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◆第七話:本戦1日目

◆第七話:本戦1日目


6月の終わり。

「捜査に進展があったので報告したい。」

FBIからの申し出だという。来日予定。

なんでFBIが日本まで来るのだ?そこから突っ込みを入れたい。

秋月警部補は警視庁公安部の人間なのだが、どうやら彼が日本の窓口らしい。

彼からその電話をもらったとき、これはまた追加の面倒事だなと直感した。つまり、やだな。

「FBIの報告は警察が把握していれば十二分と考えますが、いかがでしょうか?」

「それがねぇ、圷くん~。先方が君たちをご指名なんだよ。」

何故、俺たちは大嫌いな警察にこれ程あてにされるのだ。

俺たちは未だ逮捕されていないってだけで、全然犯罪者なんだけど。

例によって俺が一人で出席することにした。他の3人は来そうにないからな。

翌日、放課後。

IT同好会の活動を休むため、3人にFBIの件を話すと、皆一様に押し黙っている。

きっと、俺がだれか同伴せよと言うのを恐れて、あえて聞かぬふりをしているに違いない。

全くクソ共が。

さっちんに声をかけるふりをした。

さっちんがびくついた。

ああ、なんでだろう?さっちんが嫌がることをすると、最高に興奮する。

去っていく俺の背にさっちんが「テーブルの傷が何だったのか聞いておいて!」と叫んだ。

さて、俺は田中先生に応接室に来いと言われている。

ほう、この学校には”応接室”なんて部屋があったのか。知らぬ。が、俺は優等生なわけであり、それが3年生にもなって知らぬでは格好がつかないので、先生には知っているふりをした。

応接室の場所は岡さんに聞いておいた。

応接室に入ると田中先生と秋月警部補が談笑している。俺は「これでまた田中ネットワークが広がったな」と思った。とうとう公安まで。

きっと田中先生は、誰とでも親しくなれる独特のフェロモンを、発散させておいでなのだろう。

再会の挨拶もそこそこに校舎裏の駐車場に向かう。

来客用の駐車スペースに止まっていたセダンは中に乗ると全然ごてごてした覆面パトカーで面食らった。エンジン付きに興味のない俺でも、プリウスがエコカーに分類されるって知っている。これが日章チューンのパトカーとな?

パトカーに乗ったのはこれが何回目であろうか?いつか事件の重要参考人として乗るのかと思うと全くぞっとしない。

神奈川県警某所に到着。

FBIの人間はすでに到着しているはず。

通された部屋には高そうな背広を着た黒人男性が一人と、そばかすにTシャツ、ジーパン姿の白人の少年が一人。

合計2名。

二人とも少なくとも俺には身分と本名を明かせないと言う。

黒人の方はマーキスと呼んでくれと仮に名乗った。

そばかすの方はコーディと呼んでくれと仮に名乗った。

打ち合わせはマーキスが仕切って進める。

先ずは事件の首謀者と目されている、あのコックニー野郎について。

氏名:ヒュー・ワット

国籍:ニュージーランド

性別:男

年齢:37

逮捕歴:なし

小川氏の指摘は正しかった。犯人はイギリス人ではない。

ヒュー・ワットは複数のテロ組織とつながりを持つ一匹狼なのだそうだ。

仕事の内容によって仲間が必要な時は一時的に雇う。

基本腕利きのハッカーだが請け負う仕事の内容は様々。

情報や物を仕入れたり、サイバーテロを行ったり、暗殺などなにしろ手広い。

今までマークされていなかった。名前が挙がっても小物認定されていた。

今回の一件を契機に徹底的に調査され、余罪が明らかになると、彼がベテランのテロリストであることが判明した。

マーキスの私見の要約──「報告を読む限りまったくしたたかな男で目立つことを好まない。彼が評価ボードを盗んだことは驚かないが、その後の舞台役者のような立ち回りは信じることが困難だ。」

