第二話 爺さんと強化人間
真・大和男児連合の名物“筋肉神輿”。
筋骨隆々の男たちが神輿を担ぐようにして運んでいる演説台の上では、どのマッチョよりも鍛え上げられたデカい体の大男が、メガホンを片手にデモを扇動していた。
『我々はぁ! 我々はこれよりぃ! 我々はこれよりぃ、帝国議会をぉ! 我々は帝国議会をぉ、破壊する!』
やたら内容の薄い言葉を、これでもかと引き伸ばしながら男がそう叫べば、集まってきた人々は熱に浮かされたような顔で頭の悪い雄叫びを上げた。
――ウオォォォォォォォォ!
『国家権力はぁ! 国家権力はきっと、暴力を持って、我々を鎮圧するだろう! 弱った野良犬を、棒で叩き殺すように! 気に食わない反逆者を、銃で撃ち殺すように! きっと我々は、国家権力の暴力によってぇ! 暴力によってぇ! 儚く散っていく運命だぁぁぁぁぁ!』
――ウオォォォォォォォォ!!
『しかぁし、我々はぁ! 我々は、この肉体ひとつで! 我々は、鍛え上げた筋肉のみで、国に示そうではないか! 弱腰外交は断固拒否! 議会を壊して明るい未来! 進め筋肉火の玉だ! 我らが同志よ、今こそ叫べ! 帝国議会を――――』
――破壊せよォォォォォォォォォォ!!!
雄叫びを上げながら、列をなしてズンズンと進む筋肉ダルマたちを、世界各国から集まってきた報道陣がカメラで映す。おかしな拗らせ方をした彼らが本当に帝国議会を破壊してしまうのか、それとも大和帝国政府は彼らを暴徒と認定して残酷に鎮圧するのか。
そんな男たちの進路の先に、一人の老人がいた。
「……孫の歌う下手クソなロックの方が、まだ響くなァ」
老人――京極熊之介はポツリと呟く。
熊之介を撮影していたカメラマンは。
しかし一瞬で対象を見失う。
刹那、筋骨隆々の大男が宙を舞った。
それは現実とは思えない光景であった。黒服の老人が一人、立ち並ぶ筋肉男たちの間を縫うように、縦横無尽に駆け回る。そして、一人一撃。鳩尾への肘打ち。顔面への掌底。朽ちた樹木を掘り返すように、ひっくり返された男が後頭部を打ち付ける。別の男は、老人に飛びかかった勢いのままアスファルトと口づけを交わした。あっという間の蹂躙劇である。
「鍛え上げた筋肉だァ? 若造ども」
困惑する筋肉男たちを次々と沈めながら、熊之介は頭に被っていたハットを手に取り、円盤を投げるように男の顔面へと放る。そして、死角を利用して背後に回り込むと、膝裏を打ち抜いた。
周囲に待機していた軍人は、次々と倒れ込んでいく男たちを素早く場外へと連行していった。筋肉の隊列は早くも崩れ去り、混戦と言うにはあまりにも一方的な無双劇が繰り広げられる。
「――教えてやる。お前らみてぇのを木偶ってんだ」
熊之介は首からマフラーを手に取ると、それを左手でクルリと振り回しながら、筋肉男の集団に向かって低く駆ける。
マフラーの動きに惑わされた男たちは、老人の巧みな歩法で背後を取られ次々と沈んでいく。右の戦友が宙を舞えば、左の戦友が倒れ伏す。こんなはずでは――そう狼狽えて動きを止めた男の首に、マフラーが絡みついた。
「なあに、死にはせんよ」
そんな言葉と共に首がキュッと絞まると、男の意識はプツリと途切れた。
熊之介がサングラスを外して放り投げるのと同時に、筋肉男たちの中に鉄パイプを持った者が混じり始めた。テレビカメラもそれを捉え、報道陣のピリリとした空気が一気に緊張感を増していく。ここからは、血が流れるかもしれない。
そんな中、熊之介はニタァと凶悪な笑みを浮かべる。
「おいおい、非暴力の建前はどうした。若造ども」
ネクタイを緩める老人を、報道陣の一人が心配そうに見ていた。
あんな馬鹿みたいに強い老人であっても、鉄パイプを持った男たちの中を、貧弱なネクタイ一つで切り抜けられるはずがない。あれだけ仲間をやられれば、男たちも手加減するはずがないだろう。これからきっと、老人が殴り殺される凄惨な場面が画面に映されるに違いない。
そんな心配をよそに、老人はネクタイを巧みに操って、飄々と筋肉ダルマたちを蹂躙していった。
男らは誤って仲間を殴り、自分の頭部を叩き、絡め取られた鉄パイプを逆に利用される。近づく者は殴られ投げられ、離れる者には鉄パイプが飛んでいく。
それでも誰一人として流血していないのは、老人が絶妙な手加減を加えているからである。その事実は、男らと老人の間に決して超えられない“武力の壁”があることを物語っていた。
