音は、いつも聞こえなくなるより早く鳴り止んだ。


「まさかあの子達、雨降ってるの気づいて無かったのか」


 確かに、窓に滴る水の量は少ないし、この建物は幾度も雨漏りを繰り返した結果、茅葺きの屋根の下にある天井の板は、不格好に分厚くなっている。


 だが、外の雨に気が付かないということは、それだけ私の授業を楽しんでくれていたということだ。


 次歴史の授業をする時は、この史書に書かれているアリストリアが滅びた後のことを語ろう。


 そう表紙を撫でながら決めると、慌ただしくルシュが教室に戻ってきた。


「わすれてた。ねえ先生」


「ん? 雨宿りしに来たんじゃないのかい?」


 てっきりそう思っていたが、ルシュはなんだか少しニヤニヤと笑いながら、私の元までやってきた。

 耳打ちしようとする彼のため、膝を屈めて耳を差し出す。


「お母さんが、遠い親戚に今花嫁修業中の子が居るから先生に言うんだよって」


「あはは⋯⋯はは⋯⋯」


 いつもの元気な声を潜めながら伝えると、またすぐ走り出していった。 

 今度は止まらず、足音は遠音となって私の耳を通り抜けた。


 ひとりになった教室で、風が板張りの壁を叩く音を聴きながら、子供達が今しがた座っていた椅子に腰を下ろした。

 

 別に私は濡れてもいいのだが、今手にしている書物が濡れるのは困る。


 子供が15人もいればいっぱいになる教室が、やけに広く感じる。

 窓ガラスを突く雨粒を眺めていると、後ろから誰かが入ってきた。


 誰かとは言っても、その正体は大方見当がついている。

 深緑色をした膝下まである筒袖の服と、くるぶし丈の白い下穿きという、いつも同じ格好をしているこの小さな貧しい学校の学長、ロベールだ。


「やあセシル君、雨宿り中かな」


「ええ、先生もですか」


 私の問に答えるより前に、学長は顎を撫でながら私の隣に座った。

 特徴的な深い眼窩の目尻や頬は年齢を感じさせ、短髪の茶髪の中にも白髪が確認できる。


「先生はやめて昔みたいにロベール君とでも呼んでみないか」


「それ何年前の話ですか。もうそんな失礼な呼び方出来ませんよ」


「君がこの学校を出て王都へ留学した頃だから、10年以上前の話かな」


 学長はからかうように笑った。


 私はかつて、この学校で学長に学問を教わった。

 早くに父を失った我が家だが、先祖が蓄えてきた財と母の働きにより、こんなみすぼらしい学校とはいえ、通うことが出来き、学長に王都の学校へ推薦もしてもらえた。


 その頃は、確かに学長のことをロベール君と呼んでいた。

 10数年前、この学校に入ると、生徒は私を含めて歳が近い3人の子供しか居なく、学長との距離が今の私と子供達との距離よりも近かった。


 その頃から、教材は学長の持つ書物だけで、書き取りに使う紙や墨を手に入れるのも苦労していた。


「まさか私の元から君のような優秀な人材が生まれるとも思っていなかった」


「いや、それに関しては学長と母達のおかげです」


 母達の中には、財産を残してくれた父や先祖達が含まれている。


「君はよく頑張った。学校が終われば私の持つ書物を木簡に書き写したりしてな。それも墨で書くのではなく、木を削って」


「たしかに、貴重なものなのに学長には無理を頼んでましたよ」


 書物は高価なものであり、破いたりでもしたら永遠に失われてしまうものもある。

 それを快く私に貸してくれた学長には、今でも頭が上がらない。


 目を合わせると、学長は寂しげに微笑んだ。


「だから、君がここに戻ってきたのには心底驚いた。王都に向かう前、私に宣言したように君は歴史の編纂者になって向こうに勤めると思っていたから」


 学長の言う通り、私は将来的に、司書の編纂に携わりたいと願い、わざわざ母を置いて留学までした。


 だが事情と意志の変化によってこの地に戻ってきたが、特に後悔はない。


 3年前、都で行われる新たな歴史書の編纂に呼ばれたし、その帰り道で思わぬ邂逅もあった。


「歴史家は住む場所を問わずなれますし、この場所には()()もありますしね。それになにより、私も学長みたいに子供達に色々と学ばせてあげたいんです。この万年貧窮校舎で」