俺もそしておそらく秋月警部補もそれに同意していたが、あえてそれに言及せず、報告の続きを待った。

暫くヒュー・ワットの説明が続くが全部省く。

その後、捕物帳の朗読。

実はFBIは奴を2度追いつめており、そして、2度とも取り逃がしたのだという。

そして次に奴を追い詰めることができる、最も早く訪れる機会はPWNCON CTF決勝戦であると力説された。

成程、万が一の保険のつもりで押さえておいた俺たちが、今や大本命って、そう言う訳ですか。それならば協力者へのナレッジ・トランスファーとして情報を開示してきたことは頷ける。俺たちはFBIの大事な手駒ってわけだ。

だが、わざわざ来日してきた理由は依然わからない。秋月警部補を介して俺たちに伝えれば十分だろう。

ずっと一言もしゃべらないでいたそばかすのコーディがすっと立ち上がった。

マーキスが「決勝戦の時、君たちにコーディが同伴する。」とコーディを指さした。

PWNCON本戦はUSAで行われるのだから、コーディはUSAで待っていればいいと思う。だから何故来日した。

「コーディは今年の4月から日本の高校に留学していたことにする。」

「なぜそうするのか、尋ねることは可能ですか?」俺は聞いた。

「いいですとも。我々はヒュー・ワットにコーディがFBIだと知られたくないのです。」

つまり絶対に警戒されたくないと──「分かりました。ありがとう。」

でも、このそばかすの少年に何ができるというのだろう?ハッカーならば俺たち4人で間に合っている、黒瀬さんもいるし。ん?今、コーディはFBIだと言ったか?高校生だよね?コイツ。実はオッサンなのか?

やっとコーディが話す。

「私は両方のヒュー・ワットを逮捕するための作戦に参加しました。ですので、私は彼の声を聴き、そして、彼の顔を見ました。」

俺たち中学生の中に居ても違和感がなく、ヒュー・ワットを見いだせる存在、それがコーディってわけか。

ふと行きがけにさっちんに念を押された一言を思い出す。

『テーブルの傷が何だったのか聞いておいて』

そう、渡米してスナイパーに狙われたとき、不思議なテーブルの傷を見つけたのは俺の肉奴隷であるさっちんだった。

俺がその通り質問をするとマーキスは報告書を検索し「私と共に来た報告書には存在しない。私が考えるに、未だ調査中だ。」と答えた。

さっちんはあれで野生の勘が鋭いから、気になるな。

コーディは沖縄の高校に通うが連絡は頻繁に取ってほしいと言われたので、俺はコーディのファミリーネームを尋ねた。

するとファーストネームで呼んでくれと言われたので、日本では歳上に対してはラストネームに”さん”をつけるものだと説明をした。あいつら上司に対してもタイトル使わずにファーストネームだもんな。≪なんつって結局俺は最後までコーディで通しちゃったけど≫

「実はまだ決まっていない。決まり次第連絡する。」とマーキス。

俺が「ニーモニックが高くお勧めだ。」と言うと「分かった、それでいこう。」とあっさり決まった。

後日俺に来た彼からのメールでは確かに、コーディ・ニーモニックと名乗っていた。いーなー、ニーモニック。超かっけー。

最後にコーディの実年齢を聞いてみた。教えてくれるかな?

「24歳。」

まじでか。日本人より童顔なアメリカ人発見。

翌日、テーブルの傷の件は未だ調査中だとさっちんに伝えると、ひどく残念がって、しきりに気にしていた。

なんか嫌な予感がするな。この件の調査、ちょっと強めにお願いしておこうかな。逆にさっちんの貞操を奪って傷物にするっていう解決策もあるな…傷つながりで…俺って天才だな。

黒瀬さんに状況を話すと決勝戦はパスすると言ってきた──曰く「荒事は苦手なんだよね。」

俺にはロリコンの黒瀬さんが「女子小学生の家庭教師に専念したい」って云う気持ちを異なるフレーズで俺に伝えてきたように思えるのだが。もうPWNCONとか、全然興味ないべ。黒瀬さん。

まぁいい。いざというときには黒瀬さんに日本からネットワーク越しに参加してもらうって手もある。彼は最後の切り札として温存ってことでいいだろう。

これをコーディと秋月警部補に伝える。なんか自分の立ち位置がだんだん面倒になってきた。現場の世話焼き係になっていないか?

