杉山京介という男 (2024年編集)
~ 東京都渋谷区千駄ヶ谷 ~
佐久間と山川は、杉山京介が経営するレストランを訪れ、為人を把握しようとしている。(株)キャストの不払いは、民事訴訟案件であり、警察が出来る事は、事情を聞いて、諭す事だけである。また、殺人事件に関与している事は、現段階では確定しておらず、捜査について悟られる訳にもいかない。
「山さん、くれぐれも、変な気は起こさないでくれよ。あくまでも、観察するだけだ」
「分かりました、気をつけます」
開店一時間前にも関わらず、遠目から見ても、行列が出来ていて、人気の高さが分かる。人が人を呼び、何の行列か分からぬまま、並ぶ者もいる始末だ。
客の目当ては、ビーフシチューである。長い期間熟成させた、特製デミグラスソースは、他社の追従を許さず、オーナーの拘りが凝縮されており、リピーター率が高い。一皿、四千円の高値であるにも関わらず、開店後、一時間足らずで、連日完売となる為、話題となっている。
オーナーである杉山京介は、若い頃より名店で修業を積み、仕込み材の産地、配合量、調理手順など、独自の製法で秘伝の味を完成させ、開店させた。仕込みは、杉山京介自ら行い、他の者には、決して触れさせず、門外不出となっている。開店当日は、十名にも満たない客数だったが、味わった者から、瞬く間に、口コミで伝わると、宣伝を一切しなくても、三ヶ月後には、県外からも、秘伝の味を求める者で、盛況となった。
「警部、あの店は、ホームページもなければ、電話もないそうです。あるのは、店の看板とメニューだけだとか」
「相当、美味いんだろうね。楽しみだ」
~ 遡ること、一月五日 ~
本日分のビーフシチューを、午前中のうちに、完売した杉山京介は、店の入り口に、「本日終了」の札を下げると、屋上で、次の構想を練っていた。
(あと二十皿分、多く作らないと、苦情が出そうだ。仕入れ先を増やすか。看板メニューも、もう少し追加したいが、人手不足になったら、本末転倒だしな、さて、どうするか?)
「プルルルルル」
(誰だ?……伊藤か)
「もしもし。…ああ、大丈夫。もう閉店している。どうした?」
(………)
(……田中が?)
「……分かった、なんとかしよう。大丈夫、俺に任せておけ。お前は、何も心配しないで、披露宴の準備を続けるんだ、分かったな?」
(……ふう)
電話を切った杉山は、間髪入れず、電話を掛ける。
「もしもし、(株)キャストさんですか?私は、杉山という者ですがね、お宅の社員さんを、半日程度、お借り出来ませんか?…ええ、そうです。多い程、助かります。結婚披露宴の、新婦側の出席者を装って欲しいんで、三十名程度出して貰えませんかね?…えっ、支払いの条件ですか?…前日までに、前金を支払い、イベント終了後に後払いで如何ですか?頑張ってくれた方には、追加報酬も出しましょう。…えっ?手形なんか切りませんよ、全て、現金で支払いますよ。私の信条でね、『いつも、にこにこ現金払い』ですから、安心してください。…ええ、詳細は、また連絡を入れます」
伊藤奈緒美から、相談を受けた杉山は、まず一手を打った。
(…第一関門、クリアと)
~ 三月二十四日、千葉県野田市、中根公園 ~
「お疲れさん、待ったか?」
「いいえ、私も、今来たところ。…元気してた?」
「ボチボチだ。…あれから、田中の動きはどうだ?相変わらず、しつこいのか?」
噴水前のベンチに腰掛けると、杉山は手製のサンドイッチを、伊藤に渡した。伊藤は、待ってましたと、嬉しそうに平らげる。
「…相変わらず、美味しいわね、サンドイッチ」
「まあ、俺の特製だからな。それで、どうなんだ?」
「私の顔を見れば、察するでしょ?全く、限度ってもんを知らないのかしら?元彼って、どうしてこう、結婚が決まった途端、しつこく迫ってくるのかしら?毎日、二人の相手するって、体力的に限度があるわ。自分だって、妻子持ちのくせに。お前は、猿かって言いたいわ」
(………)
「最初は、伊藤奈緒美から誘っておいて、良く言うよ。俺から見れば、どっちもどっちだ」
(まあ、それは本当の事だけど)
「……ねえ。田中の事なんだけど、もう用無しで良いんじゃない?披露宴まで待てないよ、何とかしてよ」
(………)
「まあ、待て。…忘れたのか、俺たちの約束事を?」
「約束事なら、当然知っているわ。でも、もうすぐ、十年経過するのよ?そんなの、無視して、二人で分けようよ」
(-------!)
「馬鹿な事を言うな、…田中なんて、どうでも良い。…問題は、奴だ。約束を破ったら、俺たち、有無を言わさず、殺されるぞ。…我慢してくれ、結婚披露宴まで、大人しくするだけだ。……誰だっけ?フリーアナウンサーと、同じ名字の?」
「羽鳥でしょ?杉山こそ、いい加減、覚えなさいよ。まあ、言い分は分かったわ。私だって、若い身空で、死にたくないし」
(……やれやれ)
「なら良い、…とにかく、結婚披露宴を済ませてからだ。計画は、三日前に伝える。それまでは、田中の奴に、こちらの動きを、絶対に掴まれるなよ。俺たちが、二人きりで、密会しているだけで、本当はダメなんだ。…あっ、そうそう、式場の手配は、新郎には内緒で、済ませたか?」
「ええ、横峯っていう、専属進行役に根回し済みよ。発送状は、彼女が、上手く処理してくれたし、新婦側の配役達にも、一通り、説明済みよ。当日は、さも親族の様に、立ち振る舞ってくれるわ」
(ふむ、やるべき事をした様だな)
「…分かった。その言葉、信用するぞ。またな」
「ええ、しゃあ、またね」
伊藤奈緒美と杉山京介の、ある計画が、静かに動きだす瞬間であった。