悪魔討つ聖槍
「・・・・了解した。俺も後から追いかけることにするよ」
まったく、よくこんな台詞が飛び出すものだ。
自分でも自己嫌悪しそうなほど。心配も躊躇いも与えないためとはいえ、一番
重要なことを隠したままとは・・・・。
「じゃあ暁さん、気をつけて」
「何かあったら連絡しますので、そちらも終わったら連絡を」
そういって四人が去っていくのを安心して見送る。この場には俺しかいない。
これで誰も巻き込むことはなくなった。プレッシャーが何をしようと俺が何を
しようと、誰も被害を被ることはない。
「もう少し離れてくれるのを待つか・・・・・」
だが、あんまりゆっくりもしていられない。
春彦が何かあったら連絡すると言っていた。もしゆっくりしすぎた結果、皆
が舞い戻ってくるようなことになるのだけは避けたい。
俺の準備が終われば、始める。
盛大に戦ってやろう。人間だって戦えると、化け物になど負けてやるものか
と。この世界を簡単に掌握できると思ったら大間違いだぞ、DEATH UNIT。
後のことなど気にする必要はない。
だって。
どう足掻こうともこの戦いで――――俺は死ぬ。
道路に立つ。五百m近くも離れているというのにここまでプレッシャーの血
が流れてきている。この一帯は上空から見たら完璧な血色の運河だろう。
奴はまだ俺のことが認識できていないのだろう。視界に入っていても認識さ
れていなければ、離れた場所にいてピンポイントで圧縮攻撃が当たる可能性は
低い。
全身が疼く。疼きが痛みへ変わっていく。全身を駆け巡り、精神を削るよう
な痛みはDUの侵食の証。この痛みがあることが、まだ俺が擬似暴走を起こし
ていないと、死人であり、エクスクレセンスではないと証明してくれている。
自らの肉体を、塵へと変貌させていく。
これが俺にある最初で最後、最高の攻撃手段だ。
銀色に煌く雪崩が異形へ向けて闊歩してくる。
もし雪崩がもっと少なくて、空を舞っていたならそれは、とても幻想的な
光景として人々の心に残ったことだろう。
だが、このシティに生存者は殆どいない。そのうえ、銀色の雪崩は空を舞
ってはいないし、少なくもなかった。
アスファルトの上を流れる血液の運河を覆い隠すほどの銀色の雪崩。しか
しそれは雪崩ではない。
尋常ではない量の塵――――ダイヤモンドダスト。
ダイヤモンドという宝石を粉末といえる状態まで粉々に砕いたもの。宝石
中最高硬度を誇っているダイヤモンドはしばしば刃の中に混ぜられたりもす
る。そうすることで刃毀れし難くなり、ものが切断し易くなるのだ。
本来なら少量、刃に混ぜられる程度のダイヤモンドダスト。それが今、プ
レッシャーの身体そのものを包み込むほどの量と質を持って血の運河を逆流
していた。
――ギィィィアアアアアァァァァアッ!
新たに生まれた眼で正面から襲いくる雪崩を堰きとめようとする。たった
一つしかない眼から放たれる“万物の圧縮”は背中の眼と同様、殆どのタイ
ムラグ無しに連射できる代物だった。
『さすがだな・・・・だが、その程度で押し潰しきれると思うなッ!』
その言葉通り、銀色の雪崩は連続で放たれ続ける“万物の圧縮”の猛攻の
只中を突っ切り、それでも尚勢いは衰えず。量も質も保ったまま第三段階プ
レッシャーを包み込む。
『これは俺の命を注ぎ込んだ一撃。例え化け物が相手でも負けはしないッ!』
雪崩はプレッシャーに触れると方向性を持ち旋回を始める。
それはさながら銀色の竜巻。道路を埋め尽くしていた大量のダイヤモンド
ダストはその硬度と鋭利さを持ってあらゆるものを削り取る旋風となる。
――ギィィィッィアアアアァアッ!
