001
タイトルって難しい。
何かいいタイトルはないだろうか…。
【なんて厄日だ】
青春とはなんだろう。
そんなことを考えるのは、妙な哲学に目覚めたからだとか、そういうわけではない。ましてこの問いは自己の確立のために思考する類のものでもない。一種の逃避行動と言っても差し支えないものだ。
まぁ、そもそも青春がどうとか考え始めた時点でほとんどの人間はなんらかの逃避をしているのかもしれない。テスト勉強だったり、仕事やバイトであったり。その理由は様々であろうが、どちらにせよ実生活が充実している人間には縁のない思考であり、なんらかのフラストレーションを蓄えているか、ストレスでも感じているからこそ、こうした一種の自己防衛めいた真似をしてしまうのだろう。
とどのつまり、俺もまた逃避しているわけだ。
いやでも逃げたくもなるじゃない? こんな状況だとさ。仕方ないと思うんだよね。平静を装ってはいたが、内心は冷や汗ダラダラである。心臓に毛でも生えていたら話は別だろうが、あいにく俺には生えてない。
ヒリヒリと痛む右拳。
ぶっ倒れる若い男。
ざわめく人々。
またやっちまった。
事の発端はゴールデンウィーク最終日である今日、不覚にも出掛けることを決意した時から始まっていた。あの時の選択を呪いたい次第である。とはいえ、後から悔やむと書いて後悔。
後悔は先に立たないものであるのだと、身を持って痛感した。
◇
ゴールデンウィークと言えば、旅行だとか、友人と遊ぶだとか、部活に打ち込むだとか、何かしらの予定があって然るべきだと思っていた。しかしおおよそ俺にはそのようなものは一切なく、ひたすらに惰眠を貪る日々が続いていた。やはり大型連休というのは少なくとも生活が充実した者こそが享受すべきものであって、俺のような人間には過ぎたものなのかもしれない。
豚に真珠、猫に小判。馬の耳に念仏。そして俺に連休。泣ける。
しかし豚よりも真珠の価値がわかり、猫よりも小判に喜べ、馬よりはまともに念仏も聞き取れる俺には連休を満喫する好機があるはず。こと最終日に至っても外出の予定すらない、黄金というよりは灰色に近いことに嫌気が差し、一念発起、今日くらいはと外出を心に決めることの何が悪い。だってもう最終日ですやん? 色付くことさえなければ、輝くこともない、こんな日々に終止符を打ちたいと思ってもいいですやん? 枯山水だから、と侘び寂びを説いたところで、全身から漂う負け犬感までは拭えないんだもの。
とはいえ、市街に外出をしてみたまではいいが、目的意識なく出掛けることの無意味さに打ちひしがれるだけだった。せめてこう、散歩とでも銘打てばまた心持ちも変わってきたのだろうか。
まぁ、そもそもこうして外出することを認められているのかも定かではないまま出掛けたので、場合によってはお叱りを受ける事になるかもしれない。とはいえこうも家にこもっていては陰鬱になるというもの。多少は許されるはずだ、と勝手な甘い考えでいた。しかし知り合いに見咎められないようにはすべきだろうと、特に楽しいことも起こるはずもない。やはりささくれ立った心で出掛けても良いことは起こらぬのだと理解し、諦めて駅へと足を向け、おとなしく帰路につくことを選択した。
適当にロックバンドの新曲を見繕い、服を数着買ってみたものの、物欲のない状態では充足感もない。単に手首に提げた袋が煩わしい。
休日も相まって電車が混み合っているというの煩わしさに拍車をかける。少し歩き疲れていたけれど満席であるため座ることも叶わず、仕方なく吊り革に身を預け、慣性に身を任せている。決して重いわけではないはずの袋も、今は妙に重たく感じる。
……足、だりぃ。
ぶら下がってしまえば楽になるのだろうか。手がだるいだけか。意味ねぇな。気持ちの面でも更に倦怠感が募ってきた。少しばかり座って休憩がしたい。帰る前に喫茶店でも入って小休止を挟むべきだったか。とはいえ今日の出費と明日以降の必要出費、そして次の給料日までをざっくり計算してみると、どうにも財布の中身が心許ないため、断念せざる得なかった。ちなみに目の前に座るのはヘッドホンを身につけ微動だにしない若い男。隣は杖ついた婆さんと子連れの若奥さんとくりゃ、まぁ、座るのは無理そうだ。
「あー……んんッ」
つい独り言が零れそうになって、咳で誤魔化す。気恥ずかしさに周囲を見回したくなるが、我慢をする。きょろきょろしてたら不審者に間違われるかもしれない。それもまた自意識過剰といったところなのだろうが。
