◆第三話:PWNCON CTF
◆第三話:PWNCON CTF
コックニー野郎が俺たちに与えた時間は30分。しかし、俺たちの解答が通ったのは30分と2秒。
2秒超過。
スナイパーが狙っている。
撃たれる。
窓ガラスに残る弾痕。
誰もがその向う側のビルを見、警戒する。当然の反応。
しかし、空手家であるさっちんがスナイパーの気配を覚えていた。
州警察は窓に残る弾痕の先にスナイパーがいると思い込んで警戒していたが、さっちんは別の窓を指さす。
「あのビルから狙っている!」
スナイパーは俺たちが問題を解ている30分と2秒の間に2つ隣のビルに移動したらしい。
少なくとも俺とかのえ君はさっちんを全く疑わなかった。
かのえ君が柔道で鍛えた下半身でベッドを蹴り起し、筋肉を持て余している小川氏と息を合わせて窓に立てかけて目隠しをした。
全員頭を低くして窓から離れる。
銃弾は3発飛んできたが全て大外れ。
ベッドは窓ガラスのすべてを隠せてはいないが十分な遮蔽になっている。
素早い判断でかのえ君に協力してくれた小川氏の筋肉に感謝。1秒遅かったらと考えるとぞっとする。
俺がタブにスナイパーが居るビルのマップを表示させて小川氏に見せた。
小川氏はタブをそのまま州警察に見せた。
さっちんが屋上だと日本語で叫んでいるので、小川氏が州警察に屋上だと英語で伝えた。
俺たちがいるビルの出入り口には州警察の警察官が待機している。
無線で指示を受けた彼らがスナイパーがいるビルに急行する。
ここでPCからコックニー野郎の声。たお先生に目配せをして俺が奴の相手をする。考えがある。
『君たちの実演は俺を悩ませていた最近の退屈を吹き飛ばした。』
「それは残念。分るだろう?俺はもっとお前を悩ませたかった。」
『俺が今、何をしているか言えるか?』
「ああ、言える。それは決まっている、バカなことさ。」
『俺は今、時速100マイルで走る車を運転しながら、スマートフォンを操作している。YOLO!』
「それは本当にバカなことだ。」
『俺は俺が所属しているチームのためのPWNCON CTFの参加手続きをやった。YOLO!』
「お前はきっとそれに参加する前に捕まる。」
『俺はそれを楽しみにしている。』
「捕まることをか?」
『俺はお前たちも同様にPWNCONに参加することを予言する。』
「俺はそれをアダムとイブ(信じる)できない。」この一言だけ俺もコックニーで返した。
『また会おう。』
「繋いだままにしろっ!」
それっきり通信は途絶えた。
俺が焦りの色を隠さずにたお先生の方へ振り向くと、彼は首を横に振っている。
”ちっ。ダメだったか”俺は舌打ちをする。
実はたお先生はコックニー野郎の現在位置を特定するためにパケットを追跡していたのだ。
俺は奴をあおってできるだけ会話を引き延ばそうと試みたが、結局奴は言いたいことだけ言って早々に通信を切った。
ふと見るとPCのディスクアクセスランプが激しく点灯している。
「くっそ!」
気付くのが遅れた!!
うかつだった!!
きっとストレージのデータを消去するつもりだ。
つまりストレージには敵が消去したい情報がまだ残っている。
キーボードもマウスも入力を受け付けない。手抜かりねぇ。
俊敏なかのえ君がコンセントに飛びつきながら、俺に同意を求めるため視線をよこした。
これは選択の余地がない。俺は苦虫をかみつぶしたような表情で頷く。
電源ケーブルを引っこ抜き、PCを強制停止させる。ストレージにダメージが生じるのであまりやりたくない。
しかし、すべてのデータを失うよりは全然ましだ。
州警察の無線。
それはスナイパーを確保したという報告で、現場を締め上げていた緊張が一気に緩んだ。
改めて現場を州警察が仕切る。
PCは州警察が押収していった。
俺たちは30分2秒のコーディングで疲弊しきっており、彼らの仕事をぼんやりと眺めていた。
「大丈夫か?」小川氏が俺の肩を揉むように少し抱き寄せる。
「ちょっと疲れました。」
たお先生が左手で俺の胸をはたく。彼の右手は天井を指さしている。
成程、州警察の手はまだ天井までは回っていないようだし、俺たちで調べてみるか。
俺がしゃがんでさっちんに「肩車しよう」と誘うと「絶対にヤダ!」とかのえ君の後ろに隠れてしまった。
なぜそんなに嫌がるのかと不思議がっていたらかのえ君が床に落ちているガラスの破片を一枚俺に手渡した。
「自分の顔を見ろ。」
言われた通りにした。
理由が分かった。なんという下心丸出し。
しょーがないのでかのえ君を誘ったら迷わず俺の肩にまたがろうとしたので「逆じゃ!逆!」と思わずキレた。お前みたいなでかぶつ背負えるか!
