キリスト教会での出会い
ヒキコモリ…
それはあきらめない者と信じている。
しかし一歩踏み出した。
それは世界の美しさへとの出会いだった…
私は初めて教会に通った。私はもうすぐアルバイトに受かる予定の時だ。しかし、小説家を夢には見てる。なにせ私こそがと信じている。なぜなら私はヒキコモリだ。しかし私はあきらめてはいけない。まさにあきらめないからこそ、ヒキコモリであり、私はアルバイトを決めたのだ。そして私は小説家をあきらめない。だからこそ再就職をも目指したいのだ!
人生は15分遅れでスタートするといただいた書の、冒頭に書かれていた。それは当然のようで気づきにくいヒントだ。強者に育てられたもの、その者は強くなるだろう。そして全てを育てられたのなら追い越すのではないだろうか?育てられない者…不幸だ。しかしなぜあきらめないか?生きているからだ。考えて生きている。ならば成長はある域を超すと、育てられたものを追い越すのだ。
これこそ15分遅れの意味だろう。人生とは平等ではない、しかし主は平等な愛を与えている。伸びゆくということだ。だからこそ愛されている。私はヒキコモリとしてあきらめなかった。主は私に復讐のチャンスを与えてくれたのだ。つまり私は15分よりも多い遅れを追い越す。その意思を運命というチャンスによって、与えてくださった。私は勝つ、私なら勝つ、つまり…挑むのだ。この逆境の中で社会は厳しい。しかしあきらめない者、それがヒキコモリのはずだ。ならば、挑むのだ…
私の出会った教会の牧師の、体験談が書かれている。牧師は死をまのあたりにする、病院でボランティアをしてなさった。そこはあらゆる人生で、死に通づる病をも多く見送ることになる場。多くの生き様がある。しかし死にたくない。それは多くの人が思う共通の思いだ。しかし人はなぜ死を恐れるか?それは先が怖いのだ。苦しい死もある。そこでは人の本性の思いを話したくなるだろう。なぜ苦しまなければならないか?何をしたのか?人生だ。一生の生き様の中には美しい努力もある。しかし訪れた。ならば話したくなる。すがりたくなる。牧師はまのあたりにし、救ったのだ。それでも訪れる別れの中では、連れ去らないでほしいと思うことも多いはずだ。仲良くなるにつれて辛さは増す。だからこそ死とはどんなに見送ってもなれないだろう。病院でのボランティア体験、救いたいという思いがキリスト教への道だったそうだ。
人は弱さを認めると謙虚になる。その一文に私は教会で話していただいた、意味を理解できた。牧師は皆から教われと言ったのだ。すべての人の上下関係ではなく、上下を視野に入れずに、美しさと悪い部分を知る。これは自分との出会いや語らいにより、成長しろという意味だ理解できたのだ。弱いという意味、それはまだ伸びゆくという意味だ。つまりボランティアからの救いの道。多くの経験で、美しさをも、悪い部分をも見ている。そして死の別れだ。だからこそ人の美しさを尊ぶからこそ、弱くいたいのかもしれない。書にはどんなに酷い世の中、落ちてしまったときも美しい励ましの言葉も書かれている。
空の鳥を見なさいという項だ。辛くて許せないことをしたい、そう思ったときの励ましの言葉は、美しいものを見ろだ。そのページには自分自身の美しさをも見ろと書かれている。空の鳥よりも美しいと書かれているのだ。しかし、空の鳥の美しさにも触れられている。空の鳥は明日のことを考えず、明日を生きてはいない。今を生きることに一生懸命なのだ。人は明日を恐れるものでもある。そういうときは、今を生きろというのだ。明日に辛いことがあるかもしれない、ならば今を生きる。空の鳥は今を生きるために狩りをする。つまり、明日を考えずに今できる戦いをしろという意味だ。今を生き続けた者、それは人なのか?どれほどの孤独か、私には辛く思える。しかし人は明日を希望に生きることも多い。だからこそ人なのだろう。今できる戦い、それは勉強も仕事も鍛錬も同じだ。そしてあきらめそうなとき、それは戦いの時。つまり今を生きろというのだ。私はこのページに再三に激励された。ヒキコモリとしてあきらめなかった。しかし明日を生きていた時間はあるのかもしれない。だからこそアルバイトを目指す。それは今できる戦いなのだ。そして私は挑むのだ…
天に星が輝いても、という項がある。いかに美しく光り輝く星が、天高くでも神は平等に愛していてくれる。つまり私達はあきらめなければ、天高くで光り輝く星になれるのだ。平等な愛。それは15分遅れでもあきらめずに今を生きれば、終わらなければたどり着く。つまり私達には、追い越すことを目指し、今を生きる権利がある。そして私達は戦うための努力ができる。だからこそ今を生き続ければ、輝ける。その辛さは計り知れない…それでもあきらめるなと激励は心に染みた。平等な愛、私達は生きれることだろう。そして美しく伸びゆける。主は私達に完結された理想郷を与えてくださったのだ。
キリスト教とは美しい…それを再三に感じとれました。李牧師は辛い経験を超え救いの道を選び取ったお方です。私はヒキコモリ、社会は荒野のような美しい世界と、一歩踏み出せば良き出会いでした。
ヒキコモリとしての思い、それは多くが共感し泣けるでしょう。しかし同胞よ、私は出陣する。
だから時を待て!私は道を切り開く!そして…
社会という要塞に突破口の如き風穴、決めてやるぜ!