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第二十六話 命運を背負う立場

 コルベラに呼ばれて衣装部屋で大仰な正礼装のローブを脱ぎ、人前に出るための日中用外出着に着替えたところで、アッシュヴァルツ一等爵が家門の主要な当主たちが集まったと報告を寄越した。

 初日に紹介する顔はそれほど多くないので、一階にある夜会でも開けそうな大広間ではなく、二階の茶会室に通されているという。

 先ほど案内を受けた限りは茶会室も軽く三十人ほどは入る広さの部屋だった。


 髪型を結い直す時間までたっぷりと待たせてリーゼが茶会室に現れると、ずらりと並んでいた貴族の男女たちが一斉にざわついた。

 ライドルフの目がないので、リーゼの髪は侍女によって成人のように結い上げられている。『庇護すべきあどけない姫』ではなく『自陣営の旗印となる王女』を印象づける狙いがあるのだという。

 喧騒の中で「ユーリア様によく似ている」「御髪を上げるとさらに……」と言い合う声が聞こえた。


 アッシュヴァルツ一等爵がリーゼを長椅子へと促す。腰を下ろしたリーゼの一同を見回す視線に、貴族たちはざっと衣擦れの音を立てて礼を取った。


「アッシュヴァルツの家門の者たちをご紹介いたします。殿下をこれよりお支えする中枢を担う者たちです」

「お初にお目にかかります。リティーツィア王女殿下におかれましてはご機嫌麗しく――」

「こちらの妻は以前ユーリア様の離宮でお仕えしておりまして、その誼で我が家の娘を王女殿下の侍女に取り立てていただき――」

「先の謁見の間での王女殿下のご立派なお姿、ユスブレヒト殿下が我々に示された光を久しぶりに拝見したような気がいたしました。聖樹のお導きの下で亡きユーリア様もきっと御心を慰められていることでしょう」


 アッシュヴァルツ邸での教育の中で、貴族名鑑は叩き込まれていた。

 一等爵が紹介する男女の顔と先に覚えた名前を頭の中で結びつけつつ、挨拶を受けて頷いているだけであとは相手が機嫌を取ってくれるので、リーゼは賛辞にも諂いにも煽動にも変わらぬ笑みを浮かべて二、三言を返し、どの貴族もつかず離れず如才なくあしらっていった。

 別にアッシュヴァルツの派閥を喜ばせたくてジルヴィーナをやり込めたわけではないので、さすがだの我らが光だのと持て囃されてもまったくいい気はしない。


 ひと通り挨拶を受けて貴族たちが退室していくと、次は側近との顔合わせに移る。

 すべての側近の上に立つ主席側近にはガイウスが、侍女にはコルベラを初めとするアッシュヴァルツ邸からの面々が全員続投するが、その他にも代筆を務める文官や書記官、王女付きの護衛騎士、宮の使用人の一切を取りまとめる家令、典医と薬師、王女の帝王学の教師を務める学者、大神殿から派遣された帯同神官、楽師……と王女にはそれはたくさんの傍付きが傅くことになる。

 就任初日は彼らから挨拶を受けて激励を述べ、王女と同じ階に自室を持つことになる各筆頭側近たちを自ら案内して部屋を与えてみせることが、彼らを側近として遇するという宣言を意味する儀式となるのだ。


 続々と入室してくる側近たちの最後尾に、特徴的な白と黒の裾の長いローブを羽織った神官が続く。

 地方の神殿に身を潜めていたころには見慣れた祭服だったが、同時に祈力を持て余すリーゼを扱い倦ねていた神官たちまで思い出されて、なんとなく苦い気持ちになりながら眺めていたリーゼは、神官の後ろからガイウス直々の案内を受けて入室したローブ姿の老人を見て、零れんばかりに目を見開いた。


「――祭司、様」

「リティーツィア姫……いいえ、もう王女殿下とお呼びすべきでしょうな。お久しゅうございます」


 会うのは何年ぶりになるだろうか。老神官は皺だらけの顔にリーゼの記憶と変わらぬ微笑みを広げた。

 リーゼは自ら歩み寄ってその両手を取った。


「メーア祭司様……お久しぶり、です。ご健勝で……」


 それきり言葉にならないリーゼに、老神官――メーアは眦を細めてひとつ頷いた。


「第十四区神殿での務めを終えて大神殿での役職を任じられ、畏れ多くも教導長老祭司長などという大役を仰せつかりました。此度の叙位、すべてリティーツィア王女殿下の帯同神官としてお声がけいただいたゆえと存じます。再びお目にかかってお仕えする栄誉を賜ったこと、心よりお礼を申し上げます」