仕事の見返りは十分にあってその金のおかげで、霰さんとのゴールデンウィークの旅行もなんとかなったわけだが、真のハッカーとは金では動かないものである。ロリコンだが黒瀬さんを大いに見習いたい、ロリコンだが。

7月の頭。

コーディはUSAに発つ5日前に東京入りをした。

メールなどは頻繁にやり取りをしていたが俺以外の3人は会うのが初めてなので、秋葉原のラーメン屋で顔合わせをすることにした。

そして──「ちょっと、可愛いじゃないの。」──岡さんが当然のようにここにいる。

ってゆーか、俺のわきを肘で突っつくのやめて。

「えー、こちらが俺たちと本戦を戦ってくれるコーディ・ニーモニックさんです。沖縄の高校に通っていらっしゃいます。えーと──」

俺は小声でこっそりとコーディの学年を尋ねた。

「──高校3年生です。」

うーぬ。岡さんの瞳にハートマークが見える。コーディの実年齢を知る俺は笑いをこらえることができなかった。結果、岡さんにぎょろりと睨まれてしまった。強い殺気を感じる。岡さんは俺がどう考えて笑ったと誤解しているのか?

岡さんが「早く私を紹介しなさいよ。」と俺の脇腹を肘で突っつく。まったく、度々俺のわき突っつくけどさ、なんなん?

軽くイラッと来たので「挨拶なんて簡単だから自分で直接言ったらどうですか?」と突っぱねてみた。

彼女は”直接”という単語に反応してちょっと顔を赤らめた後、英語じみた何かをしゃべりだした。

乙女化した岡さんは完全にテンパっていて簡単な英語さえも出鱈目になっている。

コーディは岡さんが何を話しているのか理解できず、ひたすら困っている。

他の3人の男衆は知らぬ顔をしてラーメンをすすっている。

俺は──俺は、面白いのでしばらく放置していた。

が、やはり耐え切れずにゲラゲラ笑ってしまい、彼女の本格派のヘッドロックの餌食となった。

コーディが「君たちは仲がいい、そうだろ?」と言ってきたので「お互いにただの近隣だ。あなたが考えているような仲ではない。」と俺が早速否定した。

岡さんが「彼はなんて言ったの?」と尋ねてきたので、俺は面白がって「岡さんが”活発ないい子だね”ってさ。」と嘘を教えてやった。

岡さんはしゅんと小さくなって、ボッと真っ赤になってしまった。これは楽しい。愉快愉快。平成の珍事よのう。

たいへん珍しいものなので俺がじろじろと見ていると彼女は「そうだ。彼、沖縄なんでしょう?だったら東京を案内しましょうよ。」と提案してきた。攻めの岡さん。

これはきっと、もっと面白い岡さんが見れるに違いないと思い、その通りコーディに提案した。返事はもちろん肯定。

他の3人はゲームの開発をしたいと言ってさっさと帰ってしまったので、コーディ、俺、岡さんの3人で都内をぶらつくことになった。

岡さんがしきりに俺のわきを肘でげちげちと突っつく。だから、なんなん!?

「ねぇ、英語で”どこか行きたいところある?”ってなんつーのよ?」

「え?俺の英語はやっつけだから正しいとは限らないぜ。」

「いいから。」鼻息荒いなこの女。これが獲物を狙う女ということか?

