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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

正しい聖女の奪い方

作者: ナツメ


『聖女』というのは奇跡の代行者である。


ある者は不治の病を治し、ある者は災害を鎮め、またある者は魔物によって穢された地を浄化する。

セイラン王国の聖女であるシェリーは穢れた土地を浄化する力を持っており、数年前に魔物の襲撃の影響で未だ作物が育たない隣国のアルベリア王国に派遣された。


「我、女神リューンの天啓に従う者なり。浄化の力を持って悪き穢れを打ち払わん」


シェリーが両手を握りしめ祈ると、彼女を中心とした地面が光り輝いた。アルベリア王国の神官たちは息を飲み地面を触ると、先程まで確実に死んでいた大地から生命の息吹を感じ、歓声をあげた。


「シェリー殿、素晴らしい力だ。本当にありがとう」


アルベリア王国の王太子であるルースがシェリーに話しかける。


「いえ、聖女としての勤めを果たしたまでです」


そう答えるシェリーの額には汗が滲んでいた。


「大丈夫か?やはり力を使うのは大変なことなのだな」

「全然大丈夫です」


そう言いながらもシェリーの体はふらついている。

ルースはそっと手を差し出した。


「嫌でなければ掴まってくれ」

「ありがとうございます」


ぎこちない二人の様子はまるで付き合いたての恋人同士のようであった。


***


「あら、手が滑ったわ」

エルザ・バート公爵令嬢はそう言うと、手に持っていた赤ワインをシェリーのドレスに引っ掛けた。


聖女としての勤めを果たすため、一年ほどアルベリア王国に滞在することになったシェリーは国際交流のためにいくつもの社交パーティに参加することになった。

そして、そのいくつかのパーティではルースにエスコートしてもらっていた。その事は、ルースの婚約者であるエルザの神経を逆撫でした。

今日はバート公爵家主催のパーティで招待客はバート公爵家の味方しかいないので、ここでこの生意気な女に釘を刺してやろうとエルザは決めていた。


(ありふれた茶髪に苔みたいな色の目、立ち姿も作法も下の下。こんな庶民がルース様の隣に立つなんて間違ってるわ)


エルザの心の中は嫉妬と怒りでぐちゃぐちゃだったが、表面上は優雅な微笑みを浮かべる。


「ごめんない。わざとじゃないのよ?」

「いえ、大丈夫です。でもドレスが汚れてしまったので少し早いですがお暇いたしますね」


シェリーは気にした様子もなく穏やかに微笑むと会場を後にしようとした。


(ふん、可愛げのない女ね)


「お待ちになって、お詫びに私のドレスを差し上げるわ。侍女に手伝わせますから、着替て引き続きパーティーを楽しみましょう?」


シェリーの手を握りエルザは微笑んだ。シェリーは困ったように眉を下げながら頷いた。


数分後、シェリーが会場に戻ってくるとその場はざわついた。

シェリーが身に纏っていたのは、肩口と背中が広く開いた赤と黒のド派手なドレスで、輝く金髪に真紅の瞳を持つ派手な容姿のエルザならよく似合うだろうが、よく言えば清楚、悪く言えば地味なシェリーには似合わない。おまけにエルザは今日似たような赤いドレスを着ていた。


「あれが隣国の聖女様?」「ドレスに着られてるわね」「エルザ様と並ぶと一層不憫ね」


(思った通り、庶民には似合わないわね。これで身の程を弁えなさい)


エルザは心の中で嘲笑した。


「なんの騒ぎだ?」


声と共に現れたのは本来このパーティに来るはずのなかった人物、ルースだった。


「ル、ルース様」


エルザはたじろぐ。

ルースは社交界への関心が薄く、必要最低限のパーティにしか出席しない。婚約者の実家が主催であろうが、誕生日などの特別な名目のない今日のようなパーティには参加しないはずだった。


「ご機嫌麗しゅうございます。本日はお越しいただき…」

「挨拶はいい。あまり楽しそうな雰囲気ではないが、何があった?」


ルースが鋭い目でエルザを見る。


「ルース様の気のせいではないでしょうか?」

「では、シェリーのこの装いは?王宮から出た時とは違うようだが」


シェリーは国の客人として扱われているため、王宮に住んでいる。それも、エルザがシェリーを目の敵にする理由の一つだった。


「私の不注意でドレスを汚してしまったので、貸して差し上げたのです。」

「君のドレスを選ぶセンスは優れていると思っていたのだが、どうやら見込み違いだったらしいな」

「それは!」

「悪いが、少しシェリーを借りるよ」


ルースはシェリーの肩を抱いてその場を後にする。


(婚約者の前で堂々と!ルース様は何を考えていらっしゃるの?!)


