004
【なんとも情けない話】
ファミレスで見知らぬ女と相席、というのは色んな意味でドキドキしてしまう。何か高い壺を買わされたり、屈強な男が現れて金品を要求されたり、そんなことをされてしまうんじゃないだろうかと思うと、ドキドキしてしまう。
もしかして、これって恋?
んなわけねーだろ。
「どしたの? 早く食べなよ」
対面に座るギャルは笑顔でそう言うが、俺はスプーンを手に取る気はなかった。目の前に置かれたチーズケーキにいったいどんな毒が盛られているのだろうか。
「食欲がないんだ」
「何それ。せっかく頼んだのにもったいないじゃん」
ギャルは「じゃあもーらお」と言って、皿ごとかっさらっていく。躊躇いもなく食べた。毒は入っていないのか。
返してもらいたくなった。
「やっぱり食べたくなった?」
そこまで物欲しそうに見ていない。
……と、思う。
「いや、コーヒーでいい。つーか、そもそも俺はあんたのこと知らないんだけど」
「昨日助けてくれたじゃん」そういう意味じゃないんだが。
「巻き込んだだけだろ」
「だからお詫びに奢ってんじゃん?」
でもそのお詫びの品はお前が食ってるけどな。まぁ、辞退したようなもんだし、文句は言うまい。
ギャルはお詫びの品だったらしいチーズケーキをひとしきり平らげると、「あ、そうだ」と思い出したようにカバンを漁った。取り出したのはカード状のもの。そこには俺の名前が記されていた。
学生証だった。
「昨日落としてたよ」
「あー……だから学校分かったのか」
「てか学生証って普通落とす? しかもしわしわだし」
「遊びに使ったあとポケットに突っ込んだままだったんだと思う」
以前野武士に連れられてカラオケに行ったはずだ。そんでそのまま洗濯してしまったのだろう。学生証は折り曲がって、しわしわになっていた。今度室伏に再発行してもらおう。
なんにせよ、このギャルが俺の名前と学校を当てられた理由が分かった。あの時何かの弾みで落としたのか。完全にちゃんと財布なりにしまっておかなかった俺の不手際である。
「鳴海義仁……よっしーって呼んだらいい?」
「友だちかよ」
「ダメなの?」
「なんか卵産みそうだから嫌だ」
「あ、マ○オ?」
「マ○オは卵産まねぇよ」
「何それウケる」
別にウケないけど。
ギャルは「じゃーなるっちって呼ぶ」と言って、それからストローに口をつける。それはそれで卵形のポケットゲームで飼育されそうだから嫌なんだけども。
抗議したかったが、オレンジジュースを飲むギャルには届かなかったようだ。こんにゃろ、ストロー摘んで飲めなくしてやろうか。
「なるっちさぁ。あたしが誘っといてなんだけど、一緒にいた子ほっといてよかったの?」
喉を潤して滑りも良くなったのか、舌のよく回ること。つーかマジでなるっちって呼ぶのかよ。ギャルってのはこう、人との距離感というものを図るものさしがぶっ壊れているのだろうか。それともこの女だけか。
それにしてもなぜ相原の話題になるのか。
「別に大丈夫だろ」
「浮気とか言われない?」
「彼女じゃねぇってさっきも言ったろ」
男女が並んだだけでカップルになるならこの世に戦争は起こらねぇよ。別に戦争関係ないけど。
「ふぅん? でもさ、仲良さそうだったじゃん」
「同じ中学だしな」
「いや、そういうんじゃないけど……まぁ、いいか」
ギャルは頬杖をつきながら、しかし視線は真っ直ぐ俺を見据えてくる。何を考えているのかが分からず、居心地が悪さにたまらずコーヒーを飲んで誤魔化す。
確かに相原とは腐れ縁だし、他の女子よりは仲はいい。つーかもともと友だち少ないからね。異性はおろか、同性すら少ないからね! なんか悲しくなってきた。
まぁ、そんな訳だから相原以外で喋る女子とかほんと数えるくらいしかいない。よく話をする女子と問われれば必然的に相原になる。だから俺たちがそういう、間柄だと思われることは今までだって少なからずあった。
「……つーか、そもそもなんで絡まれてたんだよ」
わざわざ念押してまで訂正するのも面倒だが、これ以上根掘り葉掘りと言われるのも嫌なので、話題を変える。
ギャルはうーんと唸りながら考えこむと、「あたしもいきなりだったからよく分かんないんだよね」と言った。
「なんだよ、それ。ナンパじゃねぇのか」
「違うと思う。なんて言ったらいいのかなぁ……まぁ、あたしも巻き込まれた系?」
「なんで疑問形なんだよ」
「だって説明しにくいんだもん」
なんとも的を得ない言い方である。なんにせよ、この女も大概妙なことになっているようだ。そんなものに巻き込まれた俺は一番の被害者なのではなかろうか。
「あたしの幼馴染でね」
ギャルが、ゆっくりと口を開く。言葉を選ぶかのような慎重さが伺える。
「よく喧嘩する奴がいるから、それの報復……っていうのかな」
「報復なんて言葉、知ってるんだな」
「あ、バカにしてる! あたしこれでも結構頭いいんだからね?」
頭いい奴は自分で頭いいってあんま言わないと思うけどな。
俺が「ハイハイ」と生返事で応えると、ギャルは頬を膨らましてみせた。顔立ちが整っている女がこういう仕草をすると、わざとらしさも感じるものなのだが、このギャルに関して言えば、「相応」という言葉が似合う。
「つまりはその幼馴染の彼氏の喧嘩に巻き込まれたってことか」
「彼氏余計! あんなん彼氏とか絶対ヤダ!」
「あっそう」幼馴染、ひどい言われようだな。
「あ、信じてないでしょ! 違うからね!」
「分かったって」
「分かってない!」
そんなにムキになる必要もなかろうて。それに、お互い様というものだ。少しは己を省みるべきだろう。
ぷりぷり怒っているギャルがだんだん可笑しくなってきて、自然と笑みが溢れる。「何笑ってんのよ!」と、日に油を注ぐ形になってしまったが、それはそれで構わない。
わめくギャルを無視してコーヒーをすすっていると、さらにわめいていた。他の客の迷惑になるからほどほどにな。
それからしばらく、他愛のない話が続き、そして気付けば日も落ちかけていた。随分と話し込んだものだ。
「さてと」俺は荷物を持ち、立ち上がった。「とりあえず事情は分かったし、学生証も届けてくれてありがとう。そんじゃ帰るわ。コーヒーごっそーさん」
「え……もう帰るの?」と、まるで捨てられた仔犬のような上目遣いでこちらを見つめてくる。
そんな目で見られてくるとは思いもよらず、一瞬躊躇いも生まれるが、もしやここはスマートにお会計をするべきなのだろうか。しかし俺にそんなスキルはないっつーか、そもそもお詫びたがら要らないよね。違うよね。罠とかじゃないよね?