継いで零れそうな溜め息を堪え、暇つぶしにスマートフォンを手に取った。ゲームは据え置き派な俺の性格か、どうにもソーシャルゲームは長続きしない。かといって全くしないわけでもなく、暇つぶし程度には嗜む。結構な期間放置していたであろうアプリを開いてみたら、アップデートを促された。昨今ゲームも容量が大きい。時間も電池も無駄になると思うと、ローディング画面を見続けることはできなかった。他のゲームをする気にもなれず、ホーム画面を意味もなく左右に動かし続け、仕方なしに適当なニュースアプリを開く。
一面を飾るニュースの一覧を眺め、スクロールしていく。
目ぼしい記事は得にない。というより、読んでいてもどうにも目が滑る。開いては閉じ、開いては閉じを繰り返すだけだ。
社会の授業は嫌いと言うわけでもない。しかし政治だの、国際問題だのは頭に入ってこない。単に興味がないのだろう。いや、あるにはあるけれど、タイミングがいろいろ合ってない。ひとしきり眺めて得た感想は最近痴漢事件が増えつつあるなぁ、くらいのものだった。まぁ、それだって男の俺からすればせめて冤罪には注意しようくらいの意識付けでしかない。被害に遭うことはあまり想定していない。つーかあったらそれでこえーわ。
ともあれ被害も加害も経験のないことに空想の出来事のような感覚しか覚えられず、さしたる程度の興味も失い、さっとスマートフォンをズボンのポケットにしまった。
ちょうど停車駅にさしかかり、身体が揺れる。進行方向に流されないように脚で踏ん張りをかけたのだが、隣に立っていた人は耐えられなかったのか、こちらにぶつかってくる。
「スミマセーン」
「あーいえ、こちらこそ」
随分と軽い謝罪ではあったものの、謝られたことで、反射的にそう返す。同時に動いた視線の先には同年代ぐらいの、整った顔立ちの女が立っていた。コテコテしたスマートフォンをいじりながら、こちらには目もくれない。
なんというか、ギャルである。全体的に軽装というか、いろいろとこう、いささか露出の激しい服装。凝視しているといささか刺激が強いので、とっとと視線を前方へと戻す。
ギャルは苦手だ。なんかもう別の生命体に思える。
学校にもギャルは何人か存在するが、関わりは全くと言っていい程ない。そもそも何を考えているのか分からないし、大きな声で笑っている時なんかはビクッとなる。もしそのまま指をさされながら「童貞www」とか言われたらたぶん死ぬ。俺の中でギャルの大半はアバ○ケダブラ級の即死の呪文が使えると思っている。
謎の固定観念に縛られている俺にとっては恐怖の存在と言っても差し支えない。
やだなぁ……。「なんかイカ臭い男子にぶつかったンですけどサイアクー」とか思われてたらどうしよう。ショックで心臓止まるかもしんない。
『――です。お降りの際、お忘れ物無いようご注意ください……』
最寄り駅に差し掛かり、降りる準備をする。するとギャルも動き始める。どうやらギャルもここで降りるらしい。被害妄想に取り憑かれた俺からしたらホント恐怖でしかないんだけど。
とはいえ「次の駅で降りてください」とか言えるわけもない。それこそ「何コイツキモっ!」とか思われちゃうもんね! やだーそんなこと言われたら二度と立ち直れないじゃないですかー。
とにかく平常心を保つべく、限りなく息を潜めてギャルの後ろを歩く。いやダメだこれ。痴漢じゃねぇか。
意識しすぎなのがダメなんだろう。
今日という日が悪い。つまらない連休を過ごしたせいで、無駄に自意識過剰で卑屈になってるから思考がいろいろと駄目だ。
ちょうど尿意も感じ、気分を落ち着けるべくトイレへと急いだ。
用を足し、尿意とともにマイナス思考も多少なりと流れていったのだろう。少しばかり落ち着きを取り戻したので、改札を抜ける。まだ日は高いが、今日のところはさっさと帰って寝てしまうに限る。
せっかく外出を心に決めたというのに、その心がポッキリ折れてしまったのだから仕方がない。無理は禁物だ。だいたい、土の中のミミズが外に出たら干からびてしまうのと同じで、連休を日長一日寝て過ごしていた人間が、いきなり陽の光を浴びたら心の一つや二つ折れれるのは自明の理というものだ。
家の近くの公園とかからステップアップしていけばよかった。リハビリって大事だと思う。
真人間への道はまだまだ遠いことを自覚したあたりで、溢れそうな溜め息を飲み込み、再び帰路を辿り始めようとした矢先であった。
「この人があたしの彼氏だから!」
いきなり腕にしがみつかれた。
ふくよかな感触が腕から脳へと伝わる。
その脳はいきなりのことに混乱して、機能不全を起こしていた。よってそれがなんの感触なのかまで理解するのに結構な時間を要することとなった。
つーか、何。彼氏? 枯れ葉の間違いじゃなくて?