エルザの腸は怒りで煮え繰り返っていた。


数分後、再び装いを変えてルースと共に会場に入ってきたシェリーの姿に、招待客たちは先程とは違う騒めきを上げる。

淡いオレンジ色の生地に銀色の糸で繊細な刺繍が施されたドレスは、柔らかい雰囲気を持つシェリーに抜群に似合っていた。ドレスの裾を軽やかに揺らして歩く姿は妖精のようである。


「エルザ、私のセンスはどうだろうか?」

「さすがルース様ですわ。見習わせていただきます」


誇らしげにシェリーを見せつけたルースはそのまま彼女の手を取り、ダンスフロアで踊り出す。


「殿下は何を考えておられるのかしら?エルザ様という婚約者がおられるのに」「やはり、あの噂は本当なのかしら?婚約破棄秒読みって」「しっ!聞こえたら破滅させられるわよ!」


エルザは顔を赤くすると、足早にその場を立ち去る。


(あの女、絶対に許さないわ!)


***


数日後、エルザは突然王宮に呼ばれた。

会議室にはルースを始めとするアルベリア王国の重鎮と、シェリーと共に来ていたセイラン王国の第二王子、神官、護衛騎士の三人がいた。何やら慌ただしい雰囲気で、何人もの騎士が入れ替わり立ち替わり何かを報告している。


「ご機嫌麗しゅうございます。本日はどういったご用件でしょうか?お忙しそうなら出直しますが」

「いや、これは君に大きく関わるかもしれない問題だ。席を用意してあるから座ってくれ」


ルースがエルザをエスコートする。


「昨日、セイラン王国の聖女シェリーが何者かに誘拐された」


ルースが話を切り出す。予想外の展開にエルザは目を丸くした。


「シェリー様が…まだ見つかっておられないのですか?」

「ああ。今国中の騎士が捜索している」


それで隣国の客人が集まっているのかとエルザが目をやると、第二王子はお腹の辺りを押さえながら肩を小刻みに震わせて、顔を真っ赤にして俯いており、神官は反対に顔を真っ青にして胃の辺りを押さえていた。


「ビル殿下とハンス神官の体調が悪そうなのですが」

「お二人とも聖女を心配し、お心を痛めておいでなのです。ご心配なさらず」


エルザの問いに護衛騎士が淡々と答える。


(お心というか、ハンス神官はどう見ても胃痛っぽいし、ビル殿下にいたっては笑いを堪えているようにしか見えないのだけど)


ごほんとルースが咳払いをする。


「昨日のシェリーの足取りについて報告を受けたのだが、面白い事が分かってな」

「面白いこと、ですか?」

「シェリーが失踪する前に会っていたのはエルザ・バート公爵令嬢だと」


ルースの言わんとすることを理解したエルザは机を叩いて立ち上がる。


「私をお疑いですか?昨日シェリー様とお会いしたのは我が家で同じ年頃の令嬢を集めて茶会を開いたためです。私以外にも沢山のご令嬢がシェリー様に会っていますわ!」

「だが、シェリーは茶会を早退けしてるね?そしてバート公爵家の馬車で帰ったきり行方をくらましている」


シェリーが早退したのはいつも通りのエルザの嫌がらせのせいで、王宮の馬車が間に合わなかったのでバート家の馬車で帰ったのだ。シェリーが帰った後、令嬢達はシェリーの悪口に大いに花を咲かせた。


「シェリー様を送った馬車はきちんと公爵家に帰ってきております。御者を呼びますから話を聞いて下さい」

「その必要はない。既にバート公爵に頼んで御者から話を聞いてある。シェリーは途中で会った王宮の馬車に乗って帰ったと証言しているが、その時間と王宮から馬車が出た時間が合わない。」

「何者かが王宮の馬車のフリをしてシェリー様を攫ったに違いありません」

「それか、君の家の御者が嘘をついているかだな」


ルースの言葉にエルザは唇を噛む。


「エルザ、君がシェリーを煙たがって嫌がらせをしていたのは誰もが知っている。何か知っているなら正直に話してくれ」


会議室中の視線がエルザに突き刺さった。


「殿下!証言が取れました!御者が先程の話は嘘だったと。エルザ様に頼まれて知らない馬車に聖女殿を引き渡したそうです!」


バンと扉が開き、騎士が駆け込んできた。その背後にはバート公爵の姿もある。


(お父様!まさか、私を売るつもり?)


