裏切りの接吻(2024年編集)
~ 四月十八日、お開きとなった結婚披露宴会場 ~
新婦側の参列者に紛れ、田中大介は、新郎側の誰よりも早く、会場を後にしようとしている。
元とはいえ、自分の恋人を射止めた羽鳥が憎く、花嫁が逃げたと知った時、胸の奥がスカッとした。もう少しだけ、この場で、落ち込む羽鳥を観察したいところだが、同情してしまう。同僚という立場から、慰めの言葉を掛けるべきか、判断に迷う。
周囲から、失笑を受ける羽鳥の姿は、『格好が悪い』の一言であり、『自分だったら、同じ様に、顔を上げられないだろう』と、素直に思った。
田中には、急いで帰路につく理由が、もう一つあった。
結婚披露宴が始まる前に、杉山京介からメールを受け取った為だ。メールには、挑発的な事が書かれており、とても承服しかねる内容であった。
『 俺たち三人で、今日、奴と決着をつけて、あの金を夕方に分配しよう。
俺と伊藤は、結婚式場から、途中で消える事で、奴の裏をかくつもりだ。
どう考えても、この機会しか、奴を欺く事は出来ないだろう。
お前も、その心積もりがあるのなら、十六時までに、渋谷区道玄坂あじさい
公園に来い。口外は死を意味する、公園トイレの、裏口で待っている 』
田中は、焦っていた。
所定時刻に間に合わなければ、自分が殺される事を意味するからだ。報酬の金を受け取るどころか、生命の危機である。羽鳥などに、構っている暇はない。
(あの金の在り処は、全員の暗号を解読しないと、分からない仕組みだ。…決行するという事は、奴の暗号を判別したか、三人分の暗号から、割り出すのだろう。…勝ち船に乗らないと、全て水の泡だ)
こうして田中は、集合場所へと導かれるのである。
破滅の道とも知らずに。
~ 十五時四十八分、東京都渋谷区あじさい公園 ~
定刻前に、間に合った田中は、付近を詮索するが、小さな公園内には、誰もいない。
(指定された公園は、ここだよな?人の気配が、全くないが?……ん?トイレは、あそこか?)
田中は、指定された、公園トイレの裏口に回った。だが、いるはずの、二人がいない。
(自分が、先に着いた?なら、そろそろ来るのか?中を、念の為、覗いてみるか)
田中は、トイレの中を覗く前に、周囲を一度確認し、不審者と思われない様、気をつけてから、慎重に扉を開けた。
次の瞬間。
(------!)
田中には、抗う術もなく、瞬時に意識を狩られる。薄れゆく意識の中で、杉山の気配だけが分かった。
(………)
(………)
(………きろ)
(………?)
(…きろ、……起きろ)
(………?)
「おい、起きろ!」
(------!)
鈍い痛みが、どんどん鋭くなり、激痛で、意識を取り戻した。
「痛っっっっ」
(------!)
手足が縛られ、身動きが取れない。
(どこを殴られた?手を後ろで縛られているから、何も出来ないが、まずい状況だと言う事だけは分かる)
杉山と伊藤が、自分の様子を舐める様に、見ている。
「…これは、何の冗談だ?お前ら、この俺を裏切るのか?…おい、奈緒美!」
杉山は、田中の顔に、唾を吐くと、髪の毛を掴み、自分の顔ギリギリに寄せた。
「裏切るのかだって?…裏切るも何も、裏切る以前の、問題じゃないのか?あれだけ、伊藤に、執拗に迫っておいて、その詫びはないのか?伊藤はな、田中の性奴隷じゃないんだ。仲間内で、色恋沙汰は御法度だと、約束事を初めに決めたよな?裏切ったのは、田中だと思うのは、俺の勘違いか?随分な、物言いだよなあ?伊藤からも、何か言ってやれ、この馬鹿に」
伊藤は、目を細め、田中の頬を優しく撫でる。
「昔はね、本気で好きだったのよ。…いいえ、間違いなく、愛していたわ。…だから、最期に助かる機会をあげる。あれは、どこ?それを教えてくれたら、今までの罪は、『去勢だけ』で、赦してあげるわ。生命に比べれば、悪くない条件よ?無理なら、永遠にサヨナラね」
(………)