縦横無尽に駆け回る老人よりも、むしろ倒れた男たちを回収する軍人たちの方が大変そうである。
「おい、福太郎! ロックはどうしたァ!」
熊之介はボロボロになったネクタイを投げ捨て、スーツの上着を脱ぎながら孫に叫ぶ。
呆然としていた福太郎は、祖父の言葉にハッと我に返ると、慌てて路上ライブの機材を準備し始めた。キャリーケースからポータブル電源を取り出し、アンプを置く。折りたたまれたマイクスタンドをグイッと引き伸ばして、マイクを嵌める。
一方の熊之介は、少し呼吸を荒らげながら手に持った上着をクルクルと回し、残っている男たちを睨みつけながら獰猛に口元を歪めた。
まだ大丈夫だ。若い頃よりは筋力も体力も落ちたが、その分は立ち回りと技巧でカバーできる。武術の「ぶ」の字も知らないガタイだけの素人など、いかようにでも転がせる。
熊之介がそう考えていた時であった。
真・大和男児連合の総帥。つい先程まで演説台の上でマッチョたちを扇動していた浦出戎蔵という大男が、すっかり萎縮している男たちを掻き分けながら意気揚々と現れて……。
そして、本当に嬉しそうな、満面の笑顔を浮かべた。
「やはり来たか! 待っていたよ、京極熊之介!」
* * *
祖父の激闘を視界の端で追いながら、福太郎は路上ライブ機材の準備を進めていた。
手が震えて、どのコードをどこに挿せば良いのか分からなくなるほど混乱している。正直、祖父が戦い始めるまではあまり現実感がなかったのだが、いざこんな状況になってみると「自分はロックを歌っている場合なのか」という疑問が頭をもたげてしまう。
そんな福太郎のもとに、一人の女性が近づいてきた。
「福太郎殿。そんなところで何をしている」
政府から派遣されてきた、柳と名乗る女だ。
「俺にも分かんねぇ……何してんだ、俺は」
「まったく、君は一体何のために熊之介殿についてきたのだ! 一緒に戦うのではないのか? 弟子なのだろう?」
「違ぇよ。俺はただの孫だ」
福太郎がそう答えると、柳はこめかみをピクピクさせながら腕組みをして、右足でダンッと地面を踏みしめる。
「あの熊之介殿が! どうしてもこの場に君を連れてくると言ったんだ! 何か意味があるはずだろう!」
「んなこと言われても……俺には下手クソなギターをかき鳴らして、ロックを歌うことくらいしかできねぇんだよ!」
「なんだと、この役立たず!」
柳は福太郎の胸ぐらを掴むと、キスでもするんじゃないかというほど顔を近づけて目の端を釣り上げた。
「お前はこれまで、熊之介殿を見て何も学んでこなかったのか? 鍛え上げた技をもって、いつだって人のために死力を尽くし、力強く信念を貫き通す……あの尊敬すべき達人を」
福太郎は祖父に視線を向ける。
浦出を相手に苦戦しているらしい。
「こんな場所で路上ライブなんて馬鹿なことを始めようとするお前は、この国の危機を一体なんだと思ってるんだ。信念のために戦っている分、まだ浦出の方が理解できる」
強化人間、浦出戎蔵。
他の筋肉男たちがみな国防軍に捕らえられて、残る敵は奴ただ一人だけなのだが……福太郎から見ても、祖父の動きはどうもいつもより鈍い気がするのだ。
「熊之介殿はきっと、お前に教えたかったのだろうな。ロックなどという意味不明なことはさっさとやめて、きっと自分の技を受け継ぐ後継者になってほしかったのだ。お前などをこの場に連れてきた理由なんて、他に思い浮かばん!」
柳の強い言葉。
そんな中、浦出の拳を受けてしまった祖父が、地面をゴロゴロと転がる。
――誰になんと言われようが、お前はロックをかき鳴らせ。
その言葉が、唐突に脳裏を過ぎった。
福太郎はガミガミと怒っている柳に背を向けて、エレキギターのストラップを肩に掛けると、革ジャンのポケットからピックを取り出す。
「柳さんもなかなかロックな女だなぁ……嫌いじゃないぜ」
そう言って、福太郎は思い切り弦をかき鳴らし始めた。
* * *
「なぁ、京極熊之介! 帝国議会を破壊するってのは、なかなか素晴らしい考えだとは思わないか?」
浦出はまるで、欲しかった玩具を手に入れた子どものように嬉しそうな顔をしながら、暴風のような正拳を突き出す。
