被害者の身元2(2024年編集)
~ 五月三十一日、警視庁捜査一課 ~
渋谷区道玄坂のアパートで、身元不明の死体が発見されてから、一ヶ月以上が経過している。
司法解剖の結果、死因は、頸動脈損傷による失血死で、死亡推定時刻は、十五時三十分~十六時三十分である事が分かった。また、アルコールの残留成分から、被害者が、十三時過ぎから摂取していた事が、判明した為、佐久間は、死亡時刻を十六時で設定し、逆算した。結婚披露宴の時間を、十三時~十五時、式場から、最寄り駅までの移動時間を十分、最寄り駅~渋谷駅までの、鉄道乗車時間を三十分、渋谷駅~道玄坂までの移動時間を二十分として、これに当て嵌まる範囲で、仮説を立てると、人気の結婚式場が集う、目黒区・品川区・港区・中央区・江東区に絞ったうえで、捜査を開始した。
区を絞っても、結婚式場だけで、五十軒を超え、神社・協会を含めると、百軒を超える。その為、聞き込みには、想定以上の時間を要している。どの会場も、参列者の顔は覚えておらず、有力な情報は得られない。報道機関を通じて、似顔絵を公開したが、情報提供には至らず、時間だけが過ぎている。
佐久間は、安藤と、捜査の見直しを、意見交換している。
「やはり、似顔絵じゃダメか。写真に切り替えるか?」
「写真は有効ですが、効果が期待出来ません。式場を回って分かったのですが、式場が顔を覚えているのは、あくまでも顧客である、新郎新婦の顔だけです。来賓者は、おまけの様なものですので、気にも留めないでしょう」
「防犯カメラ映像の記録を、リレー捜査するのはどうだ?」
「件数が、多過ぎます。AIが発達していれば、顔認証システムに、被害者の顔を識別させて、追えるかもしれないですが、そこまで協力を得られるとは、思えません」
「何故だ?」
「まず、風評被害です。結婚式場の運営目線で、物を申すと、警察が来るだけで、営業妨害になるので、良い顔はされません。短時間の聞き込みであれば、話を聞いてくれますが、『防犯カメラ映像の記録を見せて欲しい』と言って、長時間居座ると、逆に訴えられかねません」
「まあ、そうだろうな。結婚披露宴が、人生で一番大事だと思う、新郎新婦も多いし、警察の存在が、一番、場の空気を壊すかもしれない」
「仰る通りです。なので、極力、式場を絞ってからでないと、捜査出来ません」
(むうう、そうなると、いつまで経っても、身元の特定が出来ない訳か)
「流石に困ったな。神奈川県、千葉県の可能性はないのかね?」
「移動時間を考えると、確率は低いでしょう。都内だと、港湾エリア沿いの式場を、選ぶ傾向があるので、方向性は間違っていないはずです」
「そうなると、ここは我慢して、地道に捜査するしかないのか」
(………)
「鉄道事業者に、協力を依頼しましょう。東京駅、品川駅、浜松町駅、上野駅に頼んで、顔認証をさせて貰って、上手くいけば、該当するかもしれません。それを軸に、リレー捜査すれば、最寄り駅の判別と、結婚式場を特定しやすくなります」
「では、その方向で、捜査を見直すか。段取りは任せる」
「承知しま…」
「話の腰を折って、すみません。捜査一課に内線が入っています。二番をお願いします」
(内線?)
佐久間は、内線を取ると、総務課からだ。
「事件に関係があるかは、分からないですが、結婚式に関する苦情というか、問い合わせが入ってます。どこの課に回すか迷いましたが、捜査一課が、結婚式場を洗っている事は、把握しているので、念の為、捜査一課に回しても、大丈夫ですか?」
(問い合わせ?)