腕にしがみついていたのは女だった。全体的に軽装というか、いろいろとこう、いささか露出の激しい……。
さっきのギャルじゃねぇか!
開いた口が塞がらず、周りから見ればきっと阿呆丸出しであったことだろう。でも、俺は悪くないと思うんだ。だから阿呆丸出しとか言うな。
「いや、彼氏じゃねぇけど……」
「違うって言われてんじゃねぇか」
俺の咄嗟の返答に、さらに追い打ちをかけるようにツッコミが入った。俺の腕にしがみついたギャルは、「うぐっ」と妙な声を上げて言葉をつまらせた。
「ちょっと、空気読んでよね……!」
俺を睨みながら小声で恨めしそうにギャルは言うが、何をどう読んだら正解に辿り着けるのかと問いただしたい次第である。
それにしても、よく分からない状況だ。
目の前には五人男が立っていた。
お世辞にも柄がいいとは言えない、いかにもな風体の男たち。高校生か大学生か。少なくとも十代半ばから後半くらいであろう背格好。
ナンパか何かだろうか。ならば巻き込まないでいただきたい。
通りがかりの人間を彼氏役にしてしまうのは漫画でもありがちな行為だが、しかし現実でやられると傍迷惑なものなのだなぁ。二次元世界の男たちの対応力たるや。俺には真似できない芸当である。
などと考えていると、男の一人がギャルの腕を掴んで引っ張る。
「いいからとっととついて来い」
「ちょ、痛い! 触んないでよ!」
あんたは俺の腕に触ってるんですが。
と、ツッコミを授けたい衝動に駆られたが、しかしそれよりも早く俺の手は男の腕を払いのけていた。
「あ?」
眉間にしわを寄せて睨みつけてくる。ヤダ怖ーい。
でも仕方ないでしょう。
震える女の手を振りほどけるほど、俺は器用な人間ではないのだ。だから仕方ない。
「何。カッコつけたくなっちゃったカンジ?」
「いや、反射的なもんだ。男が寄ってたかって女一人囲んでたら、そりゃ穏やかに見えねーだろ」
「別に何かしようって訳じゃねーよ。これで満足か?」
「それを信頼できる程、お前のことを俺はよく知らない。こんな往来だ。今日のところは引いとけよ」
まぁ、このギャルのことだってよくは知らない。巻き込まれてるだけだし、肩を持つ義理もないんだが。
しかし男の方も引き下がるわけには行かないらしい。
「無関係な奴が指図すんじゃねぇよ。痛い目みてぇの? あ?」
プライドで出来上がった奴ほど面倒臭い。そんなもんで飯は食えないんだが、言っても分からないだろうし、分かったところできっと俺の言葉ではないんだろう。
言葉の無力さに辟易しながら、溜め息を溢す。
その態度が気に食わなかったか、男が苛立った様子で舌打ちをかまし、そして俺の胸倉めがけて手を伸ばしてきた。
素人丸出しの腕の伸ばし方で、相手がさほど強くないと本能が察知する。前のめりになった顔面は非常に殴りやすい位置にあった。だからこれは不可抗力と言いたい。
相手の手を払い、そのまま拳が顎に入ったのも、不可抗力だ。
「あ……」
でも、ちょっと踏み込みを入れてしまったのは誤算だった。
小気味のいい音が鳴り、男がそのまま倒れ伏した。
人々の注目が集まる中、喧騒とは裏腹に、目の前の男たちは啞然としたまま立ち尽くしていた。どこか別世界に取り残されたような感覚に陥るが、ヒリヒリと痛む拳が俺に現実味を与える。
やっべ。やりすぎたかな、これ。
つーかまたやっちまった。
「て、てめぇ……何やりやがった! 空手か⁉︎」
我を取り戻した男たちの中の一人が叫ぶ。突然のことで驚きが隠せないのか、声が裏返るのも構わず早口でまくし立てる。
「あー……すまん。やりすぎた。でも……」
痛みを払うように手首を振る。
「掴みかかろうとしてきたんだ。不可抗力だろ」
この時の俺が彼らにどう写ったのかは知らないが、短く悲鳴をあげる男たちは、「ひ、引き上げるぞ!」「覚えてろよ!」などと言い残して立ち去っていった。
いやせめて、そこの男回収してけよ。
とはいえそれどころではない。
衆人環視の増える中、一つ目の難は去ったが、まだ残っている。
腕にしがみついたままのギャルを見つめる。可愛らしく小首がしげりゃいいってもんじゃねぇぞ、この女。どうしたらいいんだ。
答えは一つしかなかった。
「えっ⁉︎ ちょっと……!」
とにかくこの場を離れる!
学校の奴に誰にも見られてませんように!
ギャルの腕を振り払い、俺は祈りながら走りだした。
なんて厄日だ。もうしばらく休日は外出しねぇ!
バイト以外!