引き裂かれた日常(2024年編集)
~ 東京都渋谷区道玄坂 ~
「じゃあな、将太。お疲れさん!」
「お疲れ様です。お先に、失礼します」
礼儀正しい、この青年の名前は、近藤将太。
この春、長野県の奥地から上京して、都内の人材派遣会社に入社した。人当たりの良さが、滲み出ており、周囲の社員からは、初日から、下の名前で呼ばれている。
初めての一人暮らし、初めての東京。
見るもの、聴くもの、触れるもの、全てが新鮮で、光り輝いている。山間部の集落から、出た事がない近藤には、ビルの隙間風まで刺激的だ。容姿端麗の女性が多く、すれ違うと、魅惑的な香りに、うっとりしてしまう。
気をつけて歩かないと、肩がぶつかってしまう程、密集する経験は、殆どなく、交通網の発達に、度肝を抜かれた。初めて、上野駅のホームに立った時には、山手線の、右回りと左回りの、意味すら分からなかった。上野駅で、新宿方面に行くには、右回りと左回り、どちらを選んでも行けるのだが、気後れする近藤は、話掛けやすい老婆を探すと、涙目で教えを乞い、やっと理解した。
地元であれば、殆どが顔見知りで、見かけると、何かしら会話が成立するが、都会では通じない。誰もが、他人行儀で、困った人がいたとしても、殆どが知らん振りで、関わり合いを持とうとしない。
(都会は、煌びやかだが、人付き合いが難しいな。馴れ合わないのが、風習なのだろうか?それに、時間の流れが早い。周りの人は、殆どが、忙しそうに歩いているし、何をそんなに、生き急いでいるんだろうか?)
都会の空気に慣れれば、その手の不安は、払拭されるだろうと、考えるのをやめた。
都会に来て、まず興奮したのは、オープンカフェである。地元には、洒落た喫茶店など存在しない。コンビニエンスストアも無ければ、書店も無い。あるのは、古びた青果店で、生活に必要な、米、肉、野菜、果物、調味料、菓子類と、文房具、書籍が置かれる程度である。十八時前には、閉店してしまう為、買いそびれると、翌日まで待たねばならない。その環境で育った近藤には、洒落たテラスが、眩しすぎた。
人混みの中から、テラスを覗くと、洒落た女性が、都会の喧噪に惑わされる事なく、優雅な時間を過ごしている。薄い金髪の長髪、高そうな遮光眼鏡、足元には、血統書付きを匂わせる、外国犬。店員の身なり、所作も、洗練され、その場の空気に馴染んでいる。まるで、映画のワンシーンを、見ているようだ。
(…あれが、噂のプレーンオムレツか?どうしたら、あんな風に、人生を送れるのだろうか?芸能人なのかな?都会っていうのは、側に、芸能人がいても、気にならないのかな?地元なら、村中が大騒ぎになるぞ)
(………)
(今度の給料が入ったら、思い切って、行ってみようかな?上京者と思われない様に、よく偵察しておこう。注文の仕方を、覚えておかないと、恥をかく事になる)
少しだけ、その場に留まろうと考えたが、腕時計の針が、それを許さない。
(げっ、もうこんな時間か?割引時間に、間に合わなくなるぞ)
所持金が少ない近藤は、家路を急いだ。最寄りのスーパーに立ち寄ると、主婦に交じり、割引商品を探す。一円でも安い食材を厳選していると、物色する主婦と目が合い、思わず、譲ってしまった。主婦は、当たり前の様に、商品を手にすると、礼も言わず、レジへ消えていく。
(………)
闘いを終え、店の外に出ると、溜息をついた。
(…日が、少しだけ、長くなったな)
地元には、街灯が少なく、日没後は、行動が制限される。下手に出歩くと、獣に襲われる確率が上がるのだ。この辺りは、『眠らない街、東京』の言葉通り、道路照明が整備され、交通量も多いので、その心配はない。
(懐中電灯を照らさなくても、歩けるなんて、凄いな)
商店街の窓に映る、自分の姿が、少しだけ、大人びて見える。
(都会に揉まれて、少しは成長したのかな)
~ 近藤将太の自宅アパート ~
(今日も、何とか、乗り切った。さっさと、夕食を作るって、風呂に入るぞ)
「カチャ、カチャ」
(…あれ?変だな、鍵掛けたのに、今、空回りした様な?)
不審には思ったが、特に考えず、ドアを開けた。
(------!)