ここでエルザ一人を切り捨てればバート家はお咎めなしとまではいかないが、爵位の降格程度ですむだろう。


「その証言は嘘よ!私はそんなこと指示してない!」

「残りの話は尋問官にゆっくり話してもらおう。衛兵!エルザを捕らえろ」


剣や槍を持った騎士達がエルザを取り囲む。


「お願いです!ルース様、話を聞いて下さい!私を信じて!」


エルザは悲鳴に近い声をあげてルースに縋ったが、ルースは冷たい目でエルザを一瞥するとその手を払い除けた。


「醜い嫉妬に駆られ、隣国の聖女に毒を盛り誘拐するなど言語道断。君には失望したよ」


騎士達がエルザの両手を後ろで組ませ、跪かせた。


「嫌ぁ!」


ドッカーン!


エルザが悲鳴を上げるのとほぼ同時に、大きな地響きがした。


「な、何事だ?」


ルースが驚いた顔で窓の外を見遣る。


「ううう…胃痛が」


ハンス神官は小さく呻き声をあげだ。


「やっちゃいましたね」

「やっちゃったなー」


ビル王子と護衛騎士はのほほんとした顔で会議用に出されていた茶を啜った。


「た、大変です!バート公爵領の山が一つ吹き飛ばされています」

「は?」


突然の報告にルースは口をあんぐりと開ける。


「爆音と共に未確認生物が王宮に向かって飛来しています!」

「何だと?!」


これはテロではないかと会議室の重鎮達は慌てふためく。


「み、未確認生物…」

「殿下、笑いすぎです」


この国人間ではないからか、ビル王子と護衛騎士は未だ緊張感のない面持ちでいる。


「陛下に報告は?!」

「既にいたしました!未確認生物に向けて弓兵と砲弾を配置しております」


騎士の言葉通り、配置された弓兵と砲弾部隊が一斉に未確認飛行物体に向けて弓と弾を発射する。しかし、未確認生物が起こしたと思われる爆破により弓も弾も粉々に砕け散った。


「陛下をお守りしろー!」

「女子供は避難を!」

「地下室に逃げるんだ!」


王宮中の人間が大パニックを起こしていた。


「おい、なんかアレこっちに向かって飛んでないか?」

「まさか!」


バリンとガラスの砕け散る音が響く。会議室にいた者たちは目と耳を塞いで地面に伏せた。


「あれ?窓割らないように気をつけたのに着地の風圧で割れちゃった」

「同じことをウチの城でやったら城壁に吊るすからな」

「無事で何よりですが、やりすぎです」


呑気な声がその場に響き、エルザは恐る恐る顔を上げた。

バルコニーに立っていたのは、茶色い髪に緑色のドレスの昨日見た姿のままのシェリーだった。


「シ、シェリーなぜここに…」


ルースが混乱したように言った。


「いや、お茶会の後王宮の馬車に乗り換えてから眠っちゃったみたいで、気がついたら牢の中にいたんです。そこで『聖女誘拐の罪をエルザ様に着せれば丸く収まる』って話が聞こえて、こりゃ一大事だと慌てて牢を破壊してきたんです」


