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第三十七話 戦いの加護

 ブロア王家の紋章の施されたロケットが身の証となって、不審人物として誰何したことを詫びられ、リーゼは翌昼に成人の儀を控える王女本人として丁重に大神殿に迎えられた。


「王都の状況はアッシュヴァルツ一等爵閣下からも連絡を受けております。まずは王女殿下のご無事のご到着、何よりでございます。これよりは我ら聖騎士が殿下のお側で護衛を務めますので、御身の安全についてはどうかご安心ください」

「最高祭司長のお心遣いに感謝します。明日まで世話になります」


 ブロア王国の大神殿を実質取り仕切っている最高祭司長は、リーゼの前に聖騎士ばかりで構成された銀甲冑の隊を並べ、自らも銀甲冑に身を包んで深々とこうべを垂れた。

 最高祭司長が自ら聖騎士として出てくるなんて、大神殿はよほどユスブレヒトの件で国王から冷遇されている状況に耐えかねているのだろうか。


「リティーツィア王女殿下、よくぞご無事で」


 先行して大神殿で成人の儀の準備を進めていたメーアが、たったひとりで到着したリーゼを腕を開いて抱き寄せた。

 王城では王女に対する振る舞いを崩さなかった老師にこうされるのは、辺境の神殿を出る直前の夜ぶりだ。

 リーゼは何か言えば涙腺が緩んでしまいそうで、わななく唇を引き結んでメーアの腕に身を預けていた。


 暖め整えられた部屋に通され、祝福の効果の薄れてきたマントの代わりに大神殿が用意してくれた女性用の神官服に着替えても、リーゼはまんじりともせずそわそわと寝台と窓辺を行ったり来たりしていた。

 大神殿の周辺には既に厳戒態勢が敷かれていて、強力な結界が張り巡らされているため、外からも中からも視界はほとんど遮られている。

 それでもリーゼは窓辺で固く両の手を組み合わせて、林間の宵闇に目を凝らし、遠いのか近いのかも分からないぼやけた風景に映る赤っぽい光を一心に睨み続けた。


 とっくに夜も更けているのに横になる気配もないリーゼを見かねて、メーアがただ佇んでいるよりはと、祈りの間に連れ出してくれた。

 聖騎士が至るところに控える回廊を進んで案内された両開きの扉の先は、一定以上の位階の神官以外と、大神殿の神殿長である国王が入室を許可した王族のみが立ち入りを許される、特別な神事のための聖なる祭壇なのだという。

 明日の成人の儀もここで行われる予定だと説明されて、本当に明日の成人の儀を無事に始められるのだろうかと、一抹の不安がリーゼの胸に過った。


 聖壇の間は、護国祈術陣の間とよく似ていた。

 階段状に円形になった祭壇も、最も上の壇に等間隔に立つ済世の七柱をかたどった石像も、石像の手に掲げられたそれぞれの神器も、こちらのほうが壮麗で細緻な装飾が施されているというくらいで、毎日通わされたあの広間とほとんど同じだった。

 中央に金色に輝く杯はなかったが、代わりによく磨かれた石の台座に銀色の宝冠のような什物が飾られ、日中ならばおそらく太陽の光が降り注ぐのだろう、真上には天窓が、正面の壁には創世神話の一幕を描き上げたステンドグラスが備えつけられていた。


「扉はすべて聖騎士が守っておりますゆえ、王女殿下の祈りを妨げる者はおりません。もちろん聖壇の間には、こちらに向かわれている王女殿下のご側近以外の誰も立ち入らせません。王族の方々の祈りの間、我々は立ち入ることを禁じられておりますので、お部屋にお戻りになる際にはこちらの扉からお声がけください」