それを紙一重で躱す熊之介は間違いなく達人であるが、負けじと追撃を重ねていく浦出もまた達人と呼べる領域に到達している者だった。
最新のサイバネティクスで強化された大男の剛拳。
それはまさに純粋な暴力の塊。
柔と剛、どちらが優れているかという議論にはあまり意味がない。結局のところ極めていけば、柔よく剛を制し、剛よく柔を断つのである。唯一絶対の正解など存在しないからこそ、世界には様々な武術が溢れ、達人たちは鎬を削るのだ。
「大和は世界にとって都合の良い財布なのか? 否! 領土を奪われてもヘラヘラ媚びへつらうのか? 否、断じて否! 私は何度だって言ってやる。弱腰外交は断固拒否! 今こそ大和帝国の強い力を世界に知らしめて、舐められ続けているこの国を改革するべきだ! そのために、まず手始めとして、帝国議会を破壊するのだよ!」
浦出の手刀は本物の刀のように空を裂き、大地を踏みしめる両の足からは砲弾のような蹴撃が熊之介を貫こうと繰り出される。
掠っただけで大惨事になりそうな強力な攻撃を、しかし熊之介は見事に捌き切る。常人に出来ない動きをする浦出は間違いなく達人であるが、それを反射的に逸らすことにできる熊之介もまた達人なのである。
「響かねぇなァ」
「なに?」
「お前さんの言葉は全てが薄っぺらいんだ、若造」
その言葉を聞いた浦出は動きを止める。
熊之介は弾けるように距離を取ると、ようやくふぅと息を吐き出すことができた。
「お前さんはさぁ……本当のところ、何とも思っちゃいないんだろう? 大和のことも、政府のことも」
「…………ふん。私は」
「間が空いたなァ、図星だろう? でもまぁ……気持ちはわかるよ。せっかく鍛え上げた武も、全力で振るう機会なんて人生にそう何度もありはしない。自分は何のために強くなろうとしているのか。何のために色々なモンを犠牲にしてきたのか。何を生きがいにすりゃあいいのか……大方そんなところだろう。お前さんの悩みは」
熊之介はワイシャツのボタンを一つずつ外しながら、柔らかい口調で浦出に語りかける。
「それらしい主張を吐いて理不尽な暴力を振るっていけば、いつか必ず他の達人とぶつかり合う。そうやって戦うこと自体がお前さんの望みなんだろう? 儂だって清廉潔白な人間じゃない。荒れていた時期もあったからね。分かるさ」
「……はぁ。参ったな。口先では年の功に勝てんか」
上半身を剥き出しにした男二人が対峙する。
敵同士という立場で、年齢も戦闘スタイルも全く異なる二人ではあったが……しかし、確かに通じ合うものがあった。
「悪いな爺さん。確かに私は大和なんてどうでもいい。たった一度の人生、私はあんたみたいな達人と、命をかけて全力で戦いたかったんだ……あの京極熊之介が釣れたのは幸運だよ。私の都合を押し付けるのは申し訳ないと思うが」
「気にするな。若造に付き合うのも年寄りの務めよ」
浦出が地面を強く蹴って熊之介に接近するのと、熊之介が脱いだワイシャツを浦出の顔に向かって放り投げたのはほぼ同時のことであった。
せめぎ合う剛と柔。今この場にあるのは、政治的主張のそれらしさでもなく、歳を重ねたゆえの老獪さでもなく……ただ純粋に、己の磨き続けた武をぶつけ合う、二人の男の熱量だけであった。
――だが、そんな楽しい時間にも終わりは来る。
二人の明暗を分けたのは、やはり“老化”という人間には抗いがたい要素であった。疲労のため精彩を欠き、浦出の拳を捌ききれなかった熊之介は、跳ね飛ばされるように地面を転がる。
「はぁ、はぁ、はぁ……初めてだ。こんなに楽しい闘争は」
「……良かったなァ。ちったぁ満足できたかい」
達人同士の本気の争いに、引き分けなどない。
完全に拘束するか、命を奪う瞬間まで、勝敗の行方は決まらないからだ。だから、浦出は決して油断することなく、熊之介に止めを刺すため慎重に近づいていって――
ギュイーン、ギュンギュンギュン、ギュワーン。
唐突に流れ始めた素っ頓狂なギターのメロディに気を取られる。
そして次の瞬間には、無様に宙を舞っていた。
『帝国議会を破壊したってなァ、筋肉を鍛えたってなァ、俺にィ、俺にィ、俺にィ、彼女なんてできねーんだよォォォォォォォォアアアアアアアアアアアアアア〜〜♪』
そんなどうしようもない思春期男子の魂の叫びは、めちゃくちゃなリズムと不協和音を伴って、テレビカメラを通して全世界に響き渡った。