名前の刻まれた慰霊碑の前で
世界が狂乱に陥った大災害から三年。
一番被害の多かったデルタセントラルシティは未だ爪痕を色濃く残し、復興
というには程遠いながらも着実にその姿を元に戻そうとしていた。
一番最初に再建されたのは、やはりというかブリッツタワー・セントラルだ
った。以前はその存在感を余すことなく周囲へ振りまいていた二本の尖塔はそ
の形を失い、今では一本の尖塔となって新たな姿をシティへ見せ付けていた。
「ようやく様になってきたわね」
セントラルシティの中において一番風当たりと日当たりの良い場所に彼女は
いる。その横には青年と少女が控えている。
その三人の眼前にあるのは―――――慰霊碑。
三年前の大災害――――死人戦争と呼ばれる超常なる力を持った存在で
ある死人の暴走が原因の大事件の慰霊碑だ。
この慰霊碑に記されている名前は十万人を超える。デルタセントラルシティ
内部だけで十万人規模だ。全世界の死者など見当もつかない数字になっている
ことだろう。全ての死者を記すことはできなかったが、これだけの人数を記す
だけでも相当な手間だ。
そんな手間を自ら好んでかけた奇特な人がいる。それこそが今デルタセント
ラルシティ復興に全力を尽くし、ブリッツタワー・セントラルの現社長である
音無現とその秘書・暁輩連、そして秘書見習いの湖子宮金の三人だ。
三人はまず、ブリッツタワー・セントラルを再建した。そしてシティの復興
よりも先に慰霊碑の設置を提案したのだ。
死者十万人を超える大災害。その中には遺体さえ残らなかった人もいる。そ
んな方々の親族のためにも追悼慰霊碑は必要として半ば押し切る形で設置した
のだ。
結果として良い方向へと作用してくれた慰霊碑は三年の間で何度も風雨に晒
され少し汚れが目立ってきた。そういう報告を受けたため業者も呼ばず社長と
秘書、秘書見習いがこぞって掃除しにやってきたのだ。
「そうだな。シティはまだまだだが、タワーはもう機能している」
「タワーが基盤になってもっとどんどん復興していけますよ、現さん」
暁と金がせっせと巨大な慰霊碑を拭きながらそう答える。ちなみに、現は疲
れたので休憩中だ。
もう何度か経験している清掃なだけに手際は良い。現だけは未だにぎこちな
いのだが、それは彼女が清掃時間よりも休憩時間のほうが長いせいだ。
この慰霊碑の清掃だけはどんなに忙しくてもこの三人でやると決めていた。
業者がしつこく言ってきてもにべもなく断り、ブリッツタワー・セントラルの
部下たちがどんなに文句を言ってきても譲る気はなかった。
現も清掃に参加を始めて、それでも巨大な慰霊碑の清掃はなかなか終わらな
い。本来なら専門業者が何人も動員してしっかりと掃除するものを素人三人だ
けでやろうというのだから、一日やそこらで終わる作業でもない。
明日もまた、仕事に追われながらここへやってくるのだ。
ふわり、と風が秋に差し掛かった季節の青空の下で吹く。風雨に晒され地面
へ落ちた葉っぱが舞い上がり掃除したばかりの場所へ付着する。
「あ~あ・・・・掃除したばっかりなのに―――――」
綺麗にした場所に付着した汚れを金が払い落とす。その葉っぱの下、そこに
刻まれていた文字を見て、一筋、涙がこぼれる。
無意識に首から下げた銀色のアクセサリを握る。目を覚ました時、手に持っ
ていたのだ。
「――――春彦」
五十音順に並べられた死者の氏名の中に、見覚えのありすぎる名前が刻まれ
ている。
それはかつて、彼女自身が想いを寄せていた二重人格の少年の名前だった。
これは聞いた話でしかない。一駿河春彦という少年は金を護るために、その
命を投げ出したのだという。結果として金は生き残り、今もこうして生きてい
られるのだ。