しかし「もう今からじゃめんどくさい。」と肩にまたがられてしまった。
ぐぬっ!俺の首筋に当たるイチモツ…でかい。さっちんはLサイズが好きなのか?かのえ君のお楽しみ棒にメロメロなのか?俺のMサイズじゃダメなのか?テクニックよりパワーなのか?
「おい、早く歩けよ。」
「分ってるよ。」
俺の肩に乗ったかのえ君が天井に設置されているエアコンの室内ユニットを調べる。ぐへー、マジ重いわ。
かのえ君が盗聴用マイクを発見し、大声を張り上げて他の二人を呼び集めた。小川氏もついてきた。あの、とっとと降りてくれないかな。限界。
「念のため、残りの室内ユニットもしらべよう。」と俺が言うと、かのえ君は無言でさっちんをひょいと持ち上げて自分の肩にのっけた。さっちんはかのえ君だと一切抵抗しないな。
5分ほどで戻ってきた。
かのえ君はさっちんを肩から降ろしつつ「盗聴用マイクがあるのはこの部屋だけだ。」と、ぶっきらぼうに報告。
そうか。
一見打ち合わせルームのような部屋にテーブルが一つ。ここに何があるというのだ?
マイクはACアダプターから給電されてまだ生きている───何かはある。
俺たちは部屋の調査を始めた。
州警察がやってきて「何をしている」と聞くので、小川氏が事情を説明した。
州警察がマイクの提出を求めてきたので渡した。俺たちの仕事じゃないからな。渡すのがスジだ。
州警察がかのえ君をエアコン室内機のところまで連れてゆき”マイクはどのように置いてあったか?”と質問を始めた。
かのえ君は不慣れな英語と身振り手振りで必死で説明をしている。
あれはちょっと時間がかかりそうだ。でも、こんな狭い部屋だから残った3人でも十分だろう。
部屋の調査を始めた。
「これ?なにかな…」
俺の肉奴隷のさっちんが、テーブルの表面に顔を近づけて目を細めている。
細かい傷がいくつもある。
テーブルの天板の材質はかなり堅いようなので、この傷はちょっと不自然だ。
テーブル自体も会議用というにはちょっとごつくて、どちらかというと”作業台”という感じだ。
俺は州警察にテーブルを調べて欲しいと頼み、天板の不自然な傷を見せた。
部屋を出るとちょっと離れた位置にある警察官の死体を見て、さっちんが顔を真っ青にしてへたり込んでしまった。
確かに頭を撃ち抜かれた死体なんて恐ろしいだろうが、さっきまで平気だったじゃん。最初狙撃されたときのさっちんは誰よりも冷静で野性の権化のようでその雰囲気は今思い出してもぞっとする。
野生化したさっちんを見て俺も野生化して、警察の前でさっちんと反社会的なチャンバラ活動をしてしまいそうでぞっとする。そんなことをしたら俺の人生は社会的に終わる。
話が横道にそれた。戻そう。さっちん、何故今更怯える。
なんだろ?可愛すぎるさっちんには通常モードと野性化モードがあるのかな?
