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002

【兄貴ィッ! お勤めェ、ご苦労様でェッすッ!】


 美咲高等学校はそれなりの進学校である。

 文武両道を旨とし、運動部も年々躍進を続けている。まぁ、よく言えば努力家の集まる学校。悪く言えば、どっちも中途半端な発展途上な学校。良くも悪くも「中堅」という言葉が似合う学校である。

 一番近い高校であったがために選んだのだが、今となっては過去の自分の選択を悔やんで仕方がない。

「何が悲しくてこんなむさ苦しいオッサンと二人で密室に閉じ込められねばならんのか……」

「オメーが勝手に出歩いてたからだろーが問題児」

 酷く不名誉な言い草である。俺は問題児などではない。むしろ成績だってそれなりにとっているし、品行方正。優等生とまではいかなくても、規律ある一般生徒である。

 だから朝一番で生徒指導室に放り込まれる筋合いはない。

「不服そうな顔をするんじゃない。お前は自分のことを普通と思ってるか知らないが、そもそもまっとうな奴は停学にはならねーんだよ」

「停学もさ、ここまで来るとカレーにおけるスパイス、もしくはご飯におけるふりかけみたいなもんだよな」

「いや、納豆だ」

「納豆バカにすんな! あいつ、すげぇ栄養あるんだぞ!」

「臭いが無理なんだよ。子どもの頃からあれだけは敵わん……って違う。話を逸らすな」

 乗ってきたのはそちらなんだが?

 理不尽な物言いに不平を漏らしかけたが、収拾がつかないのも困るので黙っておくことにした。というか、とにかくこの生徒指導室から抜け出したい。その一心がある限り、俺はいくらでも貝になれる。

 生徒指導担当である室伏は軽く咳払いをし、口を開いた。

「とにかく、だ。昨日謹慎無視して出歩いてだろう」

「一日くらいリフレッシュさせてくれてもいいだろ」

「そりゃあ、な。せっかくの連休だ。多少出歩いたって大目に見るつもりはある。俺だってそこまでわからず屋じゃないよ」

「なら……」

「問題を起こさなければ、だ」

 俺の言葉を跳ね除けて、語気を強めて凄まれる。

 黙るしかなかった。

「高校生くらいの男が駅前で荒高アラコーの生徒をぶん殴って逃走。相手は軽い脳震盪だったようだが、命に別条はないらしい」

「そんな事件があったとは。なんとも物騒な世の中。一刻も早く犯人には捕まって欲しいですね」

「お前だろうが、犯人」

 沈黙の帳が降りる。

 オッサンと見つめ合う絵面は非常に酷い。そして俺の内心も非常に酷いものであった。冷や汗が止まらない。おかしいな。エアコン効いてないのかな、この部屋。

「ちゃうねん! アラコーの生徒って知らんかったんやって!」

「エセ関西弁やめろ。目撃証言大量にあるんだよ。往来なんかで喧嘩するから。せめて見えないところでやれよ」

 それはそれで生徒指導の言い草ではない。

「ホントあれは巻き込まれただけなんだって」

「お前はあと何回『巻き込まれた』って言うつもりだ? そもそもこれで何度目か知ってるか?」

「そんなの数えてねぇよ。三回目くらいじゃねぇの」

「八回だよ!」

 室伏は凄まじい勢いで立ち上がり、鬼の形相で怒鳴り始めた。

「今年入ってもう二回目だぞ? 多すぎんだよ! たまには毎度毎度方方に謝りにいく俺の身になってみろよ!」

「大変ですねぇ」

「本当にな! ところでぶん殴っていい⁉︎」

 このように荒ぶる室伏であるが、他の生徒指導の先生の視線にいたたまれなくなったようで、咳払いをして座り直す。「こんな問題児は初めてだよ、畜生」と、小さく呟きながら、用意していた水筒を一気にあおる。中身が酒でないか心配になるが、まぁ、室伏の昂ぶりは主に俺が原因なので違うんだろう。

 室伏は水筒を机に置き、後頭部をかきながら考えこむ仕草をする。

「なぁ鳴海、目撃者の話じゃ女がいたらしいが、またそういうの・・・・・か?」

「そういうのってなんだよ」

「お前の慢性的な持病みたいなもんだろ」

 人を性的倒錯者のような言い方で表さないで頂きたいものだ。本当にあの女の一件はただ巻き込まれただけのものだし、病気よりは呪いのようなものに近いと思っている。

 抗議の視線を送っていたのだが、長い嘆息から察するに、室伏には通じなかったようだ。

「お前はもうちょっとこう……なんとかならないのか」

「人を問題児のように」

「実際問題児なんだよ、お前は。分かってる?」

 失敬な、とは思いつつも、実際問題は起こしてしまった手前これ以上何か言うことは出来なかった。別に起こしたくて起こしているわけでないのだが、毎度のことながらどうしてこうなるのか。