(ん?何か変だぞ)
即座に、異変に気が付いた。生臭いというか、鉄の様な臭いが、鼻を刺激する。
(何だ、この臭い?食べ物は冷蔵庫だし、あったとしても、まだ食材が、傷む季節じゃないぞ?)
不審に思いながらも、廊下の明かりを点ける。
(------!)
視界から、音が消えた。
奥の部屋は、電気がついていないので、薄暗い。ただ、廊下の明かりで、状況は分かる。床に転がる、物体から目が離せない。血液が逆流し、髪の毛が逆立つ。
(逃げろ!!)
思考は停止しているが、身体全体が危険信号を察し、本能が働く。
近藤は、死体に背を向けると、一目散に外に飛び出し、大声を上げた。
「だっ、誰か!!誰か、いませんか!!」
(------!)
隣室で、テレビを観ていた住民が、思わず、ドアを開けた。
「何か、あったのか?」
見知らぬ青年が、震えながら、部屋を指している。
(大袈裟な奴だな。虫ぐらいで、騒ぐなよ。仕方がないから、退治してやるか)
隣人の男は、鼻で笑いながら、部屋を覗き込む。
(------!)
余りにも、現実離れしていて、二人とも、真面に声が出ない。隣人の男が、『これは、お前がやったのか?』と、指を指すと、近藤は、凄い勢いで、首を横に振った。ここで、やっと、近藤が口を開く。
「ぼっ、僕じゃない。しっ、知らない人です。どうか、警察に電話してください。僕は、まだ携帯電話を持っていないんです。部屋には、怖くて入れませんし、後生ですから、お願いします」
(………)
近藤の懇願を、隣人の男は断り切れず、頭を抱えたが、見てしまったものは、仕方がない。
(面倒な事に、巻き込まれたな。でも、第一発見者だし、断る理由もないだろう)
「分かった、警察を呼ぼう」
隣人の男は、部屋から携帯電話を持ってくると、近藤の前で、110番に電話を掛けた。
「はい、こちら、通信指令室です。事件ですか?事故ですか?」
「事件です!」
通信指令室は、隣人の男に、状況を聞き出していく。近藤は、側で、隣人の男のやり取りを、黙って聞いた。
「冷静にって、人が目の前で、死んでるんです。無理ですよ。…えっ?住所ですか?住所は、渋谷区道玄坂一丁目です。…はい?そうです。正確には、第一発見者は、私ではなく、隣人の青年です。大声がしたんで、覗きに行ったら、部屋の中に、死体が転がっていて。…第一発見者?ええ、今、この場に、一緒にいますよ。二人で待機してるんです。…はい、はい。分かりました。……えっ?無理、無理!死体の状態なんて、怖くて見られませんよ。見に行って、死体が動きでもしたら、失神ものですよ。そんな事より、直ぐに来て下さい」
「状況は把握しました。最寄りのパトカーを急行させるので、現場保全をお願いします。二人とも、その場から、決して動かないでください。お待ちの間、何か、状況が変わったら、迷わず110番通報をお願いします」
「了解です、頼みます」
隣人の男は、通話を終えると、近藤に声を掛ける。
「警察、直ぐに来るってよ。…えーと、どちらさん?」
「近藤です。近藤将太って、言います。ありがとうございます」
(将太くんか)
「俺は、望月だ。警察が、『現場保全をしろ』だとさ。とにかく、何もしないで、済みそうだ」
「あの、警察の方が来るまで、一緒にいて貰えませんか?一人じゃ、心細くて」
「勿論だ。幸か不幸か、二人とも、第一発見者に、なっちまったからな。念の為に聞くが、お前が、犯人じゃないよな?」
「勘弁してください。見知らぬ人が、部屋の中で死んでるんです。出かける時、鍵をきちんと掛けたのに」
「本当か?勘違いって事もあるぞ。俺なんて、鍵の掛け忘れ、結構しているし。警察にも、聞かれるぞ?」
「僕は、その点は、しっかりしています。都会は物騒だから、鍵を掛けて、ドアノブを回して、確認してから、出勤する様に、心掛けているんで」
「ふーん、でも、死体があるんだ。それを、どう証明するんだろうな?」
近藤は、隣人の男の問いに、困ってしまった。自分は、何度も、施錠を確認したが、実際には、何者かに侵入され、死体まで転がっている。もし、警察に、同じ事を問われ、疑われたら、自分はどうなってしまうのか。考えただけでも、恐ろしい。