「構わんよ、繋いでくれ」
「では、お繋ぎしますね。もしもし、今、捜査一課に回しますから、通話を切らず、切り替わったら、事情をお話しください」
内線が、切り替わった。
「もしもし、捜査一課の佐久間と申します。どんなお話でしょうか、承ります」
相談相手は、(株)キャストの神崎と名乗り、料金未払いについて、相談があるようだ。
「実は、四月十八日に、結婚披露宴がありまして、当社の配役が、三十名程、新婦側の親族として、出席したんです。料金は、前金で五十万円、後払い金で、五十万円です。前金は、頂戴したんですがね、後払い金が、一向に支払われなくて、困っています。警察ではなく、区役所に話した方が良いですかね?」
「警視庁でも、大丈夫ですよ。民事訴訟なら、家庭裁判所が妥当ですが、当事者間で、お話はされていますか?その点を、まず伺います」
「もちろん、請求しましたよ。でもね、新婦側が言うには、新婦が逃げ出して、披露宴が滅茶苦茶になったもんだから、『成功報酬は払わない』って、言うんですよ。当社の配役が、問題を起こしたのなら、仕方が無いと諦めますが、受注者の責ではありません。どう思います?当社は、顧客の言われた通りに、披露宴に出席しただけなんです」
(花嫁が逃げた?修羅場じゃないか)
「それは、困りましたね。日当は、配役全員に、払われたのですか?」
「もちろん、払いましたよ。給料未払いは、御法度の世界ですから。会社だけが、持ち出しで、大損ですよ」
(五十万円で、大損か。元々、経営状態が芳しくないのだろう)
「伺いたいのですが、『花嫁が逃げる』は、稀にあるんですか?映画では、恋人が、早嫁を奪って逃げるのを、観た事がありますが?」
「ごく稀にね、ありますよ。…まあ、人間ですから、土壇場で、夢から醒めると申しますか」
「念の為、警察組織から、結婚式場と顧客の相手に、事実確認してみましょう。そのうえで、民事訴訟をすべきかを判断して、神崎さんへ助言する。どうしても、民事になると思うので、回答ではなく、助言になってしまいますが、それでも、宜しいですか?」
「ええ、助かります。五十万円くらいで、裁判なんかしたくないし、かと言って、泣き寝入りは、したくありません。たった、五十万円でもね」
(拘る男だな。たったのではなくて、死活問題なのだろう?)
「それでは、結婚式場と相手を、教えてください。明日、捜査してみます」
「結婚式場は、東京都江東区有明の、東京ベイ有明です。新婦は、伊藤奈緒美。奈良の奈、へその緒の緒、美しいの美です。配役の代金未払いは、杉山京介という男です」
(………?)
佐久間は、不審に思い、聞き返した。
「ちょっと待ってください。配役を雇われたのは、伊藤さんではなく、杉山さんというのが、引っ掛かります。この二人は、親子関係ですか?家庭の事情で、父方・母方の姓が違う事はありますが。それとも、養子縁組か、何かですか?」
電話口で、神崎も困惑している。
「それが、よく分からないんです。当社も、その点が気になりまして、契約の際に、伺ってみたんですが、のらりくらりと、濁すんですよ。まあ、『金が入れば、問題ない』と、割り切りましたが」
(きな臭いな)
「分かりました。では、明日にでも、確認して折り返します。結婚式場と杉山京介氏の、連絡先を教えてください」
佐久間は、神崎より、番号を入手した。
「ありがとうございます。では、明日。…はい、そうです。警視庁から、電話を入れますので、それまでは、下手に動かない様に、お願いします。相手を刺激し過ぎると、宜しくありません」
「方向性が見えるのなら、我慢しますよ。じゃあ、お願いしますね」
(………)
電話を切ると、佐久間は首を傾げる。
「何だか、きな臭そうな状況だな。花嫁が逃げるって、相当、何かあるんじゃないか?」
「同意見です。花嫁が、逃げ出した理由も、気になるところではありますが、配役を頼んだ人物が、肉親でないのなら、そもそも論で、怪しすぎます。悪意をもって解釈すると、依頼者である杉山京介という者が、新婦の伊藤奈緒美と結託して、新郎を貶める為、結婚式を挙げた」
「ふむ、事件の臭いがする。協力してやれ」
「承知しました。この件は、自分で動きます」