俺は中学生レベルの単語をつなげて”Do you have any place you want to go?”という文を作った。

他にも2~3思いついたが、この言い方ならコーディが「ない」と断ることもできると思ったので、これを岡さんに教えた。

岡さんは口の中でもごもごと練習をした後、ばっと勢いづいてコーディに向かって、んでおもっくそ日本語訛りの英文を発した。

コーディが笑顔でまず「ヤップ」と口にしたので、岡さんは”通じた”と手ごたえを感じ、本当に嬉しそうだ。

俺もこんなに舞い上がった岡さんを見るのは初めてで、非常に面白おかしくってたまらない。写メ、写メ。

コーディは「Let’s see.」とちょんの間考えた後「日本のスポーツカーが見たい」と答えた。

その時のコーディの笑顔が岡さん的にツボだったようで、まじメロメロになっているので写メ、写メ。今日、最高です。

んで、また岡さんが俺のわきを肘でごちごちやる。そのうち骨折するぞ。訴えるぞ。

「なんですか?」

「早く行くとこ決めなさいよ。」

「岡さんが決めればいいじゃないですか。」

「私、スポーツカーなんて知らないわよ。」

「俺だってチャリダーだから、エンジン付きとか興味ないですよ。」

岡さんが俺のわきをごちごち。何とかせいと、そういうことですね。はいはい。

取り敢えずググろうとタブレットを取り出しかけたが、顔が広い田中先生ならひょっとして…と思い電話してみた。

『マニアックなくそ親父の店なら知ってる。』

「あ、そこでいいです。教えてください。」本当に俺としてはどこでもよかった。

電車で尾山台駅へ移動し、駅から環状八号線目指して歩く。

くっそぼろい工場みたいな場所に到着──あるぇ?ここであっているのか。

岡さんは「何よここ!」とお冠だ。

しかしコーディは数台並んでいる国産スポーツカーに目を輝かせて工場の中に入っていった。エンジン付きに乗る奴は店の見てくれは気にしないのか。

スポーツカーを名前ではなく型番で言い当てているので彼も相当なエンスーだなと思った。俺は型番とか知らないけど、彼が知っていて当然のように言うのであっているのに違いない。彼ら車のエンスーは車名では完全には特定できたとはせず、型番をもってユニークなのだろうなぁ。面倒な生き物だなぁ。

工場の奥にはドック入りしている車が3台あり、それぞれに一人ずつついて整備作業をしていた。

そのうちの一人、空色のつなぎを着た人当たりのよさそうな30歳くらいの男性が俺たちの方にやってきた。

「なんだい?車を見たいのかい?」俺と岡さんは中学生。そしてコーディもあの童顔。客と思われなくても当然。スポーツカー好きの学生と思われた。

「すいません。外国の友人が日本のスポーツカーが見たいというもので。」俺はいい子ちゃん的に申し訳なさそうに後頭部を掻いた。

「うちはちょっとマニアックな店だけどいいのかい?新車の方が喜ぶんじゃないのかな。」

説明によると、この店は国産の中古車を専門に扱っており、しかもノーマルの状態では売らず、車の時代に合った味を残しつつも今でも十分通用するようにファインチューニングを施してから売るのだそうだ。

