表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/44

第五話 弟の痕跡

焦っていて先に投稿していた第五話を消してしまったので、投稿し直しです。先ほど投稿した内容とまったく変わりません。(何のことかわからない方は前書きを読み飛ばしてください)

 案の定、翌朝出された朝食をリーゼは数匙口をつけただけで吐いた。


 朝から濃厚なクリームで煮出されたバター入りの麦粥など胃が受けつけるわけがない。

 給仕を担当する侍女にはそう文句をつけたが、貴族階級ではこれが標準的な病人食であり、リーゼが国王の離宮に母や弟とともに住んでいたころは病気にかかった際に同じものを食べていただけに、リーゼが平民として暮らしていたことを知っているコルベラですらリーゼの要求をあまり理解できていないようだった。


 そんな侍女らの曖昧な伝達がどう厨房に解釈されたのか、昼食、夕食と手を変え品を変え『貴族階級の病人食』が出されたが、リーゼはそのいずれも匙をつけられなかった。

 香辛料や香草を使った刺激の強い風味の野菜煮込みも、動物性油分が溶け出した光沢のあるスープも、いたずらに舌や胃を痛めつけるだけと分かっていた。

 コルベラを始めとした侍女も彼女らから報告を受けたガイウスも、貴族階級の娘というには痩せぎすなリーゼに肉や魚を食べさせたがったが、粥すら数口で吐いてしまうリーゼに何を食べさせたらいいのかと頭を抱えていた。


 リーゼはいっそ厨房に立たせてくれたら自分で食べられるものを作るのにと思いながら、困り果てている侍女たちを部屋から追い出して具合の良くない腹部をさすっていた。


 その次の日には部屋の準備が整ったと侍女づてにガイウスが報告を寄越した。

 リーゼは部屋さえ移れればよかったのだが、案内された先はなぜか階段を下った先の玄関ホールだった。

 アッシュヴァルツ一等爵邸の敷地内には離れが複数存在するらしく、リーゼの部屋は今まで滞在していた東の離れから、広い中庭を挟んで反対側にある西の離れに移されるという。

 大袈裟なと呆れたリーゼに対して侍女たちは「ナッハトラウム卿のお心遣いですわね」とやけに浮かれていた。


「腹痛に苦しんでいる人間を敷地の端から端まで歩かせることが心遣いですって?」


 今日の朝食もまともに食べられずに腹部の鈍痛に苛まれていたリーゼは、いい加減嫌味のひとつでもぶつけてやりたかった。

 皮肉を込めたリーゼの言葉に困ったように眉を下げ、侍女はリーゼを労わりながら、視線の先を生け垣の奥に見えてきた西の離れへと向けた。


「あの西の離れは、ユスブレヒト王子殿下がお住まいだった建物なのですわ。ユスブレヒト殿下が王城に迎えられたあと、建物の一部が老朽化によって崩壊してからはずっと閉じられていたそうですけれど、姫様をお迎えするために昨日ナッハトラウム卿が自ら領主代行の祈術で建物を修復されて、中の清掃と家具の入れ替えをご手配なさったのです」

「……ユスが、ここに?」

「左様でございますわ。ユ―リア様を亡くされ、お父君である国王陛下とも離れ離れでいらした姫様に、少しでもユスブレヒト殿下との繋がりを取り戻して差し上げたいとナッハトラウム卿はお考えなのでしょう」


 あのガイウスがリーゼにそんな気遣いを向けるとはにわかには信じられないが、案内された西の離れは確かに、数年放置されていた建物とは思えないほど綺麗に整えられていた。


 埃っぽさも古くささもなく、壁紙と絨毯は落ち着いた色合いだが褪せてはいない新品に張り替えられ、天上からは結晶石をたくさん使ったきらびやかな照明祈術具が吊り下がる。

 年季の入った家具調度も美しい木目の艶が光を弾くほどよく磨かれていた。


 浮き彫り細工の施された重厚な文机。両開きの扉のついた背の高い衣装棚。アーチ型にくり抜いた壁に天蓋ごと埋め込んだような寝台。金糸の房飾りのついた刺繍入りのカーテン……