今は通常モードなのかな。
事実、死体から目を背けてふるふると震えて動けないでいるな──
───いや、いや、いや、いや、いや。
まったく、よだれが垂れるわ。
このまま、さっちんが精神的にダメージを受けている状態で、さっちんの身体をめちゃめちゃにしたいな。
───…じゃなくて、じゃなくてー。やさしくしてポイント稼がないと…いや、やっぱめちゃめちゃにしたいな。男のロマンだよねー。
あ、
「大丈夫か?」
かのえ君に先を越された。かのえ君に肩を抱かれて、弱々しく立ち上がるさっちん。
あーあ、これでまたさっちんの中のかのえ君株爆上げだわー。
やられたわー。
まぁ、なんだ。さっちんにこのまま現場に居ろというのは酷だし、俺だって死体嫌だし、何よりもうこの現場で俺たちができることはなさそうだ。
死体を目の前に眉ひとつ動かさないTHE筋肉小川氏に一言断ってホテルに戻ることにした。
ホテルの部屋の前。
俺は当然そうするものなのだろうと思って…
「さっちん。俺が嫌なこと全て忘れさせてやる。」
…って男らしくさ、さっちんの尻を撫でながら部屋に入ろうとしたわけ。しかし何故かかのえ君の腰車の餌食となった。
全く、かのえ君が柔道上手いから技がきれいに決まって痛いだけで済んだけど、本当は危険な技ですよ。あえてチョイスしないでいただきたい。
結局、かのえ君が気分を悪くしたさっちんの世話をして、俺とたお先生はゲームの開発を進めることになった。
学校に許されている休暇は4日。たしか明日の夕方の飛行機で日本に帰る予定。
「たお先生。」
「…」
「俺たちの仕事は多分今日のアレで終わり。明日一日空きますな。」
「ゲームの開発」
「そうですね。いい機会です。一日中、俺たちのゲーム”カフェねこやしきにようこそ”の開発をしましょう。」
本当は、さっちんの身体の開発を一日中したいですけどね。
まぁそんなことなんで、翌日は4人一部屋に集まって朝からゲームの開発なのである。
それはいいのだが、かのえ君とさっちん。君たち距離近いな。そしてバカップル笑顔で見つめあうのもやめて。
昨晩、何かあったのですか?何かやったのですか?いたしたのですか?
かのえ君は昨晩、さっちんのどこをどう言う風にお世話していたのだね。気になるじゃぁないか。
精神的に距離が近づくのは許容するけど、物理的に近づくのやめてね。その身体、俺のものだから。
軽くイラついていると小川氏から電話が来た。小川氏から貸与された携帯。みんなめんどくさがって触ろうとすらしないので俺がもっている訳であり、俺が出るわけである。
空港に向かうにはちょっと早いな何だろうと思たら、オフィスに来てほしいという。また警察と打ち合わせらしい。みんな警察嫌いなので、例によって俺一人で行くことにした。
「あれ?他の3人はどうしたの~。」猪村さんの出迎え。
「おいてきました。」
「ふーん。」
会議室。小川氏と他3人。3人はそれぞれ州警察、FBI、CIAの担当者ということだった。みんなおいてきてよかったぜ。この面子。他の3人なら悲鳴を上げて逃げ出す。
それぞれ握手を求めてきたので俺も名を名乗る。
「現状を5分で説明します。」州警察の担当者はプロジェクターにつながったノートPCを操作する。
俺は小川氏に日本語で耳打ちした。
「なんでこんな話をここでするのです?」俺たちはITの専門家、とりわけハッカーとしてやってきた。捜査の進捗を全体的に説明されるわけがない。俺たちにしたって聞いたってしょうがない話だ。
「お前たちに用があるからだ。」
「はい?よく判りませんが、飛行機の時間は大丈夫なんでしょうね?」
「話してある。」
俺たちに会うために押しかけてきたってーのか?俺たちを10分以内に呼び出せるこのオフィスに。不穏な空気を感じるな。
なにしろ話を聞かなければ始まらない。
州警察の担当者によれば──────
スナイパーは恐らく犯行グループの詳細を知らない。
スナイパーは傭兵崩れのチンピラで、逮捕されるのを覚悟でライフルを握っていた。
逮捕されるとき、何の抵抗もしなかった。おそらく良い金で雇われたようで、何年か刑務所で生活することになっても割に合うと考えているようだ。
彼にとって犯行グループは本当にいい客のようで、問い詰めても取引を持ち掛けても何もしゃべろうとはしない。
スナイパーは犯行グループにとって下っ端以下の存在で接点は希薄、これ以上彼に何かを期待するのは無駄だろうというのが州警察の意見だ。
こここまでは全員が納得。
次にPCから聞こえてきた声、コックニー野郎の話。
わざわざPCを一台現場に残したり、マイクを仕掛けたり、PWNCON CTFへの出場をほのめかしたり、YOLO!を連呼したりと、明らかに犯人はこの事件を楽しんでいると州警察は断言した。