「ええ、ありがとう」


 席を外すメーアの姿が見えなくなると、リーゼは自然と祭壇の中央に進み出て跪いた。

 毎日護国祈術陣の間で祈りを捧げてきたからだろうか、そうしなければならないような、そうするのが当然のような、そんな曖昧な使命感に促されて指を組み合わせた。


 リーゼが聖騎士隊と落ち合って神殿まで護送されてしばらく経つのに、ガイウスたちはまだ追いついてこない。

 馬術に長けた彼らならすぐの距離のはずなのに。

 どこにいるのだろうか。何をしているのだろうか。


 ――必ずあとから追いかけると言ったくせに。

 リーゼが呼べばいつでもリーゼの許に駆けつけると言ったくせに。

 こんなにリーゼが呼びつけているのに、なぜあの男は、いまだリーゼの傍にいないのか。


 リーゼは自分を狙う敵の姿を目視したことはない。

 これまではすべてリーゼの目に触れることなく処理されていた。ガイウスや周囲がリーゼが見ずに済むようにしてくれていたのだと分かっていた。

 皆の快いものだけ見ていてほしいという希望を押しのけて、あえて自分の目で見る必要はないと思っていた。それを間違っていたとは思わないけれど。


 今日、リーゼは自分の身に起こっていたことを、初めて自分で目の当たりにした。

 抉られた地面。倒れた木々。破壊された御者台。

 馬車内は結界によって守られていたというが、あの光景は、リーゼ自身がああなっていた可能性をリーゼの前に明白に突きつけていた。


 恐ろしかった。

 けれど、リーゼの周囲はこれまでリーゼの代わりにこういう脅威に立ち塞がり続けてきて、今日もリーゼを先に逃がして足止めを務める役目を何の躊躇もなく買って出た。

 騎士たちは誰も疑問に思うこともなく、リーゼの盾となることを命じたガイウスの声に従っていた。

 リーゼは無事に逃げ延びてほしいと態度で示す彼らの望みのままに、じっと息を殺して敵に見つからないように願いながら、黒馬にしがみついている他なかった。


 今ごろ彼らは敵と戦っているのだろうか。

 天上の神々の祝福の一端を代行する王族でありながら、リーゼは自分の盾となる彼らに『武運』も『勝利』も祈ってあげられなかった。

 リーゼが最も得意な赤の属性、その根源を為す神性を持つのは、戦いと勝利を司る武勇の軍神イヴリスだというのに。


 届くだろうか。

 軍神の守護する紅焔の聖樹の御許であれば、音も景色も閉ざす結界の中でも、彼らに祝福を贈ることができるだろうか。

 ここには儀式祈術を補助してくれるガイウスの祈術陣もないけれど、『聖樹の意思を語るものの声』とやらに毎日「加護が足りない」だの「かそけき祈り」だのと言われ続けてきたリーゼの祈りは、聖樹の頂に君臨する軍神に聞き届けられるだろうか。


「軍神イヴリスよ。武勇と雄邁の神よ。どうか――」


 ――どうか、彼らに勝いの加護を。


 そう、強く願ったときだった。


 リーゼの祈りに呼応するように、胸元のロケットがきらりと光を弾いた。


「え――――」


 驚いてリーゼがロケットを取り出すと、ユスブレヒトの祈力を湛えた石が輝いていた。


 同時に周囲が眩さに包まれる。

 いつの間にか周囲の神像が持つ神器が光を放っている。視界が強い光で塗り潰されそうだった。


 ――――王たる器。よくぞ帰還した。頂への道をここに開こう。王の祈りを捧げよ。


 護国祈術陣の間で毎日聞いた声。

 男とも女とも、若者にも老人にも、高くも低くも聞こえる、不思議な声。


 光の中にいつしか現れた豪奢な門柱を持つ両手扉が、厳かな音を立ててゆっくりと開く。

 蔓草に縁取られた上り階段がその先に拓けていくのが見えた。


 リーゼは辺りに響く声に導かれるまま、蔦の浮き彫り細工が施された扉をくぐって、蔓草の階段道を一段ずつ踏みしめて進んでいった。

 蔓草の道は短くはなかったが、階段を上り続けても不思議と息は上がらなかった。


 蔦の絡み合ったアーチのような出口を抜けると、一気に視界が開けて、虹色の光沢を帯びる幻想的な石造りの空間が広がった。

 円形の床は規則正しい幾何学模様のタイルが美しく並ぶ上に、蔓性植物が緑の葉を茂らせ、蔦の絡まった柱がぐるりと周りを取り囲み、円錐型の屋根からは紅焔のオルゼの花籠がいくつも下がっている。

 随分と高い場所にあるのか、柱の向こうには星々が瞬く夜空が見えた。


 空間の中央には、一柱の石像が立っていた。

 虹色に光る石材で作られた彫像は、炎をまとう双剣を雄々しく掲げた大鎧の巨漢をかたどっていて、双剣には輝く真紅の祈力石が埋め込まれている。

 聖典上、火や剣とともに描写される神々は何柱かいるが、炎の双剣を神器とするのは、ブロアの守護神たる軍神イヴリスだけだ。


 ――――よくぞ帰還した。



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