「あーいや、もう用は済んだんだろ?」
「それはそうだけど……」
「なら、帰るわ。結構話し込んじゃったし。夕飯間に合わねーと妹に怒られるんだよ」
「そっか……そうだよね」
「あんたはまだ帰らねぇの?」
「あたしはもう少しいる」そう言ってしばらくギャルは怪訝そうな表情で俺を見る。「そのあんたってのどうにかならないの?」
「だって、あんた名前名乗ってねぇだろ」
「え? そうだっけ」
すっとぼけているわけでもなく、本気で名乗ったつもりになっていたようだ。ははーん、さてはこいつアホだな?
「気付いてなかったのかよ」
「だって聞かれなかったし、てっきりもう知ってるのかと思ってた」
「俺は諜報員か何かか」
「ちょうちょう? は? 何言ってんの?」
そのギャルの「は?」は殺傷力高いからほんとやめて欲しい。
「……なんでもねぇよ。そんで、名前なんてーの?」
「桜」
「さくら……花の?」
「うん。九條桜っていうの」
「ふぅん。なんか清楚な名前だな」
「何よそれ、似合ってないって言いたいの?」
「んーや。似合ってると思う」
そう適当に返す。昨今キラキラネームやらが蔓延る世の中、名は体を表すというのも一概に当てはまらないものだ。
それに、九條桜がどんな女か知らないのに、似合ってるかどうかなど俺が言える立場でもない。でも似合ってるかと聞かれたら、似合わないとは言えないだろう。
「そ、そっか。ありがと……」
「どーいたしまして。ま、遅くならねぇようにしとけよ。また変なのに絡まれるかもしれん」
「その時は助けてね」
「どうやってだよ」
苦笑しつつも、「じゃあな」と、その場を立ち去ろうとすると、制服の裾を掴まれた。さして強い力ではなかったし、振り払えるものではあったが、そうする気にはなれなかった。
「な、なんだよ」
「……先」
「はい?」
「れ、連絡先教えてよ」
「なんでだよ」
「ピンチの時は助けてくれるんでしょ?」
「誰もそんなこと言ってないけど……」
「……ダメ?」
この上目遣いはあざとい。本当に、ずるい。
これで断ったら俺が悪者みたいじゃないか。
「ダメじゃないけど……俺はお助けマンじゃねぇからな?」
「分かってるってば」
ほんとかよ。
イマイチ信用はできなかったが、悪用するようにも見えない。まぁ、お高そうなツボの写真が送られてきたら、その時は無視をしたらいいだろう。
スマートフォンを取り出し、お互いの連絡先を交換する。
メッセージアプリの数の少ない俺の友だちリストに、「sakura」と名前が表示がされる。ギャル改め、九條は大事そうにスマートフォンを握りしめ、ふくよかな胸に押し付けていた。
健全な日本人男子にはいささか刺激が強い。じろじろ見て「ヤダ童貞キモーイ」とか言われたら心が死んでしまう。童貞云々ではなく紳士として、颯爽と目を逸らす。
しかし一度意識してしまうと俺の目が勝手に動こうとする。やめてくれ、俺はまだ死にたくない。頑張るんだ。鉄の意志を持て。
早くこの場から立ち去ろう。それが一番の解決策だ。
「それじゃ、またな」
俺が一瞥しながら早口にそう言うと、九條は少し目を丸くして、それから満面の笑みを浮かべた。一瞥のつもりが、視線は結局その表情に釣られてしまった。
「うん。またね」
ああ、なんとも情けない話だ。
九條の、その満開の微笑みに、ほんの一瞬でも見とれてしまったなどとは口が裂けても言えない。そんなことをもし言おうものなら、笑われること請け合いだろ。
余計なことを口にしてしまう前に、俺はそそくさと逃げ出した。
思えば、これもまた十分に情けない。