コーディが戻ってきて国際B級ライセンスを取り出して見せた。

空色のつなぎの男性は「え?免許もってるの?歳いくつ?」と驚いた。

どうやらコーディは車に乗ってみたいらしいので、俺がお願いをしてみた。

選んだ車はホンダS2000。

「初期型のエンジンにうちのチューンだけど大丈夫かな。」──空色のつなぎの男性は心配しながらも車の準備をしてくれた。

エンジンに火を入れるとズオンとへそに響く音がした。

アイドリング音はズッ、ズッ、ズッと鎖でつながれた猛獣が苛立つように安定しない。コーディの表情が高揚する。

俺は岡さんのわきを突っついた。

「行ってきたらどうですか?」

「アンタは?」

「見てください。この車は2シーターですよ。」

「私、英語しゃべれないから無理だし。」

「俺だって無理して英会話してますよ。彼は日本語を話せませんから、一人では行かせられないでしょう。行ってきてください。」

「う…うん。」

紅色の頬を気にしながら上目遣いにコーディを見る岡さんを写メ、写メ。ぷぷぷぷぅー。

30分くらいして二人は帰ってきた。

岡さんの顔が幸せで煮崩れしている。なんて面白い顔だ。写メ、写メ、写メ。最高に楽しいんだが。

ふと気が付くと、工場の奥から気難しそうな老人が出て来ていて、俺の横に立っている。びっくりした。

コーディの顔をじろりと見て「フン」と鼻を鳴らして、また工場の奥へと戻って行ってしまった。

空色のつなぎの男性が「いいエンジン音で帰ってきたからドライバーの顔を見に来ただけだよ。」と教えてくれた。

PWNCON本戦出場のためUSAに出発する当日、驚くことが一つあった。

「私も!行きます!」

目の前に、旅行用のトランクを引きずる岡さんがいる。

「まゆちゃんに頼んで、私も行けるようにしてもらいました!びっくりしたか!」

「したよ!でも、なんで岡さんが来るんだよ。できることないだろう。」

「え。なんでってまゆちゃんの代わり…かな。」

じゃあ、むしろ小川まゆみさん実物が来てくれないかな。ならば大歓迎だわ。

実際、俺がまゆみさんに「私を世界に連れてって」と第3話で言わせていたので、ほかの3人は彼女が来るのを今か今かと待っている。

こねーよ。

「ああ、まゆみさんは俺たちと同じ飛行機には乗らないんだ。」どの飛行機にも乗らないけどな。嘘ではない言葉でだまして残念な3人の男子を飛行機へと向かわせた。

はい。飛行機でびゅん。USA着。

途中経過一切合切省いて、PWNCON本戦当日。

受付を済ませると基盤むき出しのバッジに”HUMAN”と書いて渡された。またバッジには”ONE DOES NOT SIMPLY”と書かれている。

パンフレットの体裁や会場の装飾など、今回のモチーフは指輪物語のようだ。

”ONE DOES NOT SIMPLY”はかなり有名なインターネットミームなので、おそらくは会場の装飾やパンフレットからこの後に続いて文章を完成させる単語を探すのであろう。

その後完成した文章に従ってバッジをハッキングすれば正解を得られるはずだ。

正解者には色々な商品が用意されていたのだけれど、もう忘れた。永久出場権はあったな。

そういった趣向はなかなかハッカー好きがして面白そうだが、ちょっと今回はその洒落たお遊びを楽しむ時間はない。

FBIから依頼された仕事がある。

チームごとに一台ずつのPi2が配布された。この煙草の箱くらいの小さなARMシングルボードコンピューターがサーバーで、本戦では自チームのサーバーを守り、他チームのサーバーを攻撃する。

予選で悪目立ちした俺たちには無数の、俺たちを敵視する強烈な視線が浴びせられる。

うーん。やはり予定通り、試合が始まる前に、仕込みをさせていただくしかなさそうだ。

俺たちがPCを起動して準備をしていると会場を一回りしてきたコーディの表情に焦り。

「この会場にヒュー・ワットはいない。」

俺たちの目的は優勝ではなくヒュー・ワットの逮捕。

FBIはわりと本気で臨んでおり、近場のホテルの一室を借りている。

ヒュー・ワットに感づかれないよう、拠点はちょっと離れたビルにある。ホテルの部屋も昨日個人名で借りて、最小限の機材だけを運び込んだそうなので、敵に怪しまれる要素はなさそうだ。

それでも、奴に気付かれたのか?

ひょっとして俺たちは、また、奴の罠にはめられたのか?



俺の小学生の妹霰には放浪癖がある。

何にでも興味を持って、蝶を追いかける仔犬のように無邪気にどこにでも行ってしまうのだ。

そんな我が妹のエピソードを紹介したい。

ゴールデンウィーク。俺は霰さんの目的地を定めない無謀な旅に付き合わされる羽目になった。

その初日。霰さんは朝8時過ぎに出立してもう3時間以上歩いている。

大人でもこれだけ歩き続けられる奴いないぞ。大丈夫か?