 リーゼはふるふると首を横に振った。


 この老神官にリーゼが感謝されるべきことなど、本来何ひとつとして存在しない。

 元々大神殿の役持ち祭司だった彼が、辺境の神殿長などに任命されて左遷されたのは、リーゼとユーリアにまつわる面倒事をその一身に押しつけられたせいなのだから。


 リーゼたちのせいで大神殿での職位を追われ、その後に地方神殿内での役職さえ汚職神官に奪われて長らく不遇の時を余儀なくされたメーアは、しかしリーゼとユーリアにずっと心を尽くして親切にしてくれた。

 彼がいなければ、リーゼはユーリアの亡骸を弔うことすらできず、とっくにあの辺境の神殿の一室で飢えて死んでいたことだろう。

 ユーリア亡きあと、彼女の身に降りかかった悲劇の真実を語り、リーゼが神殿を脱するまでの期間で聖典の教義と外の世界の知識を教え込んでくれたのも、この老神官だった。

 リーゼはメーアに並々ならぬ恩義があるのだ。


「いいえ……いいえ、祭司様――メーア老師様。わたくしのほうこそ……」


 リーゼは震えそうになる喉にぐっと力をこめて、まっすぐにメーアを見つめ返した。


「また、老師様のご教授に与ることができて、心より嬉しく思います。どうかわたくしをお導きくださいますよう」

「老いさらばえたこの身でお力になれることがございましたら、これに勝る喜びはございません。身命を賭してお仕えいたします、リティーツィア王女殿下」


 生涯の恩人との挨拶を済ませたリーゼに、ガイウスが側近たちを引き合わせていく。

 メーアのことも改めて大神殿より招かれた王女付き正帯同神官として紹介された。

 聖典の理解と神々への信仰を深めることで聖樹の王への道を辿る王位継承権者にとって、聖典の解釈を補佐し導くためにつけられる正副の帯同神官という役職は、特に並々ならぬ意味を持つ。

 メーアに王女の最も重視する側近としての地位を与えられたことは、リーゼにとって望外の喜びだった。


「これより我らが誠心誠意リティーツィア王女殿下にお仕えいたします」


 ガイウスが側近全員を代表して一礼するのに頷いて、リーゼは跪く側近に顔を上げるよう促す。

 晴れ晴れとした歓喜の顔、緊張に引き締められた顔、決意を帯びた静かな顔――表情は様々だが、彼らから向けられる視線はどれも強い光を宿していた。

 彼らの一部はユスブレヒトが側近として召し上げていた者たちだという。


「忠誠に信頼を。皆の働きに期待しています」


 その輝きから目を逸らすことは許されないと知っている。

 全員と目を合わせるようにゆっくりと見渡して、リーゼは指先から天上へと祈力を捧げた。

 祝福の赤い光が降り注ぐ中、側近たちの顔色が明るんでいく。リーゼを見つめる視線が少し和らぐのを感じた。


 顔と名前と役職を覚えながら各筆頭側近に部屋を与えて、メーアともまた改めてゆっくりと話をする時間をと言い交わして別れ、ようやく人心地がついた。

 用意された茶菓に手を伸ばす気になれず、ぼんやりしていたリーゼは、ユスブレヒトの部屋を訪れる手筈が整っているとガイウスから報告を受けてすぐさまその提案に乗ることにした。


 部屋の主が一年不在だというから、どれほど埃が溜まっているかと思っていたが、ユスブレヒトの部屋は存外に綺麗に整えられていた。

 生活感や人の気配はまるでないが、今日帰ってくると言われても不思議ではないほどである。

 自分の部屋の内装に使われているのと同じ意匠をそこかしこに見つけて、やっぱりこっちのほうが似ているんじゃない、とリーゼは呆れる気持ちを強くした。


 しんと静まり返った部屋の奥の文机まで足を進める。ところどころインクの染みついた天板を指先でなぞる。

 壁には背の高い書棚に本がずらりと並んでいて、リーゼも読んだことのある初学者用の概説書から難しそうな分厚い学術書まで、ユスブレヒトの努力が窺われる題名が取り揃えられていた。