「最後のは余計だよ。セシル君」


 そう言った先生の目と口元は笑っていて、私も釣られて破顔した。


 知らぬ間に窓からは薄い光が差し込み、雨粒は無くなっていた。


「では学長、今日はこれで」


「ああ、また明日も頼むよ」


 立ち上がって軽く一礼し、教室を出る。

 雨はもう上がっているが、念の為書物を麻布の服の中に隠して歩き出す。 

 小さな水たまりに、自分の顔が反射する。


 母譲りの藍色の髪と瞳が、いつもより艶やかに映った。

 最近は生活に乱れがないためか、肌艶もいい。


 いつまでも水面を見ていると、道行き人の関心が集まりかねない。

 顔を上げると、立ち並ぶ茅葺き屋根の建物の奥に、この街を囲う高く重厚な壁がそびえ立っていた。


 街全体を四角に囲んだ壁は、土を高く盛って周りをレンガのように削った石で包み込んでいる。


 北と南にはふたつの青銅の門があり、城壁の4つの角には瓦屋根の角楼が設置されている。


 これらはもちろん戦うための設備だが、私が知る限りこの城邑が攻められたことはない。


 ミレード城。それがこの城の名前だ。


 しかし、私が享受している平和も、この城を出て四方八方に進めば、あくまでこの大陸の特異点的な存在で、非常に恵まれたものだとすぐに理解出来る。


「ただいま帰りました」


 雨でぬかるんだ道を進んでいると、土壁で囲われた我が家が見えてきた。

 周辺の中では、少し広めの土地を有する私の家には、常にふたりの従者がいる。


「おかえりなさいませ」


「ただいま」


 そのひとり、赤い髪をした女中のユイが玄関に出迎えてくれた。

 ユイの手から手拭いを受け取り、汗が滴る顔を拭い、土の玄関で靴を脱ぎ、黒い板張りの家へ上がる。

 

 上下一体となった彼女の小豆色の服は少し色褪せてきている。 

 几帳面な彼女のことだ、次の賃銭を出したら綺麗な服に変わっているだろう。


 彼女について行くように、廊下を歩いた。

 帰ってまず行くべきところは決まっている。

 

「母さんの具合はどう?」


「今日は随分と良いみたいで、朝は粥を全て食べられました」


「そうか⋯⋯それはよかったよ」


 ただ朝食を食べるだけで具合が良いとは、母も随分と衰弱したものだ。


 玄関から左に廊下を進み、手入れされていない土の庭を過ぎて、角を右に曲がると、左右が檜の壁で覆われる。

 曲がってすぐの左の壁に開けっ放しになっている部屋があり、珠のれんがぶら下げられている。


 部屋の入口を過ぎたところで、ユイは振り向いて止まった。


 どうやら、部屋には親子ふたりだけにしてくれるらしい。

 彼女が一礼するのを確認し、珠のれんをくぐった。


 部屋の壁は白く塗られ、壁には魔除の仮面や毛皮などが吊るされている。


 私的には、むしろこの不気味な品々がこの部屋の雰囲気を悪くしてるのではと思わなくないが、母が敬愛する占い師の指示だから、口出しができない。


 母は入口に足を向け、仰向けでぼんやりと天井を見つめている。


「加減はいかがですか」


 ユイが先程まで使っていたであろうベッドの隣の丸椅子に座る。

 

 母が着る白い絹の服が、余計具合が悪そうな様子を醸し出す。


 私が座る丸椅子の傍には、小さな木の台があり、その上に水を入れる陶の器と、薬を調合するすり鉢と飲ませるための匙が置いてある。


 すり鉢と器の中は綺麗に無くなっていた。


 首を捻ってこちらに向けられた母の眼光がいつもより彩やかだ。


「聞きましたよ。今日は調子が良いみたいで」


「これが良さそうに見えますか⋯⋯」


「ええ、少なくとも昨日よりは」


 言葉に力がない母に向かって笑いかけると、拗ねてそっぽを向いてしまった。


 ふくよかだった頬は痩せこけ、もともと細身だった身体も骨が浮き出るほどに痩けている。 


 1年前、母が倒れたとの報が届いたのは、倒れてから10日以上経った後だ。


 歴史書の編纂に従事していた私は、すぐさま馬を走らせて都から帰ってきた。


 その時は、少し疲れが溜まっただけだと言うので、またすぐ都に戻ろうとしたその矢先、母は再度倒れた。


 床に蹲り、血が混ざった咳をするのを見て、私はすぐさま王都に手紙を出し、史書の編纂から手を引いた。


 母はもう長くない。


 それが医者と私、そして母自身の見解だった。


 唯一の肉親の死に際を見届けるため、この街に留まり教師を始めたのだが、運がいいのか悪いのか、母の容態は暫くは悪化も好転もせず落ち着いていた。


 だが2ヶ月ほど前、ついにひとりで起き上がることも出来なくなり、今はこうして寝たきりになっている。



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