「お前の“するべきこと”じゃない。お前に“できること”だ」
第二十三章 常光朝月
「あとは知っての通りさ。お前は陽を救うことに失敗して、また私から希望を
奪っていった」
記憶の流入が終わって、朝月と修之は恐ろしさに震えていた。
朝月は何度も陽の死を見せ付けられたことによる怯え。そんな茨すらシリコ
ン製の棘に思える道を歩んできた目の前の存在に対する畏怖。
修之はそれだけのことを成し遂げてきた別世界の常光朝月という存在に対す
る恐怖。どれだけの執念と愛があれば、あれだけの道に耐えられるのだろう。
「これで分かっただろ? この世界の陽が死んだのは私の責任じゃない。力を
与えられてなお、使えなかった貴様自身の責任だ!」
「う、そ・・・・・だろ。あのとき、俺にはもう力があったってのかよ」
朝月が生まれた時。姉の緋月から輸血をされたときにはもう既に朝月は力を
――――DEATH UNITを持っていたのだ。
つまり、朝月がその力を使いこなせていれば陽を守り抜くこともできたかも
しれなかった。
それはおそらく、全ての世界の常光朝月が願っていたことで。
その願いの塊である力を持ちながらも、彼は成し遂げることができなかった。
「私はこの世界を滅ぼしDUを回収する。そして陽を蘇らせるために東奔西走
しなければならない。だから邪魔をするな!」
その言い分はあまりに一方的で。
そのせいで朝月は気付けたのかもしれない。
別世界の常光朝月は、押し付けてるだけだ。
全ては自分が元凶なのに、その責任を他人へ押し付けて自分は逃げようとし
ているだけだ。
「お前は結局、自分の願いのために世界一つ巻き込んだんだろうが・・・・・」
彼の気持ちは分かる・・・・・いや、わかるつもりだ。
朝月は確かに恋人を失った。目の前で、自分の無力を痛感しながら。
しかし、これほど強大な力を手に入れた常光朝月はそれよりももっと辛い道
を歩んできている。その気持ちを完全に理解できる者など、いないだろう。
だから朝月は別世界の自分の気持ちを無視する。別世界の常光朝月がしたよ
うに自分の気持ちを最優先する。
なまじ同じような経験をしたことのある自分自身であるために、自分より程
度の低い経験しかしたことのない自分に的外れな同情をされても嬉しくも何と
もない。
それはただ無用な気持ちを生み出すだけだ。
「お前が気持ちを優先したから、この世界にDEATH UNITが来たから、何も
かもが変わっちまったんじゃねぇかっ!」
そう。この世界が変わってしまったのは、彼のせい。
DEATH UNITをこの世界に撒いたから。
「だから皆死んだんだろうがっ! 軌条さんも春彦も夏彦も・・・・修之さん
だってッ!」
「だから邪魔するというのか! 今この場で私の気持ちを一番理解できる貴様
が、邪魔をするというのか!」
しかし、だからといって彼を見捨てることはできない。
もし、自分が死んだ原因を作った存在だからといって、軌条は見捨てること
を許さない。
もし、彼のせいで想いも告げることができず死に別れることになったからと
いって、春彦と夏彦は見捨てることを許さない。
もし、自分の子供のように育てた春彦を奪われたからといって、自分が死ん
だからといって、修之は見捨てることを許さない。
もし、これから死ぬ運命にあるとしても、柚木は見捨てることを許さないだ
ろう。
彼とて、被害者なのだから。
「なぜ邪魔をする!? なぜ・・・・なぜだっ!」
「それはな、お前が――――――陽の気持ちを踏み躙っているからだ」
「・・・・・ッ!?」
ここで別世界の常光朝月を殺せばこの世界の朝月の思いは遂げられる。もう
全てを助けることができないとわかっているからこそ、全てを無視して殺すこ
とができる。
けれど、その結末は永久に凍結だ。
この世界の朝月は殺されてもいいと思っていた。他人事には思えなくて、だ
から、別の世界で苦しさ辛さの全てを味わったんじゃないかと思う彼に少しく
らい幸せがあってもよかったんじゃないか。だから、殺されてもいいと思って
いた。
でも――――――。
「恋人の想いを無視して自分の願いだけを追っかけてる奴なんかに殺されてな
んてやらない。ぶっ飛ばして分からせてやるッ!」
「私の何がいけない。何が気持ちを踏み躙ってるっていうんだッ!」
それを理解していないから、解らせないといけない。
このままじゃどんな結末を迎えたって、この世界も別世界の常光朝月も、死
んだ陽だって報われない。
「よく言ったな朝月。あんな無愛想だったお前が、他人を気にするなんてな」
ボロボロで立ち上がった修之に向けて、朝月はやっぱり無愛想に言った。
「勘違いしないでくれ修之さん。これは俺のため・・・・強いて言えば別世界
の俺と陽のためだ。決して他人のためなんかじゃない」
「そっか・・・・」
この世界の朝月へ、今まで見たこともないというような表情を向けて別世界
