石崎祐介の矜持
第一回目の発売記念大会に於いて石崎祐介がギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターを持ち出したのは勿論場を盛り上げるネタだったのだが、その陰に石崎尽一郎がちらつき始めると、妙な期待をし始める者、ただの冗談では無く何か興味深い事が起こる予兆ではないかと勝手な想像を抱き始める者が現れ始めた。
第一回大会から数週間経った辺りから、石崎祐介が店長を務める『フールオン・ザ・ヒル』二号店にネットで情報を仕入れた者達がちらほらと出入りするようになり始めた。その多くは物見遊山の野次馬だったがそんな中にちらほらと一般人とは違う雰囲気の客が混じっていた。それはインドアなボードゲームやトレーディングカードゲームとは一見縁遠そうな、鍛えられた屈強な体躯を有した男達だ。彼らの多くは鋭い眼光で商品ではなく店内そのもの、或いは店員や客を見渡し、ギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターに纏わる何か、純粋な勝利を巡る争いに何らかの形で関わるための手掛りを探すのだ。毛細炸裂に耐えうる持久力のある鍛えられた肉体はギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターを複数回放てることを意味し、ギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターを利用したジャンケンでは非常に大きなアドバンテージとなる。彼らの多くはおそらく何らかのスポーツ・格闘技を専門的に行っている人種で、その存在が店内の緊張感を否が応でも高めた。
……ギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターに惹かれるスポーツ選手がしばしば居る反面、ギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターに大して余り善く思わないスポーツ選手が多いというのは割とよく聞く話だ。その暴力的な力を良しとする者と忌避する者との違いはどこにあるのだろう? 日比谷雄治はそれについて興味深い話をしてくれた。
日比谷:ギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターが許せるか許せないかの違いって恐らくそれぞれがスポーツや格闘技の本質をどういうものとして捉えているかの差だと思うんです。つまり自己鍛錬の手段として考えているか或いはエンターテイメントとしているかの差。勿論プロのスポーツ選手ならこの両方を意識して活動している人が殆んどでしょうけど、どちらによりウェイトを占めているかは選手個人の思想やその競技の性格によって変わって来るんじゃないでしょうか?
ギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターが他人や自分に与えるモノというのはある種有名無実ですし、小さな事実を殊更に騒ぎ立てているだけでハッキリ言って薄っぺらい。剣禅一致っていうような実戦と精神修行を経て己を高める事に重きを置いている人達にとってこれは凄い嫌悪感を抱かれる事があるし馬鹿にもされる。しかしそこを敢えてやってしまいたくなる、最高の技術と努力を以ってして道化を演じようとする人種っていうのが対を成して存在するんです。ここで言う道化っていうのはパフォーマーとしての意味も含みます。訓練して得た全ての技術を観客を楽しませることのみに費やすプロ。自己を高めるよりも自己顕示欲を優先しているという見方も出来ますが、ギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターをやりたがる人はそれを超えて他人を愉しませるために絶好の舞台で持てる能力を披露したいと考えている傾向があるんじゃないでしょうか?