 初めにリーゼに与えられた部屋のような女性らしい雰囲気はほとんどなかったが、ここでユスブレヒトが寝起きしていたのだという感慨がリーゼの中にこみ上げた。


 淑女の部屋に絵画も花もないなんてと不服そうにしながら、小間物や装飾品を手にした侍女たちが部屋中を行ったり来たりしている。

 リーゼはその中にコルベラの姿を見つけて近くに呼び寄せた。

 あれだけすげなくされながらまだ膝をついて丁寧に礼を取るコルベラに、やはり理解できない種類の人間だと認識を深めつつ、問いを投げる。


「ここにユスが住んでいたことがあるというのは、本当なの」

「本当の話でございますよ。何年も経っておりますから当時とまったく同じにというわけにはいかなかったようですが、このお部屋は特にユスブレヒト殿下がお使いになっていたころをほとんど再現されているのです」

「まるでユスが使っていたころを見たことがあるような口振りね」

「ユスブレヒト殿下が内宮にお部屋を賜るまで、こちらでお傍付きを務めさせていただいておりました」


 リーゼは驚いてコルベラを見た。

 伝えるのが遅くなったことをコルベラが申し訳なさそうに謝罪してくるが、にこりともしない主人を楽しませようと話題を振る侍女たちを遠ざけていたのはリーゼのほうだ。


 ばつの悪い気持ちで「……そうだったの」と相槌を打つリーゼを柔らかい目で見つめて、コルベラは気にした様子もなく微笑みを浮かべた。


「よろしければ、ユスブレヒト殿下にお仕えしていたころのお話をいたしましょうか」

「……ええ、そうね。聞かせてちょうだい。どうせすることもないのだし」


 今日呼ばれることになっていた家庭教師と神官の予定は、リーゼがまともに食事を取れるようになるまでは延期にされることが決まった。

 春から一年が始まる聖大陸の暦では、今は年が明けたばかりの初春で、リーゼが十五歳の誕生日を迎えて成人の儀に臨まなければならないのは秋の半ばなので、平民を王族に仕立て上げる準備期間と考えればそれほど猶予があるわけでもないはずだが、ガイウスが今朝のリーゼの状態の報告を受けて予定変更を命じたという。

 リーゼは当面やることもなく暇を持て余す身の上になっていた。


「ユスは……泣いていたのではない?」

「こちらにいらした当初は、毎日母君や姉君を恋しがっておられました。教育係を務めていたナッハトラウム卿が泣き言を許さない厳しいかたでしたので、泣いていらっしゃるところを拝見するのはもっぱら寝台の中ばかりでしたが……」


 それだけでガイウスへの心証をどんどん悪化させていくリーゼをくすりと笑って、コルベラは遠くを見るように目を細めた。


「姉様に会いたい、母様はどこ、と毎晩泣いていらっしゃいました。おふたかたは亡くなられたと聞かされておりましたから、お傍に仕えるわたくしどもにもお慰めするすべはなく、歯痒い思いをしたことを覚えております。それでもユスブレヒト殿下は幼少のみぎりより優秀でいらっしゃいましたので、王族のお勉強も祈力の扱いも宮廷剣術もどんどん吸収されて、すぐにご立派な王子殿下としての振る舞いを身につけられました」

「ユスは立派になったわ。泣き虫で怖がりだったあの子が、騎乗剣術で近衛騎士と渡り合っているのを見たときは、本当に成長したのねと思ったもの」

「……ユスブレヒト殿下は、もう王族の一員と名乗ることのできなくなってしまった姉君の弟として恥じない王子でありたいと、いつしかそうおっしゃるようになりました。涙をお見せになることもなくなり、ナッハトラウム卿の下でたゆまぬ努力を重ねられ、七歳のお披露目を過ぎて宮廷入りした誹りなどすぐに鎮めてしまうほどの類まれなる能力を備えられたのです。ご自分が実績を残すことが、ご自分よりずっと優秀でいらしたはずの姉上の素晴らしさを証明する、唯一の手段だとおっしゃって」

「…………ユスが、そんなことを」


 一瞬先に生まれただけの姉を買い被りすぎだ。記憶が美化しているに違いない弟の中の姉上像に思わず苦笑するリーゼを微笑ましそうに見つめ、コルベラは午前中いっぱいユスブレヒトの昔話を語って聞かせた。

 王城に務める誰も知らないような実弟ユスブレヒトの逸話を、リーゼはこの邸に来て初めて温かな気持ちで聞いていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