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消えた花嫁(2024年編集)

 ~ 東京都江東区有明 ~


 りんかい線国際展示場駅から、程近い、東京ベイ有明の披露宴会場では、羽鳥家と伊藤家の結婚披露宴が、盛大に行われている。

 

「それでは、新婦が、お色直しに入ります。しばしの間、ご歓談頂きます様、お願い申し上げます」


「写真、撮り忘れないか?最後のチャンスだぞ」

「それにしても、可愛い嫁さんだな」

「やっと、静かに、食事が楽しめる。今のうちに食べないと」


 新郎の羽鳥慎吾は、歓談中、友人や同僚たちに、手厚い洗礼を受けていた。


 次々に酒を振舞われ、式後半を迎える前に、酔い潰れそうである。


(まずいな。もう少し、断れば良かったかな。でも、まあ、良いか。祝いの席だし)


 羽鳥の職業は、俗に言う、システムエンジニアである。空調システムのデザインや、ランニングコストを算出し、顧客に提案する技術者で、平均年収より、高い賃金を得ている。


 職場は、女性事務員もいるが、年配者で、『華』とは言えない。


 男性九割・女性一割の社員構成で、一般のIT企業とは程遠く、男所帯の空気が漂う。普段から、羽鳥には、女っ気がなく、異性には、全く興味を示さなかった為、突然の結婚宣言に、周囲は驚き、今日を迎えている。


 同僚社員の一人が、嬉しそうに、羽鳥に酒を注ぐ。


「この野郎、俺に、何の相談もしないで、勝手に結婚しやがって。先輩には、公私ともに、『報・連・相』を徹底する様に、あれ程、教えたのに、見事にしてやられたぞ。…冗談だ、幸せになるんだぞ」


「すみません、田中さん。先輩だけには、こっそり、話そうとしたんですよ。それを、奈緒美に口止めされて。『びっくりさせた方が、絶対に良いよ』って」


(ふーん、奈緒美って、呼び捨てなんだ)


「やるじゃないか、姉さん女房なんだろ?」


「良いんですよ。羽鳥家(うち)は、亭主関白を宣言しましたから」


(見かけによらず、嫁に強気なんだな。そんな風には、見えないが?)


「そうか、それなら、まあ良い。子作り、頑張れよ」


「えへへ、ありがとうございます。鋭意努力しま---す)


 田中大介は、羽鳥の肩を、二回程軽く叩くと、羽鳥の両親に、挨拶しに行った。


(先輩にも祝福されて、今日は良い日だなあ)


 会場の、照明が薄暗くなり、専属進行役が、場を盛り上げる。


「大変長らく、お待たせいたしました。それでは、新婦が、装い新たに、新郎の元へと、爽やかな風を運びながらの入場です!どうか、盛大な拍手で、お迎えしてください!」



「パパパパーン」



 重みのある、豪華に彩られたドアが、ゆっくりと左右に開く。ドアが三十センチメートル程、開いたところで、ドライアイスが、床一面に、むくむくと広がる。


 花嫁ドレスの、橙色と純白の、色調が際立つ、羽鳥お気に入りの、登場場面である。


(さあ、皆、見てくれ。僕の女神を!!)


 会場の熱気が、否応なく盛り上がり、誰もが、入口を注視する。


「どんなドレスかな?」

「派手派手だろう」

「羽鳥の趣味かな?」

「いや、流石に、奥さんの趣味だろう」


 音楽のサビ部分が過ぎ、ドライアイスの煙も、徐々に薄まってくる。満を持して、花嫁の登場である。


(………)

(………)

(………)


「おい、音楽終わったぞ」

「どうした?誰もいないぞ」

「あら、変ね?どうしたのかしら?」


 会場が、ザワつき始める。 新婦が、入場しないのである。


(------!)


(あり得ないわよ、演出が台無しだわ)


 これには、司会運営を任された、専属進行役も、心の中で慌てた。だが、百戦錬磨の玄人(プロ)である。一秒にも満たない、刹那の間で、切り返す台詞が、脳裏に浮かんだ。


「皆さま、新婦は、緊張されており、少しだけ、お化粧直しに、時間を費やしている様でございます。もう少しだけ、お時間を頂戴いたします。準備が出来次第、もう一度、演出をお楽しみ頂けますので、それまでの間、引き続き、ご歓談をお願い申し上げます」