尽一郎さんがプロレス業界で成功したのも、もっと言えばオリンピックでギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターをやってしまったのもやはり、尽一郎さんの根本に強いエンターテイナー気質があったからじゃないかと思うんですよね。
基本的にはジャンケンと同じルールであるというわかり易さ、身体を鍛えているなら誰にでも参入可能だが実力差が出てくる点、そして少量の反社会性が混然一体となり、ギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターを用いたジャンケンにジャンクフード的なエンターテイメント性を与えている。勝利の味を即物的に味わいたいとする意図とは別に、自身が打ち込むスポーツ・格闘技とは別種類の客層とサイドビジネスよろしく的な片手間感が『選手』側に興味を持たれる理由かもしれない。
『支配者と命運 第一章』の発売記念大会を終えた数ヵ月後、年の瀬迫る十二月のある休日に、『フール・オン・ザ・ヒル』二号店でちょっとした事件が起こった。相変わらず静かな熱気と緊張感に満たされている店内で、二人の学生服の少年がジャンケンを始めたのだ。どうやらおふざけのつもりなのだがピリピリと張り詰めた空気の店内では嫌でも注目を集める。ジャンケンが行われているという事実にを見止めた他の客や店員は一瞬ギョっと驚くがそれがただの学生二人だと気付くと半ばホッとし、半ば呆れながら視線を反らす。密かに注目を集めてしまっているのを知ってか知らずか学生二人はにやにやしながらさらにジャンケンをヒートアップさせる。当時店内で仕事をしていた店員達はその学生二人が騒がしい事とジャンケンという行為が店内で異様な注目を集めつつある事に心がざわつかされるのを感じ、止めさせようかどうか相談していたという。
その時不意に、「喝!」という鋭い声音が店内に響いた。その声は大きかったが不思議と怒気は感じられず、言うなれば演劇の発生のような相手に思惟を伝える事が主目的である一喝だった。それには店内に居た全員はもちろん驚かされたのだが、特にジャンケンをしていた学生二人がそれが自分たちに対して放たれた声だということが本能的にハッキリわかったのだという。声は店の奥のベースボールカードのコーナーから発せられた。そこに居たのは一八〇cmほどの身長の、屈強な体躯の男。最近この店に良く出入りする肉体の自己鍛錬を欠かさないタイプの人種らしいが、その中でも特異な威圧感と静謐な空気を漂わせていた。店内丸ごと沈黙に支配させてしまった彼は学生二人に近付き、穏やかな口調で他の客に迷惑を掛けないようにと嗜めた。……後で彼が明かした、あくまで彼自身の憶測の話だが、ジャンケンをしていた学生二人のうちの片方がギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターを出そうとしていたのを気配で察知し即座に静止した、という事らしい。真偽のほどは定かではないが、その学生二人が特に文句も言わず悪びれもせずそそくさと店を退散した事は事実の一つとして記しておく(単にその男が怖かっただけという可能性も否定できない)。
騒然とした店内が沈静化した頃、男性は店員達に騒がせてしまった事を詫び、店長の石崎祐介との面会を申し出た。彼の名は丹羽慎吾、石崎尽一郎の道場の門下生である。彼の本職は会社員でアフターファイブと週末に尽一郎の指導を受けているとの事で、この日は尽一郎の使いで石崎祐介の店にやって来たのだという。店側にとっては、アポイントメントの無い突然の訪問だった。……実は親戚としての石崎祐介と石崎尽一郎の関係はかなり薄い。石崎祐介は伯父が色んな意味で凄い人物だという事は勿論知っていたが、リアルタイムで尽一郎の活躍を見ていた世代よりも一回り若い事と、尽一郎が親戚同士の集まりに必要最小限しか参加しない性質だった事(単純に忙しかったとも言える)、更に祐介自身が運動が苦手なインドア派で格闘家のハイエンドのような伯父に興味が湧かなかったというか自分とは別の世界の人間だと感じ無意識に避けてきた節があった。電話などで連絡を取り合う間柄では無かったし、今回は更に少々込み入った要件だったので、尽一郎は使いの物に手土産を持たせて挨拶に出向くという形を取った(手土産はデパートで買ったマドレーヌひと箱。後でスタッフがおいしく頂いたとの事)。