 暴力は好きではない。もちろん喧嘩もだ。

 けれど、こうなってしまう。

 短気なわけでもない、と思っている。実は違うのかもしれないけれど。自分から喧嘩を売る、ということも経験はない。それだって実は違うのかもしれないけれども。

 幼い頃から、近くの道場で武術を習っていた。

 なんという武術かはよく知らない。柔道ではないだろうし、合気道でもないと思う。空手か少林寺のように演舞もあった。格闘技かと思っていたが、木刀を振り回していたので実は剣道だったのかもしれない。防具付けたことないけど。『相楽道場』という、田舎の、小さな道場で、師匠である妖怪のような爺さんから、技を習っていた。なんの技かは分からなかったけど、とにかく色んな技があった。

 相楽の爺さんはほとんどの技を「喧嘩には使うな」と言っていた。「間違って殺しちゃったら事だしな」とも付け加えていた。だから使うのは、使ってもいいと言われたものだけだ。その頃は何も思っていなかったが、人を殺せるような技を教わってたってことだよな。

 今も時折通っているが、未だあの爺さんがどういう人間なのかは分かっていない。妖怪か何かだと認識している。

 習っていてよかったと思ったことはない。それはすでに日常だったから。ただ、こうも体得した技で振りかかる火の粉を払った結果指導されていると、この武術が原因の一端を担っているようにも思えてならない。

 爺さんにそんなことを言えば、「単にお前の気合が足りんからじゃ」と、組手でこてんぱんにされてしまうだろう。口が避けても言えない。それに、武術に遠因を求めるのも何かが違う気がする。

「とりあえず今回のは大目に見てやるがな、頼むから大人しくしてくれよ。とにかく余計なことに首を突っ込むな」

「へいへい」

 まるで毎日のように暴れているような言い回しだが、教師の視点からすれば、というよりも結果的に見て俺が暴れているようなものなのだろう。

 これまでのことはともかくとして、今回に至っては俺の意思に関係なく巻き込まれただけなので釈然としない。とはいえ室伏を休日まで働かせていたことには多少なりとも罪悪感はあったので、大人しく首を縦に振った。

 損な仕事だよな、ほんと。俺の言えた義理じゃないけど。

「悪かったよ」

「これが仕事だから仕方ねぇんだよ」室伏は胸ポケットからタバコを取り出して、立ち上がった。「話はこれで終わりだ。悪いと思うなら当分は大人しくしとけ。とりあえず授業には遅れるなよ」

「へいへい」という俺の返事に、「……たく、返事くらいちゃんとしろ」と室伏はぼやいた。しかし喫煙の欲求のほうが勝ったのか、それ以上何か言うことはなかった。

 立ち去ろうとする室伏に、「余計なお世話だろけど、タバコは身体に悪いぞ」と一般論を投げかけてみたが、返ってきたのは「かみさんにも言われた。まぁ、そのうち辞める」というものだった。

 それ、ゼッテー辞めない奴の言い草じゃねぇか。

 俺がそう返すよりも速く、室伏は生徒指導室から出て行った。

 取り残された俺は、寸刻の後に鳴り響いた朝のSHRの終わりを告げるチャイムに急かされるように、生徒指導室を後にした。

 一限目って確か数学だったか。

 やっべーな。さっそく教科書忘れてらぁ。



「兄貴ィッ! お勤めェ、ご苦労様でェッすッ!」

「うるせぇよ……」

 腹部に一撃を叩き込み、「ぐえっ」という声を上げて倒れ伏した。

 やり過ぎかとも思うかもしれないが、教室に入るなり、出迎えた第一声がこれだと思うと腹立たしさも倍になるというものだ。お洒落のつもりか整えられた顎鬚と、男にしては長い癖のある髪を後ろに束ねた男が、腕を背中で組みながら深々と頭を下げていたら自然とそういう行動に出るのも致し方ない。

「は……腹が……ッ」

 腹がなんだ。俺は周りの奇異の視線にいたたまれない。

 朝からなんの嫌がらせだよ。

「ホントそういうの止めて。迷惑だから」

「うぅ……」

 綺麗に入ったせいか、まだ喋れないらしい。

 無視して席に着くことにした。

 二年四組。ド真ん中の列の前から三番目という、学園ドラマのような漫画の神に選ばれなかった存在であることを証明する席が俺の位置である。もう諦めてるしどうでもいいんだけど、なんでああいう奴らは窓際か最後尾なのだろうか。