の常光朝月が後ずさる。
いつの間にか造物主の教本の腕の上に乗って二人へ向けて言った。
「俺の何が悪い・・・・・何が間違っているっていうんだッ!」
一人称まで『俺』に戻っている。それほど動揺しているのか。
圧砕重剣をその手に持って、その先端を高所にいる常光朝月へ突きつけた。
「お前は今―――――幸せなのかよ?」
「―――――何?」
「お前は今、陽の最後の言葉通りに幸せなのかって聞いてんだッ!」
跳躍一度、別世界の常光朝月のいる高さまで一気に跳び上がる。殺意を発し
ながらも決して殺す気はなく、取り出された縁絶に刀身をぶつける。
火花は散らず、深緑色の刀が一方的に押し込まれた。
「お前の世界の陽は言ったんだろ? しあわせになって、って! その言葉をお前
は今実現できてんのかよッ!」
最初に戦ったころのような力はなく、あっさりと弾き飛ばされる。その姿が
別世界の常光朝月の動揺の大きさを示していた。
修之は、この戦いに手を出すべきではないと思った。気持ちを理解できず、
中途半端な同情さえしてやれない自分が関わっていい問題ではないと思った。
「それは・・・・ッ」
縁絶を取り落とした別世界の彼は造物主の教本へ手を着く。その表情は苦痛
に歪んでいた。
「実現しようと・・・・・しているんだ・・・・・・っ」
泣くような声と共に絞り出された言葉は未だに幸せになれていない自分を責
めているようにも聞こえた。
「実現しようとしているから、こんなことをしているんだろうッ!?」
泣いている。恋人の思いを叶えられていない事実を突きつけられて、それを
否定できない自分を知って泣いている。
「陽の言うしあわせを掴み取ろうとしているから、こんな・・・・こんなッ!」
朝月の足元がぐらつく。地震のような揺れかただったが、すぐにその可能性
を振り払う。
ここは造物主の教本の上。空間を突き破って出現している巨大な腕が、どう
したらこの世界の地震でぐらつくというのか。
「朝月、飛び移れっ!」
朝月のすぐ横、そこには右腕を喪失しながらも空を飛びバランスを懸命に取
っている天涯ノ歯車があった。その背には修之の姿も。
最後に一度、別世界の常光朝月の姿を見る。着いた手は左腕のみ、変化を表
していた。
クリスタル化している。
記憶の中で見た常光朝月の腕。それは空間から飛び出ている造物主の教本の
腕と全く同じ色彩を持つ腕となっていた。今までは普通の人間の腕をしていた
のが、手を着いた途端、吸収するように変貌を遂げていた。
その瞳が――――腕と同じクリスタルの瞳へ変わる。
『こんな酷い道を歩んで来たんだろ―――――――ッ!』
天涯ノ歯車の上に乗った朝月だけが、消える。
正確には消えたわけではない。何か、高速な何かに持っていかれたのだ。
それが別世界の常光朝月の左腕に同化した造物主の教本だと最初に気付いた
のは修之で、朝月は遥か遠くの建物に叩きつけられてからようやく気付いた。
『うぅぁああああああああああああッ』
限界を知らず伸びた腕が引き戻されて朝月を掴んだまま灰色の床へと押し付
ける。衝撃に血液を吐き出して、異形と化した別世界の常光朝月を見る。
『誰が好き好んでわざわざこんな痛々しい道を歩むものかッ! 陽の想いを実
現させたいからこそ、俺はこうして・・・・・・こうしてッ!』
朝月を捉えたままどこまでも伸びる腕。何度も何度も砕けない氷に打ち付け
られて何度も何度も吐血する。
骨はミシミシと嫌な音を立て始めていて、内臓はもうぐちゃぐちゃなんじゃ
ないかと思わせるほど気持ち悪い。
それでも朝月は、見続けた。
『なんだ・・・・なんだその目はぁッ!』
響くような、耳をつんざくような声だった。
朝月を投げ捨て、その腕は杭のような形を取る。真っ直ぐ朝月目掛けた振り
下ろされたそれは天涯ノ歯車によって止められた。
ガガガッ・・・・と機械の足が氷の上を擦る音がする。
『陽が・・・・ひなたがいなくちゃ、しあわせになんかなれないのに・・・・』
力なく膝を着き、天涯ノ歯車に受け止められていた腕は氷の上へ落ちる。
涙で震える声色はいつしか、記憶で見た恋人の隣にいる常光朝月のものに戻
っていた。
『ひなたを取り戻さなくちゃ・・・・しあわせになんかなれないのに・・・・』
朝月は思う。ああ、やっぱり彼も『常光朝月』なんだな、と。
彼にとっての“生きる目的”が“復讐”で“大切な人たち”が復讐の対象で
ある柚木を含めていたように、別世界の彼にとっての“生きる目的”が“しあ
わせになる”ことで“しあわせになる”ために必要な“大切な人”がもういな
い。陽の最後の言葉を実現することができなくなっていた。
だからこんな道を選んでまで陽を取り戻そうとした。
でも途中で板ばさみになってしまって、どうにもできなくなったのだ。
陽の言うように“しあわせ”になりたい。でもなるためには陽の存在が必要