そして後日、石崎祐介と石崎尽一郎による会合が新宿にある懐石料理の店の個室にて行われる運びとなった。伯父が甥に飯を奢っているだけという風に見えなくも無いが尽一郎側の要望で『フールオン・ザ・ヒル』二号店の副店長の後藤田、そして立会人として丹羽慎吾も参加した。それは会合のテーマが親戚同士の集まりなどでは勿論無く、ギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターを巡る一連の騒動についてだからだ。
ちょっとしたサービス精神でギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターを笑いのネタに使ってしまったがために石崎祐介が少しややこしい状況に直面している事は尽一郎の耳にも入っており、自身にその責任の一端、いや大部分がある事も重々承知し心を痛めていた。そこで尽一郎は事態の鎮静化を図る方法を石崎祐介に提案した。しかし、それは驚くべきものだった。
それは、ギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターの大会を開催してみればどうかという旨だった。
石崎祐介はその突拍子の無い提案に言葉を失ったが、尽一郎は構わず説明を続ける。
今の『フールオン・ザ・ヒル』を巡る状況は破裂寸前の風船と同じく一触即発。ならば大会という形で一度制御化に置きガス抜きを図ればよいのではないか、と説く。石崎祐介はその提案に強い拒否感を示した。自身の一言から始まったギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターを巡る騒動は一種の天災みたいなものと考え、嵐が過ぎ去るのをひたすら耐え忍ぶ方針だった。それとは反対に自ら災禍に突入するような尽一郎の計画に石崎祐介には無茶苦茶な暴挙に思えた。そもそも安全性の問題があるのではないか? そんな危険なイベントが世間に、ましてや『フールオン・ザ・ヒル』本社に許可が得られるはずがない、と石崎祐介は切り返した。しかし、それに対して尽一郎が返した言葉に石崎祐介は更に度肝を抜かれる。なんと、『フールオン・ザ・ヒル』本社とは既に話をつけてあるというのだ。困惑する石崎祐介に尽一郎は、安全性についても対応マニュアルを作り参加者に誓約書を書かせるという方向で承諾を得ており、当日は尽一郎と親交の深いスポーツドクターにも現場に来て貰うという約束を既にしている、と続ける。
……ここまでの展開に石崎祐介はむしろ怖気を感じ始めていた。この伯父、尽一郎は自分にギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターの大会を何が何でも行わせるつもりなのだ。しかもそのためのお膳立てを勝手に仕込んで外堀もしっかり出来あがっている。『フールオン・ザ・ヒル』本社と話をつけているという話も伯父のネームバリューと本社の企業規模の小ささを鑑みれば決して説得力のない話でもなく、とある有名TCG制作会社が石崎尽一郎がかつて所属していた『環日本プロレス』を子会社化した事が昨今話題になり、往年の人気プロレスラーである石崎尽一郎とTCG小売業者である『フールオン・ザ・ヒル』が幾多のコネクションを経て要求を通した可能性は十分有り得る。……因みに後日、石崎祐介は『フールオン・ザ・ヒル』社長自身から、石崎尽一郎と嬉しそうに並んだツーショット写真と、尽一郎のサインが施されたトレーディングカード(『オールスタープロレスカードバトル ~フォーエバーズ~』に収録されているスーパーレアカード『無冠の勝利者 石崎尽一郎』)を見せられる羽目になる。
石崎尽一郎は、重要なのは周りの都合ではなく君の意志なのだ、と言い聞かせる。この手のイベントのは責任とリスクが伴い、尚且つ運営側のやる気が大きく問われる。情熱無しに挑むならばやらない方がまだマシだ、と。本当にやりたくないのならばそれでも良い。大会開催の如何に拘わらず石崎祐介の意志を尊重してもらいたいという点は『フールオン・ザ・ヒル』本社サイド及び関係者各員に合意を得ている。つまり、曲がりなりにもイベントを企画する事を仕事の一部とする人種、興行師として『ギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターの大会』という企画に魅力を感じるかが問題なのだ。これはピンチでは無くチャンスだと捉えて貰いたい。冒険に伴う危険を忌避する風潮は今後いよいよ高まって行くだろう。だが、今の君の立場なら、やむを得ぬ事情でギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターの大会を開かざるを得なくなったと同情してもらえる部分がある。それを逆手に取り、誰もやりたくても出来ない大会をやってしまうのだ。君の仕事、ゲーム大会などの企画もある種のプロモーター的センスが問われるモノなのではないかと考えている。これが君の眼鏡にこの企画が叶うのならば、どうか一考を願いたい。