その事実を知ったとき、一生分とも言えるほどの涙を流し、一生分とも言え
るほどの大声で泣き腫らした。しばらくの間茫然自失となり閉じこもりもした。
それでは何にもならないと現に諭されてここに居る。この場所で慰霊碑を前
にして彼の名前を見ることができる。
あそこで諭されなければきっと、閉じこもったままで慰霊碑の前にも来れな
かったに違いない。
この名前を見るたびにあるはずのない名前まで探してしまう癖もいい加減直
さなければ。
一駿河夏彦。書類上は存在しないことになっている春彦の二つ目の人格。当
然、この慰霊碑にその名前が刻まれることはなかった。
だが、金は知っている。夏彦という名前の少年が居たことを。確かに生きて
存在していたことを知っている。
だから色々なことが落ち着いたら、きっと、慰霊碑の隅っこにでも名前を追
加してもらえないか掛け合ってみようと思う。
また無意識に首から下がったアクセサリを握る。溶けて千切れてしまったチェ
ーンの代わりに紐を通してネックレスとなった二つの小さな指輪。高熱に晒さ
れたせいで所々煤けて歪んでしまった子供用の指輪はかつて彼女が二人で一人
の少年へ宛てて送った物だ。
子供の身で何ヶ月分もお小遣いを前借してインターネットで英語を調べて作
ってもらった文字入りのリング。彼女は彼が三年前のあの日、彼の手元から離
れるその瞬間まで大事に持っていたことを知っていた。だから、失われずにこ
の手に戻ってきたことを嬉しく思っている。
これが形見となるのだ。もし金がこの指輪を送っていなければ、彼の形見と
して残るものは何も無かっただろう。かつての自分に感謝して、もう一度、強
く握りなおす。
何があっても離してしまわないように。
一人の少女が涙を流した場所から少し離れた場所。五十音順的にはカ行の中
のキ段に差し掛かった辺り。そこで暁輩蓮が一際丁寧に磨いている場所がある。
そこに刻まれている名前は、かつて暁輩蓮のベストパートナーと呼ばれた人
物の名前。
軌条氷魚。死人戦争において暴走者と化し、その命を失った青年の名前だ。
彼がその場所を一際丁寧に磨いているのは特別な思い入れがあるからに他な
らない。
「氷魚・・・・俺の言葉は、お前に届いていたのか?」
あの時、あの不可思議な空間の中で彼と軌条はつかの間の再会を果たした。
そこで交わされた会話は今でも一字一句忘れることなく覚えている。その中で
彼は軌条からの最後の問いに答えることができなかったのだ。
軌条が暁の無言をどう解釈したのか、彼にはわからない。もしかしたら暁自
身が答えられてないと思っていただけで軌条にはしっかり伝わっていたのかも
しれない。
真実は永劫、わからない。だから彼はここに掃除に来るたび、いや、私用で
訪れても毎回、そう問いかけるのだ。
答えなど返ってこないと解っていても。
解答など得られないと解っていても。
これもいい加減直しておいたほうがいい癖かもしれない。
「あら? さっきの風で折れてしまっているわね・・・・元々弱っていたのか
しら」
現はそう言って完全に折れてしまった花を摘み取る。このままでは見た目が
悪いと思ったからだが、本来なら菜園用の花鋏を使うべきだ。
「うん、いい匂い―――――」
鼻へ近づけて匂いを嗅ぐ。しかし、不意に表情が曇った。
「――――なのでしょうね。本当なら」
彼女は匂いを知ることができない。嗅覚麻痺、というやつだ。
現は確かに誰か、大切な人を失ったというわけではない。代わりに彼女は自
らの身体機能の一部である嗅覚を失った。
原因は高濃度硝煙を吸い込んだことによって起こった シトクロムcオキシ
ダーゼ阻害作用という呼吸障害だ。
死人戦争終了直後、彼女は呼吸麻痺を起こして昏倒、肺水腫を起こしかけた。