はいお土産と言わんばかりにシェリーは片手で持っていた男を一人突き出す。


「その話をしていた男がコイツです。山中探し回ってやっと捕まえたんですよ」


黒服に口元を布で覆った怪しげな男は、恐らく聖女の破天荒すぎるフライトに耐えられなかったようで目を回して気絶していた。


「可哀想に…」


隣国の護衛騎士はそっと手を合わせた。


「そいつ一人捕まえるために山一つ破壊したのか?」

「最近力を抑えてしか使ってなかったので、加減が出来なかったんです」

「帰ったら荒行(あらぎょう)ですね」

「げえ…」


荒行とは肉体を痛めつけて精神を鍛える荒っぽい修行のことである。


「ビル殿下、シェリーの力は『浄化』なのではないのですか?バート公爵領の爆発も彼女の仕業なのですか?」


セイラン王国組の呑気なやり取りについていけなくなったルースが思わず尋ねる。


「シェリーの力は『浄化』で間違いありません。ただシェリーは力が強すぎて浄化の衝撃で周囲のものを吹き飛ばしてしまうんです。あ、人間には無害ですよ。当たるとすごく痛いらしいですが、老廃物とかを全部出してくれるそうです」


ビルの説明にシェリーは「デトックスです!」と得意げにピースした。

この国の土地を浄化する際は必死に力を抑えていたため体力を著しく消耗し、浄化の後ふらつくこともあったのだが、フルパワーで思い切り暴れられた今は生き生きしている。ちなみに空を飛んで王宮まで(攻め入って)来られたのは、衝撃波をコントロールしてジェット噴射代わりにしたからである。

シェリーの真の力を知っていたセイラン王国の人間からすれば誘拐されたなんてちゃんちゃらおかしい話で、むしろ心配すべきは誘拐犯の方だったのである。ビルに至っては、聖女の身の安全を本気で心配するルースが面白すぎて、必死で笑いを堪えていた始末だ。


「で、コイツが誰の手先かって話なんですけど、バート公爵はご存知なんじゃないですか?」


シェリーはにっこり笑ってコソコソ隠れていたバート公爵を見る。


「さあ、知らんな」

「私バート公爵領の関所の牢に閉じ込められてたんですよ。この男と話していたのは、公爵家の執事だったと思うんですけど」

「君の勘違いだろう」


バート公爵はあくまでシラを切るつもりらしい。


「その男を尋問して真犯人を探そう。男を騎士に渡してくれ」


ルースがシェリーに言う。


「いえ、このまま陛下のところに連れて行きます。私の聞いた通り、エルザ様に罪を着せるつもりならこの男は正直な証言なんてしないはずです。彼が誰かは陛下ならご存知でしょう」


ズルズルと気絶した男を引き摺っていこうとするシェリー。「可哀想だから運んでやれ」とビルが護衛騎士に指示したが、その必要はなかった。


「ルース、この騒ぎは一体何事だ?」


アルベリア王国国王がその場に現れたからである。


「父上!すぐに収拾をつけますゆえ…」


国王はルースを一瞥するとすぐに目を逸らしシェリーに向き合った。


「セイランの聖女よ。その男は王家の"影"である。その者は何をした?」

「父上!」

「お前は黙っていろ」


ギロリと国王がルースを睨みつける。


「恐れながら申し上げます。この者はバート公爵家の執事に聖女誘拐の罪をエルザ様に着せるよう指示していました。そしてそれは自分の主の指示だと言っていました」

「それは真実か?」

「はい。バート家の執事に聞けば証言を得られるでしょう。彼はエルザ様を守ろうとしていましたから。

それに、自分を浄化して毒を消す前の血液をこちらのハンカチに付着させています。私を誘拐するために使われた毒が判明すれば、犯人を絞れます」


アルベリア王家の"影"は特殊な暗殺術を会得しており、使う毒物も市場には出回っていないものばかりだ。


「ルース、今真実を話せば今後の処分を軽くしてやろう。この"影"はお前に付けていた者だ。言い逃れはできんぞ」

「違います父上!その者が勝手にしでかしたことです!私は何も知りません!」


国王は額に青筋を浮かべた。


「ルース殿下、一つ気になったのですがなぜ貴方はシェリーが毒を盛られたと知っていたのですか?」


ビル王子が涼しげな顔でルースに訊ねる。

エルザはルースの言葉を思い返した。『聖女に毒を盛り誘拐するなど言語道断』確かに、彼はそう言っていた。


「それは、あくまで想像で」

「素晴らしい慧眼ですね」


ビルが冷たい声で吐き捨てる。


「それじゃあ、本当に、ルース様が…?」


震える声でエルザは呟き、ルースを見上げた。


「そんなわけ無いだろ!私はこの国の王子だ!そんなことする必要がどこに」

「…聖女を手に入れれば国益になります。セイラン王国が聖女を渡すわけありませんが、結婚という名目があれば…」


エルザはどこか冷静な気持ちで推論を述べた。


「私が邪魔だったのですね」


冷静に考えれば、エルザに聖女誘拐の罪をなすりつけて得をする人間は少ない。バート公爵家の権力の低下に繋がるので、公爵家とそれに連なる家門は有り得ないし、敵対派閥にしてもリスクの割にメリットが少ない。エルザが婚約者を外れたところで、自分の家の令嬢が王太子の婚約者になれるとは限らないのだから。