お祭り騒ぎのダシに使われただけではないのか? と後に石崎祐介は吐露したという。尽一郎元来のサービス精神というかトリックスター性に甥さえも巻き込む姿勢は確かにゾッとしないモノがある(一連の事情を知る一部の者は、先日の学生二人の騒ぎすら石崎祐介説得と大会へのプロモーションのための仕込みではないかと邪推しているそうだが、真相は尽一郎の腹の内だ)。
結局、石崎祐介はギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターのジャンケン大会を開催しようとはしなかった。理由は単純、石崎祐介はアナログゲーム販売店の人間で、ジャンケン大会など彼の本業と何の関係も無いからだ。職業上ただのジャンケン大会などする道理は無い。だが代わりにこんな企画が考えられた。『支配者と命運 第二章~覇権~』の発売記念大会終了後の参加賞争奪戦でギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スター使用可能のジャンケン大会を行おうというものだ。そもそもの原因が『支配者と命運 第一章』の発売記念大会における自身の何気ない一言に因るものなので、第二章の大会でそれを実現するのがセオリーだと考えたのだ。まぁ、ギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターのイベントなど行わないと考えるのが一番理に適っているという見方も勿論あるだろうが、(尽一郎の口車に乗せられた形であるのが癪だが)イベントプロモーターの端くれとしてのリビドーに火が点いてしまった事、そしてそれ以上にギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターにばかり注目する連中に強制的にボードゲームに参加させてしまう事におかしみを見出してしまったのだ。
『支配者と命運 第二章~覇権~』の発売記念大会は普段行っている普通のゲームイベント同様にごくさり気無く店内に掲示され、店のホームページに掲載された。無論、試合終了後のジャンケン大会についての記述も添えて。大会概要の追記として数行だけ触れられたその文言に対しての問い合わせが殺到し、大会概要とほぼ同様の文章量の『参加賞争奪戦概要』が改めて掲示される事となった。
日本国内で、しかもあの石崎尽一郎が一枚噛んでいるャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターの大会が開かれるという話題は各方面で大きな話題を呼んだ。ネットワークで拡散した一報は伝播し、各地で己が技術を磨きそれを解き放つ場を待ち望み続けていたデュエリスト達の耳にも入り、その日に向けて密かに準備を始めた。
告知以来、物見遊山の客が更に増加した『フールオン・ザ・ヒル』二号店では、ちょっとした問題が浮上していた。ギャラクティック・シャイニィ・シャイニィ・スターの大会というのは建前上はオマケのイベントな訳で、肝心の『支配者と命運』をプレイした事の無い参加者が多過ぎてゲームイベントとして破綻してしまうのではないかという危惧だ。やむなく、いくつか異例の準備が行われる事となった。『支配者と命運』は一セットにつき最大五人までがプレイできるのだが、その各試合に対して一人ずつ審判兼ゲーム進行役を付ける事となった。試合参加者の上限は八〇名(会場のキャパとスタッフが捌き切れる人数の限界)なので、審判は十六人必要になる。結局『フールオン・ザ・ヒル』の他店舗のスタッフが動員されることになるのだがこれでも十分に驚異的な人数。更に発売に先立って、『支配者と命運』のルールをイラストなどを交えて端的に纏めた冊子を作成、店頭で無料配布すると共に同様の内容が掲載された特設ホームページを開設。複雑なゲームのルール浸透に努めた。……この手のゲーム大会は参加者側の大部分がある程度ルールを把握している事が前提で行われている。今回の様なケースは異常事態で、これだけの準備でもとても十全な準備とは言えないそうなのだが、奇妙な偶然と野望が生み出した大会に向けての準備は各方面で着実に整えられていった。