劇場型犯罪めいている点にも触れた。
州警察の担当がコックニーを繰り返したところで小川氏が”ちょっとよろしいか”と手を低く上げる。
小川氏は犯人のコックニー方言には議論の余地があるという。
昨日現場で真っ先にUKとまで言い切ったのは俺なのでちょっとぎょっとした。
少なくとも小川氏が聞いた限り生粋のロンドンっ子とはいい難い発音があり、ただのコックニーかぶれか、捜査を妨害するためにコックニーを演じているのはないかと指摘した。
州警察はCIAの方をちょっと気にしながら歯切れが悪くなり、結局”発音の件は確認する”と返事をした。
PCは解析中とのこと。データ消去ソフトや電源を引っこ抜いた影響でデータは破損しているが、そのPCはコックニー野郎や犯行グループが保持しているであろうサーバーとデータ通信を行っていたので、データを救出できれば何らかの有力な情報を得られるだろうと期待しているらしい。
まぁ、そうかもな。会議室にいる4人の中でITの専門家は俺一人。自然と俺に視線が集まる。異論はないので頷いた。
盗聴マイクはフロリダ州の某所に音声を送っていることが分かったとのこと。現在FBIと連携して調査中という報告。
テーブルの傷についても調査中。鑑識も特異な傷で手がかりになりそうだと言っている模様。
へー、さっちんが見つけた傷、なんか有りそうなんだ。頑張って見つけてよかった。役に立っとる。
その他、指紋等も照合中、調査中って話だったわ。
以上で州警察の報告終わり。
え?って目を丸くした。それじゃあ全然捜査の序盤じゃぁないですか。何故、俺が呼ばれたか全然わからない。
「PWNCON CTF出場登録の期限が迫っている。」
PWNCONってコックニー野郎が言っていた…
出ろってか?
「この大会に出場すると言ったことは嘘かもしれない。だがこれは私たちにとって、重要な機会だ。」
うわー、やっぱ出ろってか?
その可能性濃厚なので、今更だが説明しよう。
”PWNCON CTF”とは世界的なハッカーの競技会の名前だ。
「圷サン。もしあなたたちがこの大会に出たならば、犯行グループは非常に高い可能性で君たちに接触すると期待される。」
はい、はい。そーなんですか?
で、少々の説明があった後、正式にPWNCON CTFへの出場を要請された。
なんかもー、この面子で来たってことは断っても無駄なんだろうなーって、そのとき俺は思った。
でも、あの3人に話し辛いな。かのえ君、たお先生、そしてさっちん。絶対嫌がるし。
俺たち4人は生粋のハッカーだ。そして根っからのハッカーというものは嫌でも目立ってしまうのだが、実は目立つことを嫌う。賞金1億円と言われても出ないよあいつら。ま、俺もだけど。
今回も3人、連れてこなくてよかったな。一斉ブーイングだわ。ほんと俺たちと警察は相性最悪。
とはいえ断れない。俺は考えた。
「小川さん。」
「なんだね。」
「まゆみさんと連絡は取れますか?」
「何か用事があるのかね?」
「ええ、まゆみさんにしかできない大事な用事があります。僕たちが日本に戻ってからで結構です。僕がお願いする通りの言葉を、うちの3人のハッカーに言ってやっていただきたいのです。」
「それくらいなら、構わないが…」
この約束を取り付けた後、俺は州警察、FBIそしてCIAにPWNCON CTFに出場すると約束をした。
3人の要件は本当にそれだけだったので、それで打ち合わせは終了。
「おっと。忘れていた。」
そう言ってコックニー野郎について追加の情報を州警察の担当者がPCを片付けながら話した。
警察で犯人の声を正確に再現することに成功し、犯人の骨格がおおよそ判明したようだ。
俺が驚いたのは…身長195cm。
甲高い声だったので背が低いのではないかと思っていたが、それは素人考えだったようだ。でかいな。
更に情報。コックニー野郎は何らかの病を患っている可能性が高いという。それはただの風邪かもしれないし、癌かもしれない。
さぁ、飛行機に遅れてしまうからみんなのところに戻ろう。
ホテルでみんなに「警察にPWNCONに出ろって言われた。」と言うと「でねーよ。」とか「死ね」とかひどい攻撃を受けた。全く、今に見ていなさい。手のひら返し再びだから、絶対。
日本に帰った後、小川まゆみさんに「私を世界に連れてって」と言っていただいた。いつみても可憐ですなぁ。図々しいことを言う後ろめたさからでしょうか、やや言いにくそうに言葉の出だしがたどたどしかったわけですが、それがまた萌えます。可愛いのう。
この萌える弾丸が3人のハートを見事打ち抜いたことは見て明らか。
俺たちハッカーが彼女に世界を見せられるとしたらPWNCON CTF以外にはない。さーどうする?
