再会(2024年編集)
~ 佐久間が、捜査一課を飛び出す同時刻、野田市みずき二丁目 ~
運河駅で下車し、運河沿いに歩く伊藤奈緒美は、公園施設を探している。
(確か、この土手を下って北上すれば、公園につくはず。公園施設なら、簡単に形状が変わらないし、多分そのまま。自分の記憶を辿るのが、正解だわ)
十年程前、梅郷の銀行から手にした金は、世間から忘れさられるまで、一箇所に纏めて、保管する事になっていた。身内で出し抜け出来ぬ様に、互いに監視しつつ、暗号を持ち寄らないと、解除出来ない仕組みにしようと、全員で決めた。
また、裏切った場合は、死をもって償う事が約束事として、盛り込まれた。その為、これまで全員が、これに従っていたのだ。
伊藤は、杉山京介と共謀し、田中大介を殺害する事で、沈黙を破った。約束を破った以上、リーダー格の仲間が、報復に出る事は、百も承知であったが、返り討ちにする算段があった。伊藤は、田中を殺害する前に、杉山から強力な毒物を受け取っている。
(例えあいつでも、これには勝てない。触れるだけで即死する、この劇薬に)
まだ日も高く、動きやすい。この時間なら、利用客も帰宅する時間で、公園には自分しかいないだろう。
何もかも、伊藤の思惑通りだ。
(杉山が死んだのは誤算だったけど、もう少しで、あの場所に着くわ。…もう少しで)
土手を下り、緑道を通って、表通りに立つ伊藤は、遠くに見える公園を見つけ、歩を止めた。
(------!)
(あった!!!)
伊藤は、自分を落ち着かせる為、その場で深呼吸した。
(------!)
(なっ、なん……)
背中に激痛が走り、口から大量の血液が飛び出す。背中に手を回すと、鋭利なものが刺さっているのが感じるが、それ以上は分からない。ただ、自分が死ぬ事だけは分かる。
伊藤は、口惜しそうに、走り去るバイクを目で追った。
(慎ちゃん、……ごめん。やっぱり……もう会えないみたい)
(………)
伊藤は、そのまま、その場に倒れ込んだ。
裏切りを繰り返した女の、悲しく、惨めすぎる最期であった。
~ 二十時三十分、野田市みずき二丁目 ~
市民からの通報を受けた、五台のパトカー、消防車、救急車が、現場に駆けつけ、その中には、警視庁を飛び出した、佐久間たちの姿もあった。
煌々と照らされる赤色灯下で、約三ヶ月ぶりに、再開を果たした新郎新婦は、言葉を交わす事なく、永遠の別れを迎えたのである。
伊藤を静かに抱きしめる、羽鳥の脳裏には、披露宴会場での、専属進行役の言葉が浮かんでいた。
(新婦は、今この瞬間、新郎の羽鳥慎吾さんに、最初の試練を与えられました。…慎吾さん、この試練に、あなたが、どう対応をされるのか、新婦の伊藤奈緒美さんは、見極めようとしています)
(新郎の羽鳥さまは、必ずや、花嫁の手綱を、再び掴み取られ、私たちの前に、より強い絆を繋いで、登場される事でしょう)
伊藤の頬に、ポタポタと、羽鳥の涙が零れ落ちる。
(…試練、厳しすぎるじゃないか。…絆を、築く暇もなかったよ。…奈緒美、……奈緒美)
蝉の声と無線だけが、辺りに響き渡る。黙って見守る佐久間の拳は、固くなっていた。
~ 現場検証 ~
「警部、死因は、背中から心臓を一突き、おそらく大動脈損傷による、即死と思われます。被害者は、小瓶を所持していて、何らかの毒物と思われますので、科捜研に回しておきます」
「苦しむ時間が少ないのが、せめてもの救いか。他の所持品は?」
「手袋と財布を所持。免許証を見るに、被害者は、橋本莉奈。年齢は、三十四歳。現住所は、埼玉県さいたま市大宮区桜木町です」
(やはり偽名か。羽鳥には黙っておこう。綺麗な思いでのまま、荼毘に付した方が良い)
「あそこに座っている、若者には、この事を話すなよ。明朝より、家宅捜査を行うから、手配を頼む」
「了解です」
佐久間は、野田警察署の北原と、今後について話し合った。
「想定よりも早く、敵が動きました。犯人はおそらく、当時の主犯格でしょう。あわよくば、今夜中に伊藤を確保して、一気に決着がつくと思っていただけに、残念です」
「伊藤が死んでしまったのは誤算ですが、金の在処が、目の前の公園かも知れません。野田警察署で、公園内を、隈無く探索してみます」
「助かります。警視庁捜査一課は、伊藤の居住地を洗ってみて、今後の捜査を立て直します。状況次第では、近日中に、合同で捜索するかもしれないので、逐一連絡を入れますよ」
「分かりました、では、また」
北原は、部下を率いて、公園の方に向かった。佐久間は、北原の背を見届けてから、伊藤に再び合掌する。
(伊藤奈緒美、…いや、橋本莉奈。仇は、必ず取ってやる。今は、安らかに眠れ)
佐久間は、少し離れたところで待機している羽鳥に、声を掛けた。
「これより、伊藤奈緒美さんの遺体を、警察病院へ搬送します。付き添われますか?」
(…奈緒美)
「は……い。お願い…します」
「分かりました。では、その様に手配しますので、最期の時を、二人でお過ごしください。伊藤奈緒美さん、ご立派だったと、褒めてあげてください」
「…そうですね。奈緒美は、立派な妻だった。多分ですけれど、自分に被害が及ばない様、一人で何かを背負ったんです。亭主の自分を守る為に」
「そうなのでしょうね。羽鳥さんは、伊藤奈緒美さんの分まで、しっかり生きてください。それを、伊藤奈緒美さんも、想っていますよ」
「はい、分かりました。ありがとうございます」
羽鳥は、深々と頭を下げると、救急車に同乗した。
(羽鳥、夫としての最後のつとめ、しっかり果たせ。背骨が立たない夜になるが、自分なりにケジメをつけて、未来と向き合え)
救急車は、静かに、闇夜に消えていく。