それに、この計画を成功させるなら犯人と捜索者が同じであることが最も効果的だ。


「馬鹿なことを言うな!私を信じてくれ!」

「私も、信じてくださいと申し上げました。でもルース様は聞いてくださらなかった」


エルザの頬を流れた涙が床に落ちた。


「衛兵、ルースを捕らえよ。話は尋問官に聞いてもらう」


国王の声と共に、ガックリと項垂れたルースは連行されて行った。



「どうして、私を助けてくれたの?」


騎士や重鎮達が慌てて方々に散った後、取り残されたエルザはシェリーに尋ねた。


「私は貴女に散々嫌がらせをしたわ。貴女の悪口もたくさん言った。なのにどうして?」

「エルザ様が私に『信じている』って言ってくださったからです」


聖女は世界中を探しても稀な存在で、その力を疑っている者は多い。アルベリア王国に来た日も国王を始め、多くの貴族達がその力を信じておらず、疑いの目でシェリーを見ていた。そんな中エルザは真っ直ぐにシェリーを見つめて言ったのだ。


『今、この国では多くの土地が汚染により作物を育てることができず、飢饉に苦しんでいる民が沢山います。どうか、この地を救ってください。貴女の力を信じています』


エルザにとっては些細な激励のつもりだった言葉だが、シェリーはとても嬉しかった。


「それに、自分のせいで無実の人間が捕まるのなんて見たくありませんからね」


エルザは立ち上がって深々と頭を下げた。


「シェリー様、今まで本当にごめんなさい。人から悪意を向けられるのがこんなに辛いなんて知らなかった。辛い思いをさせて本当にごめんなさい」


シェリーは目を丸くして首を横に振った。


「そんな!気にしないでください!荒行に比べれば100倍マシです!」

「…荒行?」


馴染みのない単語にエルザは首を傾げたのだった。


***


その後、尋問でルースは罪を認めた。動機はほぼエルザの予想通りで、自身の権力を強大化するため聖女を手に入れたかったらしい。シェリーはドレスや宝石では靡かなかったので、窮地を救い出して吊橋効果で落とし、ついでに邪魔なエルザを排除しようというのが、今回の誘拐事件の目的だった。