「圷。俺たちPWNCON CTFに出場するんだっけ?」”だっけ”じゃねーよかのえ君は。
「…べつに出場してもいいぞ。」と…俺。
「え?まだ出場の手続きしてなかったの?」何言ってるのさっちん、けつ出せ。ぶち込むぞ。
「…みんなの意見を聞いてからと思って。」と…俺。
「不本意」たお先生ー、だよねー。お・れ・が!俺が不本意だわ、んなこと言われてぇ。
「じゃあ、申し込んどくわ。で、チーム名どうする?」と…俺。
「うーん。なんかかっこいいの?」疑問文で投げるのやめて、かのえ君。通常の文章の倍以上むかつくから。
「リーダーの仕事では?」んだとぅ、さっちん。先ず先っちょだけ入れさせろ。話はそれからだ。
「頼んだ」た、たお先生~。じゃあ!頼まれた!
「俺たちのゲームにちなんで”nekoya”にしちゃうからな。」
「かっこよくないな。」
「それがリーダーの仕事なの?」
「不服」
「うるせーよ!めんどくせーし、もう決めたから!!」
俺がブチ切れると3人はまゆみさんの方へと小走り。
「いやー。俺たちちょうどPWNCON CTFってゆー世界大会に出る予定があったんですよねー。」
「一緒に世界に行こうね。」
「世界を君に」
この一部始終を見ていた岡めぐみさんが一言。
「バカばっかりね。」
いや、全然ハッカーらしいな。見ていて違和感ないわ。
そうそう。俺たちは今回の仕事のギャラとしてそれぞれ20万円を頂戴した。
俺の場合、これがゴールデンウィークの妹との旅行の資金になった。
俺の小学生の妹霰には放浪癖がある。
何にでも興味を持って、蝶を追いかける仔犬のように無邪気にどこにでも行ってしまうのだ。
そんな我が妹のエピソードを紹介したい。
その日、霰さんは2つ先の駅にいた。
2つ先の駅はちょっと大きくて、駅の周辺は栄えていて店が多い。
霰のランドセルも2つ先の駅にある店で買った。俺が使っていたランドセルはちょっと記憶にないが、霰さんが2つ先の駅ならば俺もきっとそこだろう。
俺は小学生のころから落ち着いていたので、歳が10にもなると霰さんの買い物の付き添いをさせられていた。
親から金を預かり、小さな霰さんを連れて洋服などを買いにゆくわけだが、どこに買いにゆくか考えるのが面倒なので、いつも2つ先の駅にいい店があるに違いないと当て込んで電車に乗るのだ。
2つ先というのも近くて実によろしい。
都心部まで足を延ばすと不良の匂いを嗅ぎつけた親が危ない場所である云々と忠告をしてくるので、そういった面倒を回避する観点からも、近場のそこは最良の場所と言える。
霰さんはその日、ウィンドウショッピングを楽しもうと考えて2つ先の駅にやってきた。
前述のような理由があるものだから、その場所を選んだのにまったく不思議はない。
彼女の足はお目当ての店──ではなくその途中にあるパチンコ屋の前で止まる。
見たことがない格好をした人たちが、
見たことがない楽器を使い、
聞いたことがない曲を演奏しているのだ。
それは霰さんにとって不思議の塊である。
即時に子供用電話を取り出して兄…つまり俺だが…に電話をした。
「あ兄ちゃん!」
『どうした?』
俺はPCを弄っていたので例によってGPS情報で霰さんの現在位置を特定した。俺が今すぐに思い当たるトラブルは…
『帰りの電車賃がないのか?』
「違うの!あのね!なんかね!」
『霰さん。ちょっと落ち着くと良い。』
「へんなの見つけたの!」
変なの?そういえばさっきから何か聞こえてくるな。けたたましいが心地よい音。
これは四丁目の旋律にチンドン太鼓の音ではないか。
『霰さん。』
「なに?」
『GPS情報によると霰さんはパチンコ屋の前にいることになっているが、間違いないか?』
「あってる。」
『いやうしっ!!すぐ行く!!!!』
俺は親のビデオカメラを借りて自分のSDカードを差し、クロスバイクにまたがって、アウタートップ鬼こぎで現場に向かった。