「おい、まだ歩くのか?」と心配して聞くと我が妹は笑顔で首を縦に振っている。

そんなわけないだろう。たまさかそこに在った公園で休憩を提案し、霰さんをベンチに座らせた。

バックパックをその小さな背中から降ろすとじっとりと汗がにじんでいる。

「しばらくバックパックは俺が預かる。」

靴を脱がせて指で押し、痛いところがないかを聞く。痛くはないが小指の方がちょっと痺れるらしい。詳しくはないが靴擦れの兆候かもしれない。

「何日歩くつもりか知らないが、こんな調子じゃあ今日一日だって持たないぞ。」

公園の水道で、霰さんの足を洗った。

これ以上歩かせたくなかったので、俺の自転車に乗せて、でも霰さんの背丈では俺の自転車のペダルに足が届かないので、俺が自転車を押した。

大きな薬局をあてにしたが靴擦れ用の商品は踵用しかないように見えた。店員さんに事情を話して軟膏を選んでもらう。

昼飯もかねてファミレスに入り、霰さんの足に軟膏を塗りこむ。がっつり休ませた方がいいと思ったので2時間ちょっとファミレスに居座った。

俺はもう1~2時間ほど時間をつぶしてそれからホテルを見つけようと思ったのだが、霰さんはまだまだ歩くつもりだ。

きっと霰さんは無理を押して歩き続けるだろうと、俺も腹をくくり、スマフォでATMを探して金を下ろした。

念のため霰さんの靴を見せてもらい、アウターソールを確認する。よし、まっ平で分厚くカタい。

向かうはスポーツ自転車店。

「5~6万円くらいのフォールディングバイクが欲しいのですが─」俺は気難しそうな店のおやじさんに恐る恐る声をかけた。

「ああっ!?」

「妹が乗るバイクが欲しいのです。」

親父さんは眉間に深いしわを寄せて「お前、妹にバイクくれてやるのか?」と凄む。

「ええ。このゴールデンウィークに兄妹で旅をするのです。」

親父さんは「そうか」と声を張ると左側の壁に飾ってあったフォールディングバイクを持ってきた。

DAHON Horize。約8万円。ストックで予算オーバーなのに、こいつはブルホーンバーにSTI、メカ11スピード、リヤホイール手組という魔改造が施されている。とんだちびっこギャングだ。あ、でも、なんかキャラ的に霰さんにあっているかも。

イヤ、イヤ、イヤ。俺は首を横に振る。さすがに手が出ない。

「他にも買うものがあるので、これは買えません。」

親父さんは俺の胸にバイクを押し付けた。

「外のクロスバイク、お前のだろう。あれについていくにはこれくらい必要だ。」

「でもお金が…」

「じゃあ5万でいい。これ以外売らないぞ。嫌ならほかの店に行け。」

霰さんはピンクのフレームが気に入ったようで「これがいい」と主張している。

「…わかりました。5万円で買わせていただきます。でもSTIでVブレーキ引けるんですか?」

「ああミニVだからな。効きは悪くなるが妹さんなら軽いし、なんたってVだ、ミニなら素人が前転する危険が少なくていいだろう?妹さんに合わせてポジションを出しておく。他に買うものがあるんなら、とっとともってこい。」

かなわないな。こういう親分肌のおやじはちょっと苦手だ。

手早く品物をそろえる。

①輪行バッグ ※俺のクロスバイク用

②輪行バック ※霰さんのフォールディングバイク専用

③チューブ ※以下⑨まで霰さんのフォールディングバイク用

④ヘッドライト

⑤ベル

⑥リヤライト

⑦軽量チェーン

⑧ハンドルに取り付けるバッグ

⑨ペットボトルフォルダー

⑩ヘルメット ※霰さん用

これでも必要最低限なのだが、結構な数になってしまった。

その他ポンプや携帯工具などは俺のバイクに積んであるからよいだろう。

店のカウンターにずらっと並べると親父さんは上機嫌で笑う。

「お前のクロスとお嬢ちゃんのバイクはチェーンが同じ規格だ。お前の装備も見た。確かにこれでいい。合格だ旅に行ってこい。」

「不合格だったら、止めるおつもりだったのですか?」

「当然だ。大人の仕事だ。」しまった。わりと霰さんに旅をあきらめさせるチャンスだった。好機を逃した。

「はぁ…で、おいくらでしょう?」

「そうだな、7万でいい。出せるか?」

俺はぎょっとした。総額で12万円を超えているはずだ。バイクの値引きを考慮しても9万円に届くはずだ。

「金は金を持て余しているじじいどもからふんだくることにしている。バイクは俺が遊んじまったモンだし、儲けはないが赤字じゃあないから安心しろ。」

俺は一万円7枚をそっと出した。防犯登録を済ませると「とっとと行ってこい」と店から追い出された。

徹頭徹尾親分風吹かせるんだなと首をすくめて自分のクロスバイクを見ると、ハンドルの両端に短いエンドバーがついている。いつの間に…あの親父のせいに違いないので「これなんですか」と聞く。