異形の悲鳴が耳に痛い。この音量では遠く離れていても届いてしまうので
はないかと危惧してしまうほどに。
だが。
異形の悲鳴は外界まで届かない。ダイヤモンドの旋風は暴風を巻き起こす。
それは轟音を生み出して、声など、外へは出さない。
膨れ上がりすぎた旋風は周囲の崩れかけたビルも血に染まったアスファル
トの地面も削り取り、プレッシャーの身体とて例外ではない。
皮膚が削られ、眼球は傷だらけ。もう視力は無いだろう。全身から血と肉
片を撒き散らし力無く地面に伏せていく。
だが、絶命には到っていない。
『足りないのか・・・・? なら―――――』
旋風の速度を上げようとして、その身に再び激痛が走る。
今までの使用と二度にわたる“未知の欠片”からの波動。
そして、今。
暁輩蓮のDEATH UNIT・塵界嵐は吸われる生命力の量に依存して構築で
きる塵の総量が変化する。暁自身がDUに生命力を注ぎ込めば、それに比例
して塵の総量が増えていく。
暁はもう、ほぼ全ての生命力を使っていた。
残り少なかった生命力を、更に削って。
故に彼はこの戦いで――――死ぬのだ。
『どう足掻いても逃げられない未来さ・・・・あのまま逃げたってどうせ長
くはなかった。もう一回“未知の欠片”から波動でも受ければ―――氷魚と
同じ未来だった』
擬似暴走を引き起こして、間もなく死に至る。そして―――目の前のプレ
ッシャーのようにエクスクレセンスになるのだ。
『エクスクレセンス化の確定した未来――――だったら、少しでも助けて、
逃がして、遠ざけて。俺が化け物になってもいいようにっ!』
無論、そんなことに意味はない。常識の一切が通じないDEATH UNITか
ら逃げる明確な方法など、無い。
そのうえ彼のDUは範囲・無差別・高機動だ。塵になりさえすれば道など
関係ない。命を失っているのだから、身体を蝕まれるだけ蝕まれ塵の総量は
激増。攻撃性の塵界嵐に巻き込まれれば、例外無く餌食となる。
『本当はさ・・・・アッシュ・ライク・スノウにでも頼み込んで氷漬けにし
てもらおうとも思っていたんだ。そうすれば、少なくとも、すぐに暴走した
俺に誰かが殺されることはなくなるからな。でも―――――』
それは――――できなくなった。
『できないよな・・・・ベストパートナーがエクスクレセンス化したってい
うのに、自分だけ安牌選んで苦しみから逃れようなんて・・・・できるはず
ない』
軌条氷魚はみんなから離れようとした。それは自分がエクスクレセンスに
なることによって、被害を出さないために。
それでも認めきれなくて、認めたくなくて。ちょっと前の朝月みたいな心
情になって、助けたくて追いかけた。
そして、食い止められなかった。
『氷魚を置いて先に逝くこともできない。逃げるわけにもいかない。氷魚を
放っておくわけにもいかない。だって――――』
銀色の旋風は明らかに減衰している。もう注げるだけの生命力が無いせい
だ。これほどまでに生命力を消費し、それでも擬似暴走さえ引き起こさずに
いられるのはどうしてだろう。
暁輩蓮の軌条氷魚へ対する思いの成せる業か。
それともただの、DEATH UNITの気まぐれか。
『ここで俺が止めないと・・・・・氷魚はッ!』
勢いが盛り返した。
いや、違う。確かに盛り返したのだが、決して暁輩蓮の生命力が回復した
わけじゃない。
周囲の物体を、コンクリートもアスファルトもガラスも何もかも。一般的
に「無機物」と称されるもの全部。
ダイヤモンドダストへと、その姿を変えていく。
『自意識に関係無く無差別に人を傷つける――――その苦しみを背負い続け
ることになるんだッ! 死さえも許されず、その力尽きるまで、嬲られ続け
ることになるんだッ!』
それが肉体的ではないとしても。
たとえそこに軌条氷魚の意識はなかったとしても。
軌条氷魚は「逃げな」と言ったんだ。
『たとえ仲間殺しの業を背負ったとしてもっ! 今の氷魚がそれを望んでい
ないとしてもッ!』
周囲の無機物を塵に変え、それを以って作り上げていく。銀色の旋風の中
心を貫く形で―――悪魔討つための無色透明の杭。
寄せ集められたダイヤモンドダストから錬成されたダイヤモンドの杭だ。
『俺はお前を氷魚と認めないッ!』
――ギィィアアアアアアアァァァアッ!
身の危険を察知したプレッシャーが咆える。だがこの異形にできることな
ど何もない。全ての眼は潰され、身動きすらできないのだから。
軌条氷魚は言った――――「逃げな」と。
それは彼の願いであると同時に。
彼が持った、最後の意思だ。
『その意思を―――――』
空中で固められたダイヤモンドダスト。それは無色透明の巨大な杭となり、
軌条氷魚に巣食う悪魔を貫く聖槍となる。
『捻じ曲げるお前を――――俺は決して認めないッ!』
もし暁輩蓮に実体があったなら、その顔はきっと、涙で濡れていただろう。
彼は仲間を傷つけたくなかったのに、傷つけさせてしまった。
彼を助けるために、彼が最後に願ったことさえも、叶えてやれなかった。
彼は死ぬなと言ったのに、結局、暁輩蓮は死んでしまう。
彼は助けてくれと言ったのに、助けてやることができなかった。
無色透明のダイヤモンドの杭が、第三段階プレッシャーを――――貫く。
その巨体を、巨大な杭で以って、地面へと縫いつけた。
――ギィィィアアアアアアアアアアァァァアアァッ!
その断末魔さえ、銀の旋風は逃さない。その声が、他人の耳に届くことを
認めない。
アスファルトを押し砕き、聖槍は地面へと埋まっていく。
視力が失われていたはずのプレッシャーの眼が開く。やはり眼球はズタズ
タで、開いたとしても、血しかでてこなかった。
『おおおおぉぉぉおおおおお―――ッ!』
最初、雪崩となって押し寄せてきたダイヤモンドダストはプレッシャーに
触れるなり旋回し、プレッシャーの全てを封じ込む竜巻となった。全ての眼
を潰されたプレッシャーに抗うすべは無く、金剛石の旋風に包まれた。
金剛石を集め、固めたものは軌条氷魚に巣食う悪魔を討つ聖槍となり、無
色透明の杭は異形を地面に縫い付けた。
そして、今。
旋風は徐々に内径を狭め、内側へ内側へと迫る。
もう動けず、しかし、未だ絶命してない化け物を完全に命絶えさせるため
に。
杭を作ったように、ダイヤモンドダストは固まっていく。その無色透明な
体の中に、化け物が二度と出て来れないように封じるため。
自分の身体を構築するようにして、暁輩蓮はもう一本、杭を生み出す。
それは、何があったとしてもこの異形を逃さないために。
第三段階エクスクレセンス・コールネーム・プレッシャー。
常識を逸脱し、化け物である死人にさえ化け物と言わしめた存在。
そんな存在が、形は全然違えども、軌条氷魚の身体を使って世界に存在す
ることが、暁輩蓮は許せなかった。
ちょっとした解説は次で。