プロローグ
死に物狂いで働く経験は必要だ。その経験は後に大きな財産となる。
その言葉を信じて寝る間も惜しんで必死に働いた。休日は死んだように眠り、起きている間は仕事しかしていない。食事は仕事の合間にさっと摂る。そんな状態だった。
別に昔から憧れていた仕事に念願叶って就けたとか、競争率が激しく、油断してると周りに抜かれて戦力外通告を受けて引退を余儀なくされるとか、この仕事が大好きで、情熱を持っているみたいな前向きな理由ではない。自営業で売上が伸びず、死ぬ気で頑張らないと店が潰れてしまう訳でもない。俺は小さな会社のサラリーマンだ。
長時間労働時間で休憩時間はまともにないし、残業代も出ない。おまけに薄給ときたもんだ。東京でこの収入ならネカフェ難民まっしぐらであろう。週休完全2日制たが、ブラック企業だと思う。最近は週末は起きる気力が出ず、寝て過ごして貴重な休日を有意義に過ごせなかったことを後悔する日々だ。今日も週末を家から出ずに過ごしてしまった。もうサザエさんが始まる時間だが、テレビを付ける気は起きない。サザエさんを観ていると週末の終わりを実感して切なくなるからだ。
嗚呼、また明日から地獄の平日が足音を立てて近づいて来る。
社畜の朝は早い。
午前5時。まだ朝日は昇らず外は暗闇である。始業は8時だが、仕事の準備のために30分前に出社する。職場までは距離があるのでこの時間に起きてもギリギリになる。
この頃食事の用意をするのも億劫になってきたが、食事を摂らないと仕事のパフォーマンスが落ちる。いつもはコーヒーとトーストなのだが、時間が無い時や疲れているときはゼリー飲料やエナジードリンクで済ますことがある。身体に良くないことは分かっているが、時間を捻出するためには仕方ない。
朝食を腹に詰めこんだら弁当の用意、洗顔、歯磨きだ。身だしなみ、健康面の配慮のためにもこれらは手が抜けない。それが済んだら家を出る。足が重い時もあるが、俺が行かなければ迷惑がかかる。
会社までは電車と徒歩で2時間。電車の待ち時間、電車に乗っている時間は俺の唯一の自由時間だ。読書に更けるもよし、仮眠するもよし、スマホでゲームをしたりネットを見るのもよしだ。
7時半。会社に到着。
たまに上司から「もっと早く来い。意識が低い」と叱責されるが、この時間に出社するために毎日始発に乗っているのだ。これ以上早く来ようと思ったら会社に寝泊まりしなければならなくなる。そもそも始業時間は8時なのだから、7時半でも十分早い。
そんな理不尽な叱責にいちいち腹を立てていては身が持たないので、右から左へ受け流す。そして黙々と作業準備をする。
職場は上司の機嫌次第で空気が大きく変わる。今日は比較的機嫌が良い方で、後輩と雑談をしている。機嫌が悪い時は最悪で、こちらが上司の望む動きをしなければ物を落とす大きな音が社内に響く。上司は怒りを物にぶつける傾向がある。それが商品だろうが関係無い。幸い、商品に当たって壊すことは今までに1度もない辺り、力加減はしているのだろう。そんな日は自分の仕事をするどころではない。仕事をしに来ているのか、上司の機嫌を取りに来ているのかわからなくなるときがある。
仕事は真面目に取り組んでいるつもりだが、どうしてもどこか抜けてしまう所があり、小さなミスをしてしまう。その積み重ねは上司に目を付けられるきっかけとなり、先輩や後輩の株を上げることに繋がる。結果、並みの成果を挙げるために人の何倍もの努力を強いられることになった。
12時。昼休みだが、うちの会社は昼休みがあってないようなもので、上司は昼食と歯磨きを済ませたら直ぐ仕事に取り掛かるのだ。昼休みに休むことは間違っていないのだが、非常に休みづらい。しかし昼休みはモチベーションが上がらない。なので俺は何か用事をしている振りをしたり、パソコンで仕事している振りをしてネットサーフィンをする。しかしたまに上司がパソコンの使用履歴を確認することがあるのであまり使えない方法だ。
13時。昼休みが終わり午後の仕事が始まる。寒い時期ならともかく、この時間帯は眠気がきつい。仕事をしているのか睡魔と戦っているのか良く分からなくなる。当然作業効率は駄々下がり。よく「午後はいつも眠そうだな」と嫌味を言われるが、上司も分かっているならちゃんと昼休みに休ませてくれ。睡魔に対抗するためにコーヒーやエナジードリンクは必需品。
17時。本来なら終業時間だが、まだまだ仕事は終わらない。そもそも、仕事内容が就労時間以内に終わる量ではない。毎日残業は必須だが、うちの会社は当然の如く残業代を出さない。残業代を出さないから、仕事が終わるまで帰ってはいけないと平気で言ってくる。なぜか17時以降は仕事とみなされていないらしい。
21時。退社。いつもこんな時間になる訳ではない。今日はかなり時間がかかった。仕事に時間がかかる原因として、俺のパソコンスキルの不足も挙げられるが、それ以上にパソコンの動作が遅すぎるのが大きな原因だ。速度制限が掛かったスマホの如く、一つ一つの動作が重いのだ。そこから電車と徒歩で家に着くのは23時以降となる。
そうなれば帰ってやることとは寝るだけだ。スキルアップの為に勉強をしたり、趣味に勤しむ余裕などない。明日も朝は早いのだ。
これだけ働いているのだから、さぞかし給料も良いのかと言えばそうでもない。俺の収入は新卒の平均月収よりも低い。おまけに交通費も出ないから電車代で給料がかなり飛ぶ。貯金なんて出来たもんじゃない。常にギリギリの生活だ。
繁忙期が終われば退社時間はもっと早いが、定時で帰れたことは1度しかない。
仕事の為に休み、仕事の為に起きる。そんな日々が続いていた。そんな生活だから出会いなんて出来る筈もなく、彼女いない歴=年齢だ。学生の頃の方が圧倒的に出会いが多かった。陰キャな俺でも若くて可愛い女の子と関わる機会は今よりずっと多かった。もっと積極的に行動していれば、学生時代に彼女を作ることが出来ていたかもしれない。しかし、当時の俺はそういった行為を不純。と決めつけていた。今思うと、出来ないことへの言い訳だったようにも思える。もっとああしていれば、もっとこうしていれば。いつも終わってから後悔する。
「てか、なんで俺は山田裕一として生まれてきたんだろう」
時々そう考えてしまい頭がおかしくなりそうになる。