「それだけハンドルを短く詰めていると握る場所少なくて困るだろう。そいつはアルミ製で27グラムしかない。」

「はぁ。」俺はポジション固定で乗るタイプなんだが。どうせ断っても無駄なのだろうなと思った。もらっておくことにした。

「それよりそのハンドル左側が5mm長いな。それはわざとか?」

「はい。左肩が右肩より1cm近く長いんです。これでポジション出ているのです。」店を後にした。

近くに公園がなかったのでシャッターが閉まっている店の前に自転車を止めた。

霰さんのバックパックからバイク用のバッグと俺のメッセンジャーバッグに荷物を移し、バックパックは折りたたんでレターパックプラスに無理やり押し込んで自宅に送った。これで霰さんの背中は蒸れにくくなったはずだ。

霰さんのバイクはブルホーンバーにSTIだったので、5分ほど使い方を伝授した。つか、なにげにSTIの握り代。手が小さい小学生向けに調節してくれているな。あの豪快な性格で仕事は細かいのな。

「今日は自転車になれる意味も含めて、本当に1時間か2時間しか走らないからな。」

ヘルメットをかぶせてやりながら、そう、念を押した。

人間の足は歩くとき体重の2~3倍の衝撃を受ける。裏を返せばそれくらいならば楽々と受け止める能力を人間の足はもっている。凄い。自転車は体重をサドル、つまり尻で支えることで、そのすごい足の能力を100%推進力に使える。

自転車なら、霰さんを十分に休ませながら、彼女が満足する程度遠くまで進めるはずだ。

霰さんに速度を合わせるとなると時速20kmくらいだろうか?公道は信号につかまりまくるので平均速度は時速10km程度で計算した方がよい。それでも歩くよりは倍以上速いはずだ。

路地裏を使って手信号を教え、いよいよ出発。

3時間以上歩いた後、高いサドル位置と低いハンドル位置、キツイ前傾姿勢の自転車に乗っている妹が心配で、脇の下から後方を何度も覗き見た。なんか姿勢が悪いなアイツ。

ちょっと歩道に上がって、霰さんにブレーキレバーを両方ぎゅっと握らせ、後輪を俺の両足で挟んだ。スタンド付きのチャリの筈なんだが、あの親父が取り外してしまったようだ。

「腰の角度が悪い。」

俺は霰さんのへそのあたりに手をまわしてぐいっと後ろに引っ張った。

「いいか。こうやって腰はほぼ垂直に立てる。んで背中を一気に水平近くに曲げる。いいな。」

1時間ちょっと走ると霰さんもスポーツ自転車や後ろについて走る手際にも慣れてきたようだ。自転車に乗る姿も様になってきた。これなら明日以降も安心だ。今日はもうホテルを探して泊まってしまおう。