ルースは廃嫡とされ僻地の小さい領土と男爵位を与えられた。また、国王はこの責任をとって王位を退くことを決め、王弟のバンズ公爵が国王に、その息子が王太子になった。


さて、そんな新国王はまだ慣れない玉座に腰掛け冷や汗を流していた。


「せっかく隣国からこの地を浄化するために足を運び、粉骨砕身で浄化活動に当たっていたのに、まさか王家に毒を盛られるなんてあんまりです。くすん」

ハンカチで目を押さえながらシェリーが言う。


「そうですね。女神リューンもさぞお怒りでしょう」

ハンス神官が微笑む。


「私もアルベリア王国と親交を深めるために参ったのですが、裏切られたような気持ちです」

ビル王子も大げさに肩を落とす。


「その件についてはお詫び申し上げる。しかし、事件はルース元王太子の独断で…」


ボカンとシェリーの手元が爆発し、ハンカチが粉砕された。


「申し訳ありません。どうも調子が悪くて…毒がまだ残っているのかな?」

ボカンと手元がもう一度爆発する。


「も、もちろん相応の償いはさせてもらうつもりで…」

新国王の額をダラダラと汗が流れた。


「そう言えば、我が国との関税が不平等なままでしたね…」

護衛騎士が呟く。


「軍事協定もアルベリアにばかり有利な条件だったなあ」

ビル王子も空を見上げて言う。


「神殿の連盟もアルベリアの決定権が大きすぎて困っているのですよね」

「いや、流石に神殿についてまでは…」


新国王はもう涙目である。


「いやいや、今のは思い出したことが口から出てしまっただけですよ」

ビル王子がとぼけた顔で言った。

「思ったことがつい口から出てしまうタチで。ああ、今回の事件については勿論他国には口外しませんよ。でも心が傷ついたからなあ、うっかり喋ってしまうかも」

「分かった!要求は全部飲むから!書面で協定を結ぼう!宰相、すぐ来てくれえ!」


「いやー、すみませんねえ」と言いながらセイラン王国の四人は黒い笑みを浮かべた。


***


協定から三ヶ月後、アルベリア王国全土の浄化を無事終えたシェリー達はセイラン王国へと帰還することになった。


「あんなことがあったのに、最後まで浄化して下さってありがとう。シェリー様が来てくださって本当によかった」


帰国前に話がしたいと希望したエルザはシェリーの手を握って心からお礼を言った。


「聖女として当然のことをしたまでですよ。ところで、エルザ様はあれからルース元殿下に会われたのですか?」

「ええ、一度だけ」


エルザはルースの罪は彼だけの責任ではないと思っていた。自分がもっと慎ましい令嬢だったら、ルースだってこんな強硬手段には出なかっただろうと。

だから、できる限りルースを助けたいと思い面会に行くと、ルースは以前とは打って変わって優しい態度でエルザを迎えた。

『僕が愚かだったよ。こんなに美しく、あんなに強い気持ちで僕を愛してくれたエルザを裏切って、凡庸な見た目の暴力的な女に靡くなんて。エルザ、どうか僕を支えてくれ』

ルースのこの言葉にエルザの気持ちは一気に冷めていった。結局、ルースが愛していたのは自分自身だったのだ。彼は他人なんて、自分が利益を得るための駒としか思っていない。

『ルース様、これは試練です。どうか乗り越えて、貴方のお心が変わることを祈っています』

それがエルザがルースに告げた別れの言葉だった。


「もう、ルース様にお会いすることはないでしょう」


エルザは寂しげに微笑んだ。


「これからどうなさるんですか?」

「修道院に入ります。お父様は私を見限っていますし、私も自分のしたことを償いたいのです」


エルザの言葉を聞いたハンス神官は前へ進み出た。


「でしたら、我が国にいらっしゃいませんか?」

「セイラン王国に?」

「ええ、貴女には微力ですが聖女の力があります」

「まさか!」


エルザは目を見開いた。

ハンス神官は会議室でエルザの涙が床に落ちた時に、一瞬黄金色に光ったのを見たのだ。バート公爵家の使用人に話を聞いたところ、エルザの涙に触れてから手が荒れなくなったという証言や、エルザのハンカチは何年経っても新品同様だという証言を得た。


「貴女の涙は触れたモノに加護を与える力があります。その力を、病気で苦しむ人や、魔獣と戦う者達に分け与えてあげていただけませんか?」

「でも、私のような罪深い人間が聖女だなんて」


ハンス神官は跪いてエルザの両手を取った。


「人は誰しも罪を犯すものです。大切なのはその後どうするか。貴方はまだいくらでもやり直せます」


ハンスの銀髪が風に揺れ、青い瞳が真っ直ぐにエルザを見つめる。


「それに、貴方は人を愛する心を持っています。それは聖女にとってとても大切なことですよ」


エルザの頬が僅かに桃色に染まる。


「…お願いします。私を、セイラン王国の聖女にして下さい」


エルザは心を決めた。


(流石、初恋泥棒。流れるように口説き落としましたね)

(エルザはルースが好きだったんだから初恋じゃないけどな)

(これで交渉が無駄にならずに済みますね)


コソコソとシェリー達は言い合った。

三ヶ月前の協定の際に、アルベリア王国に『バート公爵家のエルザをセイラン王国に招きたい』と要求を出したのだ。新国王とバート公爵は訝しげな顔をしていたが、シェリーが一回手元を爆発させて、ビルが適当に丸め込み、エルザが聖女であることをうまく隠したまま要求を通した。

これでエルザに断られたら無駄骨だったのだが、心配は要らなかったらしい。ハンス・ジュード25歳『セイラン王国の10〜20代が選ぶ結婚したい男』5年連続一位の実力の賜物である。