「…僕には、それを証明する事は、出来ません。ありのまま、答えるしかない。だって、施錠を確認してから、家を出たのは、事実だし、どうやって、侵入されたのか、分からないのですから」
(まあ、嘘をつく様な男には、見えないな)
「悪かったな、余計な事を聞いて。俺は、警察じゃないし、お前の言い分は、信じるよ。とりあえず、少しだけ、離れて待っていようぜ?死体を見たくないしな」
「…そうですね」
~ 七分後、近藤将太の自宅アパート ~
最寄りの道玄坂交番の警察官が、現場に駆け付けると、規制線を設置し始める。時を同じくして、機動捜査隊が、部屋の内部を一瞥すると、鑑識の準備に入った。
(助かった)
緊張から解かれた二人は、捜査の邪魔にならぬ様、一歩下がったところに移動する。
「この部屋の、住民はどちらですか?」
機動捜査隊からの質問に、近藤が、挙手で応答すると、捜査員は、まず、近藤の目を、じっと見つめ、警察手帳を開いた。自分の部屋で、人が死んでいるので、仕方がないが、近藤としては、些か腑に落ちない。
(尋問される気分だ)
「状況を確認させてください。まず、あの男に見覚えはありますか?」
端から、疑われている。近藤は、毅然とした表情で、質問に答えた。
「ありません、こちらが知りたい」
「部屋に、鍵は掛かっていましたか?」
「はい、田舎者なんで、施錠は忘れないです。今朝も、施錠したのを確認してから、出勤しましたから」
(本当の事だ。施錠は絶対にした)
「何か、盗られている形跡は、ありますか?通帳がないだとか、携帯電話を盗られたとか」
近藤は、両手を、左右に大きく振った。
「いえいえ、何を盗られたかなど、分かりません。玄関に入って、廊下の電気を点けたら、奥の部屋で、人が死んでいたのですから。怖くて、その部屋には、一歩も入っていません」
「では、奥の部屋は、電気を点けて、消したのではないのですね?」
「ええ、勿論です」
(………)
(ん?何か、黙ったぞ?ひょっとして、何か不用意な発言をしたか?)
捜査員は、メモを取りながら、少し困った表情をしている。
「んー、そうですか。では、何時頃に帰宅されましたか?」
「十五分~二十分程、前ですかね」
「…あの、一言、良いですか?」
(………?)
「何か、思い出しましたか?」
「いえ、そうではなくてですね。帰宅前に、購入した卵を、冷蔵庫に入れていないんです。その、怖くて、中に入れないし、卵を腐らせるのも、勿体ないし。不謹慎かも知れないですが、入れて貰えないでしょうか?」
望月は、笑いを堪えている。
捜査員も、この発言は想定しておらず、苦笑いする。場の空気が、少しだけ、和んだ気がする。
(まあ、犯人なら、とっくに逃走しているだろうし、この青年は潔白だろう。事件よりも、卵を気にするくらいだしな)
「ああ、構いませんよ。では、私が入れておきましょう。間もなく、捜査一課の刑事が来ますので、そのまま待機していてください」
「とりあえず、近藤さんは、自分の部屋に連れて行って、構いませんか?捜査の邪魔をしちゃ悪いし」
「ええ、大丈夫です。刑事にも伝えておきます」
望月は、余計な詮索をされない様、玄関のドアを、開けっぱなしにした。これなら、誰に見られても、不審な点はない。
「すみません、気を遣わせて」
「いや、良いんだ。乗りかかった船だしな。…しかし、お前も、災難だな?どうするんだ、今夜?」
「何も考えられません。ただ、部屋は怖いので、どうするかは、考えます」
(俺は、馬鹿か?要らぬ質問だった。こんな事を聞いたら、困っているのだから、泊めるはめになる)
近藤の意見は、尤もである。自分が同じ立場なら、目も当てられない。これが、可愛い女の子であれば、望月も下心で、部屋に誘うところだが、見ず知らずの青年を、自分の部屋に泊めたくはない。近藤から、『今夜、泊めてくれ』と言われる前に、別の話題に、話をすり替えた。
「事件のあった部屋では、眠れないよな。隣室だって、嫌だぜ。このアパートは、もう事故物件だ。大家に言って、新しい部屋を、探した方が良いさ。引越し代も馬鹿にならないから、迷惑料として、大家に出して貰ってさ。交渉は、俺がするから、お前も、この話に乗るか?」
(------!)