そして俺は、宿泊したホテルで霰さんの意外な事実を知ることになるのだった。

そのお話はまた来週。

曲がったSTIのプロいなおし方も書きたかったが、それもまた来週。



僕の名前は…仮にMとしておきましょう。

僕のお話はちょっとたちが悪いものですから、もし同姓同名の方がいたら大変申し訳ないのです。

僕は完全にストーカーと化していた。

まりすけさんの登下校を狙って、彼女の背中についてゆく。

そうしているときだけ、僕を悩ませていた薬の効かない頭痛は、僕の脆弱な部分に近付けず歯ぎしりをしている。

ざまぁみろ。

しかし、

家に帰って自室で一人ぼっちになった瞬間、まりすけさんに二度と会えなくなるという恐怖で気持ちが落ち込み、ズダンと床に倒れこんで立てなくなった。

声を出そうとしても小さく「アウアウ」としか発生できず、手足には力が入らない。

まりすけさんが高校を卒業して大学生になったら、どこかのアパートで独り暮らしを始めるかもしれない。

引っ越しの日を逃したら追跡できない。僕はまりすけさんと会えなくなる。釣鐘のように重い不安が僕の神経系にのしかかって、僕の生き物としての機能を減退させる。

このまま死ぬのかなと思いながら気を失うように眠り、起きる。2時間ほど時間が経過していた。

立ち上がれたが頭痛がひどい。

だが、医者には行きたくない。考えて欲しい、頭痛の原因を何と説明すればいいのか?自分はストーカーであると白状するのか。

まりすけさんの後をつけていたある日、職務質問をされた。

ベテランの警官が一人と若い警官が一人。

若い方が僕に声をかけてきた。

貧相な体つきは明らかに鍛え方が足りず、こんな警官がいざというときに僕たちを守ってくれるのか、本当に心配になる。

そいつが、僕に、何か身分を証明できるものはあるかと尋ねてきた。

持っていないというと、何をしているのかと聞かれたので、散歩だと答えた。

若い警官の目が僕の手にあるスマートフォンへと向かった。僕は電源ボタンを押して画面をロック状態にし、ズボンのポケットに隠した。

若い警官は、住所を教えていただけますかなどとしつこい。

「これ、任意ですよね。」僕はわざと面倒そうに、演技をして吐き捨てた。

若い警官はご協力お願いしますと全く引かない。

僕と若い警官はその同じセリフを交互に言い合い、将棋の千日手のようになった。

繰り返すたびに、僕の心はくたびれて深くて臭い泥の中に落ち込んでゆく。

僕のくそったれな頭痛が勝ち誇ったように僕の頭を殴りつけて、僕は背中の方へのけぞって倒れてしまった。

僕は気絶をした。気が付いたとき、警察官二人が僕のことを「障碍者の方かもしれない。失敗したな。」と話しているのが聞こえた。

僕は交番に寝かされていた。僕はその時に自分が気絶したことに気付いたのだが、警察官が僕を病院に連れて行かなかったことに少々腹が立った。病院には行きたくなかったのだが、つまり、彼らは問題が大きくなることを恐れたに違いない。保身のため。それが腹立たしい。

警察官は僕の体を気遣って僕が交番を出ていくのを見送ってはくれたが、ついに謝罪の言葉はなかった。

警察は僕のストーカー行為に気付き、止めさせることはできなかった。

警察は自分たちの間違いを決して認めようとはしない。

すなわち最低だ。

笑える。

僕はストーカーを続けるにあたって、警察を全く恐れなくなった。

そんな時、小さな工場こうばへの就職が決まった。

ある工場こうじょうが倒産して、そこの社員だった者たち数名が立ち上げた工場こうば

将来的にいくつもの資格を取得してくれるであろう、学業優秀な若手を探していたそうだ。

正社員になったのでアルバイトはやめた。

母は目を腫らすほど泣いて喜んでくれた。

僕は最初、この会社はそれほど長くはもたないのではないかと考えた。

だから、社長に「会社の株を買わないか」と勧められた時も即時に断った。

就職して、正社員になって、致命的な問題が一つある。

まりすけさんのストーカーができない。

ストーキングは壊れかけた僕の心をぎりぎりで支えておくための、唯一の方法。

それができなくなって、また、頭痛や幻聴に悩まされる日々が戻ってきた。

自分の心が壊れてしまうかもしれないという恐怖に怯え、その負の感情は指数関数的に膨張を続ける。

恐ろしい。

自分が壊れる。

自分が自分でなくなる。

それは死か?

心の死か?

恐ろしい。

恐ろしい。

僕は安いアパートを探して自宅を離れた。

両親は僕が自立したのだ、一人前になったのだと喜び、コメや野菜を送ってくれる。

だが、僕の目的は違う。

監禁だ。

まりすけさんを監禁するのに都合がよろしいから、部屋を借りたのだ。

こんなことをさも当然のように決められるなんて、僕の良心はもう、心の中にかけらも残ってないな。

僕は、今はまだ何もない部屋を眺めて想像する。

部屋の隅にはテレビがあって、その前にまりすけさんが寝そべっている。

彼女の足首には鎖があるんだ。逃げられないようにね。



次回、第八話「本戦2日目」

霰さんに全てがかかっているとしか言いようがない。

9話と10話は本編の事件が一気に動いて決着つきます。

10話は本編も兄妹旅もストーカーも全部進行がマッハになってしまった。

8話ではまだネタばらししたくないのでラブコメ的要素が欲しかった。

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