幸いにも受け入れ可能な病院がすぐ側にあったために一命を取り留めることが
できたが一歩間違えば死んでいたのだ。
それでも彼女は音無現で在り続けた。体力が回復して復帰可能と医者に言わ
れる前から勝手に行動を開始して今に至る。あの戦いの中で救えなかった存在
が多いからこそ、彼女は今シティを復興して大勢の人のためになりたいと思っ
ている。
「この街を建て直すことで罪が流されると思うなんて、傲慢かしら」
この慰霊碑に刻まれた十万人の名前。中には知っている名前はあれど、知ら
ない名のほうが圧倒的に多い。
全ての死が彼女の責任ではない。しかし、今ここに刻まれてしまっている名
前の中にも救えた命があったかもしれない。
背負う必要の無い責任を彼女は背負っているのだ。
「そんなことないですよ、現さん」
「そうだ。現は今も頑張っているだろう。そう気負うな」
手を休めず言うから、何かついでに言われたみたいでちょっと切ない気分。
だんだん手が疲れてきたので、現は立ち上がって言う。
「この辺で終わりにしましょう。また明日来ればいいわ」
「はい」
「はーい」
それぞれがそれぞれの掃除用具を持って立ち上がる。帰ろうとブリッツタワ
ー・セントラルへ踵を返した三人にまた、強めの風が吹く。
秋が近いと感じさせる少し冷たい風が、清掃でかいた汗を冷やして余計に冷
たく感じた。
「戻ってもまだ仕事は山積みよ。とりあえずは、連絡のつかない連中に連絡つ
けて『手伝えーっ!』って文句言ってやらないと」
「でもそれって、私の仕事なんですよね・・・・?」
「そうよ。私と暁には別の仕事があるもの」
ブリッツタワー・セントラルの正面玄関を潜る。死兆星時代からここに勤務
している快活な女性だ。あれだけの大災害があったというのに何の外傷もなく
生き残り、そのテンションの高さは変わらず。けっこう大物なのかもしれない。
「あ、所長! 会議、始まっちゃいますよ!」
「わかってるわ。荷物用の全階層直通エレベータ使うから。社長権限で」
「はーい!」
タワーの一階の端っこにある大きなエレベータが昇降機としての役割を果た
して現たちを何十階も上まで運びあげる。
その中で、現はいなくなった一人の男性のことと田舎へ仕事のために飛ばし
た一人の少年のことを考えていた。
彼女たちは死人戦争がどうやって決着したのかを知らない。気付けば全てが
終わっていてDEATH UNITは消滅、あらゆる傷痕を残して消え去っていた。
どういうわけか奪われたはずの生命力まで回復している。その最後の場に居
合わせたはずの少年に問質したのだが、少年も事の顛末は知らないという。
途中でノックダウンされ気を失い、気付けば終わっていたとのこと。
治癒されている傷や治癒されていない傷があったりと釈然としないことが多
いのだが、真実を知るであろう一人の男性とは――――もう会えない。
死んだのだという。
信じ難いことではあるのだけれど、信じるしかないのが現状だ。
「あの子の連絡を待つしかないわね・・・・向こうの再建は彼に一任してしま
っているから」
「まぁ、あいつならしっかりやるだろう。一人、補佐役を送ったし」
「そうね・・・・・さ、会議よ」
真実を知らないまま、彼女たちは生きるのだろう。
常識の一切通用しないDEATH UNITという存在がどうして生まれたのか。
それがどうやって消えたのか。
それを知る人物は三人。
一人は空間の狭間から自らの世界へ帰り――――。
一人はこの世から消え―――――。
一人は今もこの世界に―――――。
あとちょっとと言っておきながらもうちょっとかかるというごめんなさい。
次に書くのは、DEATH UNITがなくなった事の顛末です。前章の直後だと思ってください。
ではお次へ。