被害者の身元4(2024年編集)
~ 六月一日、十時。東京都江東区有明 ~
安藤に、聞き込み捜査の中断を、申し入れた佐久間は、結婚式場を出ると、直ぐに、羽鳥慎吾に連絡を試みる。
(………)
(………)
(………)
(…居留守か。なら、出るまで、待つのみだ)
(………)
(………)
五分間、電話を切らずに、待ち続けると、根負けしたのか、回線が繋がった。
「……はい、羽鳥です」
(思った通り、低い声調だ。事情が、事情だけに、心中を察するよ)
「もしもし、羽鳥慎吾さんですか?私は、警視庁捜査一課の、佐久間と申します」
(警視庁?)
「警察の方が、何のご用ですか?身に覚えがないのですが?」
不審に思うのも、無理もない。佐久間は、端的に、用件を告げた。
「羽鳥さんではなく、披露宴参加者について、お話を伺いたい。新婦ではなく、新郎側の案件です。あなたの連絡先は、結婚式場で教えて貰いました。今、お台場にいるのですが、お目にかかれませんか?」
(何かあったのか?)
「良いですよ、暇を持て余していたところです。これから支度しますから、代々木公園の近くの、喫茶店はどうでしょう?」
(…代々木公園だと、最寄り駅は、千代田線の代々木公園駅だな)
「助かります、その喫茶店の名前を、教えてください。国際展示場駅からですと、徒歩の時間を含めると、一時間くらい、掛かりそうです」
「では、一時間後ぐらいに、喫茶店で。喫茶店の名前は、ル・モンデです。代々木公園駅の南口から、真っ直ぐ進めば、徒歩五分で着きますから、迷わないと思いますよ」
「ル・モンデですね、分かりました。では、後程」
(時間を持て余している、つまり、出社していない。あまり、刺激しては、可哀相だが、避けて通れないし、極力、飽和的に話をしてみよう)
佐久間は、指定された、喫茶店に向かった。
~ 十一時前、東京都千代田区の喫茶店 ~
(少し、早かったな)
東京臨海高速鉄道、りんかい線快速に乗車した佐久間は、乗り換え時間で足止めを食らわず、想定よりも、早く喫茶店に辿り着いた。外で待とうか悩んだが、喉が渇いていたので、先にコーヒーを飲む事にした。量の多い、アメリカンコーヒーを飲み終え、二杯目を注文しようと、手を挙げたタイミングで、羽鳥慎吾がやって来た。
「刑事さんですか?」
(この男が、羽鳥慎吾か)
「ご足労をお掛けし、申し訳ありません。警視庁捜査一課の、佐久間です。何でも、好きなものを注文してください」
「良いんですか?じゃあ、お言葉に甘えて。…ウインナーコーヒーで、お願いします」
「分かりました。すみません、ウインナーコーヒーを二杯、お願いします」
(さてと、どうするかな?)
佐久間は、やんわりと、探りを入れた。
「立ち入った話をするつもりは、ありませんが、大丈夫ですか?」
(立ち入った?…警察の耳にも、入っているのか)
「橫峯さんと話したのでしたね?まだ、少しだけ、心の整理に時間を要してまして、職場復帰してないんですよ。…乗り越えようと頭が思っても、身体がついてこないと言うか。…情けない話です」
(………)
「私にも、経験があります。過去の話なのですが、長く付き合った彼女に、振られた時は、付き合った年数と同じ期間分、次の恋が出来ませんでした。辛い事ですが、時間と言う薬しか、この問題を解決出来ないと思います」
(…時が解決してくれるか。…それしか、ないのだろうな)
「コーヒーが、来ましたね。さあ、飲みましょう。捜査で、近くまで来た事がありますが、この喫茶店は知りませんでした。良い店で良かったです」
「僕も、この店のコーヒーは、好きなんです」
二人は、コーヒーを飲みながら、話を続けた。
「刑事さん、そう言えば、用件を聞いてませんでした。新婦ではなく、新郎側の案件と仰ってましたよね?てっきり、奈緒美の事かと、ドキドキしましたよ」
「残念ながら、伊藤奈緒美さんの件では、ありません。ある男性の身元を探していましてね。橫峯さん曰く、『新郎に聞いて欲しい』と、ご意見を頂きました」
(身元?どういう意味だ?)