不可欠だった。
だから“しあわせ”を掴む取るために必死に足掻いて、こんな道を歩んでし
まったのだろう。
『大丈夫だ・・・・・ここがダメでも、次が―――――』
「次なんて、ねぇだろ?」
朝月は諭すように静かに言う。圧倒的な力を持ちながら、別世界の常光朝月
は叱られた子供のようになっていた。
「生き返らせることなんてできねぇんだろ? できるんだったら最初からやっ
てるはずだ」
『・・・・・』
「いい加減間違っているって認めろよ。今のお前の姿を見て、陽がなんて思う
と思ってやがる」
厳しい声色だが、その声は決して殺意を込めて発せられているものではない。
「あの時の陽は百年間も耐えて自分を蘇らせてしあわせになって欲しいなんて
思いを込めて言ったわけじゃないだろ? あの後生き残って、せめてお前だけ
はしあわせになって欲しいって意味で言ったんじゃないのか?」
それくらいのことは彼にもわかっていた。だが彼にはこれ以外の方法を見つ
けられなかった。
「だったら、そのしあわせを手に入れるためにお前が不幸の道を歩いてちゃ意
味ないだろうが!」
「・・・・・っ」
朝月の言葉は、彼の耳に届いただろうか。
クリスタルの腕は普通の大きさ、長さまで戻り、持ち主の意思を反映するよ
うに輝きを曇らせている。
「・・・・なら、俺はどうすればいい?」
小さく、猫の額のような大きさで紡ぎだされた言葉は救いを求めていたよう
だった。恋人を失ってから誰にも助けを求めず――――求められず、一人で運
命に抗おうとしてきた少年の助けを求める声だった。
「しあわせになれよ」
それが一番の解決方法で、一番難しい道だと知って朝月は言う。
「そんなことでき―――――」
「できないじゃねぇんだ。陽の気持ちを考えてやれよ」
陽はあの時、どういう気持ちでこの言葉を残したのだろう。
あの世界の彼女は超常的な力の存在をしらなかった。そう考えれば常光朝月
に蘇らせて欲しいなんて頼まないだろう。その在るかどうかも判らないしあわ
せを求めて、その過程で彼が不幸になることを望んでいたわけがない。
「自分が死ぬことが分かってて、それでもしあわせになってって言ったんだ」
そこから見出せる答えは――――ひとつ。
「たぶん、日向陽という存在無しでしあわせになってくれって意味だったんだ」
「そん・・・・な」
気付けなかった。あの世界にいた常光朝月は自分の恋人の最後の言葉の意味
に気付くことができなかった。
百年間の無駄よりもそっちのほうが心へ重く圧し掛かる。
結局、彼は自分の思う“しあわせ”だけを追い求めていて、恋人の残した言
葉の意味なんて考えようともしてなかった。
「お前にできることは自分の世界へ帰って“しあわせ”になることだ。もちろ
ん、陽は抜きで」
「それが、僕のするべきこと・・・・・」
「違う」
別世界の自分の額を撥ねて、いわゆる強烈なデコピンを喰らわせた。
何をされたのかわからず目をパチクリさせている彼へこの世界の朝月は言っ
た。
「お前の“するべきこと”じゃない。お前に“できること”だ」
いつか、この氷の下で朝月の勝利を信じて待っている柏原柚木から言われた
言葉をそっくりそのまま。
彼にももらう権利はあると思うから。今の別世界の彼はまさしくちょっと前
の朝月そのものだ。自分が信じて積み重ねてきたものが間違いだったと知って
いろんなものを見失ってしまった。だから、誰かが導いてやらねばならない。
彼には、そんな人物がいなかったんだ。
間違っていると正してくれる他人がいなかった。だから、百年以上も気付け
ずに進んできてしまった。
この世界の朝月が、示してやらねばならない。
自分がしてもらったことをそのまましてやるんだ。
「さて、ようやく色々なことに決着が着いたんだから、このDEATH UNIT問
題にも決着を――――――」
別世界の常光朝月が間違っているということを解らせ、和解できた。
しかし、問題はそれで解決したわけではなかった。
この世界における問題は何一つとして解決へは向かっていなかったんだ。
ボトッ。
そんな肉の落ちるような鈍い音がする。
ビチャッ。
そんな液体をぶちまけたような音がする。
「ァあああぁああああぁぁぁぁぁぁあああああああッ!?」
そんな悲鳴が響き渡った。
今回は少し長いので一回更新だけです。いい感じの終わらせ方だと思うんだけど、どうかな? かな?
あと、台詞をサブタイにしてみました。べ、別に某魔法少女まどか☆なんとかがサブタイトルに台詞を使ってたから真似してみたってわけじゃないんだからねっ!
この世界の朝月の言葉によって別世界の常光朝月は自分が矛盾を孕んだことをしていることに気づけました。彼はもう、誰も襲おうとはしないでしょう。自分のしていることが、何より想い人の想いを踏み躙っていることに気づけたのですから。
というわけで、また次回。