「良いんですか?交渉って、苦手なので、ぜひお願いします」
「ピンポーン」
「来たみたいだぜ」
入口に目をやると、明らかに刑事と思われる、男が二人立っている。
(おい、正真正銘の刑事だぞ)
(そうですね、雰囲気が違います)
素人目にも、明らかだ。二人は、直ぐに、表に出た。
「警視庁捜査一課の、佐久間と申します。今しがた、機動捜査隊から、現場を引き継ぎました。あの部屋の居住者ですか?」
「いえ、私は、隣室者です」
(ふむ、では、この青年か)
佐久間という刑事は、話やすそうだが、佐久間の背後にいる、もう一人の刑事が、鋭い眼光で、近藤の挙動を観察する。近藤は、つぶさに、これを察し、後ずさりする。
(さっきの警察官も、おっかなかったけど、この刑事、怖さが違う。目が笑ってないし、何と言うか、不愉快な気分になる)
近藤は、自分を睨む刑事は、あえて無視して、佐久間とだけ、やり取りしようと思った。
「あの部屋に住んでいる、近藤将太と言います。それで、何か分かりましたか?」
(狭い通路で、話を聞くのは、宜しくないな)
佐久間は、望月に同意を得ると、望月の部屋の、ダイニングテーブルを借りた。刑事二人と対峙する様に、望月と近藤が腰掛ける。
「改めて、自己紹介します。私は、捜査一課の佐久間。この者は、山川刑事です。機動捜査隊から、聞きましたが、もう一度、同じ事を、確認させてください。あの被害者とは、本当に、面識はないのですね?」
「あの、ホトケとは?」
「ああ、すみません、警察用語です。生きていれば、被害者と書いて、ガイシャ。死んでいれば、ホトケと言います」
「そうなんですか、業界用語なんですか。すみません、脱線しまして。面識は、全くありません」
「遺体の状態は、ご覧になりましたか?」
近藤は、首を横に振った。
「では、部屋を開けて、遺体を発見するまでを、詳細にお答えください。記憶が曖昧になってしまう事は、よくありますので、可能な限りで結構ですよ」
(可能な限りか。この刑事、やはり、話しやすいと言うか、聞き上手なんだな)
近藤は、もう一度、記憶の整理をした。目を閉じ、当時の状況を回想する様に、口にする。
「…まず、ドアノブに手を触れた時、違和感を覚えました」
「違和感ですか?どんな感じで?」
「鍵を開けた時、閉まってない気がしたんです。左に回すと、普段は開くんですが、施錠が解除される音ではなかったので、一度、右に回して、また左に回したのを覚えています」
「それが、事実なら、施錠していない事になりますね。初動捜査の警察官からは、『施錠していた』と、聞いていますが?」
「ええ、それは本当です。僕は、長野県出身の田舎者なので、都会は物騒だから、施錠は、毎回、しっかりしているし、今朝も、施錠を確認してから、出勤していますから、それを話しました」
(ふむ、嘘をついている目ではないな)
「信じましょう。では、続けてください」
「鍵を開けて、玄関に入った瞬間、生臭い異臭がしたので、『傷む食材なんてあったかな?』と、廊下の明かりを点けたら、奥の部屋に、人が倒れていたんで、本能のまま、部屋から出ました」
「では、土足で廊下を歩かず、入って、直ぐに出た。間違いありませんね?」
「はい、間違いありません」
(ふむ)
「手を見せてください」
促されるまま、掌を、佐久間に見せると、佐久間が、マジマジと観察する。
「…なるほど。道理で、廊下と玄関の境目に、手形があったわけだ。びっくりして、一度、尻もちをつきませんでしたか?」
「ええ、死体を見つけた瞬間、びっくりして、腰を抜かしました。ほんの一瞬ですが」
「鑑識中に、くっきりと手形があったので、一瞬、犯人のものかと、現場が騒然としたんですが、こんなに、分かりやすい痕跡を、犯人が残す訳がありませんからね。あと、三十分程で、鑑識作業が一段落するので、現場検証をお願いします」
(------!)
「現場検証?僕がですか?」
(………?)