到着。霰さんと合流。
「いやー。チンドン屋なんてつべの動画でしか見たことがないよー。霰さんまじでかした。」
ビデオカメラを構える俺の全身からチンドン屋様に対して全力で無数のハートマークが発射されているのは勘弁してくれ。愛ゆえだ。
「チンドン屋?」霰さんがエクスクラメーションマークを引っ提げて、俺の顔を覗き込む。
「ああ。たしか──戦後復興期に流行った、お店や商品の宣伝をする職業──だったはず。」
「戦後って、ワァルウォゥトゥー?」
なんで突然発音いいんだよ。そうだよWWⅡだよ。第二次世界大戦ですよ。日本で戦後って言ったらデフォでそれっすよ。
俺が霰さんにチンドン屋とは何ぞやと、俺が知っているだけのことを教えていると、一人の怪しいおっさんがにわかに近づいてきた。
「ねぇ君。チンドン屋好きなの?」
おっさんもビデオカメラを手にしている。
気が付くとチンドン屋に興味を持った人はほぼ間違いなくスマフォで撮影をしている。
そんな中、専用のビデオカメラを手にしている本格は俺とおっさんだけだ。
これでは何らかのシンパシーをこの怪しい輩に感じられても致し方なかろう。
うーぬー。取りあえずいい子ちゃんらしく答えておくか。
「僕は生まれた年が災いして、チンドン屋を見るのは今日が初めてという三流ですが。チンドン屋は愛してます。」
その言葉を聞いた時、おっさんは俺を抱きしめる構えを見せたので、俺はじりっと引くことで自分の気持ちを伝え、その行動をあきらめさせた。
「そうかい、そうかい。うーん、実は僕、こういう者なんだけどね。」
名刺を渡された。
”チンドン屋研究家 長井勤”
まじか!おっさんエンスーか!?
やべー。めんどくさい種類の吾人に関わってしまったようだ。
「君はチンドン屋のどんなところが好きなんだい?」
「質問からそれてしまいますが。先ず、今や広告というとネット媒体が主流ですが、僕はその風潮には若干否定的です。」
「ほう。その意見の続きを是非聞きたいね。」
しまっつ!ついうっかりエンスー長井サンの興味をひいてしまった。
「不特定多数に広告をブロードキャストする方程式が常に万能ではないということです。」
「うーん、実にそういうことだよね。」
「はい。地元の限られた地域を狙い撃ちして手厚く広告を打つ手段が、ひょっとすると事実上口コミしかないのではないかという、ある意味恐怖を感じるのです。ちり紙配りやポスティングに対して僕たちはマヒしすぎています。インパクトがない。」
「君はそんなに若いのになんと聡明なことか。まったく君が言う通りでね…」
話がかみ合っているのでやばいのだと思う。
俺と長井サンが熱く語り合っていると、瞬きもせずにチンドン屋に興味を示している霰さんにチンドン屋の一人の女性が声をかけた。
「お嬢ちゃん興味があるの?」
「ちょっと」
「ちょっとで十分よ。私ね、子供たちにチンドン屋の技術を教える活動もしていてね、そういう子募集中なのよ。」
女性は懐からスマフォを取り出して、子供たちがチンドン屋をやっているその練習風景を見せた。
その瞬間、俺と長井サンの目が薄灰色によどむ。
「長井サン。あそこは絶対スマフォじゃなく写真ですよね?」
「ああ、しかも白黒のな。」
エンスーの闇は深い。
家に戻ってひと心地。その後、料理ができる霰さんは母に呼ばれて台所に行った。
じゃがいもの皮をむく霰さんは、四丁目を鼻歌で歌っていた。
僕の名前は…仮にMとしておきましょう。
僕のお話はちょっとたちが悪いものですから、もし同姓同名の方がいたら大変申し訳ないのです。
今日、僕の夢が完全に砕け散った。
僕は昨年、夢であったL社の求人に募集をした。
僕はL社に入社するために必要と考えられる全てのことをしてきた。
そして、そのためだけに生きてきた。
しかし、L社への入社はかなわず、僕は就職浪人を選んだ。
そして”今度こそ”と万全の態勢で臨んだ今年、また落とされてしまった。