「その話振りだと、新郎側の出席者が行方不明になって、氏名とか住所とかを知りたい。そんなところでしょうか?それなら、僕が呼ばれたのも、合点がいきます」
佐久間は、直球では答えず、間を取った。
「今日は、写真を持参してきました。この人物が誰なのか、まず、それを教えてください」
「写真?随分と勿体つけますね?」
(………)
「ええ、少しだけ、宜しくない写真です。どうか、ご容赦ください」
佐久間は、前振りをしたうえで、一枚の写真を、羽鳥に見せた。
(------!)
羽鳥の表情が、瞬時に曇った。
「田中先輩!!…これって、どうみても、検死の写真ですよね?…いつですか?」
「司法解剖の結果、死亡推定時刻は、四月十八日の、十五時三十分~十六時三十分です。何者かに殺害され、礼服姿で、発見されました」
(------!)
「この方は、どなたですか?」
「氏名は、田中大介。歳は、僕の二つ上なので、三十五歳で、システムエンジニアです。四月十八日って、結婚披露宴の当日じゃないですか?死亡推定時刻が、十五時三十分~十六時三十分という事は、披露宴がお開きになって、その後で、殺されたんだ」
「ちなみに、結婚披露宴は、何時から何時でしたか?」
「四月十八日、十三時十分~十五時十分の二時間です。まあ、あんな事になって、途中でお開きになったので、早く帰る人は、十五時前には、いなかったと思いますが」
「田中さんが、退出した時間を覚えていますか?」
「それが、僕は恥ずかしくて、下を向いたままだったので、誰が、何時に帰ったかは、覚えていません。ですが、新郎側の出席者は、結構残っていたので、十五時頃までは、いたと思います」
(結婚披露宴の時間が、十三時十分~十五時十分か。結婚式場から、国際展示場駅までの移動時間が、十分だから、この時点で、十五時二十分。国際展示場駅~渋谷駅までの、鉄道乗車時間は二十分だから、待ち時間を考慮して、この時点で、十五時五十分。渋谷駅~道玄坂までの移動時間が、二十分だから、道玄坂のアパートには、十六時十分に着いた事になる。やはり、行動科学的に分析は、合っていた)
「田中さんの緊急連絡先、お住まいは、ご存知ですか?」
「携帯番号しか、知りません。住所は、…確か、東京都板橋区弥生町だったと思います。先輩の家に、行った事はないですが、会社になら、履歴書があると思います。今から、会社に行きましょう!」
(………)
「それは、助かりますが。……大丈夫ですか?住所だけ、教えて頂ければ、私だけ、伺いますが?」
羽鳥は、この申し出を断る。
「僕の事情など、小事です。それどころじゃない、人が死んでるんです。会社だって、音信不通で、困っています。おそらく、披露宴以降、誰も、この事を知らない。一体、どこで死んだんですか?」
「渋谷区道玄坂の、アパートです」
(-------!)
「道玄坂なら、会社の近くだ。先輩は、会社に寄ってから、そのアパートに向かった?」
「それは、分かりません。しかし、そうであれば、何故、田中大介が、会社に立ち寄って、尚且つ、他人のアパートで死んだのか、足取りを追う必要があります。ただ、時間的に、会社には寄らず、真っ直ぐ、アパートに向かったと、思います」
「なら、尚更です、直ぐに行きましょう!先輩の死を、無駄にしない為にもです。結婚披露宴がお開きになって、板橋区の自宅ではなく、渋谷区に向かった。刑事さんが言われる通り、会社に寄ったかは、定かではありませんが、…きっと、何かあったんだ。同僚の中に、何か、事情を知っている人が、いるかもしれない」
羽鳥は、田中の行動予測をすると、コーヒーを飲み干す前に、席を立った。
(…正義感の強い若者だ。…自分の心配よりも、他人を気遣い、行動出来る者は少ない。捜査が、一気に進展するかもしれないな)
佐久間は、羽鳥の姿勢に感心しながら、羽鳥の背中を追った。