「じゃあ、私がエルザ様の先輩ですね!もう聖女になって三年ですから、なんでも聞いてください!」


シェリーが元気よく言うと、ハンス神官の胃が痛む。

シェリーが聖女になって三年、ある時は神殿に入った泥棒を神殿の屋根と一緒に吹き飛ばし、ある時は山賊を山ごと吹き飛ばし、ある時は魔物の群勢ごと四方三厘を更地にし、ハンス神官の胃が休まる日はなかった。


「はい、よろしくお願いします」


エルザは嬉しそうに笑った。

ビルと護衛騎士はその様子を眺めて苦笑する。


その日のアルベリアの空は、エルザの門出を祝福するような快晴だった。


***


【おまけの人物紹介】

≪アルベリア王国≫

エルザ・バート(17)

貴族として生きるには素直すぎた。愛情深いがその分嫉妬深くもある。作中には出てこないが兄が二人いるが、仲は悪い。バート公爵家は全員きつい性格をしてるので、家の空気は常にギスギスしている。

エルザは他人の影響を受けやすいので、セイラン王国に行ったらかなり性格が丸くなる。


ルース(20)

頭が良くて優しいと評判の王子だった。自分の価値を上げられる女性が好きなので、悪目立ちするエルザは婚約者として相応しくないと思っていた。バート公爵が娘に愛情がないことを見抜いて、誘拐計画に協力するよう持ちかけるなど、観察力がある。


バート公爵(42)

典型的な貴族らしく、公爵家が何より大切。

娘は政略結婚の駒としか思っておらず、前々から王太子に嫌われている節のあったエルザについては、公爵家に悪影響を及ぼす可能性が出たら即刻縁を切るつもりでいた。ルースの計画に乗ったのは王太子の弱みを握りつつ、駒として価値のなくなったエルザを捨てるため。

今回の事件でも決定的なボロは出なかったので、公爵の地位はそのまま。


嘘の証言をしたバート家の御者(35)

妻と娘が一人いる普通にいい人。

ルース派の騎士に厳しい尋問を受けていたが、善人なので最初は正しい証言をしていた。後にバート公爵が現れ『娘を庇う必要はない。君の娘さんも心配しているだろうから正直に話して帰った方がいい。』と言外に脅され、嘘の証言をしてしまった。

事件の後エルザに謝罪し、許されている。


国王(43)

何者にも公正で厳格な王。息子にも厳しく接してきたことがルースの承認欲求を肥大させる原因になった。王座を辞した後は少し優しくなった。


≪セイラン王国≫

シェリー(16)

特技は大食い、苦手なことは手加減。

エルザの嫌がらせについては本当に屁でもないと思っていた。捨て子で色々苦労してきたので、敵とみなした相手には容赦しない。


ビル(18)

クールぶっているが、笑いの沸点が低い。

聖女の任務にも同行することが多いので、恋仲と思われがちだが、ベタ惚れの婚約者が別にいる。シェリーのことは猛獣だと思ってる。


護衛騎士(19)

実はアレスという名前がちゃんとある。冷静沈着でやる気はあまりない騎士。

アルベリアに滞在中にいろいろ調査をしており、アルベリア王家の"影"の存在と特徴をシェリーに教えたのもこの人。『怪しく見えても殴っちゃダメ』と教えたのだが、結局"影"はボコボコにされていた。


ハンス(25)

胃痛持ちの神官。実は神殿ではかなりの地位に着いているエリート。お人好しなので貧乏くじを引きがち。シェリーのお目付役も押し付けられた。イケメンで内面の良さも滲み出てるのでモテる。



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― 新着の感想 ―
[一言] 御者の方は偽証と公爵家のトカゲのしっぽとして首が飛ぶかと思ったら生きていましたか… その分、元王太子の罪が重くなってたんでしょうね。 国王まで退位してますし。
[良い点] 〉「山中探し回ってやっと捕まえたんですよ」 んな、カブトムシみたいに(笑) タイトル回収までお見事でした!! 新年初読書で出会えたことに感謝! 今年は良い年になりそうです♪ ナツメ様も良…
[良い点] 面白かったです! [気になる点] 恋愛カテゴリーの話なのに、エルザの一度目の恋(ルース)はともかく、二度目の恋(ハンス)も無理そう(笑)
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