「居住者である、あなたが、立ち会う必要があります」
「……でも」
(…怖がっているのか)
佐久間は、困惑する近藤の心情を汲み取り、説明した。
「遺体は、もうないので、大丈夫ですよ。鑑識作業が終わり次第、血痕をきれいに拭き取っておくので、見た目は、普通の部屋になります。現場検証は、個人の財産が紛失していないかを、確認しておかないと、強盗目的なのか、殺害目的なのか、犯人の行動心理が分かりません」
(確かに、そうだ。まずは、僕の財産が盗まれていないか、そこが重要だった)
「分かりました」
「では、三十分後に声を掛けます。もう少しだけ、捜査にご協力ください」
佐久間たちは、隣室に戻っていった。姿が見えなくなると、望月は、深い溜息をつく。
「はあ、びっくりしたな。今の、任意の事情聴取ってやつだろう?あれが、本物の刑事かあ。ドラマを観ている様だ。存在感が、半端ないな」
「ええ、僕の答えを、一語一句、メモしていましたよ、あの、山川って刑事。佐久間って言う刑事は、話やすいと言うか、信じて貰えているって、感じでしたけど、山川って刑事は、超疑ってましたね?仕方がないんでしょうか?」
「まあ、疑うのが、刑事の仕事だから、仕方ないんでないかい?」
「……はあ」
「どうした、溜息をついて?」
「部屋がきれいになっても、明日から、…いや、今夜から、『どうしよう』状態です」
望月は、刑事が来る前の話題を思い出し、自分に飛び火しない様、手を打つ。
「まあ、刑事に相談してみようや、色々とさ」
~ 四十分後、近藤将太の部屋 ~
「想定よりも、時間が掛かって、申し訳ありません。では、現場検証をお願いします。部屋自体は、綺麗になっていますから、大丈夫ですよ」
(ひええええ、大丈夫って、言われても)
近藤は、恐る恐る、足を踏み入れる。
(ん?思ったよりも、怖くない。でも、朝と違うぞ?)
部屋の状況を見て、近藤は、首を傾げる。
「その様子では、何か違うのですね?普段から、この程度、散らかっていましたか?」
「いいえ、僕は、こう見えて、きれい好きです。雑誌や飲んだコップが、テーブルにあるくらいです」
「では、出勤前は、ここまで散乱していなかった。間違いないですか?」
「はい。これは、僕の仕業ではありません」
(ふむ、では、強盗殺人になるな)
佐久間は、部屋をじっと見渡す。
「犯人が、何を探したのかは、分かりませんが、あなたが、何を盗られたか、慎重に調べてください。時間は、いくら掛けても、結構ですよ。個人情報が含まれますから、警察組織は、外の通路でお待ちしていますので」
佐久間は、一言、言い残し、通路に出て行った。
(個人情報ね。それは、ありがたいが、この部屋で、一人きりは、何だか心細いな)
近藤は、食器棚、戸棚、押し入れの順に、思いつく限り、所持品を調べていった。ものの五分で、確認作業を終えると、佐久間を呼んだ。佐久間と山川は、すんなり、声が掛かるとは、思っていなかったのだろう、慌ててタバコを消すと、部屋に入ってくる。
「随分と、早いですね。もう宜しいのですか?」
「ええ、所持品といっても、少ないですからね。これといって、盗られた物は、無いようです。銀行の通帳、封筒に入れた三万円も無事です」
「それは良かった。アルバム、手紙などは、大丈夫ですか?」
「そうですね、見る限り、無事です」
「そうですか。ならば、犯人は、何を目的に、この部屋を探索したのかが、気になります。私生活で、何か、心当たりはありませんか?」
(私生活?)
「私生活と言われても、この部屋には、誰も入った事がないし、職場の行き来しかないので、ピンと来ないですね」
(………)
「事情は、とりあえず、分かりました。ただ、申し訳ないのですが、あなたの部屋で、見ず知らずとはいえ、人が、一人殺され、物色された。あなたに身に覚えが無くとも、何者かに、狙われている可能性は、ゼロではありません。状況が確定するまで、あなたは、事件対象者になってしまうので、その点は、ご了承ください。捜査が進展した段階で、ご連絡は差し上げます。この部屋には、もうお住まいにならないと思いますが、居場所を変更する場合は、必ず、警察組織に、連絡をお願いします」
「はい、分かりました」
「今日の宿は、どうされますか?行く宛がないのなら、警視庁の仮眠室を提供しますが?」
「本当ですか?では、お言葉に甘えます。ホテル代も、馬鹿にならないので」
「分かりました。このアパートの大家には、警察組織からも、話をしてみましょう。少しは、お力になれると思いますよ」
佐久間は、その場で、部下の日下に電話をすると、次の現場に向かった。
望月は、現場を仕切る、佐久間の姿に感銘し、憧れの眼差しで見送った。