もう、どうやったら採用してもらえるのかわからない。それくらい、ありとあらゆることをしてきたから。
入社試験の時、要領の悪い後輩のA君も来ていた。僕は試験に集中していたので実は気付かなかったのだが、彼の方から挨拶に来た。僕は「お互いに頑張ろう」とこたえたが、入社後同じ大学の同じ研究室だからと言って彼の面倒を押し付けられるのはちょっと御免だと思った。
落ちてしまったのだから、そんな心配は不要だったわけだが…
兎に角、提示された結果は現実で覆らないのだから、無念だがその通りに親に報告をする。
「他の会社を受けなさい。」親に言われたその一言は、僕にとって死刑宣告に等しい。
他の会社を受けるくらいなら──僕は今まで何をしてきたのか?その答えが”無駄”の2文字になってしまう。
だが、親が言うことはもっともだ。きっとL社は、僕がたとえ100回採用試験を受けたとしても絶対に採用をしない。それだけは何となくだがわかる。
もう、可能性はないのだ。
「わかったよ…」
自室に戻ってネットで求人を探す。
正直、L社以外ならどこでもいっしょなので、本当に、どこでも、いい…
「あーあ。こんなことなら高校時代、ゲームでもして遊んでいればよかった。」
自分が言い放った言葉が己自身を傷つける。僕はそんなつまらないことを言ってしまったことが悔しくて、泣き崩れた。
泣きはらした後は、さっきとは別な気持ちで”どこでもいい”。どこでもいいから就職を決めたい。そうしたらきっと新しい目標とか、見つかるはずだ。そうでなければ、僕がみじめすぎる。
そうして僕は手あたり次第に入社試験を受けたのだが、そのことごとくで不採用の通知を頂戴した。
不採用の結果をもらうたびに「そうかもしれない」と思い当たる。
なにせ面接で「当社を選んだ理由」と聞かれて、その返事が一言も浮かんでこないのだ。3社目くらいから、さすがに事前に答えを用意したのだが、実際に質問を突き付けられたとき、”僕はこれから嘘を並べるのかな”と情けなくなって言葉が出てこない。
なんでL社は僕を不採用にしたのだろうと、もうどうしようもないことばかりを考えてしまう。
アルバイトは続けていた。きっとこれが僕の最後の命綱だ。バイトを辞めたら僕の収入はゼロになる。
バイトを続けながら僕は入社試験を受け続けた。
そしてまた落ちた。もう何社目だろうか?
僕は不採用通知を握りしめてよろよろとリビングに向かった。そこには母がいる。
「母さん、」
「どうしたの?」
「僕──────────、ダメ…かもしれない。」
弱音を吐く僕を母は叱咤し、採用されるまで就活を続けるように念を押した。
そんなことを言われても、僕は就活に疲れていた。
虚空にL社の夢を描く。ひょっとしたらL社に入る裏口が存在するのではないかと夢を描く。現実逃避。
夜寝ようとしたときに、世界中のだれもが自分を必要としていないという感覚に襲われ、一人、絶望する。
どうにもできない境遇に逆ギレして悪童になる愚かさは残念ながら僕にはない。
僕にその類の愚かさがあったなら、たとえそれが間違いであったとしても、僕の心は多少救われただろう。
僕は、僕の心は、ただひたすら消耗していった。
僕は学生として一流だったはずだ。L社ならば余裕で採用してもらえるほど。
どれがどうだ?今や日々に怯えるダメ人間ではないか。
精神がこんな状態の時に、よりにもよって要領の悪いA君がL社に採用されたと、その最悪な話を聞いてしまった。
僕と親しくしてくれていた同級生から同窓会の誘いがあり、その時に話を聞いてしまった。
もう、神を呪う気力もない。
僕の心は善良なまま、ぼっきりと折れた。
同窓会への出席は断った。ムリだ。
でも、信じて欲しいのです。この時の僕はまだストーカーからは程遠い”善”だったのです。
次回、第四話「こんなエントリーは嫌だ」
世界レベルハッカーの洗礼はエントリーから orz.