 瑣末な疑問はさて置き、俺の考えるべきは数学の教科書をどうするかということだ。残念ながら俺は友達が少ない。

 他クラスに知り合いはいただろうかと考える時点でもういない。友達の定義を考え出すぼっち系主人公だって他クラスに友人いるだろうに。

 いや別にぼっちな訳ではない。そこは勘違いしないで頂きたい。他クラスにはいないが、同じクラスにはいる。要するに借りる相手がいないだけだ。

 でもまぁ、一応お伺いを立ててみるか。

 再び席を立ち、うずくまったままの男に近寄り、しゃがみ込む。まだ呻いている。よほど痛いのかもしれない。

「なぁ、野武士」

「……よっしー、超痛いんだけど」

「あ、そう。それより数学の教科書貸してくんない?」

「……俺見れなくなるじゃん」

「友達の心配しろよ」

「いやそのまま返すわ……」

 どうやら駄目らしい。分かってたけど。

 いよいよ手詰まりだ。他に借りれる友人などいない。

「あー……痛かった。マジでちびるかと思った」

「下品だなぁ」

「お前のせいだからね!?」

「原因はお前だろ」

 朝から不快な挨拶をしてきたのが悪い。

 野武士は下腹部を押さえながら、起き上がる。「ほんの冗句じゃん……」なら相手は選べと言いたい。

 ちなみに野武士は当然のことながら渾名だ。

 野武士こと富坂泰介は、中学時代からの腐れ縁。これで付き合いも四年目となる。奴は親友と憚って聞かないが、教科書も貸してくれない相手を親友と呼ぶのには抵抗がある。

 などという冗談は程々にして、本当にどうすべきか。

「つーかさ、冬馬に借りたら? あいつ三冊くらい持ってそうだし」

「本当に持ってそうだからやだなぁ」

「僕がどうかしましたか?」

 俺と野武士の背後から、たけのこのようにぬっと生えてきたのは、中性的な顔立ちの美少年。「出たな妖怪め」「ひどいなぁ」警戒を顕にする俺に肩を竦めて応じるこの少年が、時雨冬馬である。

 同じクラスで、去年からの付き合いである。色気すら感じる右の泣きぼくろと、絶やすことのない胡散臭い笑みが特徴と言える。「酷い物言いですね」あとサトリのようにナチュラルに心を読んでくるあたりも特徴だろうか。

「教科書忘れたんですか?」

「数学あるって知らなくてな」

「時間割変更があったんでしたね、そういえば」

「教えろよ」

「聞かれなかったですから」

 そりゃ知らないんだから聞きようもない。鬼かよこいつは。

「貸しましょうか?」

「二冊持ってるのかよ」

「持ってませんよ」ならなんで聞いたし。「流石の僕でも教科書をコレクションする趣味はないです」

「だろうな」

 最初から当てにしていない。なんというか、冬馬に借りを作るのは色々と危険なのだ。こいつ新聞部だし。やけに学校の裏事情にも詳しい。何かやっているのだろうが、知りたくはない。

「僕の友人に借りてきましょうか、という意味です」

「いや、いい。大人しく怒られる」

「そんなに僕に頼むのは嫌ですか」

「嫌だね。怒られた方がマシだ」

「そうですか。まぁ、借りなくても隣の人に見せてもらうという手もありますしね」

「えぇ……」もっとやだよ。「絶対嫌な顔されるの分かってて頼めるかよ。こちとらドM趣味はねぇ」

「選り好みできる立場だと思ってるあたりがすげぇよ」

 野武士に至極真っ当な事を言われると、どうして腹が立つんだろうか。まぁ、最終的にはそうせざる得ないというのは分かっていたけれども。出来れば避けたかった手段である。

「別に嫌がられる事はないと思いますけどね」

 冬馬はそう言うが、どうシミュレートしても嫌がられる結末しか想像できない。「要は何事も試しですよ。トライアンドエラーです」という冬馬の言葉ももっともではある。が、こちとらエラーをしたら何が起こるか分からないからね?

「どのみちあと二、三分で始業ですし、間に合いませんよ」

 端から選択肢などなかったようだ。もしかしたら俺のシミュレーターが壊れてるのかもしれないし、試すだけ試してみるか。

 自席に戻り、隣の座席でスマートフォンを操る女子生徒に意を決して声をかける。

「あー……相原さんや」

 指が止まり、視線がこちらに向けられる。目つきが鋭いせいで、彼女の上目遣いには愛らしさはなく、獰猛な獣のようなものであった。というか、単純に機嫌が悪いようだ。

「あ? 何よ」

「お、おはようございます」

「おはよう。で、何?」

 睨みつける姿勢は崩れることはない。いっそ眼からビームでも出てくるのではないかと思ってしまう。

「いや、その、なんだ。一限目の数学の教科書忘れてな」

「見せて欲しいってこと?」

「うん。まぁ、そういうこと」

「ふぅん……」相原は考える仕草をして、そして淡々と「嫌よ」とはっきり述べた。

「そこをなんとか」

「嫌」

「ちょっとだけでいいから……」

「嫌よ。絶対に、嫌」

「端っこだけ! 端っこでいいから!」

「い・や!」

 取り付く島もない様子であるが、こちらも諦める訳にはいかない。チャイムが鳴るまでひたすら交渉を続けたが、しかし残念ながらその交渉は失敗に終わってしまった。

 結果、俺は教科書を持たないまま数学に臨むこととなったのであった。むろん、先生には怒られた。

 ちなみにではあるが、後日俺が相原に性的な意味でしつこく迫っていたという噂が流れていたそうだ。一体誰がそんな噂を流しているのだと憤慨しながら探し当てた出処は新聞部であった。

 だからあいつ嫌いなんだよ。畜生め。

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