 専属進行役は、花嫁担当者に、無線連絡を入れた。


「ちょっと、どうなってるの?時間が、押しているわ。次の披露宴も、控えているのよ?」


 花嫁担当者が、困り果てた様子で、応答する。


「それが、先程から、控え室に籠もりっぱなしで。あと三分だけ、待ってください。三分待っても、出てこない時は、控え室に入ります」


「問答無用。良いから、早く入りなさい。同じ事を、二度も言わせないで」


「はあ、分かりましたよ、何とかします」



 五分が、経過した。



 いつまで経っても、花嫁は現れず、歓談時間を持て余す、客が増えてきた。怒号が飛び交い始める。


 酔っ払った羽鳥の親族が、専属進行役に、詰め寄った。


「花嫁さあ、映画の『卒業』みたいに、連れ去られたんじゃないの?」


(だから、酔っ払いは嫌いなのよ)


 専属進行役は、笑みを絶やさない。 


「ご冗談が、お上手ですわね。ご安心ください、私、長い間、当式場に勤務しておりますが、その前例は、ございません。間もなく、新婦の華やかなドレス姿を、お楽しみ頂けますわ」



 その時である。



 演出そっちのけで、花嫁担当者が、駆け込んできた。


「たっ、大変です!花嫁が、…花嫁が、失踪しました」


(------!)

(------!)

(------!)


 声を発する者はいない。歓談中の音楽だけが、空しく流れる。


 先程までの、幸せに満ちた空気が、一瞬で凍りつき、全員の思考が停止する。事態を把握出来ず、『失踪する演出なんだろうか』と、戸惑う者もいる。


(終わったわ、仕方が無い、()()をやろう)


 専属進行役は、冷静に事態を察すると、万が一に備え、訓練していた台詞を発した。


「新婦は、今この瞬間、新郎の羽鳥慎吾さんに、最初の試練を与えられました。…慎吾さん、この試練に、あなたが、どう対応をされるのか、新婦の伊藤奈緒美さんは、見極めようとしています。決意表明を、モニター越しに、見ているかも知れません。さあ、花嫁に、暖かいお言葉を、掛けてあげてください!」


 専属進行役は、マイクピンを外すと、羽鳥の耳元で囁く。


「…羽鳥さま、残念ですが、お開きです。来賓者に、『動じていないよ』と、鼓舞されるか、『自分は悪くない』と、同情を乞うのも有りです。決断は、自由でございます。どちらを選択しても、羽鳥さまを、お守りいたします」


(………)


 羽鳥には、誰の声も届かない。この局面が、余りにも現実離れし、茫然自失なのだ。


(壊れたな)


 専属進行役は、瞬時に悟ると、羽鳥の両親に囁く。


「私共も、信じ難い状況となり、新郎は、言葉を発する事が出来ません。ご両親が、代わりに、ご挨拶されるか、私共に一任されるか、ご希望を承りますが?」


(------!)

(------!)


 羽鳥の両親も、まだ状況が掴めず、涙目である。


「…自分たちには、無理です。…お願い出来ますか?」


「お任せください」


 専属進行役は、マイクピンを装着すると、新郎新婦が、最後の挨拶をする壇上に立った。


「ご来賓の皆さま。ご覧のとおり、花嫁からの、『無言の試練』でございます。新郎の羽鳥さまは、必ずや、花嫁の手綱を、再び掴み取られ、私たちの前に、より強い絆を繋いで、登場される事でしょう。ご歓談の途中ではございますが、お開きとさせて頂きます。まだ、ご料理は続きますので、お時間が許す限り、ご堪能ください。本日は、お忙しい中、羽鳥家・伊藤家の結婚披露宴に、ご出席を賜り、誠にありがとうございました」


「パチ、パチ、パチ、パチ」


 挨拶が済むと、席を立つ者、食事を頬張って去る者、祝儀分の元を取ってやろうと、居座る者、飲酒を継続する者、判断が分かれ、映画館の、退場の様な空気となってしまった。専属進行役は、早々に見切りをつけ、次の披露宴に備えるべく、会場を後にする。


(あーあ、とんだ披露宴だわ。時給、大丈夫かしら?)


 羽鳥は、ただ一人、その場で下を向いたまま、微動だにしない。


 酔いが一気に醒め、自分を辱しめた、伊藤奈緒美への怒りと、『何故、逃げられたんだ?』という、失意の間で、心がせめぎあい、現実を受け入れ切れないのである。


(おい、行くぞ。残っていたら、とばっちりが来る)

(了解、おい、退散だ)

(待ってよ、まだ最後のケーキ、食べてないわよ)

(空気を読め、恨みを買うかもしれない)


 伊藤奈緒美の親族は、羽鳥家の苦言を恐れ、全員が、即時に引き上げてしまった。


 羽鳥の親族、同僚、友人たちも、羽鳥に対して、掛ける言葉が見つからず、無言で、両親に会釈を済ますと、会場から、一人、また一人と、姿を消した。


 悲壮感が漂う会場で、羽鳥の両親だけが、最後まで、息子に、無言で寄り添った。


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