「教えても、…どうせ、ここまでしたんだ。殺すんだろ?」
伊藤は、ほくそ笑む。
「そんな事ないわ。かつての恋人に、そんな酷い事しない。…まあ、杉山次第だけど。少なくとも、私は、約束を守るつもりよ」
(………)
田中は、ふてぶてしく笑った。
「どちらも、ごめんだね。…あの金だけは、好きにはさせない。俺が死んでも、奴がいる。お前たち二人では、絶対に、奴には勝てない。俺は死ぬかもしれんが、暗号も解読出来まい。命乞いしたって、どうせ、助ける気はないんだろう?…なら、一思いに殺せよ」
(………)
(………)
「もう一度、問う。…それで、良いんだな?」
「……ああ。お前らを信用した、俺が悪い」
(………)
(………)
「…分かった。…最期だ、吐け」
(………)
伊藤は、田中に、優しく口づけをする。
「さようなら、大ちゃん。裏切りの接吻に、なるなんてね。田中は、私の綺麗な思い出の中で、生き続けるわ。…生まれ変わったら、再会出来ると良いわね」
(………)
「お前らとは、絶対に嫌だね。会いたいのは、家族だけだ」
田中は、静かに目を瞑り、生を諦めた。
「ブシュゥ」
杉山は、かつての仲間に、トドメを刺した。
せめてもの情けで、即死させる様、頸動脈を一突きである。
「何故、頸動脈なの?心臓でも良かったんじゃない?」
「心臓だと、即死出来ない場合もある。悪戯に苦しめたくなかったし、出血を抑える必要もある。遺棄する時に、違ってくるからな」
「へー、そうなんだ。勉強になるわ」
予想はしていたが、田中からは、最後まで情報を引き出せなかった。
(………)
(………)
「これで、前に進むしかなくなった。…お前たちが、住んでいたアパートに案内しろ。そこに、田中を放置する」
(-------!)
「それは、まずいわよ。バレバレじゃない?人が住んでいるんだよ?」
杉山は、首を横に振る。
「大丈夫だ、足はつかない。足がつくのは、田中の死因だけだ。俺たちの事は、鑑識が追えない対策を講じる。指紋・足跡・毛髪・服の繊維、これらの対策をしながら、現場に遺棄する。鑑識対策の必要なものは、全て、車内に用意してある」
(対策ねぇ)
「対策は分かったけど、その後、どうするの?」
「合い鍵を、持っているのだろう?古いアパートって話だから、鍵は、まだ使えるはずだ。…どんな奴が越してきたのか、伊藤なら、承知しているはずだ」
(------!)
(全く、抜け目のない男ね)
「…はあ、脱帽ね。何でも、お見通しで、嫌になるわ。…若い男の子が、越して来てたわ。多分、上京したての、新入社員ってとこかしら?いつも、帰宅が夜だから、少しなら、時間はあると思う」
(………)
「決まりだ。では、遺棄次第、捜索して、何も無かったら、即撤収だ」
「ちょっと、待った。無かったら、諦めるの?それじゃあ、田中を殺した意味がないわ?」
「バーカ、話は最後まで聞け。死体が見つかれば、部屋の住民は引越しする。つまり、事故物件になるんだ。そんな部屋、誰が借りる?」
「誰も借りない」
「そうしたら、どうなると思う?」
(………)
「しばらくの間、空き家になるわ」
「ご名答だ。この騒ぎで、アパートの住民が、全員退去すれば、御の字だが、オンボロアパートに住む様では、殆ど金がないだろう。次の住民が決まるまで、時々忍び込むか、客として、物件の下見に来れば良いんだよ。『二人きりで、じっくりと見たい』と言えば、不動産屋は、外で待機するだろうから、問題はない」
「へー、中々、賢いわね。つまり、『探索機会は、何度もある』、そう言いたいのね?」
「その通りだ。とにかく、もう一踏ん張りだ。田中を運ぼう、華奢だから助かるぜ」
「運ぶ前に、対策をする訳ね。とことん、堕ちたわね、私たちも」
(そう言うな、仕方がない事だ。……そう、…仕方がなかったんだ)
杉山は、冷たくなった田中を見ながら、自分に、何度も言い聞かせた。