 ここはユスブレヒトの執務室として使われていた部屋だという。ここでユスブレヒトはいろいろなことを思い悩んだのだろうか。


「……メーア老師様のこと。ありがとう。貴方の采配でしょう?」


 見上げると、ガイウスは何でもないことのように首を振った。


「本来ならもっと早くにアッシュヴァルツが尽くしているべき礼儀だった。我々が歪めたかの御仁のあるべき星の軌跡を、軌道修正したに過ぎない」

「それでも。……私たち親子が、老師様の人生を台無しにしてしまったと、思っていたから。老師様に恩返しする機会を作ってくれて本当にありがとう。老師様に私の帯同神官であることを栄誉だと思っていただけるよう、力を尽くすわ」


 リーゼは心からの感謝と喜びとともに、そう告げた。

 淡く笑みを湛えるリーゼを、ガイウスがじっと見下ろしている。リーゼ、と呼ぶ声が気遣わしげに響く。


「――メーア老師様だけじゃないわね。私は、今日私の前に跪いた皆の命運を、背負う立場にあるのね」


 リーゼの眼前で王女への忠誠を誓ってみせた側近たちの顔を、思い出していた。

 ガイウスが息を呑んだ気配を感じながらも、リーゼは視線を落とし、机のインク染みを指で触れた。


「ユスブレヒトに仕えていた者も多いのでしょう? 皆、ユスブレヒトにかけた道半ばの夢を、私が継いで成就することを期待していたわ。私が立太子されれば、いずれは女王の側近として宮廷の地位を得られるのだから、当然といえば当然よね」


 彼らのリーゼを仰ぐ眼差しには縋る光があった。痛いほどのそれを代わる代わる注がれ続けて、リーゼはユスブレヒトの不在の深刻さを改めて思い知った。

 王位継承権を持つ王の子を支える側近たちは、主と進退をともにする代わりに深い忠誠をもって仕えるものだ。

 ユスブレヒトは彼らに夢を見せたのだろう。彼らが夢を見て忠誠を捧げるに足るものを示したのだ。


 そして、それを、今は代わりにリーゼが求められている。


「彼らはリティーツィア王女に仕えると自ら志願して誓いを立てた者たちだ。おまえとユスブレヒト殿下が別の――まったく違う境遇で生きてきたことも理解している。ただ、今日のおまえの謁見での一件を聞きつけて、側妃と第一王子の派閥の台頭を抑え込む旗頭だったユスブレヒト殿下と重ねずにはいられなかったんだろう。おまえの容姿は年嵩の貴族にとってはユーリア様を思い出させるものだが、ユーリア様を知らない若い世代にとっては、ユスブレヒト殿下を彷彿とさせるものでもある」


 ガイウスは宥めるようにリーゼに声をかけた。分かっていると応えるつもりで、リーゼは唇に微笑を載せて頷いてみせる。

 アッシュヴァルツ一等爵やガイウスがどうリーゼのことを言い含めたのか、アッシュヴァルツ家門の貴族たちもリーゼの側近に取り立てられた者たちも、誰も立太子やその後の次期女王への展望についてはリーゼに直接口に出すことはなかった。

 ただ誰もが口を揃えて「安寧と静寂の中に歪んだ混沌を持ち込む配下神を、御身の光眩き白の祝福が照らし出されますように」と願うだけだった。

 ジルヴィーナの放縦を牽制し、ジオルクを王太子に据えようとする勢力に対抗する旗印として、宮廷に秩序をもたらす光であれ――と。


「貴方の主は、易々と他人の期待の傀儡になるような軟弱なたちでもなくてよ。自分の主の御し難さは主席側近ならばとっくに把握しているでしょう?」

「……芯が強く、まやかしに惑わされない聡明さをお持ちであることは知っている」

「あら。お褒めに預かり光栄だわ」


 八年間も打ち捨てられていた孤独な少女を、持ち前の美貌で誑かして手っ取り早く懐柔するために遣わされたはずが、結局季節ひとつかけて毎朝通って平伏し続けなければならなかったガイウスは、既にリーゼの警戒心の厄介さを身に染みて理解していることだろう。


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